ナッシュビル・サウンズ

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ナッシュビル・サウンズ
Nashville Sounds

テネシー州ナッシュビル
創設: 1978年
  • トリプルA (1985年 – )
    ダブルA (1978年–1984年)
所属リーグ

アメリカン・アソシエーション (1985年 - 1997年)
サザンリーグ (1978年–1984年)

所属メジャーリーグ

シカゴ・ホワイトソックス(1993年 - 1997年)
シンシナティ・レッズ (1987年–1992年)
デトロイト・タイガース (1985年–1986年)
ニューヨーク・ヤンキース (1980年–1984年)
シンシナティ・レッズ (1978年–1979年)

歴代チーム名
  • ナッシュビル・サウンズ (1978年 – )
  • ナッシュビル・アメリカンズ(1885年-1887年)
    ナッシュビル・ブルーズ(1887年-1893年)
    ナッシュビル・タイガース(1893年-1895年)
    ナッシュビル・セラフス(1895年-1897年)
    ナッシュビル・センテニアルズ(1897年-1901年)
    ナッシュビル・ヴォルズ(1901年-1964年)
歴代本拠地

収容人員: 10,300人(座席のみ)/15,000人(立見席含む)

獲得マイナーリーグタイトル
クラス優勝 1979, 1982, 2005
リーグ優勝 2003, 2005
地区優勝 1979, 1981, 1982, 1990, 1993, 2003, 2005, 2006, 2007
オーナー: MFPベースボール/ナッシュビル
GM: ブラッド・タムン
監督: リック・スウィート

ナッシュビル・サウンズNashville Sounds)は、アメリカ合衆国テネシー州ナッシュビルに本拠地をおくマイナーリーグの野球チーム。メジャーリーグミルウォーキー・ブルワーズ傘下トリプルA級チームで、パシフィック・コーストリーグに所属している。ナッシュビルが音楽業界と関連があるため「サウンズ」と名付けられた。本拠地球場は1978年に開業したハーシェル・グリア・スタジアムで10,300名を収容する。2015年、サウンズはグリアを離れ、2マイル北のかつてサルファー・デル球場だった場所の近くに新設されるファースト・テネシー・パークを本拠地とする予定である。

1978年、ダブルAとして創立され、1985年にトリプルAとなった。トリプルAとしてのサウンズはダブルAとしてのサウンズの歴史を凌いだ。これまでメジャーリーグ6球団の二軍を務め、23名の監督、1,000名以上の選手が在籍してきた。2013年のシーズンが終了した時点で計5,157試合を数え、2,651勝2,506敗であった[1]

1980年、史上優れたマイナーリーグ100球団の1つに選ばれた[2]。2006年、パシフィック・コーストリーグ史上最長の試合を記録した。パシフィック・コーストリーグの歴史の中で3回の9イニング完全試合のうち2回がサウンズのピッチャーによるものである[3]

2005年、パシフィック・コーストリーグ・チャンピオンシップの決勝3試合でタコマ・レイニアーズと対戦し優勝した。1979年にはシンシナティ・レッズのダブルAとして、また1982年にはニューヨーク・ヤンキースのダブルAとしてサザンリーグを制した。

歴史[編集]

1885年ナッシュビル・アメリカンズを結成してサザンリーグに加盟し、プロ野球としての歴史が始まった。1887年ナッシュビル・ブルーズに、1893年ナッシュビル・タイガースに、1895年ナッシュビル・セラフスに改名した。1897年ナッシュビル・センテニアルズに改名してセントラルリーグに加盟、1901年ナッシュビル・ヴォルズに改名してサザンアソシエーションに加盟した。1963年、サウス・アトランティック・リーグ(現在のサザンリーグ)に加盟し、1963年のシーズンを最後にダブルAのヴォルズは1964年から1977年まで活動を休止し、ナッシュビルには14年間プロ野球チームがなかった。

レッズ時代1回目 (1978年-1979年)[編集]

1978年、サザンリーグ、ダブルAのフランチャイズを展開し、ナッシュビル・サウンズを結成してシンシナティ・レッズと提携した[2]

ヴァンダービルト大学野球部ヘッドコーチのラリー・シュミトウがナッシュビルのプロ野球チーム復活に尽力し、サウンズの会長およびオーナーの1人となった。シュミトウのビジネス哲学として、チケット売り上げだけでなく関連商品や売店からも利益を上げようとした[4]。この哲学にはエンターテイメント施設としてなど野球場として以外の娯楽施設としてのプロモーションも含まれた[5]。地元紙で球団結成計画を知ったカントリー・ミュージック・スターのコンウェイ・トゥイッティの助力を得て、シュミトウはラリー・ゲイトリンジェリー・リードなどプロのアーティストの他、ナッシュビル市民をサウンズの株主とした[6]

ナッシュビルのダウンタウンの南にあるフォート・ネグリー・パークのセント・クラウド・ヒルのふもとにできた新球場ハーシェル・グリア・スタジアムを本拠地とした。市内に野球チームが復活したことにファンは喜び、観客数はサザンリーグの中で7シーズン1位であった[6]。1980年、総観客数合計575,676名を記録した[2]。チーム名は1950年代後期の、この地域をルーツとするアメリカン・カントリー・ミュージックのサブ・ジャンルであるナッシュビル・サウンドから名付けられた。サウンズのロゴと色合いはアメリカン・バスケットボール・アソシエーション(ABA)のボルチモア・クロウズになる直前のメンフィス・サウンズが1974年の1シーズンのみ使用していたものに似ていた。1976年にABAがNBAと合併した際、いくつかの著作権の放棄に合意したため、ナッシュビル・サウンズがこのロゴを問題なく使用できるようになった[7]。メンフィス・サウンズの赤と白に青が加えられた。1978年から1997年まで使用されたナッシュビル・サウンズのロゴはナッシュビルがカントリー・ミュージック業界と関連していることを表していた。口ひげを生やした野球選手が、カントリー・ミュージックの必需品であるギターをバットに見立ててボールを打っている様子が描かれていた。また、「Sounds」の「S」をト音記号に似せ、市と音楽との繋がりを表現していた。1981年から1984年、シュミトウはアイスホッケーのマイナーリーグのナッシュビル・サウス・スターズを所有しており、ホッケーをテーマにしているがギターを振っている様子はサウンズのロゴと似ており、色合いはナショナルホッケーリーグミネソタ・ノーススターズ と似た緑と金色である。

