プリンス・フィルダー

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プリンス・フィルダー
Prince Fielder
テキサス・レンジャーズ #84
Prince Fielder on July 13, 2012.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 カリフォルニア州オンタリオ
生年月日 1984年5月9日(29歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
275 lb =約124.7 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目(全体7位)
初出場 2005年6月13日
年俸 $23,000,000(2013年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

プリンス・セミアン・フィルダーPrince Semien Fielder, 1984年5月9日 - )は、MLBテキサス・レンジャーズ所属の野球選手。ポジションは一塁手アメリカ合衆国カリフォルニア州オンタリオ出身。

父は2年連続でアメリカン・リーグ本塁打王を獲得したセシル・フィルダー

経歴[編集]

アマチュア時代[編集]

1984年5月9日カリフォルニア州オンタリオで生まれた。5歳の時、父セシルが阪神タイガースでプレーしていたこともあり、僅か1年だが日本に在住経験がある。この時父に連れられて球場によく出入りしており、実際に試合前、打撃練習をさせてもらったこともある。初めて野球に触れたのがこの頃であるが、幼いながらもパワー溢れる打撃を見せ付け、当時の阪神コーチや球団関係者から「これが5歳児のバッティングか」「将来はプロ野球選手か」と賞賛の声を挙げられる[2]2010年12月、MLBのアンバサダーとして21年ぶりに訪日した際、「将来は日本でもプレーしたい」と語っている[3]

父から「右投手が多いから有利」と言われるままに左打ちを練習し、これが父のしてくれた最高の教えだと語っている[4][5]

12歳の時には、当時父が所属していたデトロイト・タイガースの本拠地タイガー・スタジアムで父と一緒に打撃練習し、2階スタンドに打球を放り込むという親譲りのパワーヒッターぶりを見せたという伝説がある[6]。ただしこの伝説は本人が2007年にFOXスポーツのインタビューで否定した[7]

ミルウォーキー・ブルワーズ[編集]

2002年のMLBドラフトミルウォーキー・ブルワーズから1巡目(全体7位)に指名を受け入団。2005年はAAA級のナッシュビル・サウンズで開幕を迎えたが、好成績を残しメジャーに昇格。6月13日タンパベイ・デビルレイズ戦で7番・指名打者としてメジャーデビューを果たすが、4打数無安打に終わる。翌14日には野茂英雄と対戦し、メジャー初安打となる二塁打を放っている。7月4日にAAAに降格したが、ブレイディ・クラーク故障者リスト入りしたため8月17日に再昇格[8]8月31日ピッツバーグ・パイレーツ戦で代打として出場し、ホセ・メサから同年チーム初となるサヨナラ本塁打を放った[8]。39試合に出場し、打率.288・2本塁打・10打点を記録。シーズン終了後、球団はフィルダーの打撃を高く評価し、ポジションの被るライル・オーバーベイトロント・ブルージェイズへ放出した[9]

2006年3月10日アリゾナ州で行われたワールド・ベースボール・クラシック日本代表との練習試合に出場。6回に杉内俊哉から本塁打を放っている。同年のレギュラーシーズンでは4月に打率.344・5本塁打・16打点を記録し月間最優秀新人に選出され、その後もフルシーズンレギュラーとして活躍した。出場試合数(157)・安打数(154)・複数安打試合(41)はチーム1位で、28本塁打は新人ではリーグ最多となった[10]。本塁打と打点(81)は球団新人記録となり、新人王の投票では7位に入った[10]

2007年は開幕から本塁打を量産。5月には球団新記録となる月間13本塁打を記録し月間MVPを受賞[11]6月17日ミネソタ・ツインズ戦ではジョー・ネイサンから自身初のランニングホームランを記録[12]オールスターゲームの投票ではケン・グリフィー・ジュニアに次ぐリーグ2位の2,706,020票を得て初選出・先発出場[12]9月15日にはシーズン46本目の本塁打を放ち[13]リッチー・セクソンゴーマン・トーマスが持つ球団記録45を更新[12]9月25日セントルイス・カージナルス戦で50本塁打に到達し[13]、史上初となる親子でのシーズン50本塁打を記録。また、23歳139日での達成はウィリー・メイズの24歳137日を上回る史上最年少記録となった[12]。この年は本塁打王のタイトルとシルバースラッガー賞を獲得した。

