メルキー・カブレラ

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メルキー・カブレラ
Melky Cabrera
トロント・ブルージェイズ #53
Melky Cabrera on April 2, 2013.jpg
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 サントドミンゴ
生年月日 1984年8月11日(30歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 左投両打
ポジション 外野手
プロ入り 2001年 アマチュア・フリーエージェントとしてニューヨーク・ヤンキースと契約
初出場 2005年7月7日 クリーブランド・インディアンス
年俸 $8,000,000(2013年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

メルキー・カブレラ(Melky Cabrera, 1984年8月11日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の野球選手外野手、左投両打。MLBトロント・ブルージェイズに所属している。

経歴[編集]

ヤンキース時代[編集]

実力はアマチュア時代から高く評価されていた。2001年11月、カブレラが17歳の時、ボストン・レッドソックスがカブレラを視察に訪れる予定であることを知ったヤンキースは、その前日に自らのアカデミーにカブレラを招待。その日行われた試合に出場したカブレラは2打席で左右両打席本塁打を放ち、ヤンキースはそのままカブレラと入団契約を結んだ[1]

2005年7月にメジャーデビュー。しかし「まるで地に足が着いていない感じだった」と本人が語るように、マイナーリーグ時代は安定していた守備面でミスを連発し[2]、特にレッドソックス戦では捕球ミスによってジョニー・デイモンランニングホームランを許した。結局この年は6試合出場で打撃面でも打率.211に終わる。

2006年、AAA級コロンバスで開幕を迎えたカブレラは31試合で打率.385・OPS.996を記録。同年5月9日に、正右翼手ゲイリー・シェフィールドの穴埋めとしてメジャー再昇格を果たす。同月11日に松井秀喜が左手首を骨折し長期離脱すると、翌12日から松井の代わりに左翼に定着し、バーニー・ウィリアムスと共に故障者続きだったチームの救世主的存在となった。結局、この年は130試合に出場し、打率.280、守備でも12補殺(リーグ2位タイ)と強肩を発揮。6月6日のレッドソックス戦でマニー・ラミレスが放った本塁打性の打球をグラブを伸ばして捕球したプレイは、ファン投票で決定される「2006年のベストプレイ」に選ばれている。ジョー・トーリ監督は、これらの活躍を見せたカブレラがヤンキースの地区優勝に不可欠だったという旨のコメントを残している[1]

2007年、ヤンキースの外野手陣には松井の他にボビー・アブレイユやジョニー・デイモンがおり、更に指名打者にもジェイソン・ジアンビを起用予定と、カブレラはポジションを保障されていない状況でシーズンを迎えた[1]。しかし、松井が開幕直後に左太股を痛めて故障者リスト入りすると、前年同様、松井に代わって正左翼手として出場。松井復帰後6月頃からは正中堅手のポジションを奪取。シーズン通算で150試合に出場し打率.273・8本塁打・73打点・16補殺(リーグ3位タイ)という成績を挙げている。

シーズン終了後にトーリが退団し、ジョー・ジラルディが新監督に就任。ジラルディは2008年も引き続きカブレラを正中堅手として起用している。しかし8月16日に成績不振によりAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに降格となる。

メルキーという名前が英語のmilk(牛乳)に似ていることから、ヤンキース時代、チーム内では Leche (レチェ:スペイン語で「牛乳」の意)という愛称で呼ばれている。ファン掲示板では「Milkman」と呼ばれ、活躍したときは「Milkman delivers」(配達と打撃のかけことば)と書かれた。また、アメリカ合衆国で展開された広告キャンペーン "Got Milk?" のパロディで "Got Melky?" と書かれたTシャツが販売されている。

2009年8月3日の対シカゴ・ホワイトソックス戦でサイクル安打を記録した。ヤンキースでは14年ぶり15人目となる記録だった。

ブレーブス時代[編集]

2009年12月22日にハビアー・バスケス投手らとの交換トレードでアトランタ・ブレーブスに移籍した。

翌2010年にアトランタ・ブレーブスでプレーし、チームはワイルドカードながら、久々のプレーオフ進出を果たした。しかし、成績がレギュラー獲得以来過去最低を記録するなど精彩を欠いたことから、2010年10月20日付で斎藤隆投手と共に解雇された。

ロイヤルズ時代[編集]

2010年12月9日、カンザスシティ・ロイヤルズと1年125万ドルで契約合意したことが発表された。

2011年は、キャリアハイの打点(87)、盗塁(20)、本塁打(18)、打率(305)、アメリカンリーグで4位となる201安打を放つ。ロイヤルズで200本安打を達成した史上6人目の選手となった。

