江尻慎太郎

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江尻 慎太郎
福岡ソフトバンクホークス #00
HAWKS00-EJIRI.jpg
2013年9月15日 福岡ヤフオク!ドーム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮城県仙台市宮城野区
生年月日 1977年4月30日(37歳)
身長
体重
187 cm
77 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 自由獲得枠
初出場 2002年10月5日
年俸 3,500万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

江尻 慎太郎(えじり しんたろう、1977年4月30日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

宮城県仙台市出身。進学校の仙台第二高校野球部時代はエースとして活躍し、3年春の県大会では強豪の仙台育英高校を破り注目を浴びた[1]慶應義塾大学の当時の監督・後藤寿彦から誘いを受けるが、2年間浪人する[1](このとき、代々木ゼミナールで大のファイターズファンの佐藤ヒロシ講師の授業を受けていた)。

3度目の受験で早稲田大学社会科学部に合格し入学[1]。二浪の末に早稲田大学に入学したという経緯が同じことから「小宮山悟二世」と呼ばれた。大学1年秋の早慶戦でリーグ初勝利を完封で飾り、インタビューで「慶應義塾大学、ザマ見ろって感じです」と答えている。その後も早慶戦では無類の強さを発揮し、1年秋・4年春・秋の計3度先発して完封2度を含む負け無しの3勝を挙げ、計27イニングでわずか1失点だった。4年秋の早慶戦では13安打を浴びながらも完封している。ただし2年春に右肘のじん帯を故障し、3年時には登板していない[1]。リーグ通算28試合登板、5勝6敗、防御率2.49、112奪三振

2001年のプロ野球ドラフト会議日本ハムファイターズ自由獲得枠で入団。小宮山が横浜時代に着用していた背番号27を背負うようになった。

日本ハム時代[編集]

2003年4月30日、二軍で自らの誕生日にノーヒットノーランを達成し、イースタン・リーグ特別表彰を受賞した。二軍でチームトップの防御率3.20、9勝6敗を記録した。

プロ3年目の2004年に頭角を現し、一軍で5勝を挙げる。うち3勝が対西武ライオンズ戦だった相性を買われ、同年10月3日プレーオフ・第1ステージ第3戦にも先発した。以後、先発投手陣の一角として期待され、2005年は開幕からローテーションに入って前半戦だけで6勝を挙げた。しかし長続きせず、勝負どころで投球が甘く入る悪癖のためシーズン途中で二軍降格。先発した5月21日の対読売ジャイアンツ戦では4回途中7失点の大乱調。小久保裕紀に打たれた瞬間に判る本塁打を許すと、怒りのあまり打球の行方を見ることもなくその場にグラブを叩き付けた。この頃、中継ぎへの転向をトレイ・ヒルマンに訴えたこともあった[1]

2006年は開幕から先発機会があったが、5月に二軍降格。4月9日の対西武戦では、アレックス・カブレラに厳しい内角攻めを続け、カブレラが激怒すると江尻が逆に一喝する場面があった。プレーオフ日本シリーズには登板できなかったが、アジアシリーズでは中継ぎで1回を三者三振で抑えた。

2007年には中継ぎとして初めてシーズンを通して活躍し、リリーフで7勝を挙げて初の防御率3点台を記録した。抑え投手のマイケル中村が離脱した際にはストッパーも務めたが、シーズン途中に右肘を故障し、重症だったことから10月にトミー・ジョン手術を受けることとなった。復帰まで最低1年以上かかることが判明し、翌2008年には一軍復帰できなかったが、二軍では7試合に登板した。2009年にはサイドスローに転向し、45試合に登板して復活を遂げた。リーグ優勝のビールかけの時にナース姿のコスプレを披露して話題を呼んだ。

2010年シーズン序盤、石井裕也とのトレード横浜ベイスターズに移籍。背番号は52

横浜時代[編集]

横浜時代(2011年)

横浜移籍後はチーム2位タイの54試合に登板し、シーズンを通してブルペンを支えた。オフには背番号を52から日本ハム時代に着用していた27に変更されることが発表された。

2011年には監督推薦でオールスターに初選出された。前半戦はチームトップの登板数を誇っていたが、8月5日にウイルス性髄膜炎に罹り、登録を抹消された。終盤にチームに合流し、前年を上回る成績を残した。

2012年は春季キャンプ中に右肩を痛めてキャンプを離脱。オールスター直前の7月13日に復帰したが2試合連続で打ち込まれ、そのまま抹消された。11月5日、神内靖多村仁志吉川輝昭とのトレードにより山本省吾吉村裕基とともに福岡ソフトバンクホークスへ移籍することが発表された。

ソフトバンク時代[編集]

2012年11月13日に入団会見が行われ、背番号は00[2]に決定した。

2013年の開幕は二軍で迎えたが、5月4日に一軍昇格した。しかし登板4試合で3試合連続失点するなど結果を残せず5月20日に二軍に降格された。肩痛の影響もあったがその後調整を続け、三軍の韓国遠征に同行するなど登板を重ねて調子を取り戻し、二軍で結果を出して8月10日に再び一軍昇格するとセットアッパーとして好投し、8月15日の対西武戦(西武ドーム)で横浜時代の2011年5月7日の対阪神戦(横浜スタジアム)以来831日振りに移籍後初勝利を挙げた[3][4]

ソフトバンク時代の投球フォーム(2014年)

プレースタイル[編集]

