アンドリュー・ジョーンズ

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アンドリュー・ジョーンズ
Andruw Jones
東北楽天ゴールデンイーグルス #25
Andruw Jones rakuten.jpg
2013年7月31日、こまちスタジアムにて
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
出身地 オランダ領アンティルの旗 アンティル自治領ウィレムスタッド(現:キュラソーの旗 キュラソー自治領)
生年月日 1977年4月23日(37歳)
身長
体重
185 cm
101 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1993年 アマチュアFA
初出場 MLB / 1996年8月15日
NPB / 2013年3月29日
年俸 $3,500,000(2013年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム オランダの旗 オランダ
WBC 2006年2013年

アンドリュー・ルドルフ・ジョーンズAndruw Rudolf Jones , 1977年4月23日 - )は、オランダ領アンティルキュラソー島ウィレムスタッド出身のプロ野球選手外野手内野手)。右投げ右打ち。2013年から東北楽天ゴールデンイーグルスに所属。通称「AJ」。

原音ではアンドリューよりもアンドルーに近く、アンドルー・ジョーンズとも表記される。

MLBでは、1998年から2007年まで10年連続でゴールドグラブ賞を受賞する守備と、2005年から2年連続で「40本塁打・125打点」を記録したパワーを持ち合わせた、MLBを代表する外野手のひとりだった。

経歴[編集]

ブレーブス時代[編集]

1993年、アマチュア・フリーエージェントでアトランタ・ブレーブスに入団。

3年後の1996年8月15日の対フィラデルフィア・フィリーズ戦において、19歳でメジャーデビューを果たす。その年はわずか31試合の出場ながら5本塁打、13打点を記録した。この年のポストシーズンにも出場し、リーグ優勝決定戦第7戦ではポストシーズン史上最年少本塁打を、ワールドシリーズ第1戦第1打席で本塁打を放ち、ミッキー・マントルの同シリーズ史上最年少記録を更新。さらに第2打席でも本塁打を放ち、同シリーズ初打席から2打席連続本塁打(24年ぶり史上2人目)も記録した[1][2]

2年目の1997年右翼手としてレギュラーに定着。153試合に出場して打率.231、18本塁打、70打点、20盗塁の成績を残し、新人王の投票で5位に入った。

1998年には中堅手コンバートされ、リーグを代表する外野手に成長。自己最高の159試合に出場し、打率.271、31本塁打、90打点、27盗塁の成績を残し、史上最年少で「20本塁打・20盗塁」を達成[3]。9月13日にはMLB史上6番目・球団史上最年少でシーズン30本塁打を達成した[4]。また自身初のゴールドグラブ賞を受賞、以後同賞を10年連続で受賞することになる。

1999年には全162試合に出場。

2000年にはオールスターゲームに初めて選出される。この年の打率.303は自己最高、また36本塁打、21盗塁も記録し、ハンク・アーロンに次いで球団史上2人目となる3年連続「20本塁打・20盗塁」を達成した[5]2001年2月20日、年俸調停において2001年の年俸820万ドルを勝ち取り、マリアノ・リベラの725万ドルを上回る史上最高額となり[3]2001年シーズン終了後に6年総額7500万ドルで契約延長した[6]

2005年には、打率・出塁率こそ平凡だったものの、51本塁打、128打点で二冠のタイトルを獲得。本塁打は、1953年エディ・マシューズ1971年のアーロンが放った47本塁打を上回る球団新記録でもあった[7]。得点圏打率.207と勝負弱さが垣間見えたものの、この年のMVP投票ではアルバート・プホルスに次ぐ2位に入り、選手選出の最優秀選手となった[3]

アトランタ・ブレーブス時代(2006年)

2006年第1回WBCオランダ代表として出場。これに合わせ調整を早く行い、本来はスロースターターであるが4月に8本塁打を記録した[8]。5月・6月は失速したが、41本塁打(リーグ5位)、129打点(同4位)を記録した。

2007年は6年契約の最終年のため5月にひじを痛めた後も出場を続け、痛みがひどくなった8月以降は鎮痛剤の注射をして出場し続け154試合に出場[9]。打率.222、26本塁打、94打点と、特に打率に関してはレギュラー定着以来、自己最低に落ち込んだ。チームも2年連続でポストシーズン進出を逃した。

ドジャース時代[編集]

シーズン終了後に6年契約の切れたジョーンズはフリーエージェントとなり、ドジャースと2年3620万ドルで契約した[10]

