ホセ・カンセコ

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ホセ・カンセコ
José Canseco
Jose Canseco 2009.jpg
基本情報
国籍 キューバの旗 キューバ
出身地 ハバナ
生年月日 1964年7月2日(47歳)
身長
体重
6' 4" =約193cm
250 lb =約113.4kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手指名打者
プロ入り 1982年 MLBドラフト15巡目
初出場 1985年9月2日
最終出場 2001年10月6日
経歴(括弧内は在籍年)
ホセ・カンセコ
基本情報
本名 ホセ・カンセコ・カパス・ジュニア
(José Canseco Capas, Jr.)
通称 メジャー最強ホームラン王
国籍 キューバの旗 キューバ
誕生日 1964年7月2日(47歳)
出身地 キューバの旗 キューバ ハバナ
所属 フリー
身長 193cm
体重 115kg
階級 ヘビー級
スタイル 野球
ムエタイ
テーマ曲 ワイルド・シング

ホセ・カンセコJosé Canseco Capas, Jr. , 1964年7月2日 - )は、キューバ出身のプロ野球選手外野手)、格闘家

現在は、独立リーグノース・アメリカン・リーグに所属するユマ・スコーピオンズの選手兼任監督。

元プロ野球選手のオジー・カンセコ一卵性双生児の兄。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] 活躍

1964年に革命直後のキューバで産まれたが、カンセコが幼児の頃に家族・従兄弟・親戚と一緒にアメリカフロリダ州マイアミに亡命。マイアミにはキューバ人のコミュニティーが形成されており、ラファエル・パルメイロもやはり幼少期にキューバからマイアミに移住していた。大学へは進学せず、1982年MLBドラフト15巡目でオークランド・アスレチックスに入団。

1985年メジャーデビューを果たし、初のフルシーズンとなった翌1986年に33本塁打を打ち、アメリカンリーグ新人王を獲得するなど早い段階で才能を開花。同年オフには日米野球でメジャーリーグオールスターの一員として来日。日本のファンにも大きなホームランで強い印象を植え付けた。翌1987年にルーキーながら49本塁打を打ち鮮烈にデビューしたマーク・マグワイアと二人合わせて“バッシュ・ブラザーズ”として知られるようになる。

1988年のシーズン前には「40-40(40本塁打40盗塁)を狙う」と公言。当時この記録は達成者はなく、メディアの対応も冷ややかであったが、このシーズンにカンセコは見事メジャー史上初の1シーズン40本塁打・40盗塁の達成者となり、アメリカンリーグMVPに選出された。同年アスレチックスをワールドシリーズに導くものの、ロサンゼルス・ドジャースに1勝4敗で敗退。同年のワールドシリーズでは第1打席で満塁本塁打を放ったが、その後はドジャース投手陣に抑え込まれたのも影響した。カンセコが記録したヒットは第1戦の満塁ホームランによる1本だけで、打率.053と不振だった。

1989年は左手首骨折によりシーズンの半分を欠場するものの、17本塁打を放つ。2年連続でワールドシリーズへコマを進めたアスレチックスの相手はサンフランシスコ湾を挟んで本拠を構えるサンフランシスコ・ジャイアンツで、ベイエリア決戦と注目を浴びた。この年のワールドシリーズはサンフランシスコ・ベイエリアを襲った大地震により第3戦が延期(10日間)されたが、アスレチックスが4連勝で1974年以来となるワールドシリーズ制覇を果たす。カンセコも4試合で打率.357をマークし、前年の屈辱を晴らした。

1990年に37本塁打を放ち怪我からの回復を印象付ける活躍を見せるものの、後々再発する事になる背中の違和感を覚え始めたのもこのシーズンであった。3年連続でチームはワールドシリーズへの出場を果たしたが、このシリーズはシンシナティ・レッズに4連敗し敗退。自身は4試合でヒットわずか1本と不振を極めたため、途中でスタメンから外された。

1991年にも44本塁打を放つ。MVP投票でもカル・リプケンセシル・フィルダーフランク・トーマスに次ぐ4位の得票。アスレチックス球団史上ではジミー・フォックス(3回)以来の快挙である2回目のシーズン40HR以上を記録した。ここが彼のキャリアのピークとなった。1992年シーズン中にテキサス・レンジャーズへトレードされた。

