ボビー・アブレイユ

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ボビー・アブレイユ
Bobby Abreu
ロサンゼルス・エンゼルス #53
基本情報
国籍 ベネズエラ ベネズエラ
出身地 ベネズエラ アラグア州マラカイ
生年月日 1974年3月11日(35歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9cm
210 lb =約95.3kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1990年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場 1996年9月1日 パイレーツ
年俸 $5,000,000(2009年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム ベネズエラ
WBC 2006年2009年

ボビー・アブレイユ(Bobby Abreu, 1974年3月11日 - )は、ベネズエラアラグア州マラカイ出身の野球選手。フルネームはボブ・ケリー・アブレイユ(Bob Kelly Abreu )。外野手右翼手)、右投左打。MLBロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムに所属している。

第1回ワールド・ベースボール・クラシックベネズエラ代表第2回ワールド・ベースボール・クラシックベネズエラ代表にも選ばれた。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

1974年3月11日、ベネズエラのアラグア州マラカイで生まれる。父ネルソンが熱狂的野球ファンだったため、アブレイユは3人の兄弟とともに野球のテレビ中継を観戦し、父から「多くの人が見逃してしまうようなプレーの細かい点まで、丁寧に解説」を受けた、という[1]。アブレイユが16歳になった1990年、ベネズエラにヒューストン・アストロズ直営のベースボール・アカデミーが設立されたため、アブレイユは1期生としてアカデミー入りする。

[編集] アストロズ

1990年8月21日にアブレイユはアストロズと契約。1996年9月1日にメジャーデビューを果たすが、その後2シーズン合計で74試合しか出場機会がなかった。1997年エクスパンション・ドラフトで、アストロズは同じベネズエラ人リチャルド・イダルゴをプロテクト・リストに載せるためにアブレイユをリストから外した[2]。その結果アブレイユはタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)に指名されたが、数時間後にケビン・ストッカーとの交換でフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[2]。その後、アブレイユは短期間でリーグの中でも有望な強打強肩の若手右翼手として台頭し、デビルレイズの短い歴史上最悪のトレードとなった[2]

[編集] フィリーズ

アストロズでは期待されながらも思うような成績を残せなかったアブレイユだったが、フィリーズ移籍後に才能が開花。短期間でリーグの中でも有望な強打強肩の若手右翼手として台頭した。初めてシーズンを通して出場した1998年にはチームトップの打率.312を記録。続く1999年に打率.335(リーグ3位)を記録したが、これはフィリーズの選手としては1967年トニー・ゴンザレズが記録した.339以来の高打率だった[3][2]。球団は昨年に4年総額850万ドルの契約を提示したが、アブレイユは契約せずに1年後に3年総額1425万ドルで契約延長した[2]

2001年には全162試合に出場し、31本塁打・36盗塁で球団史上初めて30本塁打・30盗塁(30-30)を達成。2002年にはリーグ最多・球団史上70年ぶりの高水準[4]となる50二塁打を記録した。

アブレイユのバッティング(2004年)

2004年、MLB公式サイト上のネット投票により「32番目の男」としてMLBオールスターゲームに初出場を果たす。シーズン通算では30本塁打・40盗塁で自身2度目の30-30を達成し、初めてシルバースラッガー賞を受賞した。

2005年のオールスターゲームでは、ファン投票で253万票を得て外野手部門2位に入り、初めてファン投票による出場を果たす。試合前日に行われたホームランダービー[5]では、フィールドの形状が投手有利とされるコメリカ・パークを舞台にしながら1ラウンド24本・全ラウンド合計41本と2つの新記録を樹立して優勝した[6]。また、同年のシーズン終了後には自身初のゴールドグラブ賞を受賞。しかしながら「強肩ではあるものの打球処理が未熟」「闘争心の不足」「時たま明らかに集中力を欠いたプレーをする」という批判も地元などから多く出ており、受賞に疑問を呈す声も少なくなかった。これについて地元フィラデルフィアの新聞記者は「ボビーのプレーはスムーズすぎて情熱が伝わりにくいため、ファンから誤解を受けていたのだろう」と説明している[1]

[編集] ヤンキース

2006年7月31日、トレード期限最終日にコリー・ライドルとともにトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍[7]。この時ヤンキースが出した交換要員は、あまり戦力になりそうもない選手が5人だった[8]。このためフィラデルフィアの地元紙はこのトレードを批判したが、この後フィリーズは快進撃を遂げワイルドカード争いを演じた。一方、移籍したアブレイユもヤンキースの勝利に大きく貢献した[8]。ヤンキースは松井秀喜ゲイリー・シェフィールドの故障離脱を乗り越え地区優勝を果たし、デトロイト・タイガースとのディビジョンシリーズで敗れたが、アブレイユは同シリーズで打率.333、チーム最多の4打点を記録[9]

2007年もアブレイユはレギュラーとして158試合に出場したが、序盤に極度の不調に陥り、首位レッドソックスと優勝争いで大きく出遅れた一因とされた[要出典]。後半は持ち直したが、序盤の成績が響き、本塁打が2年連続で10本台に終わり、出塁率も6年ぶりに3割台に落ちた。

2008年は契約オプションが行使され、残留した。しかし、またしても前半戦に打撃不振となり、チームも下降。なんとか中盤、後半戦で持ち直し20本塁打、100打点を記録したがチームは浮上できず、地区優勝を14年ぶりに逃した。

