山本省吾

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山本 省吾
横浜DeNAベイスターズ #15
Shogo Yamamoto, pitcher of the Yokohama BayStars, at Yokosuka Stadium.JPG
2011年3月19日 横須賀スタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 石川県七尾市
生年月日 1978年5月28日(33歳)
身長
体重
177cm
77kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト1位
初出場 2001年5月28日
年俸 6,000万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

山本 省吾(やまもと しょうご、1978年5月28日 - )は横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手投手)。

妻はチームジャビッツ21も務めた、元レースクイーン中村真由美

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

1978年に石川県七尾市で生まれた。星稜中学校では1年時に全日本少年軟式野球大会へ出場、2、3年時には2年連続で全国中学校軟式野球大会に出場し、3年時の第15回大会では優勝。

星稜高等学校でも2年時にエースとして第77回全国高等学校野球選手権大会に出場し、3回戦で吉年滝徳を擁する関西高校を、準決勝で庄田隆弘を擁する智辯学園高校を破って石川県勢初の決勝進出を果たし準優勝した。

高校卒業後は東京六大学野球連盟慶應義塾大学へ進学して全国優勝を経験。リーグ戦通算55試合登板、2114防御率2.23、307奪三振

2000年ドラフト会議大阪近鉄バファローズ逆指名し、1位指名で入団。

[編集] 近鉄時代

2001年は7試合に登板したが打ち込まれ、シーズンのほとんどを2軍で過ごした。2002年はプロ初勝利を含む4勝を挙げ、56試合に登板して防御率2.52と左のリリーフとして台頭。2003年先発投手に転向するも、25試合に登板して防御率5.49で未勝利に終わった。

2004年は前年より少ない14試合の登板だったものの、3勝1敗、防御率2.78と結果を残した。9月15日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)は、近鉄球団にとって関東での最終試合だったが、この試合で先発を務め、8回途中無失点の好投で3勝目を挙げ、近鉄の関東最終戦を勝利で飾った。同年オフの球団合併に伴う選手分配ドラフトにより、オリックス・バファローズへ移籍。

[編集] オリックス時代

2005年は春先に先発登板したが、リリーフでの起用が多くなった。2006年は春先に打ち込まれて降格したが、シーズン終盤にプロ初セーブを含む2セーブを記録するなど、35試合に登板して防御率3.99を記録。

2007年7月に昇格すると、主にロングリリーフとして19試合に登板し、防御率1.62の好成績を収めた。9月17日の対ロッテ戦では、延長12回裏・1死満塁の場面で、三塁走者・北川博敏代走として出場。2死になってから、木元邦之の適時打で初得点となる決勝点を踏んだ。

2008年は中継ぎとして開幕を迎えたが、4月1日の対西武戦で光原逸裕が1死も取れず降板したため、2番手で登板すると5回無失点に抑え、その間に味方打線が逆転して同年初勝利を挙げるなど、主にビハインドの場面で結果を残した。その後も先発陣の離脱が相次いだため、4月8日の対ソフトバンク戦から先発に転向。4月23日の対日本ハム戦ではプロ初完投・初完封勝利を挙げ、先発ローテーション唯一の左腕として活躍した。8月以降はやや成績を落としたが、最終的に10勝6敗、防御率3.38の成績を挙げ、初の規定投球回到達と2桁勝利を達成。規定投球回に達した投手の中では杉内俊哉成瀬善久と並んでリーグ最少の38四死球と制球の良さを見せた。本拠地である京セラドーム大阪スカイマークスタジアムでは4勝ずつを挙げ、クライマックスシリーズ進出を争った日本ハムから4勝、ロッテから3勝を挙げ、チームの9年ぶりとなるAクラス入りに貢献した。同年はプロ入り時の監督でもある梨田昌孝による監督推薦でオールスターゲームにも初出場し、2回を無安打無失点に抑えてベストピッチャー賞を受賞した。

2009年は開幕から前年同様にチーム唯一の先発左腕としてほぼ1年間ローテーションを守り通したが、勝利投手の権利を保持して降板した後にリリーフが打たれたり、9月1日に9勝目を挙げた後は5試合で防御率7.80と調子を落としたため、2年連続2桁勝利は逃した。