2008年は、ドジャース待望の大砲として期待され、ジョーンズ自身も復活を目指す年となるはずだった。しかし、開幕からかつてない不振に喘ぎ、挙句の果てに故障者リスト入り。後半戦は、守備のみでの試合出場が増え、メジャーデビューを果たした1996年、当時まだ19歳であった自身の成績をも下回り、1998年から10年連続で受賞していたゴールドグラブ賞も逃した。ドジャースは不振のジョーンズを放出することを決断、ジョーンズも出場機会が激減していたことから、2009年1月6日に残る年俸2210万ドルのうち、約1600万ドルを6年かけて支払ったうえでジョーンズが退団することで双方が合意[11]、1月15日にジョーンズはドジャースから解雇された[12]

レンジャーズ時代[編集]

2009年2月8日、テキサス・レンジャーズとマイナー契約(+出来高50万ドル)を結び、自身初のアメリカンリーグでプレイする事となった。レンジャーズでは、打率こそ2年連続で.220にも届かない状態であったが、前年とほぼ同数且つシーズン全体の約半分の出場試合数で17本塁打を放った。一方、守備面では10年連続でゴールドグラブ賞を獲得した経歴の持ち主であるが、指名打者としての出場が大半を占めており、外野守備に就いたのはわずか17試合であった。また、メジャーデビュー以来初めてとなる内野守備ファースト)も経験した。

ホワイトソックス時代[編集]

2009年11月25日、シカゴ・ホワイトソックスと1年50万ドルで契約。

2010年は体重の管理をしっかり行うようになり、14.6打数に1本のペースで本塁打を記録し、3年ぶりにシーズン100試合以上に出場した[13]。打率.230、19本塁打、48打点はいずれも、2009年の数字を上回り、実に4シーズンぶりとなる.800以上のOPSをマークした。

ヤンキース時代[編集]

ヤンキース時代(2012年)

2011年1月20日、ニューヨーク・ヤンキースと1年200万ドルで契約。打率.247、出塁率.356、13本塁打、33打点と、かつてほどの成績ではないものの堅実な成績を収めた。

12月30日、1年契約推定160万ドルで合意。2012年もヤンキースでプレーする事が決まった。

2012年は前半戦は.244、11本塁打、OPS.862とまずまずの成績を残すも、後半戦は.142、3本塁打、OPS.511と大きく失速し、最終的には2008年以来の打率1割台を記録した。

楽天時代[編集]

2012年12月16日東北楽天ゴールデンイーグルスへの入団が発表[14]2013年1月29日には、前年途中からヤンキースに所属していたケイシー・マギーと揃って入団会見に臨んだ。楽天とは1年契約で、背番号は25。同年3月の第3回WBCには、オランダ代表のメンバーとして出場[15] [16]ウラディミール・バレンティン東京ヤクルトスワローズ)などとともにクリーンアップの一角を担いながら、代表史上初のWBCベスト4進出に貢献した。

開幕当初から4番指名打者で先発出場。4月5日の対千葉ロッテマリーンズ戦(クリネックススタジアム宮城)の8回裏に伊藤義弘から来日初本塁打となる2点本塁打を放った。その後は、主に3番銀次、5番マギーとクリーンアップを構成。オールスターゲームでは、ファン投票・選手間投票ともパ・リーグの指名打者部門で選出。7月28日には67安打目を放ち、MLBでの1933安打に加え日米通算2000本安打を達成[17][18]9月26日の対埼玉西武ライオンズ戦(西武ドーム)では、1対3で迎えた7回表の2死満塁で右中間へ3点適時二塁打を放って勝ち越し、チームは史上初のパ・リーグ優勝を決めた[19]。シーズン通算では、翌27日のロッテ戦に欠場しただけで、残りの143試合にすべて4番打者として出場。打撃面では、26本塁打・94打点という成績を残す一方で、リーグ最多の164三振を喫した。打率は.243だが、リーグ最多の105四球で、出塁率は.391と高い水準を記録。ロッテとのクライマックスシリーズファイナルステージ(Kスタ宮城)では2本塁打を放っている。読売ジャイアンツとの日本シリーズでは、第4戦(東京ドーム)1回表の先制の3点本塁打によって、同シリーズとワールドシリーズの両方で本塁打を記録した。この記録は、ジョーンズで史上4人目に当たる[20]。シーズン終了後に契約期間がいったん満了したものの、「楽天のナインに『勝利の哲学』のようなものを伝えたい」「来日を決めた時からアメリカ(MLB)には戻らない覚悟でいる」という姿勢から、2014年も楽天に1年契約で残留する[21]

選手としての特徴[編集]

打撃[編集]