2008年は開幕から本塁打が出なかったが、4月17日のカージナルス戦で延長10回表に決勝となる2点本塁打を記録。50本塁打以上を記録した翌年の打者としては最も遅い15試合目でのシーズン初本塁打となり[14]、前年より16本少ない34本塁打に終わった。チームはワイルドカードでポストシーズン進出を果たしたが、フィラデルフィア・フィリーズとのディヴィジョンシリーズでは14打数1安打に終わり、チームも1勝3敗で敗退した。年俸調停権を得たフィルダーは、2009年の年俸として800万ドルを要求。これに対して球団側は650万ドルを提示していたが、2009年1月23日に2年総額1800万ドルで合意した[15]

2009年は全162試合に4番として先発出場した[16]5月3日まで打率が.250を超えない状態が続いたがその後調子を上げ、6月末時点で打率.307・20本塁打・74打点を記録。自身2度目となるオールスターゲーム出場を果たし、ホームランダービーではネルソン・クルーズを破り優勝。オールスター以降、1試合2本塁打、3試合連続本塁打をそれぞれ2度ずつ記録するなど本塁打を量産し、最終的に46本を記録。9月19日にシーズン127打点目を記録し、セシル・クーパーの球団記録を27年ぶりに更新。最終的に141打点まで記録を伸ばし[17]ライアン・ハワードと並んで最多打点のタイトルを獲得した。

2010年は打率が自己最低の.261に低下し、本塁打も前年から14本減少したが、四球はリーグ最多の114を記録した。翌年限りでフリーエージェントとなるため、シーズン途中から盛んにトレードの噂が出るようになったが[18]、最終的に2011年もブルワーズでプレーすることが決まった。球団はフィルダーが在籍している間に勝負をかけるべく、オフに多くの若手有望株と引き換えにザック・グレインキーショーン・マーカムを獲得する大型補強を行った[19]

2011年7月12日に行われたオールスターゲームに4番・一塁手で出場。0-1とリードされた4回裏、C.J.ウィルソンから左中間に逆転3点本塁打を放つ。ナ・リーグが5-1で勝利し、MVPに選ばれた。シーズンでも打率.299・38本塁打・120打点、OPS.981を記録して地区優勝に大きく貢献したが、ブルワーズはリーグ優勝決定シリーズで敗退した。シーズン終了後FAとなったフィルダーには、ワシントン・ナショナルズテキサス・レンジャーズボルチモア・オリオールズシアトル・マリナーズなどが興味を示していたが、代理人スコット・ボラスの要求額が高く、年が明けてもなかなか移籍先が決らなかった[20]

デトロイト・タイガース[編集]

2012年1月24日、故障でシーズン絶望となったビクター・マルティネスの代役を探していたタイガースと歴代4位の大型契約となる9年総額2億1400万ドルで合意、タイガースには親子で所属することとなった。タイガースは、主砲ミゲル・カブレラとポジションが被るフィルダーの獲得には乗り出さないと思われていたため、契約成立のニュースは全米の野球関係者を驚かせた[21]オールスターゲームにはファン投票で選出され、ホームランダービーで3年ぶりに優勝した。シーズンでは4番打者としてミゲル・カブレラの三冠王をアシストした。自身も、初の3割30本100打点をクリアするなど移籍1年目から期待通りの活躍をした。

テキサス・レンジャーズ[編集]

2013年11月20日イアン・キンスラーとのトレードでテキサス・レンジャーズに移籍。

選手としての特徴[編集]