2010年オープン戦から不調が続き、開幕第3戦の先発を務めるも3回3失点ながら7安打を許すなど、開幕後も被安打が多く不安定な投球が目立った。5月4日の対ソフトバンク戦で初回に5失点を許し、2回途中で降板すると翌日に二軍降格。5月18日に昇格したが、岡田彰布監督は交流戦での予告先発制度が無い事を逆手にとって、その週に対戦カードのあった広島阪神のオーダーを撹乱させるのに一役買った。実際は、5月23日の対巨人戦で先発し、7回途中1失点の好投で勝利投手になると、交流戦では4戦4勝、防御率1.82の好成績を挙げ、チームの交流戦初優勝に貢献した。だが、リーグ戦に戻ると元の不安定な投球が目立ち、結局は8勝10敗、防御率5.47の成績に終わった。対パ・リーグは4勝10敗、防御率6.55と打ち込まれ、特にソフトバンク戦と楽天戦が防御率8点台、西武戦では防御率10.54と散々なものだった。

[編集] 横浜時代

2010年12月5日寺原早人高宮和也との交換トレードで、喜田剛とともに横浜ベイスターズへ移籍。背番号は15

2011年は、4月12日の対中日戦で自身初の開幕投手を務めた。 しかし、この年も数試合連続して序盤で早々にKOされるなど打ち込まれるケースが目立ち、7月13日に先発として11敗を喫して以降はリリーフとして出場するも結果が出ず、2勝11敗、防御率5.92の成績に終わった

[編集] プレースタイル

腕の位置が比較的低いスリー・クォーターから平均球速約136km/h[1]速球シンカー気味に落ちるフォークボール[2]に、2種類のスライダーシュートを低めに集めて打たせて取る技巧派サウスポーである。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
2001 近鉄 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 32 5.2 12 4 3 0 1 8 0 0 11 11 17.47 2.65
2002 56 0 0 0 0 4 1 0 -- .800 160 39.1 36 2 11 3 1 34 1 1 11 11 2.52 1.19
2003 25 4 0 0 0 0 1 0 -- .000 178 41.0 55 7 10 0 0 28 0 0 25 25 5.49 1.59
2004 14 4 0 0 0 3 1 0 -- .750 157 35.2 39 5 13 0 1 27 0 1 11 11 2.78 1.46
2005 オリックス 22 2 0 0 0 2 0 0 1 1.000 131 28.1 39 5 9 0 0 21 1 0 19 19 6.04 1.69
2006 35 0 0 0 0 0 0 2 2 ---- 128 29.1 36 4 9 2 1 18 1 0 13 13 3.99 1.53
2007 19 0 0 0 0 1 1 0 5 .500 111 27.2 27 0 6 1 1 20 2 1 6 5 1.63 1.19
2008 30 22 2 2 2 10 6 0 2 .625 645 154.2 166 11 30 0 8 90 1 1 60 58 3.38 1.27
2009 27 26 3 1 0 9 7 0 0 .563 685 159.2 176 18 47 0 4 110 1 0 84 75 4.23 1.40
2010 23 22 0 0 0 8 10 0 1 .444 478 107.0 143 19 20 0 8 79 3 0 71 65 5.47 1.52
2011 横浜 21 14 0 0 0 2 11 0 0 .154 362 79.0 99 10 25 0 4 50 0 2 57 52 5.92 1.57
通算:11年 279 94 5 3 2 39 38 2 11 .506 3067 707.1 828 85 183 6 29 485 10 6 368 345 4.39 1.43
  • 2011年度シーズン終了時

[編集] 記録

投手成績
打撃成績

[編集] 背番号

  • 18 (2001年 - 2004年)
  • 20 (2005年 - 2010年)
  • 15 (2011年 - )

[編集] 登場曲

[編集] 脚注

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  1. ^ 気になるあの投手たちの持ち球CHECK!『週刊ベースボール』2011年26号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-6/20、35-39頁。
  2. ^ 『週刊ベースボール』2008年9月15日号のインタビュー記事より。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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