1978年4月26日、サウンズの最初のホームゲームが行なわれ、完売の8,156名が見守る中サバンナ・ブレーブスと対戦して12対4で勝利した[8]。当初前日の4月25日に予定されていたのだが、雨により延期されていた[5]。球場完成に時間が必要であったため、球団はチャタヌーガ・ルックアウツと交替し、シーズン開幕戦を遠征先で行なうことを提案した[5]。試合日、トラクターなどの重機がまだ作業を続行し、電気が点灯したのは開門5分前であった[5]。芝生の到着が遅れ、総支配人のファレル・オウエンズが地元ラジオ局で「芝生パーティ」を行なうと語り、ファン推定50名の助けを得て試合予定前日に芝を貼った[5]。レッズのダブルAとしての1年目である1978年、サウンズは第9位となったが、380,000名を集客して全てのマイナーリーグ野球の中でも首位となった[6]

1979年ジョージ・シャーガー監督のもと、サウンズの開幕試合は散々なものであったが5月と6月には31試合中20試合勝利した。シーズン前半は首位であったが、その後ライバルである州内のメンフィス・チックスに次いで第2位となった。最終日、サウンズとチックスはダブルヘッダーで再び対戦し、2回ともサウンズが勝利した。2チームはその後ウエスタン・ディヴィジョン決勝戦3試合で再度試合することとなった。サウンズは2対1で優勝し、サザンリーグ決勝戦に進出してコロンバス・アストロズと対戦した。3対1でアストロズを征し、ナッシュビルが復帰後初のリーグ優勝を達成した。1979年、チームはサザンリーグ・オールスター・ゲームを主催した。リーグの選抜選手とメジャー・リーグのアトランタ・ブレーブスと対戦し、5対2でオールスターが勝利した。ナッシュビルのデュアン・ウォーカーがMVPとなった[9]

元々、レッズはナッシュビルに指名打者をラインナップに使用することを認めていた。しかしレッズが、指名打者を使用しないナショナルリーグに加盟したため、これを取り消した。ラリー・シュミトウ会長は最後通告として、もしシンシナティが指名打者の使用を認めないのであればサウンズは契約更新せず、新たなメジャーリーグ・チームを探すと通達した。レッズは指名打者禁止を破棄しなかったため、1979年のシーズン後に提携を解消して新たな提携先を探すことになった。シュミトウはその後5~6球団と接触した[5]

ヤンキース時代 (1980年–1984年)[編集]

1980年、サウンズは初めて提携先を代え、ニューヨーク・ヤンキースと提携を開始した。1980年から1984年、監督のスタンプ・メリルジョニー・オーツおよび未来のメジャーリーガーとなるスティーブ・バルボニドン・マッティングリーバック・ショーウォルターオティス・ニクソンウィリー・マギーパット・タブラーダン・パスクワがナッシュビルをディヴィジョンの優勝または準優勝に導いた。

1980年のシーズン前半、サウンズは1.5試合差でメンフィス・チックスに負けていた。後半は準優勝チームに14試合差をつけて優勝した。ウエスタン・ディヴィジョン決勝戦でナッシュビルは3対1でメンフィスに負けた。サザンリーグの9部門の記録がこのシーズンで塗り替えられ、投手陣は防御率三振でリードし、スティーヴ・バルボニは得点、ホームラン、塁打でリードしていた[2]。またグリア・スタジアムに計575,676名が訪れ、リーグの集客数の記録も塗り替えた[2]。2007年現在、この記録は破られていない。2001年、1980年のサウンズは野球史上69番目に最高のマイナーリーグ・チームに選ばれた[2]

1981年4月16日、ニューヨーク・ヤンキースはエキシビション・ゲームでサウンズと対戦するためナッシュビルにやってきた。満員の17,318名が見守る中、10対1でヤンキースが勝利した[10]。ヤンキースのオーナーのジョージ・スタインブレナー、コーチのヨギ・ベラの他、選手のレジー・ジャクソン, バッキー・デント, ルー・ピネラ, ボビー・マーサー, リッチ・ゴセージ, トミー・ジョン, ジョニー・オーツが出場した[10]。シーズン後半、メンフィス・チックスに3連勝してサウンズはウエスタン・ディヴィジョン決勝戦に進んだ。しかし5戦のリーグ決勝戦で3対1でオーランド・ツインズに負けた。1981年にサウンズに所属していたドン・マッティングリーとウィリー・マギーは後にメジャーリーグに昇格した。1985年、マッティングリーはアメリカンリーグの、マギーはナショナルリーグの最優秀選手に選ばれた[11]

1982年、後半に優勝したナッシュビルはディヴィジョン・プレイオフでノックスビル・ブルージェイズと対戦した。ブルージェイズを征した後、サウンズはリーグ決勝戦に進出し、ジャクソンビル・サンズと対戦した。ナッシュビルは3対1でサンズを下し、サザンリーグ決勝戦に進出し、2度目のリーグ優勝となった[12]

