ジョー・トーリ

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ジョー・トーリ
Joe Torre
Joe Torre 2010.jpg
ドジャース監督時代(2010年5月22日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク
生年月日 1940年7月18日(74歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
212 lb =約96.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手, 一塁手, 三塁手
プロ入り 1960年
初出場 1960年9月25日
最終出場 1977年6月17日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2014年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ジョゼフ・ポール・“ジョー”・トーリJoseph Paul Torre , 1940年7月18日 - )は、アメリカ合衆国の元プロ野球選手・監督。ニューヨーク・ヤンキースロサンゼルス・ドジャースなどで監督を務めた。兄のフランク・トーリも元メジャーリーガー。

経歴[編集]

選手時代[編集]

ニューヨーク州ブルックリンで生まれ育つ。1960年にアマチュアフリーエージェントでミルウォーキー・ブレーブス(現在のアトランタ・ブレーブス)へ入団。同年9月25日にMLBデビューする。元来捕手であったが、一塁手も務める。1963年から1967年まで5年連続でオールスターに出場し、1965年にはゴールドグラブ賞を受賞。

1969年の開幕前に元MVPオーランド・セペダと交換でセントルイス・カージナルスに移籍。カージナルス時代は名捕手ティム・マッカーヴァーとその後継者であるテッド・シモンズが在籍していたため、主に一塁手として活躍。1970年にはマッカーヴァーがフィラデルフィア・フィリーズトレードされたため捕手に戻るが、1971年にはシモンズの成長により、三塁手に転向する。

1971年に選手としての絶頂期を迎える。137打点打率3割6分3厘を記録し、ナショナルリーグの二冠王に輝く。同年にはシーズン最多安打、最高塁打も記録し、最優秀選手に選出される。カージナルス時代の1970年から1973年まで4年連続でオールスター出場を果たす。1974年のシーズン後にニューヨーク・メッツにトレードされ、トレード後直ぐの日米野球で選手として来日(その後、2004年にMLB開幕戦で監督として再来日)した。1977年に現役を引退。選手生活18年間の通算成績は打率2割9分7厘、252本塁打、1185打点、2342安打である。

監督就任~3度の解雇[編集]

1977年途中にメッツの監督に就任。就任した当初は選手兼任監督という立場で、たまに代打として出場することもあった。1981年のシーズン終了までメッツの監督を務めるが、プレーオフ出場は成らなかった。

1982年からはアトランタ・ブレーブスの監督に就任し、1年目にブレーブスにとって1969年以来の西部地区優勝を果たすが、2年目の1983年には地区2位、1984年には3位に陥落する。

1985年から数年間テレビ解説者として活躍した後、1990年にセントルイス・カージナルスの監督として現場復帰を果たす。しかしプレーオフ進出を果たすことなく、1995年のシーズン中に監督として3度目の解雇を経験する。

名将トーリ[編集]

ドン・マッティングリーと会話中のトーリ(2007年)

1995年11月2日にニューヨーク・ヤンキースの監督に就任する。ニューヨーク・デイリーニューズは"Clueless Joe"(訳の分かっていない、トンチンカンなジョー)とまで酷評した[1]。しかし翌1996年にヤンキースを18年ぶりにワールドシリーズに導き、さらに1998年から2000年にかけてワールドシリーズ3連覇を達成。長らく低迷していたヤンキースの復活を実現する。トーリが監督就任したころチームの顔は横暴なジョージ・スタインブレナーオーナーだったが、トーリがその座に取って代わった[2]

2003年には読売ジャイアンツから松井秀喜が移籍し、日本でもよく知られる監督となる。

2007年6月7日シカゴ・ホワイトソックス戦ではMLB史上10人目の監督通算2000勝を達成し、MLB史上初めて「選手として2000本安打、監督として2000勝」を達成した人物となった。なお、この記録は後にギネス世界記録に認定されている[3]

ヤンキース監督時代の12年間すべてでポストシーズン進出を果たした(地区優勝10回、ワイルドカード獲得2回)が、その最後の年となる2007年はディビジョンシリーズで敗退。同年オフ、球団は1年500万ドルにプレーオフで勝ち抜く度に100万ドルが加算され、ワールドシリーズへ進出すれば2009年は800万ドルで契約延長という条件を提示[4]。トーリは出来高を含む契約を「侮辱」と受け、契約を固辞[2]10月18日にニューヨーク・ヤンキース監督を退任することを球団フロントに通知した[4]。これによってヤンキースは周囲から激しい批判を受けたが、その多くはファンからだった[2]。ヤンキースの後任監督にはジョー・ジラルディが就任。