サイドスロー気味のスリー・クォーターから平均球速約144km/h[5]、最速153km/hの速球と横に曲がるスライダーカットボールフォークボールを投げる。

人物[編集]

日本ハムへの入団会見の際に、取材に集まった記者からの「大島康徳監督(当時)にはどのような印象を持っていますか?」という質問に、「自分が小学校ぐらいの時には、ファミコンでチャンスに強いバッターとして使わせて頂いておりました」と発言し、取材陣を爆笑させた。後年の週刊ベースボール誌のインタビューでは「4位以下の指名ならば拒否するつもりだった」「今の日本ハムではエースになれないため入団しなかった」と語っている[1]

日本ハム時代にリーグ優勝のビールかけでドン・キホーテで購入したナース服を着て、1番注目を浴びた。

自らの投球の目標として、2006年には「ちょいワル」、2007年には「脳トレ」を掲げるなど、流行に敏感な一面も窺わせる。

移籍が決定した際に、ユニホームに日本ハムの選手全員にサインを書いてもらい、その後の移籍会見で感極まって号泣した。なお、横浜への移籍に関しては、一部報道で「日本ハムの梨田昌孝は江尻の横浜への移籍を強硬に反対したが、フロントは契約交渉が難航した事と若手を使って欲しい事を理由に一蹴。以後監督とフロントの対立の火種になっている。」[6]という報道がなされるほど、不可解なものであると論評する者もいる。

変更したサイドスローのフォームが東京ヤクルトスワローズ林昌勇に似ていることから、日本ハム時代から2011年までチームメイトであった稲田直人などにチャンヨン(エジチャンヨン)と呼ばれるようになった。

日本ハム時代には当時コーチを務めていた小林繁に師事。右肘を故障し、1年以上一軍の試合に出場無かった時に小林からサイドスローへの転向を提案された。転向を決意した日に小林から「1か月でものにしてやる!責任は俺がとる!」と言われ、「この人に託してみよう!」と決めたという。小林との最後の電話では「シ~ン!お前、今年の自分の投球の映像見直して、自分の投球のひどさ痛感したって?新聞見たぞ。またキャンプで一からやりなおしだな…」と言われた[7]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2002 日本ハム 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 1.2 2 1 0 0 0 1 0 0 1 1 5.40 1.20
2003 3 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 50 11.2 15 2 3 0 0 7 0 0 8 8 6.17 1.54
2004 9 9 0 0 0 5 1 0 -- .833 215 49.1 57 8 15 0 2 20 1 0 32 29 5.29 1.46
2005 17 16 1 1 0 6 4 0 0 .600 383 84.0 109 9 31 2 5 49 5 0 59 54 5.79 1.67
2006 10 10 2 0 0 4 4 0 0 .500 233 56.1 62 6 13 0 1 30 1 1 28 28 4.47 1.33
2007 42 0 0 0 0 7 4 1 4 .636 205 48.2 52 2 10 1 1 38 4 0 21 18 3.33 1.27
2009 45 0 0 0 0 2 1 0 12 .667 198 45.0 40 5 25 7 2 39 3 0 16 16 3.20 1.44
2010 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 1.1 6 0 0 0 0 0 0 0 5 4 27.00 4.61
横浜
DeNA
54 0 0 0 0 1 2 0 13 .333 236 53.1 57 4 16 0 6 33 1 0 32 25 4.22 1.37
'10計 56 0 0 0 0 1 2 0 13 .333 246 54.2 63 4 16 0 6 33 1 0 37 29 4.77 1.45
2011 65 0 0 0 0 2 2 0 22 .500 226 56.2 47 6 11 1 3 38 2 0 14 13 2.06 1.02
2012 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 20 4.0 7 2 3 0 0 3 0 0 6 6 13.50 2.50
2013 ソフトバンク 23 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 100 24.0 28 1 5 0 0 18 1 1 9 9 3.38 1.38
通算:11年 274 37 3 1 0 28 20 1 53 .583 1882 436.0 482 46 132 11 20 276 18 2 231 211 4.36 1.41
  • 2013年度シーズン終了時
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は2012年シーズンよりDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

記録[編集]

初記録
その他記録
  • 初登板で対戦した第一打者に被本塁打:上記「初記録」の「初登板」の項を参照、6回表無死に水口栄二に左越ソロ ※史上50人目(パ・リーグ27人目、日本ハム投手としては1980年9月3日高橋正巳以来2人目)[8]

背番号[編集]

  • 27 (2002年 - 2010年途中、2011年 - 2012年)
  • 52 (2010年途中 - 同年終了)
  • 00 (2013年 - )

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 「苦闘の果てに掴んだ新境地 江尻慎太郎」 『週刊ベースボール』2009年8月31日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20445-8/31、35-39頁。
  2. ^ トレード移籍の江尻投手、山本投手、吉村選手が入団会見!
  3. ^ 江尻 しびれる場面で連続K斬り!打線爆発呼び831日ぶり白星”. Sponichi Annex (2013年8月15日). 2013年8月16日閲覧。
  4. ^ 【ソフトB】江尻移籍後初&2年ぶり勝利”. nikkansports.com (2013年8月15日). 2013年8月16日閲覧。
  5. ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、178頁。ISBN 978-4-905411-04-8
  6. ^ 緊急トレードで露呈した日本ハムの内部亀裂
  7. ^ 江尻慎太郎のGo Back to Baysics原点回帰 Powered 小林さん
  8. ^ 『2012パ・リーグ ブルーブック』パシフィック野球連盟、149頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]