1983年4月28日、ニューヨーク・ヤンキースはエキシビション試合で再度サウンズと対戦した。ニューヨークが4得点で9回裏までリードしていたが、2アウト5得点、13,641名が見守る中、5対4でサウンズが勝利した[13]。ヤンキースの出場者はビリー・マーチン, ヨギ・ベラ, リッチ・ゴセージ, ケン・グリフィー・シニア, デーブ・ウィンフィールド, ルー・ピネラ, ウィリー・ランドルフ[13]。シーズン中、監督のダグ・ホムクイストは前半の成績に失望し、選手に反則や失態に対し罰金を科した。打者を塁に出した投手への10ドルから、最大延長時間を過ぎた場合の100ドルまで幅広かった[14]。 奮起したナッシュビルは後半優勝し、ウエスタン・ディヴィジョン決勝戦に進出した。しかしサウンズは最終5戦目に7対5でバーミングハム・バロンズに負け、このシーズンは終了した[14]。6月21日、フロリダ州オーランドへの遠征中、エリック・ピーターソンおよびチームメイトのスコット・ブラッドリーマイク・パグリアルーロ、バック・ショーウォルターが徒歩でホテルに帰った際、ピーターソンが車にはねられた。ピーターソンの体が震え始め、ブラッドリーはピーターソンの喉に指を突っ込んで舌を飲み込まないようにさせた。ピーターソンの意識は戻ったが、足の打撲、頭部の複数の傷などにより、シーズンの後半になってから復帰した[14]。1983年、サザンリーグ・オールスター・ゲームが再度ナッシュビルで開催された。サウンズがこのイベントを主催しただけでなく、オールスター・チームのコンペも行なった。オールスターは3対2で勝利した[9]

1984年のシーズン前半、1試合差で2位であった。ダブルAとしての7年間、なぜか前半は1位になれなかった。シーズン後半、プレイオフでノックスビルを征した後、6シーズン連続でナッシュビルは優勝した。ディヴィジョンのプレイオフで再度ノックスビルと対戦したが、ノックスビルが勝利を収めてシーズンは終わった。1984年5月4日、ダブルヘッダーの2試合目の7回でコロンバス・アストロズと対戦し、ピッチャーのジム・デシェイーズがチームで初めてノーヒットを達成した。フォアボール3回とデッドボールによりアストロズは1点獲得したが、5対1でサウンズが勝利し、完全試合に近かった[15]

タイガース時代 (1985年–1986年)[編集]

1983年、サウンズ会長ラリー・シュミトウはシーズンチケットの売り上げが5%減少し、シーズンチケット所有者の来場割合も大幅に減少し、年々業績が落ちていることに気付き頭を悩ませていた[16]。観客減少の問題は、遠征試合を中心に地元メディアに取り上げられるのが少なくなったことが原因の1つと考えられた。球団への注目を集めるために1983年のシーズン後半、トリプルAへの参入を計画するも失敗した。1984年にも観客の減少は進み、シーズンチケットの売り上げは12%も下がり、観客総数は約20%も下がった[16]

1984年6月、シュミトウとチーム・オーナーはトリプルAアメリカン・アソシエーション所属のエヴァンズヴィル・トリプレッツを買収し、1985年のシーズン前、インディアナ州エヴァンズヴィルからナッシュビルへ移転させた。買収が経済的に可能であることを市内のいくつかの取引銀行に証明するため、シュミトウはトリプルAとダブルAのどちらが優位か査定調査を委託した。調査を通し、移転が賢明な決定であることが証明されたが銀行は賛成しなかった。そのため球団は銀行を代え、買収と移転を実現させた[16]。以前のダブルAチームのサウンズが所属するサザンリーグのフランチャイズはアラバマ州ハンツビルに移転し、ハンツビル・スターズとして再スタートした。トリプレッツはナッシュビルに移転し、ダブルAとしてのナッシュビル・サウンズの歴史は終わり、トリプルAとしてのナッシュビル・サウンズの歴史が始まった。

1985年、サウンズはデトロイト・タイガースと提携してトリプルAとしての活動を始めた。7月17日、オクラホマシティ・89ersと対戦して6対0で勝利し、ブライアン・ケリーが2人目のノーヒット投手となった[15]。イースタン・ディヴィジョンで2.5試合差で準優勝した[17]

1986年、68勝74敗でディヴィジョン3位となり[18]、1978年の開業以降初めてシーズンを逃した。またこのシーズン、サウンズはアラバマ州ハンツビルで開催されたサザンリーグ・オールスター・ゲームに出場し、4対2でナッシュビルが勝利した[9]

レッズ時代2回目 (1987年–1992年)[編集]

1987年、サウンズはトリプルAとして再びシンシナティ・レッズと提携した。そのため多くのマイナーリーグの選手がレッズの組織であり違う階級のナッシュビルの球団で試合した。1987年のシーズンでは上位に位置していたが、シーズン半ばに主力選手を何名か失いスランプに陥り、64勝76敗で最下位となった[19]。怪我により棄権していた三塁手のクリス・セイボーはシンシナティに昇格し、1988年、サウンズ史上初めてナショナルリーグのルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた[20]

1988年、サウンズは最下位となり、シーズン終盤に多くの経営陣が交替した。1988年7月から8月の2週間で監督が5人代わった。ジャック・リンド監督でシーズン開幕したが、健康問題により離脱した[21]。ピッチングコーチのウェイン・ガーランドが暫定的に監督を務め、その後1979年にサザンリーグ決勝戦に導いた元監督のジョージ・シャーガーが就任した。1試合で退任し、ジム・ホフが就任したが、レッズとの事務手続きを済ます前に数日で退任した[21]。ついにテキサス・レンジャーズの元監督フランク・ルケイシが残りのシーズンのサウンズの監督を務めることとなった[21]。ルケイシはシーズン終盤の39試合で監督し、最終的に73勝69敗となった[22]。イースト・ディヴィジョンで2位となり、プレイオフを外れた[22]

