チャック・クライン

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チャック・クライン
Chuck Klein
Chuck Klein 1936 Goudey.jpg
1936年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州インディアナポリス
生年月日 1904年10月9日
没年月日 1958年3月28日(満53歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 右翼手
初出場 1928年7月30日
最終出場 1944年6月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1980年
選出方法 ベテランズ委員会選出

チャック・クラインCharles Herbert Klein1904年10月9日 - 1958年3月28日)は、主に1930年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは右翼手インディアナ州インディアナポリス生まれ。右投げ左打ち。ニックネームは"Hoosier Hammer"(インディアナ・ハマー)。1933年ナショナルリーグ三冠王になった強打者。

略歴[編集]

1928年にフィリーズでデビュー。翌年1929年には219安打、43本塁打、打率.356をマークし、初の本塁打王となる。

1930年は250安打、打率.386をマークした年だったが、同じ年にニューヨーク・ジャイアンツビル・テリーが254安打、打率.401を記録し、両部門ともタイトルを手にすることができなかった。またこの年は170打点を挙げたが、こちらはハック・ウィルソンが191打点(現在のメジャーリーグ記録)を達成していた。その後も1931年には初の打点王(121打点)、と得点王(121得点)、1932年は38本塁打で本塁打王になると共に、20盗塁でリーグ盗塁王も獲得、その年の最優秀選手になった。本塁打王と盗塁王を同時に獲得したのは、彼とタイ・カッブジミー・シェッカードの3人だけである。

1933年には28本塁打、120打点、打率.368とし、ロジャース・ホーンスビー以来の三冠王となる。この年は他にも最多安打、最多二塁打、出塁率1位、長打率1位 (.602) などに輝いたものの、その年の最優秀選手にはカール・ハッベルが選ばれた。

1934年シカゴ・カブスに移籍するものの、フィリーズ時代のような殆ど全試合の出場はさせてもらえず、打率も3割前後にとどまった。カブスには2年と少ししか在籍せず、1936年のシーズン中に再びフィリーズに戻った。フィリーズ復帰後の1936年7月10日、クラインはリーグ史上初となる1試合4本塁打を放っている。

1940年に通算2,000本安打を達成。それ以降は時折代打として出る程度になり、1944年を最後に現役を引退した。

引退後は一時期フィラデルフィアでバーを開いていたが、その後脳卒中を患い故郷インディアナに戻る。1958年に53歳で他界。1980年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

2001年、クラインはフィリーズの永久欠番選手に指定されたが、デビュー当時はまだ背番号導入前で、その後1932年よりフィリーズは背番号を導入したが、クラインは毎シーズンのように背番号を変えていた(後述)ため、番号の代わりに、デビュー当時のフィリーズのチームロゴ(オールド・イングリッシュ字体の"P")を欠番代わりとしている。

1000安打到達最速記録[編集]

クラインは683試合目で通算1000安打に到達しており、これは現在でもメジャーリーグの最速記録である。2005年イチローがこの記録に迫った(696試合目:歴代3位)ことで、日本でも多く紹介された。

クラインの背番号[編集]

前述の通り、1932年にフィリーズが背番号を導入した後も、クラインは自身の背番号を一定せず、毎シーズンのように背番号を変えていた[1]。その番号は10個にも及び、このうちフィリーズ在籍時につけていた『1』、『32』、『36』は後にフィリーズの後輩にあたる選手(リッチー・アシュバーンスティーブ・カールトンロビン・ロバーツ)の活躍により、それぞれの永久欠番となっている。

太字はフィリーズ在籍時の背番号。

  • 3(1932年~1933年)
  • 6(1934年・カブス在籍)
  • 4(1935年~1936年・カブス在籍)
  • 32(1936年)
  • 36(1936年~1937年)
  • 1(1938年)
  • 26(1939年)
  • 14(1939年・パイレーツ在籍)
  • 29(1940年~1942年)
  • 8(1943年~1944年)

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]











































O
P
S
1928 PHI 64 275 253 41 91 14 4 11 146 34 0 7 14 1 22 -- .360 .396 .577 .973
1929 149 679 616 126 219 45 6 43 405 145 5 9 54 0 61 -- .356 .407 .657 1.065
1930 156 719 648 158 250 59 8 40 445 170 4 13 54 4 50 -- .386 .436 .687 1.123
1931 148 656 594 121 200 34 10 31 347 121 7 2 59 1 49 -- .337 .398 .584 .982
1932 154 711 650 152 226 50 15 38 420 137 20 0 60 1 49 -- .348 .404 .646 1.050
1933 152 667 606 101 223 44 7 28 365 120 15 4 56 1 36 3 .368 .422 .602 1.025
1934 CHC 115 485 435 78 131 27 2 20 222 80 3 1 47 2 38 6 .301 .372 .510 .882
1935 119 485 434 71 127 14 4 21 212 73 4 9 41 1 42 10 .293 .355 .488 .844
1936 29 126 109 19 32 5 0 5 52 18 0 1 16 0 14 2 .294 .384 .477 .861
PHI 117 530 492 83 152 30 7 20 256 86 6 5 33 0 45 6 .309 .352 .520 .873
'36計 146 656 601 102 184 35 7 25 308 104 6 6 49 0 59 8 .306 .358 .512 .871
1937 115 449 406 74 132 20 2 15 201 57 3 3 39 1 21 6 .325 .386 .495 .881
1938 129 500 458 53 113 22 2 8 163 61 7 4 38 0 30 7 .247 .304 .356 .660
1939 25 59 47 8 9 2 1 1 16 9 1 2 10 0 4 0 .191 .333 .340 .674
PIT 85 302 270 37 81 16 4 11 138 47 1 6 26 0 17 4 .300 .361 .511 .873
'39計 110 361 317 45 90 18 5 12 154 56 2 8 36 0 21 4 .284 .357 .486 .843
1940 PHI 116 400 354 39 77 16 2 7 118 37 2 2 44 0 30 8 .218 .304 .333 .637
1941 50 84 73 6 9 0 0 1 12 3 0 1 10 0 6 2 .123 .229 .164 .393
1942 14 14 14 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 2 1 .071 .071 .071 .143
1943 12 20 20 0 2 0 0 0 2 3 1 0 0 0 3 0 .100 .100 .100 .200
1944 4 7 7 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 2 0 .143 .143 .143 .286
通算:17年 1753 7168 6486 1168 2076 398 74 300 3522 1201 79 69 601 12 521 55 .320 .379 .543 .922
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・記録[編集]

※同年のリーグ最多安打はビル・テリーの254安打(歴代3位)
  • サイクル安打:1回(1931年7月1日)
  • 1930年の守備補殺 (Assists) 数は44で、これは右翼手としてシーズン最多記録である。

脚注[編集]

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出典・外部リンク[編集]