アル・シモンズ

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アル・シモンズ
Al Simmons
AlSimmonsGoudeycard.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ウィスコンシン州ミルウォーキー
生年月日 1902年5月22日
没年月日 1956年5月26日(満54歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
初出場 1924年4月15日
最終出場 1944年7月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1953年
得票率 75.38%
選出方法 BBWAA[1]選出

アル・シモンズAloysius Harry "Al" Simmons, 1902年5月22日 - 1956年5月26日)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。愛称は「Bucketfoot Al」(バケットフット・アル)。

経歴[編集]

ポーランド系移民の一家に、アル・シマンスキ(Al Szymanski)として生まれる。1923年フィラデルフィア・アスレチックスと契約し、その際に登録名をアル・シモンズとした。オープンスタンスから上げた左足を三塁方向へ下ろす独特のバッティングフォームが、まるでバケツに足を突っ込んでいるように見えたため、「バケットフット」の愛称がついた。

1924年メジャーデビューし、いきなり打率3割、100打点を記録。1925年は当時歴代2位の253安打を放って打率.387、24本塁打、129打点。MVPの投票でロジャー・ペキンポーに次ぐ2位に食い込んだ。1929年からチームが3年連続リーグ優勝、2年連続ワールドシリーズ制覇(1931年セントルイス・カージナルスに敗退)した際は3番ジミー・フォックスの後の4番に座り、1929年打点王1930年、1931年は2年連続首位打者を獲得した。1931年はシーズン開幕まで契約問題でチームと揉めていたが、開幕日に大恐慌の当時としては破格の3年10万ドルで契約した。ちなみに当日の開幕試合では本拠地シャイブ・パークの屋根を直撃する特大のホームランを放っている。

1932年オフにチームの資金難からシカゴ・ホワイトソックスに放出。1933年に初開催されたオールスターでは、ファン投票によって最多得票。その後古巣アスレチックスを含めいくつかのチームを転々とした後、1944年42歳で引退した。通算打率.334は20世紀以降の右打者としては歴代5位であり、1925年 - 1934年の10年間は打撃3部門でいずれもリーグ10位以内を記録。当時のアスレチックス監督コニー・マックの大のお気に入り選手だった。マックはシモンズの移籍後も監督室にシモンズの写真を飾っていたという。

1953年アメリカ野球殿堂入り。1956年5月26日、故郷ウィスコンシン州にて死去。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]













































O
P
S
1924 PHA 152 644 594 69 183 31 9 8 256 102 16 15 18 30 2 60 -- .308 .343 .431 .774
1925 153 696 654 122 253 43 12 24 392 129 7 14 6 35 1 41 -- .387 .419 .599 1.018
1926 147 642 583 90 199 53 10 19 329 109 11 3 10 48 1 49 -- .341 .392 .564 .956
1927 106 458 406 86 159 36 11 15 262 108 10 2 20 31 1 30 -- .392 .436 .645 1.081
1928 119 509 464 78 163 33 9 15 259 107 1 4 11 31 3 30 -- .351 .396 .558 .954
1929 143 629 581 114 212 41 9 34 373 157 4 3 16 31 1 38 -- .365 .398 .642 1.040
1930 138 611 554 152 211 41 16 36 392 165 9 2 17 39 1 34 -- .381 .423 .708 1.131
1931 128 563 513 105 200 37 13 22 329 128 3 3 0 47 3 45 -- .390 .444 .641 1.085
1932 154 718 670 144 216 28 9 35 367 151 4 2 0 47 1 76 -- .322 .368 .548 .916
1933 CWS 146 648 605 85 200 29 10 14 291 119 5 1 2 39 2 49 -- .331 .373 .481 .854
1934 138 613 558 102 192 36 7 18 296 104 3 2 0 53 2 58 -- .344 .403 .530 .933
1935 128 561 525 68 140 22 7 16 224 79 4 6 1 33 2 43 -- .267 .313 .427 .740
1936 DET 143 620 568 96 186 38 6 13 275 112 6 4 1 49 2 35 -- .327 .383 .484 .867
1937 WSS 103 453 419 60 117 21 10 8 182 84 3 2 3 27 4 35 -- .279 .329 .434 .763
1938 125 512 470 79 142 23 6 21 240 95 2 1 2 38 2 40 -- .302 .357 .511 .868
1939 BSB 93 358 330 39 93 17 5 7 141 43 0 -- 4 22 2 40 13 .282 .331 .427 .758
CIN 9 23 21 0 3 0 0 0 3 1 0 -- 0 2 0 3 0 .143 .217 .143 .360
'39計 102 381 351 39 96 17 5 7 144 44 0 -- 4 24 2 43 13 .274 .324 .410 .734
1940 PHA 37 85 81 7 25 4 0 1 32 19 0 0 0 4 0 8 4 .309 .341 .395 .736
1941 9 25 24 1 3 1 0 0 4 1 0 0 0 1 0 2 2 .125 .160 .167 .334
1942 試合出場なし
1943 BOS 40 141 133 9 27 5 0 1 35 12 0 1 0 8 0 21 3 .203 .248 .263 .511
1944 PHA 4 6 6 1 3 0 0 0 3 2 0 0 0 0 0 0 1 .500 .500 .500 1.000
通算:20年 2215 9515 8759 1507 2927 539 149 307 4685 1827 88 65 111 615 30 737 23 .334 .380 .535 .915

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

  • 首位打者:2回 (1930年、1931年)
  • 打点王:1回 (1929年)
  • 最多安打:2回 (1925年、1932年)
  • オールスター出場:3回 (1933年、1934年、1935年)
  • 通算1500安打到達までの試合数は1040で、これは1900年以降では最少である。
  • 通算2000安打到達までの試合数は1390で、これは1900年以降では最少である。
  • デビューから1000試合出場時点での通算安打数 (1443本) は、1900年以降では1位の記録である。[1]

脚注[編集]

  1. ^ 2007年5月に1000試合出場を達成したイチローが通算安打数1414本(同2位)でこの記録に迫り、注目されることとなった。

外部リンク[編集]