1988年8月6日と7日、インディアナポリス・インディアンズと対戦し、それぞれの試合でノーヒットを分け合った。まずはインディアナポリスのランディ・ジョンソンパット・パシロが共にノーヒットとなったが、1対0でナッシュビルが勝利した[23]。翌日、ナッシュビルのジャック・アームストロングがノーヒットとなり、4対0でナッシュビルが勝利した。これがサウンズ史上3番目のノーヒットとなった[23]

1989年、74勝72敗で3位となり[24]、1990年、86勝61敗となり、アメリカン・アソシエーション加盟後最高の勝率となった[25]。レギュラー・シーズンでバッファロー・バイソンズと引き分け、イースト・ディヴィジョン決勝戦でサウンズが勝利した。延長18回表、クリス・ジョーンズのツーラン・ホームランで幕を閉じた。アメリカン・アソシエーション決勝戦に初進出し、オマハ・ロイヤルズと対戦して3対2で敗退した。この年、グリア・スタジアムの集客数が計605,122名となり、記録を更新した[26]

1991年、サウンズは1位で開幕したが、それは10日間しかもたなかった。5月1日までに球団はイースタン・ディヴィジョンで3位まで落ち、シーズン終わりまでこのままであった。ナッシュビルは毎月勝率を落とし、優勝者のバッファロー・バイソンズとは16試合差であった。ヒット、打点、得点、ホームランに導いた一塁手のテリー・リーはシーズン半ばにトリプルAオールスター・ゲームとリーグのポストシーズンのオールスター・チームに選ばれた[27]。翌年、レッズとの提携が最後になった。67勝77敗で4位となった[28]

ホワイトソックス時代 (1993年–1997年)[編集]

1993年、ナッシュビルは再度提携先を代え、シカゴ・ホワイトソックスと提携してトップ・ファームとなった。また1993年のシーズンからグリア・スタジアムに特徴的なギター型のスコアボードを導入した。ホワイトソックスとの初年度、サウンズは81勝62敗でイースト・ディヴィジョンで優勝した[29]。リーグ決勝戦では延長戦になり、アイオワ・カブスがサウンズに勝った。ナッシュビルのリック・レニックがアメリカン・アソシエーションの年間監督賞に選ばれた[30]

1993年から1994年のシーズン中、サウンズは本拠地のなかったシャーロット・ナイツとして知られていたダブルAサザンリーグのナッシュビル・エクスプレスに本拠地・ハーシェル・グリエル・スタジアムを2年間提供した。シャーロットがトリプルAのフランチャイズとして契約することとなり、ダブルAの球団は本拠地を失ったのである。サウンズのオーナーのラリー・シュミトウは臨時の本拠地としてグリア・スタジアムの提供を申し出た。サウンズとエクスプレスの2球団が1つの球場を使用することとなったため、エクスプレスはサウンズが遠征中にホームゲームを行なった。『ベースボール・アメリカ』誌は、ナッシュビルが2球団の本拠地となったことを「マイナーリーグ野球の10大ハプニング」の第1位に選んだ。[31]。1995年、エクスプレスはノースカロライナ州ウィルミントンに本拠地を構え、ポートシティ・ルースターズと改名した。

1994年、サウンズは83勝61敗となった[32]。またリーグ決勝戦に2年連続で出場した。1年目、ナッシュビルはニューオーリンズ・ゼファーズに3連勝し、リーグ決勝戦に出場した。5戦のシリーズでインディアナポリス・インディアンズが3勝し、ナッシュビルに勝った[33]。1994年のシーズン半ばにナッシュビルはトリプルAオールスター・ゲームを主催した。サウンズの選手ではレイ・ダラム、ドリュー・デンソン、スコット・ラフコーンが選ばれたが、ラフコーンが故障者リスト載ったため、スティーヴ・シュレンクに交替した。ダラムはStars of Stars を獲得し、アメリカン・アソシエーションのオールスター出場選手で最も価値のある選手であったことが証明された[34]

1995年、サウンズは68勝76敗で、優勝チームとは20試合差がついた[35]。元々1994年にホワイトソックスのダブルAバーミンガム・バロンズに所属していたマイケル・ジョーダンは1995年のシーズンにフリーエージェントでサウンズと契約した。しかしMLBストライキが起こり、代替選手になったりスト破りのレッテルを貼られることを避けて野球選手をやめた[36]

1996年、前年より勝率を上げ、77勝67敗となった[37]。そこそこ良い勝率にも関わらず、ナッシュビルはプレイオフの出場権を確保することができなかった。リック・レニック監督はリーグの年間監督賞を受賞し、ピッチャーのスコット・ラフコーンは13勝でリーグ首位となった。ラリー・シュミトウはこのシーズンを最後に主要株主でなくなった。シュミトウが野球では収益が上げられないと感じていた頃、ナッシュビルはNFLのフランチャイズとしてテネシー・タイタンズを迎える準備をしていた。1996年オフ、シュミトウはNFLテネシー・タイタンズの買収に成功し、アメリスポーツのアラン・ゴードン社長にチーム全権を売却した[5]。翌年、ナッシュビルは74勝68敗となり[38]、シーズン優勝できなかっただけでなくポストシーズンからも外れた。シーズン中およびシーズン後のオールスター・チームに外野手マグリオ・オルドニェスが選ばれ、リーグの年間ルーキー賞およびMVPを受賞した[30]

