神内靖

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神内 靖
横浜DeNAベイスターズ #38
20130407 Yasushi Kamiuchi, pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Meiji Jingu Stadium.JPG
2013年4月7日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府綾部市
生年月日 1983年8月12日(29歳)
身長
体重
176 cm
86 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト4巡目
初出場 2004年7月25日
年俸 2,000万円(2011年)
経歴(括弧内は在籍年)

神内 靖(かみうち やすし、1983年8月12日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手投手)。

目次

経歴 [編集]

プロ入り前 [編集]

延岡学園高等学校では第82回全国高等学校野球選手権大会に出場し、宮崎県内では「右の寺原、左の神内」と呼ばれるほどの評判の投手で、互いにライバル関係を築いていた。寺原はその後、第83回全国高等学校野球選手権大会で注目を浴びた後に4球団から1巡目で指名を受け、福岡ダイエーホークスへ入団しているが、神内も2001年のドラフト会議において、福岡ダイエーホークスから4巡目で指名を受け、入団。

ダイエー・ソフトバンク時代 [編集]

ソフトバンク時代(2010年)

プロ入り後すぐに結果を残した寺原とは対照的に、神内は高校時代から課題である制球難によってウエスタン・リーグでも十分な成績を残せなかった。2004年7月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ドーム)でプロ初先発を果たし、勝利投手にはなれなかったものの7回無失点と上々の結果を残した。この活躍が認められ、この年は12試合に登板した。

2005年4月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦(千葉マリンスタジアム)で中継ぎでプロ初勝利を果たすと、手薄だった左の中継ぎとして一軍に定着し、前年より倍以上の46試合に登板、防御率3.26・17ホールドと好成績を残した。

2006年からはさらなる活躍を目指すために大幅な肉体改造を行ったが、これによって体重が10kg増加すると同時に球速も10km/h近く速くなった。同年5月18日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)で初先発勝利を果たすと何度か先発を任され、自己最多となる6勝を挙げた。特にチームが苦手としていた対北海道日本ハムファイターズ戦では6試合で2勝・防御率1.10を記録するなど、幾度となくチームの危機を救ったが、後半に入ると6連戦がほとんど無い緩い日程だったためにコマ不足が解消され、登板機会は多くなかった。同年6月18日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)では、先発して6回途中まで11個の三振を奪ったが、神内の後を三瀬幸司吉武真太郎篠原貴行藤岡好明馬原孝浩のリレーで、1試合最多タイ(継投による達成は史上初)となる19奪三振を記録した。

しかし、度重なる連投などから肘への負担が増していき、2008年3月25日に群馬県内の病院で左肘内側側副じん帯の手術を行った。このリハビリのため、今季の一軍登板は無かった。

2009年4月5日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で、約2年ぶりとなる一軍登板を果たし、勝利投手となった。

2010年4月14日、対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)で途中降板する際、グローブをベンチ内の扇風機に投げつけて破壊したほか、ベンチの背もたれを強く蹴って破壊した。このため、球団から修理代7万円の弁償と厳重注意処分が下った[1][2]。さらに同シーズンは、森福允彦の急激な台頭もあって登板機会が激減し、10試合の登板に終わった。

2011年は一軍登板が2試合で防御率16.20と自己最低の成績に終わった。ウエスタン・リーグでは31試合に登板して、防御率2.94とまずまずな成績を残していたが、一軍昇格は果たせなかった。

2012年は開幕一軍で迎えるも、初登板となった同年4月3日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦では暴投で失点するなど、結果を残せなかった。一度降格した後に再昇格した後は成績も安定し、この年は4ホールドを記録した。しかしシーズン終盤に入ると疲労感から打ち込まれる試合が目立ち、8月27日に再降格後は一軍昇格がないまま終わった。

DeNA時代 [編集]

2012年11月、吉川輝昭多村仁志とともに山本省吾江尻慎太郎吉村裕基との3対3の交換トレードで横浜DeNAベイスターズへ移籍。背番号は、ソフトバンク時代と同じ38に決まった。

プレースタイル・人物 [編集]

直球は最速148km/hながら、140km/hを下回ることが多い。しかし球速表示以上に球に力があり、試合中盤で2桁奪三振を記録することも度々あった。変化球はスライダーカーブチェンジアップを投げるが決め球として用いることは少ない。

初回から全力で投げ込むスタイルで、最長でも7回までしか投げたことが無い。

詳細情報 [編集]

年度別投手成績 [編集]





















































W
H
I
P
2004 ダイエー
ソフトバンク
12 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 111 24.2 26 5 11 0 0 23 1 0 16 16 5.84 1.50
2005 46 0 0 0 0 3 1 0 14 .750 226 49.2 46 3 25 0 7 48 3 1 19 18 3.26 1.43
2006 26 13 0 0 0 6 3 0 1 .667 360 86.2 84 7 28 1 0 89 4 0 33 31 3.22 1.29
2007 8 6 0 0 0 1 3 0 0 .250 146 34.0 31 5 14 0 1 27 3 1 19 18 4.76 1.32
2009 26 2 0 0 0 2 3 0 3 .400 152 34.2 26 4 22 0 2 33 4 1 18 15 3.89 1.38
2010 10 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 75 16.2 18 3 6 0 1 17 3 1 13 13 7.02 1.45
2011 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 9 1.2 4 1 0 0 0 2 1 0 3 3 16.20 2.50
2012 20 0 0 0 0 0 0 0 4 ---- 101 24.2 22 3 4 0 1 24 2 0 15 15 5.47 1.05
通算:8年 150 25 0 0 0 12 11 0 22 .522 1180 272.2 257 31 110 1 12 263 21 4 136 129 4.26 1.35
  • 2012年度シーズン終了時
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

記録 [編集]

背番号 [編集]

  • 38 (2002年 - )

脚注 [編集]

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  1. ^ ソフトバンク神内、ベンチ破壊で修理代7万円 - スポーツニッポン(2010年4月16日)
  2. ^ 4月14日オリックス戦における神内投手の態度につきまして - 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト(2010年4月15日)

関連項目 [編集]