デニス・エカーズリー

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デニス・エカーズリー
Dennis Eckersley
Dennis Eckersley.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州オークランド
生年月日 1954年10月3日(59歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1972年 ドラフト3巡目(全体50位)でクリーブランド・インディアンスから指名
初出場 1975年4月12日
最終出場 1998年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2004年
得票率 83.20%
選出方法 BBWAA[1]選出

デニス・リー・エカーズリーDennis Lee Eckersley, 1954年10月3日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身。ニックネームは「Eck」。

経歴[編集]

クリーブランド・インディアンス[編集]

1972年MLBドラフトクリーブランド・インディアンスから3巡目に指名を受け入団。1974年はAA級で14勝3敗・防御率3.40を記録。1975年4月12日ミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。デビューから10試合で1勝2セーブ・防御率0.00を記録し、メジャー初先発となった5月25日オークランド・アスレティックス戦で完封勝利。以降先発ローテーション入りし、新人ながら13勝7敗・防御率2.60の好成績を記録するが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では得票なしだった。1976年は初の開幕投手を務めるが、前半戦は4勝8敗・防御率4.95と不調。8月13日テキサス・レンジャーズ戦では敗戦投手となるもののキャリアハイの14奪三振を記録するなど後半戦で防御率2.41と調子を上げ、13勝12敗・防御率3.43、キャリアハイの200奪三振を記録した。1977年5月30日カリフォルニア・エンゼルス戦でノーヒットノーランを達成。オールスターゲームに選出されるなど14勝を記録した。1978年開幕直前の3月30日に4選手との交換トレードで、フレッド・ケンドールと共にボストン・レッドソックスに移籍。

ボストン・レッドソックス[編集]

4月は0勝だったが5月に5勝を挙げるなど前半戦で10勝を記録。後半戦で防御率2.62・11完投と調子を上げ、リーグワーストの30被本塁打ながら20勝8敗・防御率2.99・16完投を記録。チームは一時ニューヨーク・ヤンキースに最大14ゲーム差を付けるが9月に逆転され、シーズン最終戦に同率で並ぶものの、ワンゲームプレイオフで敗れて地区優勝を逃した。サイ・ヤング賞の投票では4位に入る。1979年7月11日から7連続完投を含む8連勝。直後から5連敗を喫するが、17勝10敗・防御率2.99・17完投の好成績。1980年は開幕から不調で5連敗を喫し、5月に離脱するなど12勝14敗に留まる。1981年50日間に及ぶストライキの影響で9勝。1982年は5年ぶりにオールスターゲームに選出されて先発投手を務め、13勝。1983年は5年連続で開幕投手を務めるが不安定な投球が続き、9勝13敗・防御率5.61と不振に陥る。1984年5月25日ビル・バックナーとの交換トレードで、1選手と共にシカゴ・カブスに移籍。

シカゴ・カブス[編集]

移籍後も当初は不安定だったが徐々に復調。10勝・防御率3.03を記録し、チームの地区優勝に貢献。サンディエゴ・パドレスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2連勝で王手をかけた後の第3戦に先発したが、6回途中5失点で敗戦投手。チームはその試合から3連敗で39年ぶりのリーグ優勝を逃した。オフにフリーエージェントとなるが再契約。1985年は好調だったが途中故障で離脱するなど11勝。1986年は6勝11敗・防御率4.57と不本意な成績に終わる。後にこの時期アルコール使用障害によって苦しんでいたことを告白した。1987年開幕直前の4月3日にマイナー3選手との交換トレードで、1選手と共に故郷のオークランド・アスレティックスに移籍。

オークランド・アスレティックス[編集]