パイレーツ時代 (1998年–2004年)[編集]

1997年、サウンズが所属していたアメリカン・アソシエーションが解散し、この期間、サウンズは残りのトリプルA2リーグのうち1つに吸収された。この結果、サウンズはパシフィック・コーストリーグ(PCL)に加盟した。またフランチャイズは新たなメジャーリーグ球団との提携を獲得し、ピッツバーグ・パイレーツと提携しトップ・ファームとなった。1978年の設立以来初めてロゴ、配色、ユニフォームを2年かけて段階的に新調した。

1998年、パイレーツと提携して最初のシーズンでサウンズは67勝76敗で地区最下位であった[39]。1999年、前年より躍進し、80勝60敗となったが2位で終わった[40]。サウンズの二塁手マット・ハワードは打席数(1:18.2)ごとの守備率 (0.982)と三振回数の少なさでリーグをリードしていた。ピッチャーのジミー・アンダーソン勝率 (0.846, 11–2)でPCLをリードしていた[41]

2000年、ナッシュビルは63勝79敗となり地区で最下位であった[42]。2001年、オールスターにも選ばれたことのある元サウンズの内野手マーティ・ブラウンが25人目の監督としてサウンズに復帰した。元サウンズ選手のサウンズ監督就任はこれが初めてのことであった。サウンズは64勝77敗で3位となり、プレーオフから外れた[43]。外野手タイク・レッドマン三塁打10回でアイオワのロス・グロードと共にリーグ首位となった[44]。6月30日、レッドマンはサウンズ初のサイクル安打打者となった[45]。2002年、72勝71敗でディヴィジョン3位となった[46]

2003年4月7日のシーズン初試合でアルバカーキ・アイソトープス.と対戦した際、右投げのジョン・ワズディンがナッシュビル・サウンズ史上初の完全試合投手となった[47]。4対0でサウンズが勝利し、PCL史上2番目の9イニング完全試合となった[48]。この年、トレント・ジュエット監督はサウンズを81勝62敗に導いた[49]。イースタン・ディヴィジョンで優勝し、パシフィック・コースト・リーグに加盟後初めてポスト・シーズンに出場することになった。ナッシュビルはアメリカン・カンファレンス決勝戦でアルバカーキと対戦し、3勝1敗で勝利した。ベスト・オブ・ファイブ・チャンピオンシップでサクラメント・リバーキャッツと対戦し、3連敗した。

2004年、63勝79敗で地区最下位となり、フランチャイズ契約が終わることになった[50]。シーズン初頭、 ジェイソン・ベイがピッツバーグに復帰する前にナッシュビルで4試合出場した。翌シーズン、彼は新人王に選ばれた。ナッシュビルに属したことのある選手でこのような賞を受賞したのはこれで2人となった[20]。2004年5月21日、キャッチャーのJ.・R・ハウスは2001年のレッドマンに続きサウンズ2人目のサイクル安打打者となった[51]

ブルワーズ時代 (2005年–現在)[編集]

2005年ミルウォーキー・ブルワーズと提携する。

2008年10月、親会社のアメリスポーツはチームを本澤正裕、スティーブ・ポズナー、フランク・ウォードらによるニューヨークの投資ファンドMFPベースボールに売却。MFPは球場の改装のため約250万ドルを投資した。

2009年、日本でもプレー経験がある元メジャー選手ドン・マネーが監督に就任。

過去5年間の試合結果[編集]

ナッシュビル・サウンズの過去5年間の試合結果
レギュラー・シーズン ポスト・シーズン
勝敗 勝率(%) リーグ順位 地区順位 GB 勝敗 勝率(%) 結果
2009 75–69 .521 5th 2nd 2
2010 77–67 .535 5th 4th 5
2011 71–73 .496 t-6th 3rd 9
2012 67–77 .465 12th 2nd 16
2013 57–87 .396 16th 4th 13
5年間総計 347–373 .482 地区優勝0, カンファレンス優勝0, リーグ優勝0

ライバル[編集]

ナッシュビル対メンフィスの時系列
リーグ ナッシュビル メンフィス
1885 サザンリーグ アメリカンズ レッズ
1886 サザン・アソシエーション グレイズ
1887 サザンリーグ ブルーズ ブラウンズ
1893 サザン・アソシエーション タイガース フィーバー・ジャームズ
1894 ジャイアンツ
1895 セラフズ
1901–08 ボランティアズ/ボルズ エジプシャンズ
1909–11 タートルズ
1912–60 チッカソウズ
1978–84 サザンリーグ サウンズ チックス
1998–現在 パシフィック・コーストリーグ レッドバーズ

マイナーリーグのナッシュビルの最大のライバルは南西に200マイル(320km)、州間高速道路40号線で接続するメンフィスである。1885年にナッシュビルのチームが創立してから、同じリーグのメンフィスのチームとライバル関係が続いている。

1885年、ナッシュビル初のプロ野球チームであるナッシュビル・アメリカンズがメンフィス・レッズと対戦した[52]。1886年、アメリカンズはメンフィス・グレイズと[53]、1887年、ナッシュビル・ブルーズはメンフィス・ブラウンズと[54]、1893年、ナッシュビル・タイガースはメンフィス・フィーバージャームズと、1894年、メンフィス・ジャイアンツと[55][56]、1895年、ナッシュビル・セラフズはジャイアンツと[57]ライバル関係にあった。1920年および1930年から1932年、ニグロリーグナッシュビル・スタンダードジャイアンツ/エリートジャイアンツは同リーグのメンフィス・レッドソックスとライバルであった[58][59]。1901年から1960年、ナッシュビル・ボルズはメンフィス・エジプシャンズ(1901年–1908年)[60]、メンフィス・タートルズ(1909年–1911年)[61]、メンフィス・チッカソウズ(1912年–1960年)[62]とライバル関係にあった。