2008年シーズンが終了しFAとなっていたが、翌2009年2月11日、ロサンゼルス・エンゼルスと1年契約総額500万ドルで合意。

[編集] 選手としての特徴

かつては「メジャーで最も過小評価されている選手」と呼ばれていた[1]5ツールプレイヤー。MLB史上3人目の8年連続100四球・5年連続出塁率.400・4年連続100打点・3年連続30盗塁(打点以外はいずれも2006年まで)といった記録を達成しており、それに加えて2004年シルバースラッガー賞を受賞している。

アブレイユの最大の長所は選球眼[10]、1999年からフランク・トーマスのメジャー記録に並ぶ8年連続で100四球を記録している[7]。また、並外れた長打力があるのにホームラン狙いのバッティングに陥らず、フライの打球よりもゴロになる打球の方が多い[10]。出塁すると足で投手にプレッシャーをかけ、チャンスメーカーとしての機能も高い[7]

守備面では守備範囲が広く強肩で、前方向の打球に強い。しかし、後方に飛んだフライの目測を誤ることがよくある[11]

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1996 HOU 15 24 22 1 5 1 0 0 6 1 0 0 0 0 2 0 0 3 1 .227 .292 .273 .565
1997 59 210 188 22 47 10 2 3 70 26 7 2 0 0 21 0 1 48 0 .250 .329 .372 .701
1998 PHI 151 589 497 68 155 29 6 17 247 74 19 10 4 4 84 14 0 133 6 .312 .409 .497 .906
1999 152 662 546 118 183 35 11 20 300 93 27 9 0 4 109 8 3 113 13 .335 .446 .549 .995
2000 154 680 576 103 182 42 10 25 319 79 28 8 0 3 100 9 1 116 12 .316 .416 .554 .970
2001 162 704 588 118 170 48 4 31 319 110 36 14 0 9 106 11 1 137 13 .289 .393 .543 .936
2002 157 685 572 102 176 50 6 20 298 85 31 12 0 6 104 9 3 117 11 .308 .413 .521 .934
2003 158 695 577 99 173 35 1 20 270 101 22 9 0 7 109 13 2 126 13 .300 .409 .468 .877
2004 159 713 574 118 173 47 1 30 312 105 40 5 0 7 127 10 5 116 5 .301 .428 .544 .972
2005 162 719 588 104 168 37 1 24 279 102 31 9 0 8 117 15 6 134 7 .286 .405 .474 .879
2006 98 438 339 61 94 25 2 8 147 65 20 4 0 6 91 5 2 86 8 .277 .427 .434 .861
NYY 58 248 209 37 69 16 0 7 106 42 10 2 2 3 33 1 1 52 5 .330 .419 .507 .926
'06計 156 686 548 98 163 41 2 15 253 107 30 6 2 9 124 6 3 138 13 .297 .424 .462 .886
2007 158 699 605 123 171 40 5 16 269 101 25 8 0 7 84 0 3 115 11 .283 .369 .445 .814
2008 156 684 609 100 180 39 4 20 287 100 22 11 0 1 73 2 1 109 14 .296 .371 .471 .842
通算:13年 1799 7750 6490 1174 1946 454 53 241 3229 1084 318 103 6 65 1160 97 29 1405 119 .300 .405 .498 .903
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 獲得タイトル・表彰

[編集] 奉仕活動

ボビー・アブレイユ(1998年)

アブレイユはフィラデルフィアデラウェア川流域において様々な地域活動に携わってきた。2001年にはアメリカ赤十字輸血キャンペーンの名誉チェアマンを務めた。また、2003年・2004年シーズンには「アブレイユのアミーゴ」プログラムを通じて金曜ナイターの試合に1万ドル分のチケットを購入し、子供たちを招待。練習着やクーポン、試合前の練習風景見学などを見学する機会を子供たちにプレゼントしていた。これらの活動が評価され、2004年にフィリーズ地域活動賞を受賞し、同年のロベルト・クレメンテ賞の式典にチーム代表として出席した。

2008年1月には日本を訪問、福岡県北九州市でイベントを行っている[12]

[編集] 脚注

  1. ^ a b c 三尾圭 「知られざるスーパースター ボビー・アブレイユ[フィリーズ]」 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、38-41頁。
  2. ^ a b c d e "The Ballplayers - Bobby Abreu biography" (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月13日 閲覧。
  3. ^ "1999 Career Highlights," The Official Site of The New York Yankees. 2008年1月22日閲覧。
  4. ^ "Philadelphia Phillies Batting Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年1月22日閲覧。
  5. ^ 通常は両リーグから4選手ずつが選出されるが、この年は第1回ワールド・ベースボール・クラシックを翌年に控えていたため、特別に「国別対抗戦」の形式をとった。アブレイユはベネズエラ代表として出場。
  6. ^ それまでの最多記録は前年の2004年にミゲル・テハダが記録した1ラウンド15本・全ラウンド合計27本だった。
  7. ^ a b c "Bobby Abreu from the Chronology" (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月13日 閲覧。
  8. ^ a b 李啓充金満ヤンキース トレード戦線での圧勝」 『NumberWeb』、2006年8月3日。2008年4月1日閲覧。
  9. ^ "2006 AL Division Series - DET vs. NYY" (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月13日 閲覧。
  10. ^ a b 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、45項。ISBN 978-4-331-51213-5
  11. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』 廣済堂出版、2008年、67項。ISBN 978-4-331-51300-2
  12. ^アブレイユが北九州市でチャリティー」 『nikkansports.com』、2008年1月31日。2008年4月1日閲覧。

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