移籍後は監督トニー・ラルーサの方針によってリリーフに転向し、ジェイ・ハウエルの故障に伴いクローザーに昇格する。同年は6勝8敗16セーブを記録し復活。1988年は開幕から12連続セーブを記録し、6年ぶりにオールスターゲームに選出される。4勝2敗45セーブ・防御率2.35の成績で最多セーブのタイトルを獲得し、チームの地区優勝の原動力となる。古巣レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは全4試合に登板して4セーブを挙げシリーズMVPを獲得し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦で1点リードの9回裏に満を持して登板。簡単に2死を取ったものの次打者に四球で出塁を許し、代打カーク・ギブソンに逆転サヨナラ2点本塁打を浴び、痛恨のセーブ失敗。圧倒的有利と予想されたチームはドジャースの勢いに飲まれ、1勝4敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票ではフランク・ヴァイオーラに次ぐ2位、MVPの投票では5位に入った。1989年は故障で1ヶ月半離脱するが、4勝33セーブ・防御率1.56を記録。57.2イニングで僅か3四球と抜群の制球力を発揮し、チームは地区連覇。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは3セーブを記録し、リーグ連覇を果たす。「ベイエリア・シリーズ」となったサンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズではロマ・プリータ地震によって10日間中断するが、第4戦でセーブを記録し4連勝で自身初のワールドチャンピオンに輝いた。1990年はシーズンを通じて防御率が1点を越えることが一度もなく、4勝2敗48セーブ・防御率0.61、セーブ失敗は僅か2で73.1イニングで4四球と抜群の安定感を見せ、チームは地区3連覇を果たす。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2セーブを挙げ、チームは4連勝でリーグ3連覇。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第2戦で同点の9回から登板し、10回裏にサヨナラ安打を浴びて敗戦投手。チームは4連敗で敗退した。1991年はやや安定感を欠きながらも43セーブを記録したが、チームは地区4位に終わる。1992年は開幕から36連続セーブ成功と復活し、7勝1敗51セーブ・防御率1.91、80イニングで93奪三振の好成績で2度目の最多セーブを獲得し、チームの2年ぶり地区優勝に貢献。ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦ではセーブを記録するが、第4戦で8回途中からリードを守るべく登板したが打ち込まれ、9回にロベルト・アロマーに2点本塁打を浴びて同点に追い付かれてセーブに失敗し、延長の末敗れる。チームは2勝4敗で敗退した。オフにサイ・ヤング賞とMVPをダブル受賞。クローザーが2つの賞を同時に獲得したのはローリー・フィンガーズウィリー・ヘルナンデスに次いで3人目だった。1993年は36セーブを挙げたものの防御率4.16、セーブ失敗が10と今ひとつ。1994年は開幕から3回連続でセーブに失敗するなど不振で、232日間に及ぶ長期ストライキでシーズンが打ち切られたこともあり19セーブに留まった。40歳となった1995年は29セーブを記録するが防御率4.83、セーブ失敗9と衰えが見え始める。1996年2月13日に1対1の交換トレードで、恩師ラルーサが監督に就任したセントルイス・カーディナルスに移籍。

セントルイス・カーディナルス[編集]

同年は30セーブ・防御率3.30を記録し、チームは地区優勝。パドレスとのディヴィジョンシリーズでは全3試合に登板し3セーブ。アトランタ・ブレーヴスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは1勝1セーブを記録するが、チームは王手をかけてから3連敗を喫し3勝4敗で敗退。1997年は42歳ながら36セーブを記録。オフにフリーエージェントとなり、12月9日にレッドソックスと契約。

以後[編集]

1998年はセットアッパーとして起用されたが、一時防御率が10点を越えるなど不調。故障もあって6月から約2ヶ月戦線離脱し、実に24年ぶりとなるマイナーリーグでの登板も経験。9月26日ボルティモア・オリオールズ戦で通算1,071試合目の登板を果たし、ホイト・ウィルヘルムのメジャー記録(当時)を更新。これが現役最後の登板となった。同年限りで現役引退。通算390セーブは2012年現在歴代6位。