ドジャース監督就任[編集]

それから約半月後11月1日ロサンゼルス・ドジャースから監督オファーを受け、3年契約年俸総額1,300万ドルで合意した[5]。なお、ドジャースはトーリの学生時代まで地元ブルックリンを本拠地としており、トーリ自身昔から大ファンであったという。就任初年度の2008年は、若手やベテランを上手く駆使しながら見事に地区優勝を果たした。2年目の2009年も前半から快進撃を見せ、31年ぶりの地区優勝連覇を果たした。

2010年シーズン終了後、監督を退団。後任の監督はヤンキース時代からのコーチとしてトーリに仕えてきたドン・マッティングリーが就任した。

監督退任後[編集]

2011年2月、MLB機構副会長に就任。2012年1月4日、副会長を辞任し、ドジャースの買収を目指すグループに参加。3月23日にMLB機構副会長に復帰。

さらに6月15日WBCアメリカ代表監督に就任した。しかし、アメリカ代表は2次ラウンドで敗退した。

2014年には、ベテランズ委員会による選出でアメリカ野球殿堂入りを果たした。同年5月8日にはニューヨーク・ヤンキース監督時代の背番号6が永久欠番に指定された。

人物[編集]

ニューヨーク・ヤンキースの監督だったことで知られるが、幼いころからナ・リーグ贔屓でニューヨーク・ジャイアンツウィリー・メイズを応援し、ヤンキースは大嫌いだったと述べており、ヤンキースタジアムで初めてワールドシリーズを観戦したのは1956年10月8日のヤンキース対ブルックリン・ドジャース第5戦で、大嫌いなヤンキースが負けることを願って生まれ故郷のチームであるドジャースを応援していたものの、この試合でヤンキースのドン・ラーセンがワールドシリーズ史上初の完全試合を達成。観ているうちに新たな歴史が刻まれるのではないかと期待し、達成された時は小躍りした。後に1999年7月18日にはドン・ラーセンがヤンキースタジアムで始球式を行い、その試合ではデービッド・コーンがモントリオール・エクスポズを相手に完全試合を達成しているが、この時のヤンキースの監督をつとめていたのはジョー・トーリであった。「大嫌いだったヤンキースの監督をつとめるとは、人生とはなんと皮肉なものだろう」とスコット・ピトニアック著の「ヤンキースタジアム物語」の序文で述べている[6]

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

選手時代[編集]

監督時代[編集]

  • 最優秀監督賞 2回:1996年、1998年
  • ポストシーズン通算84勝はMLB歴代1位(2位はトニー・ラルーサの70勝)

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1960 MLN 2 2 2 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .500 .500 .500 1.000
1961 113 441 406 40 113 21 4 10 172 42 3 5 2 1 28 4 4 60 10 .278 .330 .424 .754
1962 80 248 220 23 62 8 1 5 87 26 1 0 0 2 24 2 2 24 6 .282 .355 .395 .750
1963 142 556 501 57 147 19 4 14 216 71 1 5 1 7 42 4 5 79 19 .293 .350 .431 .781
1964 154 646 601 87 193 36 5 20 299 109 2 4 0 2 36 4 7 67 26 .321 .365 .498 .863
1965 148 594 523 68 152 21 1 27 256 80 0 1 0 2 61 7 8 79 22 .291 .372 .489 .861
1966 ATL 148 614 546 83 172 20 3 36 306 101 0 4 2 4 60 8 2 61 18 .315 .382 .560 .942
1967 135 534 477 67 132 18 1 20 212 68 2 2 1 4 49 7 3 75 22 .277 .345 .444 .789
1968 115 464 424 45 115 11 2 10 160 55 1 0 0 1 34 7 5 72 15 .271 .332 .377 .709
1969 STL 159 678 602 72 174 29 6 18 269 101 0 0 0 5 66 13 5 85 10 .289 .361 .447 .808
1970 161 704 624 89 203 27 9 21 311 100 2 2 0 3 70 10 7 91 23 .325 .398 .498 .896
1971 161 707 634 97 230 34 8 24 352 137 4 1 1 5 63 20 4 70 18 .363 .421 .555 .976
1972 149 613 544 71 157 26 6 11 228 81 3 0 0 7 54 13 8 64 19 .289 .357 .419 .776
1973 141 596 519 67 149 17 2 13 209 69 2 0 1 1 65 14 10 78 20 .287 .376 .403 .779
1974 147 610 529 59 149 28 1 11 212 70 1 2 1 3 69 9 8 88 15 .282 .371 .401 .772
1975 NYM 114 400 361 33 89 16 3 6 129 35 0 0 2 0 35 3 2 55 22 .247 .317 .357 .674
1976 114 340 310 36 95 10 3 5 126 31 1 3 2 2 21 1 5 35 16 .306 .358 .406 .764
1977 26 54 51 2 9 3 0 1 15 9 0 0 0 1 2 1 0 10 3 .176 .204 .294 .498
通算:18年 2209 8801 7874 996 2342 344 59 252 3560 1185 23 29 13 50 779 127 85 1094 284 .297 .365 .452 .817
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績[編集]

