野中信吾
| オリックス・バファローズ #53 | |
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横浜時代(2009年8月25日、横須賀スタジアム)
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 佐賀県神埼市 |
| 生年月日 | 1983年9月24日(28歳) |
| 身長 体重 |
168cm 70kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投両打 |
| ポジション | 外野手、三塁手、二塁手 |
| プロ入り | 2001年 ドラフト5巡目 |
| 初出場 | 2002年9月23日 |
| 年俸 | 1,100万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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野中 信吾(のなか しんご、1983年9月24日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。佐賀県神埼市出身。
抜群の俊足で代走要員などで出場機会の多い足のスペシャリスト。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
2001年に春の甲子園(2回戦敗退)・夏の甲子園(3回戦敗退)と春夏連続出場。ショートでの高い守備力とセンスと脚力、そして小柄ながらも高校通算19本のホームランを放った思い切りのいいバッティングを評価されプロのスカウトの注目を浴びることになる。秋のドラフト会議で日本ハムファイターズに5巡目で指名され入団。
[編集] 日本ハム時代
2002年にルーキーながらも終盤に一軍に昇格し、9月23日の対ロッテ戦で、代走としてプロ初出場を果たす。10月5日の対近鉄戦で、プロ初安打を記録。しかし、2003年は一軍出場はなく、同年オフに横山道哉との交換トレードで横浜ベイスターズに移籍。スイッチヒッターに転向する。
[編集] 横浜時代
2004年、イースタン・リーグの盗塁王(32盗塁)を獲得。一軍でも代走で7試合に出場し3盗塁を記録(打席機会なし)。2005年は代走要員として一軍に定着し、30試合に出場。4月29日の対中日戦で移籍後初打席に立ち、右中間を破るタイムリー三塁打を放った。2006年はイースタン・リーグで2度目の盗塁王(26盗塁)を獲得するが、一軍では2試合の代走出場のみに終わった。
2007年に監督就任した大矢明彦の勧めで、交流戦途中からスイッチから右打ちに戻した。シーズン前半は主に代走・守備固めで活躍。後半からはスタメン起用が大幅に増え、自己最多の79試合に出場しチームトップの15盗塁を記録した。また、7月25日に読売ジャイアンツの林昌範からプロ初本塁打を放ち、7月28日には3安打1盗塁2得点の活躍でヒーローインタビューを経験、出塁率は3割を超えるなど打力でもアピールした。二塁手24試合、遊撃手32試合を守ってどちらのポジションでも安定した守備を見せ、出場機会を増やすため外野手も1試合守った。
2008年は前年の活躍からレギュラー奪取が期待されたが、打撃成績などが思うように伸びずほとんどの成績で前年を下回る結果となった。2009年はわずか7試合の出場で、盗塁出来ずに盗塁失敗は2回。
2010年は36試合に出場し7盗塁を記録するも打席に立つ機会は少なく、2年連続で無安打だった。11月11日に一輝との交換トレードで桑原謙太朗と共にオリックス・バファローズに移籍。背番号は横浜時代と同じ53に決定した。
[編集] オリックス時代
2011年は代走要員として開幕一軍入りを果たす。しかし、4月16日の対楽天戦で、同点の二塁走者として代走で出場するも、坂口智隆のヒットで打球判断を誤って三塁に止まってしまった。5月22日に登録抹消されて以降は、後藤光尊や大引啓次ら内野陣が安定し始めたのもあり、一軍に昇格する事なくシーズンを終えた。12試合の出場に留まり、打撃も3打席で1犠打・2三振で3年連続無安打だった。
[編集] プレースタイル・人物
プロ野球界きっての俊足とそれを生かした守備範囲の広さが持ち味だが、ボーンヘッドが少なくない。長打は少ないが、抜群の俊足で内野安打なども多い。
トレードに関する話として、野中の担当スカウトであった岩井隆之がシーレックスの監督に就任するにあたり、どうしても諦めきれずに日本ハムに譲ってくれと言ったという。
2007年オフ、ようやく後援会が発足した。地元の神埼市ではプロ入り決定直後から後援会を作ろうという話があったが、野中が生真面目な性格で「一軍で活躍する選手になるまで待ってください」とストップをかけていた。
公表の身長は169cmとなっているが、実は167cmであることをファンイベントで告白している。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002 | 日本ハム | 5 | 6 | 5 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .200 | .200 | .400 | .600 |
| 2004 | 横浜 | 7 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
| 2005 | 30 | 7 | 6 | 8 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .167 | .167 | .500 | .667 | |
| 2006 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- | |
| 2007 | 79 | 140 | 115 | 22 | 29 | 5 | 1 | 1 | 39 | 8 | 15 | 7 | 12 | 0 | 10 | 0 | 3 | 25 | 2 | .252 | .328 | .339 | .667 | |
| 2008 | 54 | 57 | 56 | 5 | 10 | 2 | 0 | 1 | 15 | 1 | 6 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | .179 | .179 | .268 | .446 | |
| 2009 | 7 | 1 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 2010 | 36 | 7 | 5 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .286 | .000 | .286 | |
| 2011 | オリックス | 12 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 通算:9年 | 232 | 221 | 190 | 49 | 41 | 8 | 2 | 2 | 59 | 10 | 35 | 16 | 16 | 0 | 12 | 0 | 3 | 39 | 4 | .216 | .273 | .311 | .584 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] 記録
- 初出場:2002年9月23日、対千葉ロッテマリーンズ23回戦(東京ドーム)、12回裏に小笠原道大の代走として出場
- 初打席:2002年10月2日、対千葉ロッテマリーンズ25回戦(千葉マリンスタジアム)、8回表に藤田宗一の前に三振
- 初安打:2002年10月5日、対大阪近鉄バファローズ28回戦(東京ドーム)、8回裏に山本省吾から代打左翼線二塁打
- 初盗塁:2004年8月8日、対ヤクルトスワローズ20回戦(横浜スタジアム)、9回裏に二盗(投手:五十嵐亮太、捕手:古田敦也)
- 初打点:2005年4月29日、対中日ドラゴンズ4回戦(横浜スタジアム)、9回裏に遠藤政隆から右中間へ適時三塁打
- 初先発出場:2005年5月8日、対千葉ロッテマリーンズ3回戦(横浜スタジアム)、2番・中堅手として先発出場
- 初本塁打:2007年7月25日、対読売ジャイアンツ13回戦(東京ドーム)、9回表に林昌範から左越2ラン
[編集] 背番号
- 61 (2002年 - 2003年)
- 53 (2004年 - )
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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