ジム・パーマー

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ジム・パーマー
Jim Palmer
Jim Palmer 2009.jpg
2009年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州ニューヨーク
生年月日 1945年10月15日(68歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
196 lb =約88.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1963年
初出場 1965年4月17日
最終出場 1984年5月12日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1990年
得票率 92.57%
選出方法 BBWAA[1]選出

ジェイムズ・アルビン・パーマーJames Alvin Palmer, 1945年10月15日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身。ニックネームは「Cakes」。

経歴[編集]

1963年8月16日ボルティモア・オリオールズと契約。1964年はA級で11勝3敗・防御率2.51を記録するが、129イニングで130四球。1965年に19歳で開幕メジャー入りを果たし、4月17日ボストン・レッドソックス戦でメジャーデビュー。主にリリーフでの起用で5勝を記録。1966年は開幕から先発に定着し、15勝10敗・防御率3.46を記録してチームのボルティモア移転後初のリーグ優勝に貢献。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第2戦に先発してこの試合が現役最後の登板となったサンディ・コーファックスと投げ合い、4安打完封勝利。勢いに乗ったチームは続く第3戦・第4戦を共に1-0で勝利し、4連勝で球団史上初のワールドチャンピオンに輝いた。

1967年5月12日ニューヨーク・ヤンキース戦でホワイティ・フォードと投げ合い、6回までパーフェクトに抑える。7回無死から安打を許すが次打者を併設に打ち取り、1安打無四死球・残塁0の「準完全試合」を記録[1]。しかしその後は肩の故障に苦しんで9試合の登板に留まり、1968年はメジャーでの登板なしに終わる。4球団が拡張され東西2地区制となった1969年は途中1ヶ月以上の離脱もあったが、8月13日オークランド・アスレティックス戦で6四球を与えながらノーヒッターを達成するなど11連勝を記録し、16勝4敗・防御率2.34・6完封と復活を果たす。チームは2位に19ゲームの大差を付けて地区優勝。ミネソタ・ツインズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、10安打を浴びるものの2失点完投勝利を挙げ、チームを3年ぶりのリーグ優勝に導く。ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは第3戦に先発したが6回4失点で敗戦投手となり、チームも1勝4敗で敗退した。1970年は前半戦で12勝を挙げ、オールスターゲームに初選出され先発投手を務めた。20勝10敗・防御率2.71、共にリーグトップの305.0イニング・5完封を記録し、チームは地区連覇。ツインズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、12奪三振1失点完投勝利で2年連続の胴上げ投手となる。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第1戦に先発して勝利投手となり、チームは4勝1敗で4年ぶりのワールドチャンピオンとなった。サイ・ヤング賞の投票では5位に入った。1971年は開幕から5連勝するなど20勝9敗・防御率2.68を記録し、チームメイトのデーブ・マクナリー(21勝)、マイク・クェイヤーパット・ドブソン(各20勝)と共に1920年シカゴ・ホワイトソックス以来となる「20勝カルテット」を形成し、チームは地区3連覇。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発しレジー・ジャクソンに2本塁打を浴びるが、3失点完投勝利で3年連続の胴上げ投手。ピッツバーグ・パイレーツとのワールドシリーズでは第2戦に先発し勝利投手となるが、第6戦では9回2失点の好投も勝敗付かず。チームは3勝4敗で敗退した。1972年は前半戦で8連勝を含む13勝・防御率1.91を記録し、オールスターゲームでは2度目の先発投手を務めた。21勝10敗・防御率2.07を記録するが、チームは地区3位に終わった。1973年7月27日クリーブランド・インディアンズ戦で7回まで無安打に抑え、8回に安打を打たれるが1安打完封勝利[2]。10連勝を含む22勝9敗・防御率2.40の成績で最優秀防御率のタイトルを獲得し、チームの2年ぶりの地区優勝に貢献。アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、5安打12奪三振完封勝利。第4戦では2回途中で降板。第5戦では4回途中からリリーフ登板し無失点に抑えるが、チームは完封負けで敗退した。サイ・ヤング賞の投票では、383奪三振のメジャー記録を樹立したノーラン・ライアンを抑えて初受賞し、MVPの投票でもジャクソンに次ぐ2位に入った[3]