身長約180cmとメジャーリーガーとしては小柄ながら、体重は120kg以上あり、父親譲りの巨漢である(現役時代のセシルの体重も同じくらいであったが、身長はプリンスより高かった)。マイケル・ルイス著の『マネー・ボール』の中では、アスレチックスのスカウト陣から太りすぎとして酷評されていたシーンがある[22]。しかし、メジャー昇格後の活躍により見事アスレチックスのスカウトを見返した。

打撃[編集]

打席での構えがとても安定しており、左打者だが左投手を苦にしない[23]。相手投手の投球に対してうまく合わせることができ、打球を広角に打ち分けている[23]。ややアッパーカット気味のスウィングでもあり、そのために打球を上向きに、そして広角に本塁打を放つことができる。パワーヒッターとしてはバットコントロールと打席でのバランスに長け、内角球にうまく対応する[23]

守備・走塁[編集]

その体質と体重のため、柔軟性と一塁周辺での俊敏性があまりなく、グラブさばきも柔らかさに欠けている[23]。野手からの送球に対して、あまりにも早く手を伸ばす傾向があり、真正面からずれた送球には対応できずに固まってしまう[23]。また、中堅手より左の打球で打者が二塁へ向かう際の、中堅手もしくは左翼手からの送球のバックアップの位置取りに課題がある[23]

足の速さはメジャーリーグの平均よりかなり遅く、優れた走者ではない[23]。しかし、フィルダー自身は走るのを好み、時々相手捕手の隙をついて盗塁を試みる[23]

エピソード[編集]

  • 父セシルはプリンスの代理人を務めていたが、ギャンブル癖による多額の借金で家庭は崩壊[24]。さらにはドラフトのときにプリンスの契約金260万ドルから20万ドルを抜いていたことが発覚し[24]、長い間、確執が続いていた。
  • 2009年9月6日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦でサヨナラ本塁打を放ち、本塁に生還する際にジャンプをし、その着地の衝撃でホームで待つチームメイトを一斉に仰向けにひっくり返らせるというパフォーマンスを行った。これが「ホームランですでに打ちのめされた相手に追い打ちをかける傲慢な行為」とみなされ、約半年後の2010年3月のオープン戦でジャイアンツのバリー・ジトから報復死球を受けた[25][26]
  • 父親とは2012年のオールスターゲームで同席するなど関係改善が明らかとなった。

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2005 MIL 39 62 59 2 17 4 0 2 27 10 0 0 0 1 2 0 0 17 0 .288 .306 .458 .764
2006 157 648 569 82 154 35 1 28 275 81 7 2 0 8 59 5 12 125 17 .271 .347 .483 .831
2007 158 681 573 109 165 35 2 50 354 119 2 2 0 4 90 21 14 121 9 .288 .395 .618* 1.013
2008 159 694 588 86 162 30 2 34 298 102 3 2 0 10 84 19 12 134 12 .276 .372 .507 .879
2009 162 719 591 103 177 35 3 46 356 141 2 3 0 9 110 21 9 138 14 .299 .412 .602 1.014
2010 161 714 578 94 151 25 0 32 272 83 1 0 0 1 114 17 21 138 12 .261 .401 .471 .871
2011 162 692 569 95 170 36 1 38 322 120 1 1 0 6 107 32 10 106 17 .299 .415 .566 .981
2012 DET 162 690 581 83 182 33 1 30 307 108 1 0 0 7 85 18 17 84 19 .313 .412 .528 .940
2013 162 712 624 82 174 36 0 25 285 106 1 1 0 4 75 5 9 117 20 .279 .362 .457 .819
通算:9年 1322 5612 4732 736 1352 269 10 285 2496 870 18 11 0 50 726 138 104 980 120 .286 .389 .527 .916
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

*2007年は規定打席到達者の中ではリーグ最高長打率であるが、規定打席に10打席不足しているライアン・ブラウンは不足分を凡打と仮定しても.620であり、フィルダーを上回る。

脚注[編集]