計60年、ナッシュビルとメンフィスは対戦してきたが、1961年から1977年、このライバル関係は一旦休止した。1978年にサザンリーグのフランチャイズを拡大してナッシュビル・サウンズが創立されたことからライバル関係が復活した[63]。サウンズはウエスト・ディヴィジョンでメンフィス・チックスと対戦した。1979年、シーズン前半ではチックスが勝ち、後半ではサウンズが勝った。地区決勝戦でサウンズはチックスに3戦中2勝し、サザンリーグ決勝戦に進んでリーグ優勝した[64]。1980年のシーズンではメンフィスが前半を征し、ナッシュビルは後半を征した。しかしこの時メンフィスがナッシュビルに4戦中3勝してウエスタン・ディヴィジョンで優勝した[64]。リーグ決勝戦でチックスはシャーロット・オーズに敗退した。1981年、立場が逆になり、サウンズはウエスタン・ディヴィジョンでチックスに3連勝したが、サザンリーグ決勝戦でオーランド・ツインズに敗退した[64]

1985年にナッシュビルがアメリカン・アソシエーションに移籍したことでこのライバル関係は再度休止したが、1998年にサウンズがパシフィック・コーストリーグに移籍したことでライバル関係が復活した[65]。1998年から2004年、サウンズとレッドバーズはアメリカン・カンファレンスのイースト・ディヴィジョンで[65]、2005年から2013年までノース・ディヴィジョンで[66]、2014年はサウス・ディヴィジョンで対戦した[67]。2009年、シーズンのほとんどで1位であったナッシュビルにほんの2戦差で勝ち、メンフィスはアメリカン・カンファレンスのノース・ディヴィジョンを征した。チックスはパシフィック・コーストリーグ決勝戦に進出して優勝した[68]

2014年現在、総計889対864でメンフィスはナッシュビルをリードしている[69]。この記録は旧サザンリーグ、サザン・アソシエーション、サザンリーグ、パシフィック・コーストリーグを通して90年間の全試合が含まれている。パシフィック・コーストリーグでは148対126でナッシュビルがリードしている[70]

2012年、両者は1シーズンにつき16試合行なうテネシー・ロッタリー・I40カップ・シリーズを創立した[70]。 2球団のうち勝ち数の多い方が優勝し、翌シーズンまでトロフィを保有することができる。敗者は入場料売上金を勝者が選んだチャリティ団体に寄付する。2012年は9対7でサウンズが優勝し、2013年は7対9でメンフィスが優勝した[70]。2014年は8対8で引き分けたが、68対61の得点総数でレッドバーズが優勝した[71]

球場[編集]

ハーシェル・グリア・スタジアム[編集]

ハーシェル・グリア・スタジアム

現在のところサウンズの最初で唯一の球場はハーシェル・グリア・スタジアムである。1978年の完成以来、幾度もの増築や削減を行ない[72]、現在の収容人数は10,300名である[73]。またこの球場で最も有名なのは左翼壁にある115.6フィート(35.2m)の巨大なギター型のスコアボードである。

近年、マイナーリーグの中でも新しく豪華な球場が増え、グリアはトリプルAのプロ野球場の基準を下回るようになった。そのため多くの改築や改良を行なっている。2008年のシーズンに先んじて100万ドルをかけて改良および改修が行なわれた[74]。以降3~5年の使用をめどに新たなクラブハウス、および照明、トイレ、通路、座席の改良を行なった[74]

2008年12月16日、ナッシュビル・メトロ議会はグリアのリースを5年延長することに同意した。2009年にサウンズを買収したMFPベースボールは250万ドルを投資し、トイレ、売店、スコアボード、音響装置、座席の改修および改良を行なった[75]

ファースト・テネシー・パーク[編集]

2000年代に入り、球団はグリアに代わる新たな球場建設の賛同と資金を得ようと考えた[76]。グリアから北へ2マイル(3.2km)のダウンタウンにあるカンバーランド川西岸に新たな球場ファースト・テネシー・フィールドの建設が計画された。しかし出資者からの賛同が得られずに開幕予定日がどんどん延期され、結局全ての計画が白紙に戻された[77]。これに伴い、新球場建設までもたせるためグリアの大規模な改良および改修が行なわれた[74]

2013年終盤、新球場計画が報じられた。ダウンタウンの昔球場のあったサルファー・デルファースト・テネシー・パークを建設することとなった[78]。2014年1月より総工費3,700万ドルをかけた球場建設が始まり、1月27日の着工式にはカール・ディーン市長も出席した[79]。2015年4月、パシフィック・コースト・リーグの開幕日に合わせて完成する予定である[80]

ユニフォーム[編集]

ユニフォームはホームゲームの際は上下とも白地で、遠征試合の際はグレー地である。上着はどちらの場合も前面の縦中心線にボタンが並んでいる。腕の付け根部は黒く、袖口から首にかけて細い黒線が入っている。左袖にはブルワーズのロゴが入っている。ホームのジャージには胸に黒で囲まれた赤文字で「Sounds」のロゴが入っている。背中には黒のブロック体で選手名が入り、黒で囲まれた赤文字で大きく背番号が入っている。遠征試合のジャージも同様のデザインであるが、胸に「Nashville」の文字が入り、腕の付け根部は赤く、袖口から首にかけて細い赤線が入っている。遠征試合のジャージには背中に選手の名が入っていない。帽子はホームも遠征も黒で、前面中央に赤と白 の八分音符が描かれている[81]