年度 チーム 地区 試合 勝利 敗戦 勝率 最終順位/チーム数 備考 ポストシーズン
勝敗
1977 NYM NL 東 117 49 68 .419 6 / 6 途中就任  
1978 162 66 96 .407 6 / 6    
1979 163 63 99 .389 6 / 6    
1980 162 67 95 .414 5 / 6    
1981 105 41 62 .398 5 / 6、4 / 6[a]    
1982 ATL NL 西 162 89 73 .549 1 / 6 NLCS敗退 0勝3敗
1983 162 88 74 .543 2 / 6    
1984 162 80 82 .494 3 / 6    
1990 STL NL 東 58 24 34 .414 6 / 6 途中就任  
1991 162 84 78 .519 2 / 6    
1992 162 83 79 .512 3 / 6    
1993 162 87 75 .537 3 / 7    
1994 NL 中 115 53 61 .465 (3 / 5)[b]    
1995 47 20 27 .426 4 / 5[c] 途中解任  
1996 NYY AL 東 162 92 70 .568 1 / 5 WS優勝 11勝4敗
1997 162 96 66 .593 2 / 5 ALDS敗退 2勝3敗
1998 162 114 48 .704 1 / 5 WS優勝 11勝2敗
1999 162 98 64 .605 1 / 5 WS優勝 11勝1敗
2000 161 87 74 .540 1 / 5 WS優勝 11勝5敗
2001 161 95 65 .594 1 / 5 WS敗退 10勝7敗
2002 161 103 58 .640 1 / 5 ALDS敗退 1勝3敗
2003 163 101 61 .623 1 / 5 WS敗退 9勝8敗
2004 162 101 61 .623 1 / 5 ALCS敗退 6勝5敗
2005 162 95 67 .586 1 / 5 ALDS敗退 2勝3敗
2006 162 97 65 .599 1 / 5 ALDS敗退 1勝3敗
2007 162 94 68 .580 2 / 5 ALDS敗退 1勝3敗
2008 LAD NL 西 162 84 78 .519 1 / 5 NLCS敗退 4勝4敗
2009 162 95 67 .586 1 / 5 NLCS敗退 4勝4敗
2010 162 80 82 .494 4 / 5
通算:29年   4,329 2,326 1,997 .538     84勝58敗

著書[編集]

  • 『覇者の条件―組織を成功に導く12のグラウンド・ルール』 Joe Torre's Ground Rules for Winners: 12 Keys to Managing Team Players, Tough Bosses, Setbacks, and Success
共著・2003年4月発売。
  • 『ジョーからの贈りもの―若きサムライとの日々』
共著・2005年10月発売。日本に向けて書かれた作品。
  • 『さらばヤンキース―我が監督時代』 The Yankee Years
2009年3月発売。ヤンキース退団後の作品。

脚注[編集]

  1. ^ “Clueless Joe” (英語). Daily News (New York: Mortimer Zuckerman). (1995年11月3日). http://www1.dailynewspix.com/sales/largeview.php?name=4QZ6MK87.jpg&id=112034&lbx=390193&return_page=searchResults.php&page=0 2009年3月3日閲覧。 
  2. ^ a b c 「トーレ監督がヤンキース退団 一時代の終焉」『スラッガー』2008年1月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-1、46 - 48頁
  3. ^ First person in Major League Baseball with 2,000 wins as manager and 2,000 hits as player” (英語). Guinness World Records. 2014年3月6日閲覧。
  4. ^ a b Torre turns down offer to return as Yanks' skipper” (英語). 2008年6月28日閲覧。
  5. ^ ESPN - Torre succeeds Little as Dodgers manager - MLB” (英語). 2008年6月28日閲覧。
  6. ^ 早川書房刊 スコット・ピトアック著 松井みどり訳「ヤンキースタジアム物語」7-9ページ

外部リンク[編集]