  1. ^ Prince Fielder Contract, Salaries, and Transactions” (英語). Spotrac.com. 2013年10月29日閲覧。
  2. ^ 1989年当時のスポーツ紙各紙(大阪版)、2010年12月16日付日刊スポーツ1面(大阪版)。
  3. ^ 「日本でプレーするのは楽しそう」ブルワーズのフィルダーが都内の中学校を訪問 - スポーツナビ、2010年12月15日閲覧。
  4. ^ 安部寛子「MLB TALK SHOW プリンス・フィルダー [ブルワーズ]」『スラッガー』2006年9月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-8、67-69頁
  5. ^ 2010年12月16日付日刊スポーツ1面(大阪版)には、試合前の横浜スタジアムで阪神のユニフォーム姿の父に指導を仰ぎながら左打席で打撃練習に取り組んでいた5歳当時のプリンスの写真が掲載されている。
  6. ^ 『白夜ムック277 野球小僧 世界野球選手名鑑2007』、白夜書房、2007年、ISBN 978-4-86191-246-7、257頁。
  7. ^ NL MVP close • The Great Lakes Report - FOX Sports Blogs” (英語). 2008年5月27日閲覧。
  8. ^ a b Prince Fielder 2005 Career Highlights” (英語). 2008年5月27日閲覧。
  9. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、359頁。ISBN 978-4-331-51213-5
  10. ^ a b Prince Fielder 2006 Career Highlights” (英語). 2008年5月27日閲覧。
  11. ^ ENCINA, EDUARDO A. (2007年6月10日). “NL is learning to fear Fielder” (英語). St. Petersburg Times. 2010年4月16日閲覧。
  12. ^ a b c d Prince Fielder 2007 Career Highlights” (英語). 2008年5月27日閲覧。
  13. ^ a b Prince Fielder Home Run Log (Batting) - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年5月27日閲覧。
  14. ^ Wallner, Jeff (2008年4月18日). “Fielder credits Dillon's bat for dinger 2007 home run leader hits first with borrowed wood” (英語). MLB.com. 2009年1月26日閲覧。
  15. ^ McCalvy, Adam (2008年4月18日). “Brewers ink Fielder to two-year deal Slugger reportedly set to earn $18 million through 2010” (英語). MLB.com. 2009年1月26日閲覧。
  16. ^ Prince Fielder 2009 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2010年4月17日閲覧。
  17. ^ Associated Press (2009年7月11日). “Fielder gets 127th RBI as Brewers win fourth straight” (英語). ESPN.com. 2010年4月16日閲覧。
  18. ^ Fletcher, Jeff(2010-07-09). Brewers Put Prince Fielder, Corey Hart, Rickie Weeks on Table. Aol news(英語). 2012年1月25日閲覧
  19. ^ Witrado, Anthony(2010-12-20). Keeping Fielder, adding Marcum opened door for Greinke. JSonline(英語). 2012年1月25日閲覧
  20. ^ Talty, John(2012-01-24). Prince Fielder Rumors: Nationals Remain Favorites; Rangers Still a Factor. ibtimes.com(英語). 2012年1月25日閲覧
  21. ^ Beck, Jason(2012-01-24). Prince, Tigers reach nine-year deal. MLB.com(英語). 2012年1月25日閲覧
  22. ^ 『マネー・ボール』、マイケル・ルイス著、中山宥訳、ランダムハウス講談社、2006年、ISBN 4-270-10028-1、169頁
  23. ^ a b c d e f g h 「ビッグ・ダディの息子」『月刊スラッガー』2006年8月号 34~37頁
  24. ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』 廣済堂出版、2008年、337頁。ISBN 978-4-331-51300-2
  25. ^ Gabe Lacques(2010-03-04),Barry Zito makes Prince Fielder pay, kind of, for home-run celebration,USATODAY.com(英語),2010年9月17日閲覧
  26. ^ OP戦なのにフィールダーに“報復死球” MLB暗黙の掟,ZAKZAK,2010年9月17日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]