30本前後の本塁打をコンスタントに記録するだけのパワーを備えている。2005年頃からパワーが増してきており、本塁打王を獲得した2005年から2年連続で40本塁打以上を記録した。その反面三振も多く、打率は平均以下のシーズンも多い。ジョーンズは自身を打率.270くらいの打者と位置づけ、打率よりも本塁打を打って打点を挙げるのが自分の役割であると考えているという[22]。2ストライクに追い込まれるととたんに打てなくなるが、初球には強く投手も警戒し、ボールが先行する[8]。また、選球眼も備わっており、四球を選ぶことも多く、楽天1年目の2013年は四球の数がパ・リーグ1位であった。しかし、チャンスにあまり強くはなく、2005年から3年間の得点圏打率は.237である。楽天一年目の2013年も.244とアメリカ時代とさほど変わりがなかった。

走塁[編集]

スイングが大きいため、一塁までの到達スピードは4.25秒と平均をやや上回る程度だが、一塁から三塁にまわる際や守備の際に本来のスピードを発揮していた[23]。二桁盗塁を記録していた時期もあるものの、近年では体重増加に伴って以前ほどの俊敏さは見られなくなり、併殺打も増加傾向にある。しかし、無警戒となった相手の隙をついて盗塁を仕掛けることがあり、楽天1年目の2013年は4盗塁を記録。

守備[編集]

外野手として10年連続でゴールドグラブ賞を獲得している。MLB時代は俊足であり守備範囲も広かったので、守備位置は浅めに守ることが多かったが、打球の落下点へ正確かつ素早く向かうことができるため、通常の外野手では到底取れないような打球も難なく処理し、[23]肩も強く、送球も正確と、外野手に必要な能力をすべて備えていた。1999年刺殺数は493に及んだが、これは外野手の刺殺数としてはメジャーリーグ歴代11位、1981年以降では歴代1位である。

楽天へ入団した2013年には、パ・リーグが公式戦で指名打者制度を採用していることから、(同制度を採用しないセ・パ交流戦セ・リーグ加盟球団主催試合を含めても)守備に就いた試合は17試合にとどまった。いずれもメジャー通算で8試合しか経験のない一塁手での出場であったが、無失策で守備をこなした。同年の日本シリーズでは、指名打者制度を採用しない巨人のホームゲーム(東京ドームでの第3~5戦)に挑むにあたって、「銀次より俺の方が絶対にうまい」という直訴によって外野の守備に就いている(銀次が一塁手)[24][25]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1996 ATL 31 113 106 11 23 7 1 5 47 13 3 0 0 0 7 0 0 29 1 .217 .265 .443 .708
1997 153 467 399 60 92 18 1 18 166 70 20 11 5 3 56 2 4 107 11 .231 .329 .416 .745
1998 159 631 582 89 158 33 8 31 300 90 27 4 1 4 40 8 4 129 10 .271 .321 .515 .836
1999 162 679 592 97 163 35 5 26 286 84 24 12 0 2 76 11 9 103 11 .275 .365 .483 .848
2000 161 729 656 122 199 36 6 36 355 104 21 6 0 5 59 0 9 100 12 .303 .366 .541 .907
2001 161 693 625 104 157 25 2 34 288 104 11 4 0 9 56 3 3 142 10 .251 .312 .461 .773
2002 154 659 560 91 148 34 0 35 287 94 8 3 0 6 83 4 10 135 14 .264 .366 .513 .879
2003 156 659 595 101 165 28 2 36 305 116 4 3 0 6 53 2 5 125 18 .277 .338 .513 .851
2004 154 646 570 85 149 34 4 29 278 91 6 6 0 2 71 9 3 147 24 .261 .345 .488 .833
2005 160 672 586 95 154 24 3 51 337 128 5 3 0 7 64 13 15 112 19 .263 .347 .575 .922
2006 156 669 565 107 148 29 0 41 300 129 4 1 0 9 82 9 13 127 13 .262 .363 .531 .894
2007 154 659 572 83 127 27 2 26 236 94 5 2 0 9 70 4 8 138 16 .222 .311 .413 .724
2008 LAD 75 238 209 21 33 8 1 3 52 14 0 1 0 1 27 0 1 76 5 .158 .256 .249 .505
2009 TEX 82 331 281 43 60 18 0 17 129 43 5 1 0 3 45 3 2 72 7 .214 .323 .459 .782
2010 CWS 107 328 278 41 64 12 1 19 135 48 9 2 0 2 45 0 3 73 15 .230 .341 .486 .827
2011 NYY 77 222 190 27 47 8 0 13 94 33 0 0 0 0 29 0 3 62 3 .247 .356 .495 .851
2012 94 269 233 27 46 7 0 14 95 34 0 0 0 3 28 1 5 71 2 .197 .294 .408 .701
2013 楽天 143 604 478 81 116 21 1 26 217 94 4 3 0 6 105 1 15 164 15 .243 .391 .454 .845
MLB:17年 2196 8664 7599 1204 1933 383 36 434 3690 1289 152 59 6 71 891 69 97 1748 192 .254 .337 .486 .823
NPB:1年 143 604 478 81 116 21 1 26 217 94 4 3 0 6 105 1 15 164 15 .243 .391 .454 .845
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