ジャイアンツ時代[編集]

2011年11月8日に、ジョナサン・サンチェスとのトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。

2012年、初出場のオールスターゲームで2安打1本塁打と活躍し、MVPを獲得。しかし、8月15日にドーピング検査でテストステロンに陽性反応を示したため50試合の出場停止処分を科された[3]。出場停止時点において首位打者であったが規定打席数502に1打席足らなかった。この影響もあってか、ワールドシリーズのメンバーから外れてしまった。しかし不足分を凡打として計算した打率による認定首位打者の権利があったが辞退する事をMLB機構が了承。ジャイアンツの同僚バスター・ポージーが繰り上がり首位打者となった。オフの10月29日にFAとなった。

ブルージェイズ時代[編集]

2012年11月16日に2年1600万ドルでトロント・ブルージェイズと契約合意した[4]

2013年開幕前に第3回WBCドミニカ代表暫定メンバーに選出されたが、2月2日に薬物の影響で辞退した[5]バイオジェネシス・スキャンダルで禁止薬物の購入が発覚したが、既に処分を受けていたために追加処分は科されなかった。

2014年4月4日田中将大のMLBデビュー戦で最初に対戦した打者となり、先頭打者ホームランを放った。試合はニューヨーク・ヤンキースが勝利した[6]。3、4月は月間打率.342を記録するなど開幕から好調で、また7月にも月間打率.356を記録するなど、シーズンを通して安定した活躍を見せた。9月5日の対ボストン・レッドソックス戦で右手小指を骨折し、8日に15日間の故障者リスト入りした[7]ため、以降の出場はなくシーズン終了を迎えたものの、シーズン通算で139試合に出場し、自身2011年以来3年ぶりとなる規定打席に到達。リーグ9位の打率.301を記録した。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2005 NYY 6 19 19 1 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .211 .211 .211 .421
2006 130 524 460 75 129 26 2 7 180 50 12 5 5 1 56 3 2 59 9 .280 .360 .391 .752
2007 150 612 545 66 149 24 8 8 213 73 13 5 10 9 43 0 5 68 14 .273 .327 .391 .718
2008 129 453 414 42 103 12 1 8 141 37 9 2 4 3 29 5 3 58 11 .249 .301 .341 .641
2009 154 540 485 66 133 28 1 13 202 68 10 2 4 4 43 4 4 59 15 .274 .336 .416 .752
2010 ATL 147 509 458 50 117 27 3 4 162 42 7 1 5 3 42 11 1 64 15 .255 .317 .354 .671
2011 KC 155 706 658 102 201 44 5 18 309 87 20 10 7 5 35 3 1 94 12 .305 .339 .470 .809
2012 SF 113 501 459 84 159 25 10 11 237 60 13 5 1 5 36 4 0 63 8 .346 .390 .516 .906
2013 TOR 88 372 344 39 96 15 2 3 124 30 2 2 2 3 23 0 0 47 7 .279 .322 .360 .682
2014 139 621 568 81 171 35 3 16 260 73 6 2 2 5 43 3 3 67 19 .301 .351 .458 .808
通算:10年 1211 4857 4410 606 1262 236 35 88 1832 520 92 34 40 38 350 33 19 581 103 .286 .339 .415 .754
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 2012年度は規定打席に1打席足りないが1打席を凡退として計算しても打率はリーグトップである。

脚注[編集]

  1. ^ a b c Tyler Kepner / The New York Times 「メルキー・カブレラ "第4の外野手" 以上の存在」 『月刊スラッガー』2007年5月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-5、82-85頁。
  2. ^ 澤田敏典 「MLB30チーム最新レポート 全選手個人成績 ニューヨーク・ヤンキース/NYY 2度目のチャンスは逃さなかった」 『月刊スラッガー』2006年8月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-8、73頁。
  3. ^ MLB=球宴MVPのカブレラ、禁止薬物で50試合停止”. ロイター (2012年8月16日). 2012年8月16日閲覧。
  4. ^ Blue Jays To Sign Melky Cabrera MLB Rumors
  5. ^ http://nbcsports.msnbc.com/id/50679182 Melky Cabrera won't play for Dominican in WBC
  6. ^ マー君白星デビューで日米通算100勝目
  7. ^ Gregor Chisholm (2014年9月9日). “Melky, Jenkins undergo successful surgeries/ Left fielder and right-hander have broken bones in their right hands repaired”. MLB.com. 2014年10月29日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]