代えのユニフォームは上記のホームのユニフォームにほぼ類似している。上着は赤地で腕の付け根部は黒く、袖口から首にかけて細い黒線が入っている。黒で囲まれた白文字で胸に「Sounds」のロゴが入っている。左肩の前にブルワーズのロゴが入っている。背中には黒で囲まれた白文字で大きく背番号が入っている[82]。この代えのユニフォームの場合でも上記と同じ帽子を着用する[82]

2010年に開始された「Throwback Thursday 」(昔を思い返す木曜日)に伴い、サウンズは1970年代から1980年代を思い起こさせるユニフォームを着用する。上着は青地のプルオーバーで、袖口と首周りに赤白赤の三本線が入っている。赤で囲まれた白文字で「S」がト音記号に似ている「Sounds」のロゴが胸に入っている。赤で囲まれた白文字の背番号がこのロゴの下と背中に入っている。左腕にはギターをバットに見立ててボールを打っているオリジナルのロゴが入っている。ズボンの脇には赤、白、青のピンストライプが入っており、青いベルトとソックスを着用する。青地の帽子には前面中央に赤で囲まれた白文字で音符に似せた「N」のロゴが入っている[83]

過去のユニフォーム[編集]

元々チーム・カラーは赤、白、青で計画され、1978年から1998年までこの組み合わせでのユニフォームが着用されていた。この間、チームはプルオーバーとボタン付きの大きく分けて2種類のユニフォームを着用していた。どちらもシーズンごとに少しずつ変化していた。

1978年から1986年、プルオーバーのVネックのユニフォームが着用され、ホームでは白地、遠征では赤地または青地であった。首周りと袖口は赤、白、青で縁取られていた(青地のユニフォームでは赤と白の縁取りであった)。ズボンは白地で脇に赤、白、青のラインが入り、ベルトも赤、白、青であった。「S」の文字をト音記号に似せた、赤で縁取られた白文字の「Sounds」のロゴが胸に入っていた。上着の背面に背番号が入っていた[84]。1985年初頭、背番号が「Sounds」ロゴの下の左胸に入るようになった[85]。赤いつばのついた青い帽子には前面中央に赤で囲まれた白文字で音符に似せた「N」のロゴが入っていた。1978年から1995年まで球団の公式帽子として使用された[85]

1987年から1998年、ボタンのついたユニフォームになり、ホームでは白地、遠征では灰色のものを着用した。袖口とズボン脇に赤、白、青の細い線が入っていた。「S」の文字をト音記号に似せた、赤で縁取られた青文字の「Sounds」のロゴが胸に入っていた。ただし1987年から1988年のユニフォームのフォントはやや変更されていた。背番号が「Sounds」ロゴの下の左胸に赤で囲まれた青文字のブロック体で入っていた[86]。上着の背面に背番号が入っており、数年間は選手名も入っていた。遠征用のユニフォームには「Nashville」の文字が胸に入り、3色の線はなかった[86]。1995年まで上記の帽子を公式に使用していたが、その後つばの色が青に代わり、「N」の文字に重なるようにギターを振るキャラクターが追加された[87]

1998年度のシーズンに現在の配色と同じ、黒、赤、白を使用したユニフォームに変更した[88]。シーズン後半、ピンストライプが追加され、黒い袖の左袖に音符型のロゴが入った[86]。2004年までにホームでは上下真っ白なユニフォームに変更された。黒で囲まれた白文字の「Sounds」のロゴが胸に入り、袖口と首周りは赤と黒で縁取られ、前面縦中心線にボタンが入り、左袖には音符型のロゴが入り、「Sounds」ロゴの下に背番号が記された[89]。ズボンの脇には同様のピンストライプが入った。2006年、上着の袖と胸の背番号をなくした。黒のTシャツの上にベスト型のユニフォームを着用するようになった[90]。背面に黒文字のブロック体で選手名が入り、背番号が黒で囲まれた赤文字で入った。2007年、左肩の前にブルワーズのロゴが入った。公式帽子はホーム、遠征とも赤と白の音符型のロゴが前面中央に入った黒い帽子であった[90]

ラジオおよびテレビ[編集]

1978年のシーズン開幕時、ナッシュビル・サウンズの試合はWMTS96.3FMでラジオ局オーナーのモンテ・ヘイルのアナウンスにより放送された。翌シーズン時にヘイルが亡くなったため、1979年のシーズンにはボブ・ジェミソンが採用された。1980年から1981年、1985年から1986年、ナッシュビル生まれで後にスポーツ番組の司会者となるジョージ・プラスタースポーツ解説者として採用された。ジェミソンはカリフォルニア・エンジェルズのラジオ放送に採用される1990年まで、サウンズとの契約は続いた。1991年のシーズンでサウンズはハンツビル・スターズおよびアイオワ・カブスの元アナウンサーであるスティーヴ・キャロルを採用した。1995年以降、キャロルはNHLのフィラデルフィア・フライヤーズのラジオ放送のため離脱し、その後マイティダックス・オブ・アナハイムに採用された。

1996年から1999年、スティーヴ・セルビーがサウンズの放送に採用された。1997年、コメンテイターのマイク・キャップスが参加した。1998年、チャック・ヴァレンチズがキャップスの後任でアシスタント・アナウンサーに採用され、2000年初頭にはリード・アナウンサーに昇格した。2010年と2011年のシーズンではスチュ・ポールがサウンズの実況中継アナウンサーに採用された[91]。2012年のシーズンよりジェフ・ヘムが球団のリード・アナウンサーを務めている[92]。2014年現在、サウンズのホームおよび遠征の全試合がWPRT102.5FMとWQZQ94.9FMで同時放送されている[92]。また球団の公式サイトでネット配信が行なわれている[92]

