フレディ・ガルシア

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フレディ・ガルシア
Freddy García
ボルチモア・オリオールズ時代
(2013年5月9日)
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 カラカス
生年月日 (1976-10-06) 1976年10月6日(47歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1993年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場 MLB / 1999年4月7日
CPBL / 2014年5月10日
最終出場 MLB / 2013年9月24日
CPBL / 2014年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ベネズエラの旗 ベネズエラ代表
WBC 2006年
プレミア12 2015年

フレディ・アントニオ・ガルシアFreddy Antonio García, 1976年10月6日 - )は、ベネズエラカラカス出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

台湾球界での登録名は、「賈西亞」。

経歴[編集]

マリナーズ時代[編集]

1993年ヒューストン・アストロズと契約しプロ入り。1998年7月31日ランディ・ジョンソンとのトレードカルロス・ギーエンらとともにシアトル・マリナーズへ移籍。1999年4月7日ホワイトソックス戦でメジャーデビューし初勝利を挙げると、シーズンで17勝8敗・防御率4.07という成績を残し、新人王投票でカルロス・ベルトランロイヤルズ=当時)に次ぐ2位となった。

2000年は故障で9勝止まりだった。

2001年には18勝6敗・防御率3.05(リーグ1位)とエース級の成績を残し、マリナーズの地区優勝に貢献した。この年以来2006年まで、6年連続で年間30先発・200イニングをクリアするタフネスぶりを見せている。

ホワイトソックス時代[編集]

2004年シーズン途中にホワイトソックスにトレード移籍。マーク・バーリーホセ・コントレラスジョン・ガーランドらと共にリーグ屈指の先発ローテーションを形成して活躍。

2005年のワールドシリーズ優勝にも大きく貢献した。

ホワイトソックス退団後[編集]

2006年開幕前の3月に第1回WBCベネズエラ代表に選出された[1]

シーズン終了後には、ガビン・フロイドジオ・ゴンザレスとの交換で、フィラデルフィア・フィリーズへトレード移籍した。しかし2007年は肩を痛めたため不本意な成績に終わり、シーズン終了後には再契約を見送られFAとなった。

2008年8月12日(現地時間)、ガルシアは、デトロイト・タイガースとのマイナー契約にサインし、FAから復帰した。マイナーリーグで5イニングを投げ無失点、5三振を奪うなど、好調ぶりをアピールした。その後もドントレル・ウィリスと模擬試合で投げ合うなど、順調に調整を進め、現地時間9月17日(日本時間9月18日)のテキサス・レンジャーズ戦で先発し、メジャー復帰を果たした。この試合では、投球数に制限こそあったものの、5回を失点1(自責点は0)に抑え、久々の勝利を挙げた。

2009年ニューヨーク・メッツとマイナー契約したが結果を残せず、4月28日、メジャーに上がることなく解雇された。

ホワイトソックス復帰[編集]

6月、古巣・ホワイトソックスとマイナー契約。8月からメジャー登板し、9月以降に3勝を上げた。オフにチーム側がオプションを行使した。

2010年はガルシアにとって4年ぶりのシーズンとなった。年間を通じてローテーションを守り、28試合を投げて12勝をあげ、復活を果たした。11月1日にFAとなった。

ヤンキース時代[編集]

2011年1月31日ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結ぶと、2月3日には1年150万ドルのメジャー契約に切り替えられた[2]。プレシーズンマッチでは安定した投球を見せ、3月25日に同じくマイナー契約であったバートロ・コローンと共に、メジャー開幕ロースター25人枠入りが決定し、先発ローテーション入りした。10月31日にFAとなったが、12月9日に1年400万ドル+出来高で再契約した[3]

2012年A.J.バーネットの移籍や、マイケル・ピネダが肩の故障で離脱したため、開幕ローテ入りを果たした。10月29日にFAとなった。

ヤンキース退団後[編集]

2013年1月29日に、サンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ[4]が、オープン戦で6試合に登板し1勝4敗、防御率8.71と結果を残せず3月24日に解雇。29日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[5]5月4日にメジャー昇格したものの、6月24日DFAとなった。8月23日アトランタ・ブレーブスに金銭トレードで移籍した[6]10月31日にFAとなった。

2014年1月24日にブレーブスとマイナー契約し、2月13日にメジャー契約を結んだ[7]が、3月24日に放出された。

義大時代[編集]

2014年4月27日義大ライノズと契約する。6月30日に、月間MVPが発表され[8]投手部門のMVPに選出された[9]

義大退団後[編集]

2015年は当初メキシカンリーグタバスコ・キャトルメンと契約。4月9日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだが、4月22日に放出され、6月7日に再びキャトルメンと契約。7月14日にマックス・ラミレスとのトレードでモンテレイ・サルタンズに移籍した。11月には第1回WBSCプレミア12ベネズエラ代表で出場[10]。初戦のメキシコ戦で7回途中3失点。予選突破をかけた日本戦では8回途中3失点の投球を見せたが、チームは予選敗退に終わった。

2016年、母国ベネズエラ代表チームティグレス・デ・アラグアのメンバーとしてカリビアンシリーズに出場。2月7日の決勝戦試合前に現役引退を表明。当日の試合に先発したが、チームは4対5でサヨナラ負けを喫した。4月8日にのモンテレイ・サルタンズと再契約を結び現役復帰。しかし5試合の登板で防御率5.01を喫し、5月3日に解雇となる。