1974年は初の開幕投手を務めるが、途中7連敗を喫するなど不調。6月から約2ヶ月離脱もあり7勝12敗と不本意な成績に終わるが、チームは地区連覇。3度目の対戦となったアスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し1失点完投と 好投するが、打線がヴァイダ・ブルーに2安打で完封されて敗戦投手となり、チームは1勝3敗で敗退した。1975年は復活を果たし、いずれもリーグトップの23勝(11敗)・防御率2.09・10完封を記録し、キャットフィッシュ・ハンターと並んで初の最多勝利、2年ぶりの最優秀防御率を獲得。2年ぶりのサイ・ヤング賞を受賞した。1976年は22勝13敗・防御率2.51、リーグ最多の315.0イニングの成績で2年連続の最多勝利・サイ・ヤング賞、初のゴールドグラブ賞を獲得。1977年オールスターゲームで3度目の先発投手を務める。20勝11敗・防御率2.91、リーグ最多の22完投・319.0イニングの成績で、デニス・レナードら2人と並んで3年連続の最多勝利。1978年5月20日から4完封を含む7連勝。オールスターゲームでは2年連続4度目の先発投手を務めた。終盤にも7連勝を記録し21勝12敗・防御率2.46で4年連続20勝を達成。1979年は故障もあって10勝に終わるが、チームは5年ぶりの地区優勝を果たす。カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦に先発し、9回3失点で勝敗は付かなかったが、チームは8年ぶりのリーグ優勝。パイレーツとのワールドシリーズでは第2戦に先発し、7回2失点で勝敗付かず。第6戦では6回まで無失点だったが終盤打ち込まれ、8回4失点で敗戦投手。チームは王手をかけてから3連敗を喫し、2勝4敗で敗退した。1980年は後半戦で防御率4.90と調子を落とし、16勝を挙げるが防御率3.98とそれまでのキャリアワーストとなった。1981年50日間に及ぶストライキでシーズンが中断・短縮され、後半戦で防御率4.74とまたも不調で7勝に留まる。1982年は序盤は不調だったが、6月7日から11連勝を記録。チームはミルウォーキー・ブルワーズと地区優勝を争い、10月1日からの直接対決4連戦で3連勝し同率で並ぶ。勝てば逆転優勝となるシーズン最終戦で先発するが敗戦投手となり、地区優勝を逃した。それでも15勝5敗・防御率3.13と復活を果たした。サイ・ヤング賞の投票でピート・ブコヴィッチに次ぐ2位に入った。1983年は故障で長期離脱し、15年ぶりのマイナーも経験するなど5勝に終わるが、チームは4年ぶりの地区優勝。ホワイトソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは代走による出場のみで登板機会はなかったが、チームはリーグ優勝。フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズでは第3戦で5回から先発のマイク・フラナガンをリリーフし2回を無失点に抑えて勝利投手。これで1960・70・80年代の3つのディケイドでワールドシリーズでの勝利を挙げた史上唯一の投手となった。チームは4勝1敗で13年ぶりの、2012年現在で最後のワールドチャンピオンに輝いた。1984年は結果を残せず3連敗を喫し、5月17日に解雇され現役引退。オリオールズ一筋で投げ続けたフランチャイズ・プレイヤーだった。

1985年背番号22』が球団の永久欠番に指定され、1990年アメリカ野球殿堂入りを果たした。1991年45歳にして復帰を目指し、古巣オリオールズのスプリングトレーニングに招待選手として参加。オープン戦にも登板したが衰えを隠せず、復帰は実現しなかった[4]。現在はテレビ解説などで活動している。

エピソード[編集]

  • 現役時代の監督アール・ウィーバーとの確執は有名で、ウィーバーをして「パーマーのおかげでこんな白髪になってしまった」と言わしめる程だった。
  • 後にチームメイトとなるカル・リプケンとは長い親交があり、新人時代にリプケンの父カル・シニアが監督を務めていたマイナーチームでプレーしていたが、その時に幼少時のリプケンを見ていたことがある。
  • ハンサムな顔つきから、下着メーカーのコマーシャルに出演していたことがあった[5]