1982年から1992年までWZTVでホームゲームが放送されていた。1999年にはWNPXでもいくつかの試合が放送されていた[93]。2013年現在、サウンズの試合はテレビ放送されていない。しかし、全試合がマイナーリーグの公式サイトで有料でMiLB.TVでストリーム放送を視聴でき、同時にラジオでも聴取できる。2005年から2008年[94]コムキャストのケーブル・チャンネル49で中部テネシーに向けて毎月『Sounds On Demand 』が放送されていた。この番組はコムキャスト・デジタル・ケーブルを通してビデオ・オン・デマンドでも視聴できた[94]。30分間のこの番組はチャック・ヴァレンチズの司会により選手へのインタビュー、球団ニュース、講座などが放送されていた[94]

マスコット[編集]

ナッシュビル・サウンズのマスコットのオージー

1997年より、ナッシュビル・サウンズのマスコットクーガーの「オージー」である。黄色の毛皮に覆われ、球団のユニフォームを着ているが帽子は被っていない。現在のホームとアウェイ双方のユニフォームに加え、過去のホームのユニフォームを着用することもある。

1978年のシーズン開幕時、提携先のシンシナティ・レッズのマスコットであるミスター・レッドに似た、サウンズ初のマスコットである「ホーマー・ホースハイド」が登場した。この名前は公募により決められた。このキャラクターは見た目は人間だが頭部は大きな野球ボールであった。口ひげがあり、サウンズのユニフォームを着用していた[95]

オージーが登場する前の1995年から1996年の短期間、ライム・グリーンの色をした恐竜「チャンプ」がチームのマスコットであった[96]。試合中、チームの経営陣とリーグの人事との口論の末、チャンプは1997年のシーズンには再登場しなかった[97]

1997年4月よりアメリスポーツがサウンズを経営するようになり、新たなマスコットが必要だと考えた。アメリスポーツ・グループが所有するマイナーリーグのクラスAのケインカウンティ・クーガーズが、余分な衣裳を所有していたためこのクーガーの衣裳がナッシュビルに送られた。初年度からオージーはファンを獲得し、球団経営陣は彼を恒久的なマスコットとすることに決めた[98]。当初オージーの衣裳は現在もケインカウンティで使用されるのと同じ茶色のクーガーであったが、1998年より現在の黄色のクーガーに変更された。

Faith Nights[編集]

プレゼント、テーマに沿ったイベント、花火、入場料割引、売店割引など他のマイナー・リーグ球団と同様のイベントの他、ナッシュビル・サウンズはスポーツ・チームで初めて「Faith Nights 」という宗教的イベントを行なっている[99]。キリスト教をベースにしたこのイベントは試合前のクリスチャン音楽コンサート、聖書をテーマにしたバブルヘッド人形プレゼント、信仰についての選手の証言などが行なわれる。コンサートへの過去の出演者にはJars of Clayホーク・ネルソンMatthew West などがいる。サウンズの営業副部長ブレント・ハイとナッシュビルのエンターテイメントおよびスポーツのマーケティング会社サード・コースト・スポーツの会長でオーナーのマイクスナイダーがこのイベントを担当している[100]

Faith Nights 開始以降、どのシーズンでも観客動員数が10位以内に入る[101]。2004年のFaith Nights では500以上の教会から来場し、Faith Nights でない通常の平均動員数の93%増を記録した[100]。その年の秋にナッシュビル地区のHabitat for Humanity とパートナーを組み、貧困家庭のために住宅を建てている。球団は寄付およびFaith Nights の入場券の利益の10%より45,000ドルの資金を調達した[102]

その後Faith Nights はマイナーリーグ40球団以上に広がった。またアトランタ・ブレーブスやセントルイス・カージナルスなどのメジャーリーグ球団にも広がっている。NFLやNBAのチームもFaith Nights への興味を示している[101]。このサウンズの取り組みは『ニューヨーク・タイムズ』紙やNPRなどメディアの関心も集めている[101][103]

選手名鑑[編集]

現役選手[編集]

投手

捕手

内野手

外野手

* 40人ロースター

2014年5月19日更新   
[公式サイト(英語)より:ロースター 選手の移籍・故障情報]

過去の主な所属選手[編集]

永久欠番[編集]

殿堂[編集]

サウンズに関係する人物のうち2名がアメリカ野球殿堂に殿堂入りしている。1982年から1984年にサウンズのピッチング・コーチを務めたホイト・ウィルヘルムが1985年に殿堂入りした[104][105]。1989年に当時シンシナティ・レッズに所属しリハビリのためサウンズで2回登板していたショートのバリー・ラーキンが2012年に殿堂入りした[106] [107]

監督[編集]

ナッシュビル・サウンズの監督一覧 (過去5名)
就任順 監督名 レギュラー・シーズン ポスト・シーズン
試合数 勝数 負数 勝率(%) 出場回数 勝数 負数 勝率(%)
20 マーティ・ブラウン 2001–2002 284 136 148 .479
18[a] トレント・ジュエット 2003–2004 285 144 141 .505 1 3 4 .429
21 Frank Kremblas 2005–2008 572 299 273 .523 3 9 8 .529
22 ドン・マネー 2009–2011 432 223 209 .516
23 マイク・ゲレロ 2012–2013 288 124 164 .431
Totals 1,861 926 935 .498 4 12 12 .500
a 1998年から2000年にもジュエットは監督を経験している


脚注[編集]

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外部リンク[編集]