2017年はベネズエラのウィンターリーグに参加。

2018年はメキシカンリーグのユカタン・ライオンズと契約。オフはベネズエラのウィンターリーグに参加。

選手としての特徴[編集]

かつてはその大柄な体躯を生かした95マイル超のフォーシームを中心に、スライダーチェンジアップを投げ分ける本格派投手として鳴らしたが、近年はツーシームカーブスプリッターなどの割合を増やした技巧派へと転身した。また、もともと奪三振率は平均レベルで決して高くはなかったため、若手の頃から打たせて取るピッチングは得意としていた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1999 SEA 33 33 2 1 0 17 8 0 0 .680 888 201.1 205 18 90 4 10 170 12 3 96 91 4.07 1.47
2000 21 20 0 0 0 9 5 0 0 .643 538 124.1 112 16 64 4 2 79 4 2 62 54 3.91 1.42
2001 34 34 4 3 0 18 6 0 0 .750 971 238.2 199 16 69 6 5 163 3 1 88 81 3.05 1.12
2002 34 34 1 0 0 16 10 0 0 .615 955 223.2 227 30 63 3 6 181 7 1 110 109 4.39 1.30
2003 33 33 1 0 0 12 14 0 0 .462 862 201.1 196 31 71 2 11 144 11 0 109 101 4.51 1.33
2004 15 15 1 0 0 4 7 0 0 .364 446 107.0 96 8 32 1 2 82 5 0 39 38 3.20 1.20
CWS 16 16 0 0 0 9 4 0 0 .692 432 103.0 96 14 32 2 5 102 3 0 53 51 4.46 1.24
'04計 31 31 1 0 0 13 11 0 0 .542 878 210.0 192 22 64 3 7 184 8 0 92 89 3.81 1.22
2005 33 33 2 0 0 14 8 0 0 .636 943 228.0 225 26 60 2 3 146 20 1 102 98 3.87 1.25
2006 33 33 1 0 0 17 9 0 0 .654 917 216.1 228 32 48 3 7 135 4 0 116 109 4.53 1.28
2007 PHI 11 11 0 0 0 1 5 0 0 .167 264 58.0 74 12 19 3 5 50 5 0 39 38 5.90 1.60
2008 DET 3 3 0 0 0 1 1 0 0 .500 61 15.0 11 3 6 0 1 12 0 0 8 7 4.20 1.13
2009 CWS 9 9 0 0 0 3 4 0 0 .429 229 56.0 56 4 12 0 0 37 2 0 27 27 4.34 1.21
2010 28 28 0 0 0 12 6 0 0 .667 671 157.0 171 23 45 5 3 89 4 0 85 81 4.64 1.38
2011 NYY 26 25 0 0 0 12 8 0 0 .600 626 146.2 152 16 45 5 3 96 4 0 63 59 3.62 1.34
2012 30 17 0 0 0 7 6 0 0 .538 461 107.1 112 18 35 2 3 89 10 1 64 62 5.20 1.37
2013 BAL 11 10 0 0 0 3 5 0 0 .375 225 53.0 60 16 12 0 1 26 0 0 35 34 5.77 1.36
ATL 6 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 106 27.1 23 2 5 0 0 20 1 0 5 5 1.65 1.02
'13計 17 13 0 0 0 4 7 0 0 .364 331 80.1 83 18 17 0 1 46 1 0 40 39 4.37 1.25
2014 義大 25 25 1 0 1 11 9 0 0 .550 667 161.0 172 9 20 1 5 108 7 0 63 57 3.19 1.19
MLB:15年 376 357 12 4 0 156 108 0 0 .591 9595 2264.0 2243 285 708 42 67 1621 95 9 1101 1045 4.15 1.30
CPBL:1年 25 25 1 0 1 11 9 0 0 .550 667 161.0 172 9 20 1 5 108 7 0 63 57 3.19 1.19
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

MLB

表彰[編集]

CPBL

記録[編集]

MLB

背番号[編集]

  • 34(1999年 - 2008年)
  • 43(2009年 - 2010年)
  • 36(2011年 - 2012年)
  • 38(2013年 - 同年途中)
  • 50(2013年途中 - 同年終了)
  • 55(2014年)

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2006 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月3日閲覧 [リンク切れ]
  2. ^ Source: Yanks, Freddy Garcia agree ESPN New York
  3. ^ Garcia's one-year deal with Bombers official MLB.com
  4. ^ http://sandiego.padres.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130128&content_id=41223724&vkey=news_sd&c_id=sd Padres sign Garcia, Stauffer to Minors deals
  5. ^ Orioles sign RHP Freddy Garcia to Minor League contract Orioles Press Release 2013年3月29日(ET)
  6. ^ Garcia traded to Braves, A's lineup
  7. ^ Mark Bowman (2014年2月13日). “For Garcia, it's make the Braves or go home”. MLB.com. 2014年2月27日閲覧。
  8. ^ 2014年6月MVP:【投手】賈西亞【打擊】郭永維 CPBL公式サイト 中国語 (2014年6月30日) 2015年3月29日閲覧
  9. ^ 單月MVP 2014年6月 CPBL公式サイト 中国語 2015年3月29日閲覧
  10. ^ Venezuela reveals Final Roster for #Premier12 Mister Baseball (英語) (2015年10月14日) 2015年10月25日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]