江尻慎太郎
| 横浜DeNAベイスターズ #27 | |
|---|---|
2010年5月5日 横浜スタジアム
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 宮城県仙台市宮城野区 |
| 生年月日 | 1977年4月30日(34歳) |
| 身長 体重 |
187cm 77kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2001年 自由獲得枠 |
| 初出場 | 2002年10月5日 |
| 年俸 | 5,000万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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江尻 慎太郎(えじり しんたろう、1977年4月30日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。宮城県仙台市出身。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
進学校の仙台第二高校野球部時代はエースとして活躍し、3年春の県大会では強豪の仙台育英高校を破り注目を浴びた[1]。慶應義塾大学の当時の監督・後藤寿彦から誘いを受けるが、2年間浪人する[1](このとき、代々木ゼミナールで大のファイターズファンの佐藤ヒロシ講師の授業を受けていた)。
3度目の受験で早稲田大学社会科学部に合格し入学[1]。二浪の末に早稲田大学に入学したという経緯が同じことから「小宮山悟二世」と呼ばれた。大学1年秋の早慶戦でリーグ初勝利を完封で飾り、インタビューで「慶應義塾大学、ザマ見ろって感じです」と答えている。その後も早慶戦では無類の強さを発揮し、1年秋・4年春・秋の計3度先発して完封2度を含む負け無しの3勝を挙げ、計27イニングでわずか1失点だった。4年秋の早慶戦では13安打を浴びながらも完封している。ただし2年春に右肘のじん帯を故障し、3年時には登板していない[1]。リーグ通算28試合登板、5勝6敗、防御率2.49、112奪三振。
2001年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズに自由獲得枠で入団。小宮山が横浜時代に着用していた背番号27を背負うようになった。
[編集] 日本ハム時代
2003年4月30日、二軍で自らの誕生日にノーヒットノーランを達成し、イースタン・リーグ特別表彰を受賞した。二軍でチームトップの防御率3.20、9勝6敗を記録した。
プロ3年目の2004年に頭角を現し、一軍で5勝を挙げる。うち3勝が対西武ライオンズ戦だった相性を買われ、同年10月3日のプレーオフ・第1ステージ第3戦にも先発した。以後、先発投手陣の一角として期待され、2005年は開幕からローテーションに入って前半戦だけで6勝を挙げた。しかし長続きせず、勝負どころで投球が甘く入る悪癖のためシーズン途中で二軍降格。先発した5月21日の対読売ジャイアンツ戦では4回途中7失点の大乱調。小久保裕紀に打たれた瞬間に判る本塁打を許すと、怒りのあまり打球の行方を見ることもなくその場にグラブを叩き付けた。この頃、中継ぎへの転向をトレイ・ヒルマンに訴えたこともあった[1]。
2006年は開幕から先発機会があったが、5月に二軍降格。4月9日の対西武戦では、アレックス・カブレラに厳しい内角攻めを続け、カブレラが激怒すると江尻が逆に一喝する場面があった。プレーオフや日本シリーズには登板できなかったが、アジアシリーズでは中継ぎで1回を三者三振で抑えた。
2007年には中継ぎとして初めてシーズンを通して活躍し、リリーフで7勝を挙げて初の防御率3点台を記録した。抑え投手のマイケル中村が離脱した際にはストッパーも務めたが、シーズン途中に右肘を故障し、重症だったことから10月にトミー・ジョン手術を受けることとなった。復帰まで最低1年以上かかることが判明し、翌2008年には一軍復帰できなかったが、二軍では7試合に登板した。2009年にはサイドスローに転向し、45試合に登板して復活を遂げた。リーグ優勝のビールかけの時にナース姿のコスプレを披露して話題を呼んだ。
2010年シーズン序盤、石井裕也との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍。背番号は52。
[編集] 横浜時代
横浜移籍後はチーム2位タイの54試合に登板し、シーズンを通してブルペンを支えた。オフには背番号を52から日本ハム時代に付けていた27を付けることが発表された。 2011年、監督推薦でオールスターに初選出された。 前半戦はチームトップの登板数を誇っていたが、8月5日にウイルス性髄膜炎に罹り、登録を抹消された。終盤にチームに合流し、前年を上回る成績を残した。
[編集] プレースタイル
サイドスロー気味のスリー・クォーターから平均球速約144km/h[2]、最速153km/hの速球と横に曲がるスライダー、カットボール、フォークボールを投げる。
[編集] 人物
日本ハムへの入団会見の際に、取材に集まった記者からの「大島康徳監督(当時)にはどのような印象を持っていますか?」という質問に、「自分が小学校ぐらいの時には、ファミコンでチャンスに強いバッターとして使わせて頂いておりました」と発言し、取材陣を爆笑させた。後年の週刊ベースボール誌のインタビューでは「4位以下の指名ならば拒否するつもりだった」「今の日本ハムではエースになれないため入団しなかった」と語っている[1]。
日本ハム時代にリーグ優勝のビールかけでドン・キホーテで購入したナース服を着て、1番注目を浴びた。
自らの投球の目標として、2006年には「ちょいワル」、2007年には「脳トレ」を掲げるなど、流行に敏感な一面も窺わせる。
移籍が決定した際に、ユニホームに日本ハムの選手全員にサインを書いてもらい、その後の移籍会見で感極まって号泣した。なお、横浜への移籍に関しては、一部報道で「日本ハムの梨田昌孝監督は江尻の横浜への移籍を強硬に反対したが、フロントは契約交渉が難航した事と若手を使って欲しい事を理由に一蹴。以後監督とフロントの対立の火種になっている。」[3]という報道がなされるほど、不可解なものであると論評する者もいる。
変更したサイドスローのフォームが東京ヤクルトスワローズの林昌勇に似ていることから、日本ハム時代から2011年までチームメイトであった稲田直人などにチャンヨン(エジチャンヨン)と呼ばれるようになった。
日本ハム時代には当時コーチを務めていた小林繁に師事。右肘を故障し、1年以上一軍の試合に出場無かった時に小林からサイドスローへの転向を提案された。転向を決意した日に小林から「1か月でものにしてやる! 責任は俺がとる! 」と言われ、「この人に託してみよう!」と決めたという。小林との最後の電話では「シ~ン! お前、今年の自分の投球の映像見直して、自分の投球のひどさ痛感したって? 新聞見たぞ。またキャンプで一からやりなおしだな……。」と言われた[4]。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | 日本ハム | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 1.2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 5.40 | 1.20 |
