フランク・ベーカー (1886年生の内野手)

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フランク・ベーカー
Frank Baker
Frank Baker.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 メリーランド州トラッペ
生年月日 1886年3月13日
没年月日 1963年6月28日(満77歳没)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
173 lb =約78.5 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 三塁手
初出場 1908年9月21日
最終出場 1922年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1955年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ホームラン・ベーカーことフランク・ベーカー(John Franklin "Home Run" Baker, 1886年3月13日 - 1963年6月28日) は、1910年代アメリカメジャーリーグで活躍した野球選手。ポジションは三塁手メリーランド州生まれ。右投げ左打ち。現代のように本塁打が量産されなかった1910年代に、4年連続のリーグ最多本塁打を記録した。

略歴[編集]

1908年、当時コニー・マックが率いていたフィラデルフィア・アスレチックスに入団、メジャーデビューを果たした。翌年からチームは躍進し、1910年から1914年の5年間でアメリカンリーグを4度制覇、ベーカーは一塁手スタフィー・マッキニス二塁手エディ・コリンズ遊撃手ジャック・バリーらとともに、「10万ドルの内野陣」の一人として活躍した。

彼が「ホームラン・ベイカー」とあだ名されるようになったのは、1911年ニューヨーク・ジャイアンツとのワールドシリーズで、劇的な2本の本塁打を放ったことによる。第2戦にルーブ・マーカード投手から決勝本塁打を放ってチームを勝利に導き、続く第3戦では、当時の大投手クリスティ・マシューソンから9回に同点本塁打を放って、チームをワールドシリーズ制覇に導いた。

しかし1915年はチームとの契約がこじれて試合に出場せず、翌1916年、37,500ドルの移籍金でニューヨーク・ヤンキースに移籍するが、目立った活躍はできなかった。引退前年の1921年は、同じヤンキースでベーブ・ルースが59本塁打を放った年であり、彼はチームメイトとして、ルースの本塁打量産を目の当たりにしていたことになる。 1922年に現役を引退。この時期の選手としては珍しく、現役を通じて三塁以外のポジションを守ったことがなかった。ベーカーは引退後マイナーリーグの監督をつとめるが、監督時代に後に殿堂入りした強打者ジミー・フォックスを見出したとされている。

1955年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1963年、生まれ故郷のメリーランド州で死去。

特筆[編集]

メジャーリーグは、1920年に飛ぶボールの導入とスピットボール(ボールに液体をつけたり、傷をつけたりして投げる行為)の禁止によりライブボール時代に突入、この年を境にして本塁打数が激増した歴史がある。ベーカーの通算本塁打数は96だが、これは殆どがボールがよく飛ぶようになる以前の成績である。ベーカーが本塁打王になった年の、アメリカンリーグ全体の本塁打数は以下の通り。

  • 1911年-198本
  • 1912年-156本
  • 1913年-159本
  • 1914年-158本
※参考:1921年-477本(ベーブ・ルースが59本塁打を記録した年)

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]





































O
P
S
1908 P
H
A
9 31 5 9 3 0 0 12 2 0 0 2 - .290 .290 .387 .677
1909 148 541 73 165 27 19 4 242 85 26 5 34 - .305 .343 .447 .820
1910 146 561 83 159 25 15 2 220 74 34 4 21 - .283 .329 .392 .721
1911 148 592 96 198 42 14 11 301 115 40 2 25 - .334 .379 .508 .887
1912 149 577 116 200 40 21 10 312 130 50 6 11 - .347 .404 .541 .945
1913 149 564 116 190 34 9 12 278 117 63 10 7 31 .337 .413 .493 .906
1914 150 570 84 182 23 10 9 252 89 53 3 8 37 .319 .380 .442 .822
1916 N
Y
Y
100 360 46 97 23 2 10 154 52 36 5 1 30 .269 .344 .428 .772
1917 146 553 57 156 24 2 6 202 71 48 5 7 27 .282 .345 .365 .710
1918 126 504 65 154 24 5 6 206 62 38 2 12 13 .306 .357 .409 .766
1919 141 567 70 166 22 1 10 220 83 44 2 9 18 .293 .346 .388 .734
1921 94 330 46 97 16 2 9 144 71 26 4 9 12 .294 .353 .436 .789
1922 69 234 30 65 12 3 7 104 36 15 2 7 14 .278 .327 .444 .771
Total 1575 5984 887 1838 315 103 96 2647 987 473 50 153 182 .307 .363 .442 .805

タイトル・表彰・記録[編集]

  • 最多本塁打:4回(1911年~1914年)
  • 打点王:2回(1912年、1913年)
  • ワールドシリーズ出場:6回(1910年、1911年、1913年、1914年、1921年、1922年)

出典・外部リンク[編集]