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

  • サイ・ヤング賞 3回:1973年, 1975年, 1976年
  • 最優秀防御率 2回:1973年, 1975年
  • 最多勝利 3回:1975年 - 1977年
  • ゴールドグラブ賞 4回:1976年 - 1979年
  • MLBオールスターゲーム選出 6回:1970年 - 1972年, 1975年, 1977年, 1978年
  • ノーヒッター 1回:1969年8月13日

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1965 BAL 27 6 0 0 0 5 4 1 -- .556 394 92.0 75 6 56 1 2 75 4 0 49 38 3.72 1.42
1966 30 30 6 0 0 15 10 0 -- .600 867 208.1 176 21 91 1 0 147 7 0 83 80 3.46 1.28
1967 9 9 2 1 1 3 1 0 -- .750 194 49.0 34 6 20 0 0 23 2 0 18 16 2.94 1.10
1969 26 23 11 6 0 16 4 0 -- .800 722 181.0 131 11 64 1 1 123 7 1 48 47 2.34 1.08
1970 39 39 17 5 2 20 10 0 -- .667 1257 305.0 263 21 100 4 1 199 10 3 98 92 2.71 1.19
1971 37 37 20 3 2 20 9 0 -- .690 1165 282.0 231 19 106 6 4 184 8 2 94 84 2.68 1.20
1972 36 36 18 3 2 21 10 0 -- .677 1094 274.1 219 21 70 1 1 184 4 1 73 63 2.07 1.05
1973 38 37 19 6 2 22 9 1 -- .710 1190 296.1 225 16 113 5 3 158 7 0 86 79 2.40 1.14
1974 26 26 5 2 1 7 12 0 -- .368 770 178.2 176 12 69 4 3 84 4 0 78 65 3.27 1.37
1975 39 38 25 10 6 23 11 1 -- .676 1268 323.0 253 20 80 4 2 193 4 0 87 75 2.09 1.03
1976 40 40 23 6 4 22 13 0 -- .629 1256 315.0 255 20 84 5 8 159 5 0 101 88 2.51 1.08
1977 39 39 22 3 0 20 11 0 -- .645 1269 319.0 263 24 99 1 3 193 7 0 106 103 2.91 1.13
1978 38 38 19 6 2 21 12 0 -- .636 1197 296.0 246 19 97 1 1 138 5 1 94 81 2.46 1.16
1979 23 22 7 0 1 10 6 0 -- .625 639 155.2 144 12 43 0 0 67 1 0 66 57 3.30 1.20
1980 34 33 4 0 1 16 10 0 -- .615 959 224.0 238 26 74 0 3 109 2 0 108 99 3.98 1.39
1981 22 22 5 0 1 7 8 0 -- .467 532 127.1 117 14 46 1 2 35 3 1 60 53 3.75 1.28
1982 36 32 8 2 1 15 5 1 -- .750 920 227.0 195 22 63 1 4 103 2 1 85 79 3.13 1.14
1983 14 11 0 0 0 5 4 0 -- .556 330 76.2 86 11 19 0 0 34 1 1 42 36 4.23 1.37
1984 5 3 0 0 0 0 3 0 -- .000 89 17.2 22 2 17 1 0 4 2 0 19 18 9.17 2.21
通算:19年 558 521 211 53 26 268 152 4 -- .638 16112 3948.0 3349 303 1311 37 38 2212 85 11 1395 1253 2.86 1.18
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注[編集]

  1. ^ May 12, 1967, Orioles at Yankees Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月2日閲覧。
  2. ^ Jul 27, 1973, Indians at Orioles Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月3日閲覧。
  3. ^ Baseball Awards Voting for 1973” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月3日閲覧。
  4. ^ クレメンス投手が帰ってくる!50歳のロケット再発射”. ZAKZAK (2012年8月26日). 2012年8月26日閲覧。
  5. ^ 藤澤文洋 『メジャーリーグ・スーパースター名鑑』 研究社2003年、117項。ISBN 4-327-37689-2

外部リンク[編集]