2004年に資格取得1年目で野球殿堂入り。2005年8月13日背番号43』がアスレティックスの永久欠番に指定された。

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1975 CLE 34 24 6 2 0 13 7 2 -- .650 794 186.2 147 16 90 8 7 152 4 2 61 54 2.60 1.27
1976 36 30 9 3 1 13 12 1 -- .520 821 199.1 155 13 78 2 5 200 6 1 82 76 3.43 1.17
1977 33 33 12 3 3 14 13 0 -- .519 1006 247.1 214 31 54 11 7 191 3 0 100 97 3.53 1.08
1978 BOS 35 35 16 3 3 20 8 0 -- .714 1121 268.1 258 30 71 8 7 162 3 0 99 89 2.99 1.23
1979 33 33 17 2 3 17 10 0 -- .630 1018 246.2 234 29 59 4 6 150 1 1 89 82 2.99 1.19
1980 30 30 8 0 1 12 14 0 -- .462 818 197.2 188 25 44 7 2 121 0 0 101 94 4.28 1.17
1981 23 23 8 2 2 9 8 0 -- .529 649 154.0 160 9 35 2 3 79 0 0 82 73 4.27 1.27
1982 33 33 11 3 3 13 13 0 -- .500 926 224.1 228 31 43 3 2 127 1 0 101 93 3.73 1.21
1983 28 28 2 0 2 9 13 0 -- .409 787 176.1 223 27 39 4 6 77 1 0 119 110 5.61 1.49
1984 9 9 2 0 0 4 4 0 -- .500 270 64.2 71 10 13 2 1 33 2 0 38 36 5.01 1.30
CHC 24 24 2 0 0 10 8 0 -- .556 662 160.1 152 11 36 7 4 81 1 2 59 54 3.03 1.17
'84計 33 33 4 0 0 14 12 0 -- .538 932 225.0 223 21 49 9 5 114 3 2 97 90 3.60 1.21
1985 25 25 6 2 2 11 7 0 -- .611 664 169.1 145 15 19 4 3 117 0 3 61 58 3.08 0.97
1986 33 32 1 0 1 6 11 0 -- .353 862 201.0 226 21 43 3 3 137 2 5 109 102 4.57 1.34
1987 OAK 54 2 0 0 0 6 8 16 -- .429 460 115.2 99 11 17 3 3 113 1 0 41 39 3.03 1.00
1988 60 0 0 0 0 4 2 45 -- .667 279 72.2 52 5 11 2 1 70 0 2 20 19 2.35 0.87
1989 51 0 0 0 0 4 0 33 -- 1.000 206 57.2 32 5 3 0 1 55 0 0 10 10 1.56 0.61
1990 63 0 0 0 0 4 2 48 -- .667 262 73.1 41 2 4 1 0 73 0 0 9 5 0.61 0.61
1991 67 0 0 0 0 5 4 43 -- .556 299 76.0 60 11 9 3 1 87 1 0 26 25 2.96 0.91
1992 69 0 0 0 0 7 1 51 -- .875 309 80.0 62 5 11 6 1 93 0 0 17 17 1.91 0.91
1993 64 0 0 0 0 2 4 36 -- .333 276 67.0 67 7 13 4 2 80 0 0 32 31 4.16 1.19
1994 45 0 0 0 0 5 4 19 -- .556 193 44.1 49 5 13 2 1 47 0 0 26 21 4.26 1.40
1995 52 0 0 0 0 4 6 29 -- .400 212 50.1 53 5 11 0 1 40 0 0 29 27 4.83 1.27
1996 STL 63 0 0 0 0 0 6 30 -- .000 251 60.0 65 8 6 2 4 49 0 0 26 22 3.30 1.18
1997 57 0 0 0 0 1 5 36 -- .167 218 53.0 49 9 8 0 2 45 2 0 24 23 3.91 1.08
1998 BOS 50 0 0 0 0 4 1 1 -- .800 171 39.2 46 6 8 3 2 22 0 0 21 21 4.76 1.36
通算:24年 1071 361 100 20 21 197 171 390 -- .535 13534 3285.2 3076 347 738 91 75 2401 28 16 1382 1278 3.50 1.16
  • 各年度の太字はリーグ最高

外部リンク[編集]