| 2003 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 50 | 11.2 | 15 | 2 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | 0 | 8 | 8 | 6.17 | 1.54 | |
| 2004 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 0 | -- | .833 | 215 | 49.1 | 57 | 8 | 15 | 0 | 2 | 20 | 1 | 0 | 32 | 29 | 5.29 | 1.46 | |
| 2005 | 17 | 16 | 1 | 1 | 0 | 6 | 4 | 0 | 0 | .600 | 383 | 84.0 | 109 | 9 | 31 | 2 | 5 | 49 | 5 | 0 | 59 | 54 | 5.79 | 1.67 | |
| 2006 | 10 | 10 | 2 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | 0 | .500 | 233 | 56.1 | 62 | 6 | 13 | 0 | 1 | 30 | 1 | 1 | 28 | 28 | 4.47 | 1.33 | |
| 2007 | 42 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 4 | 1 | 4 | .636 | 205 | 48.2 | 52 | 2 | 10 | 1 | 1 | 38 | 4 | 0 | 21 | 18 | 3.33 | 1.27 | |
| 2009 | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 12 | .667 | 198 | 45.0 | 40 | 5 | 25 | 7 | 2 | 39 | 3 | 0 | 16 | 16 | 3.20 | 1.44 | |
| 2010 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 10 | 1.1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 27.00 | 4.61 | |
| 横浜 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 13 | .333 | 236 | 53.1 | 57 | 4 | 16 | 0 | 6 | 33 | 1 | 0 | 32 | 25 | 4.22 | 1.37 | |
| '10計 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 13 | .333 | 246 | 54.2 | 63 | 4 | 16 | 0 | 6 | 33 | 1 | 0 | 37 | 29 | 4.77 | 1.45 | |
| 2011 | 65 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 22 | .500 | 226 | 56.2 | 47 | 6 | 11 | 1 | 3 | 38 | 2 | 0 | 14 | 13 | 2.06 | 1.02 | |
| 通算:9年 | 249 | 37 | 3 | 1 | 0 | 27 | 19 | 1 | 51 | .587 | 1762 | 408.0 | 447 | 43 | 124 | 11 | 20 | 255 | 17 | 1 | 216 | 196 | 4.32 | 1.40 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初記録
- 初登板:2002年10月5日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(東京ドーム)、6回表に3番手で救援救援、1回1失点 初対戦打者:水口栄二
- 初奪三振:同上、6回表にタフィ・ローズから
- 初先発:2003年9月24日、対福岡ダイエーホークス27回戦(東京ドーム)、7回4失点
- 初勝利・初先発勝利:2004年4月21日、対西武ライオンズ6回戦(西武ドーム)、6回2/3を3失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2005年5月14日、対横浜ベイスターズ2回戦(札幌ドーム)
- 初セーブ:2007年6月10日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、9回裏1死に3番手で救援登板・完了、2/3回を無失点
- 初ホールド:2007年6月30日、対オリックス・バファローズ11回戦(京セラドーム大阪)、7回裏に3番手で救援登板、1回無失点
- その他記録
- 初登板で対戦した第1打者に被本塁打:上記「初記録」の「初登板」の項を参照 ※パ・リーグ12人目(日本ハムの投手としては1980年9月3日の高橋正巳以来2人目)
- 1球勝利:2007年8月12日、対西武ライオンズ16回戦(函館オーシャンスタジアム)、8回表1死にアレックス・カブレラを三塁ゴロ併殺打 ※史上24人目(パ・リーグ11人目、日本ハム投手として初)
[編集] 背番号
- 27 (2002年 - 2010年途中、2011年 - )
- 52 (2010年途中 - 同年終了)
[編集] 脚注
- ^ a b c d e f 「苦闘の果てに掴んだ新境地 江尻慎太郎」 『週刊ベースボール』2009年8月31日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20445-8/31、35-39頁。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、178頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ 緊急トレードで露呈した日本ハムの内部亀裂
- ^ 江尻慎太郎のGo Back to Baysics原点回帰 Powered 小林さん
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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