MLB
NPB

記録[編集]

NPB
MLB、NPBにまたがった記録
NPBその他記録

背番号[編集]

  • 25 (1996年 - 2010年、2013年 - )
  • 18 (2011年)
  • 22 (2012年)

脚注[編集]

  1. ^ "1996 Career Highlights," The Official Site of The Los Angeles Dodgers. 2008年3月17日閲覧。
  2. ^ The Ballplayers - Andruw Jones Biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月7日閲覧。
  3. ^ a b c The Ballplayers - Andruw Jones Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月7日閲覧。
  4. ^ "1998 Career Highlights," The Official Site of The Los Angeles Dodgers. 2008年3月17日閲覧。
  5. ^ "2000 Career Highlights," The Official Site of The Los Angeles Dodgers. 2008年3月17日閲覧。
  6. ^ "Andruw Jones agrees to a $75 million, six-year extension - Sports - Brief Article." 2008年3月17日閲覧。
  7. ^ "Atlanta Braves Batting Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年4月9日閲覧。
  8. ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、280項。ISBN 978-4-331-51213-5
  9. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』 廣済堂出版、2008年、446項。ISBN 978-4-331-51300-2
  10. ^ Ken Gurnick / MLB.com, "Andruw, Dodgers reach agreement / Deal calls for two years and $36.2 million, per a baseball official," The Official Site of Major League Baseball, December 6, 2007. 2008年3月17日閲覧。
  11. ^ Boras: Dodgers to part with Jones soon Club likely to release or trade vet, who may draw Braves' interest”. dodgers.com. 2009年1月17日閲覧。
  12. ^ Dodgers cut ties with Jones Team releases outfielder after efforts to work a trade prove fruitless”. dodgers.com. 2009年1月17日閲覧。
  13. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』 廣済堂出版、2011年、62頁。ISBN 978-4-331-51518-1
  14. ^ アンドリュー・ジョーンズ選手との契約合意に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス オフィシャルサイト (2012年12月16日). 2012年12月16日閲覧。
  15. ^ Kingdom of the Netherlands at the 2013 World Baseball Classic
  16. ^ 松井選手・田中選手・ジョーンズ選手がんばれキャンペーン開催!
  17. ^ “楽天・ジョーンズ、2000安打に「感無量だ」 (1/2ページ)”. SANSPO.COM(サンケイスポーツ. (2013年7月29日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130729/gol13072905040001-n1.html 2014年3月16日閲覧。 
  18. ^ “楽天・ジョーンズ、2000安打に「感無量だ」 (2/2ページ)”. SANSPO.COM(サンケイスポーツ). (2013年7月29日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20130729/gol13072905040001-n2.html 2014年3月16日閲覧。 
  19. ^ 楽天初V 「最初のゴールはリーグ優勝」ジョーンズ、4番の仕事
  20. ^ AJ史上4人目、日米シリーズ弾も空砲
  21. ^ 楽天 ジョーンズは残留「日本に来た時からアメリカには戻らない覚悟」
  22. ^ 田尻賢誉「AJインタビュー アンドリュー・ジョーンズ」 『月刊スラッガー』2005年9月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、30-31頁。
  23. ^ a b 現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-10、26-29頁。
  24. ^ http://www.sanspo.com/baseball/news/20131029/gol13102905040001-n1.html
  25. ^ 第5戦(10月31日)では、「4番・中堅手」としてスタメンに起用。4回裏からは左翼に回った。また、第3・4戦(10月29日・30日)には、「4番・左翼手」として出場。フル出場になった第4戦以外では終盤に森山周と交代したものの、いずれも無失策で終えた。
  26. ^ “楽天 ジョーンズ 日米通算2000安打で勝利に貢献”. Sponichi Annex(スポーツニッポン. (2013年7月28日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/07/28/kiji/K20130728006313960.html 2014年3月19日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]