[編集] 低迷

1993年5月26日の対クリーブランド・インディアンス戦で、カルロス・マルティネスの打った外野飛球を見失ったカンセコはボールをヘディングしてしまい、そのままフェンスを越え本塁打としてしまう「珍プレー」を演じ、試合後、プロサッカークラブのハリスバーグ・ヒートはカンセコにサッカー選手としてのオファーを出したという。そして、その3日後、大差でリードされていた対ボストン・レッドソックス戦で、投手としてリリーフ登板することを志願(ファンサービスの一環として)。投手としてのメジャーデビューを果たしたが、肘を怪我してしまい残りのシーズンを棒に振り、トミー・ジョン手術を受ける事となった。

この頃から私生活でのトラブルも目立つこととなり、元妻エッサー・ハダッド(1988年11月に結婚、1991年に離婚)の車にわざと自分の車をぶつけたりするなどとDVで訴えられた出来事が彼の一連の訴訟やトラブルの始まりとなった。前後するが、1991年にはマドンナと不倫関係にあったことを後年暴露している[1]1996年8月にジェシカ・シークリーと再婚したが、翌年11月に暴行の疑いで逮捕。接見禁止とカウンセリングを受講する事との判決が出され、1999年に正式に離婚が成立した。2001年10月には兄オジーと一緒にマイアミ・ビーチのナイトクラブでカリフォルニア州からの旅行客2人と喧嘩になり、片方は鼻骨折、もう片方は唇に20針の大怪我を負わせてしまい略式起訴となった。

トロント・ブルージェイズでプレーしていた1998年は復活し、46本塁打を放ち29盗塁を記録。盗塁数は40盗塁を記録した1988年以来最多だった。しかし、翌1999年タンパベイ・デビルレイズに移籍し、114試合で34本塁打を打ちMLBオールスターにも選ばれたが、背中を怪我してしまい椎間板ヘルニアの手術を受ける。シーズン終盤は欠場した。

2000年には5月中旬から約2ヶ月の故障者リスト入り。ウェーバーに乗った後ニューヨーク・ヤンキースと契約したが、目立った活躍は見られなかった。自身10年ぶりになるワールドシリーズの出場も果たしたが、出場機会は代打による1打席のみであった(結果は三振)。

2001年は春季キャンプでアナハイム・エンゼルスに解雇された後、シーズン前半は独立リーグアトランティックリーグ)のニューアーク・ベアーズでプレーし、後半はシカゴ・ホワイトソックスと契約。2002年にも契約したモントリオール・エクスポズからシーズン前に解雇されると、同年5月に引退を発表。2004年にはロサンゼルス・ドジャースから現役復帰を試みたが、結局実ることは無かった。通算462本塁打は歴代26位。

一時期カンセコはラテン選手としては最多本塁打記録を保持していたが、後にラファエル・パルメイロとソーサによって破られた。

[編集] 独立リーグでのキャリア

2006年6月29日には独立リーグゴールデンベースボールリーグサンディエゴ・サーフドーグズと1年契約を結んだ。6度のMLBオールスターゲーム出場経験があるカンセコだが、独立リーグでの給料はリーグで定められている最高額の月給2500ドルであった。リーグ発表によると、カンセコは薬物検査に協力すると述べているとされている。しかし、直後の7月5日には、ロングビーチ・アーマーダにトレードされる。カンセコ本人のリクエストによるもので、理由は“家庭内事情”と述べている。7月31日のリーグホームランダービーでは優勝を飾った。同リーグのオールスターゲームでは余興として投手も務めた(結果は、1/3回を投げ、打者5人に対し3安打1四球4失点)。

2010年8月14日、独立リーグユナイテッドリーグ・ベースボールラレド・ブロンコスと指名打者兼ベンチコーチとして契約した。

2011年4月11日、独立リーグノース・アメリカン・リーグユマ・スコーピオンズ選手兼任監督に就任した。

[編集] ステロイド疑惑

2005年アメリカCBS放送の人気番組「60ミニッツ」で自身が過去に筋肉増強剤を使用していたことを告白し、メジャーリーガーの多くが使用していると指摘し話題となった。同年に出版した暴露本 『Juiced[2] で自身のステロイド剤使用を認めた[3]。 また、カンセコはメジャー選手の85%にも渡る人数がステロイド剤を使用している、もしくは使用した事があると述べ、アメリカ球界に波紋を呼んだ。特にマグワイア、ジェイソン・ジアンビ、パルメイロ、イバン・ロドリゲスフアン・ゴンザレスらは実名で書かれ、カンセコ自身が注射したと書かれている。ほとんどの名指しされた選手はステロイド剤使用を否定した中、ジアンビはBALCO事件の法廷で使用を認める発言をした。また、この本は上記の実名選手を名指ししている内容もさることながら、全体的に『薬物使用はフェアでないと知っていながらつい使ってしまった』というような罪の告白でなく、『ステロイドって凄い薬だ! ホームランもガンガン打てるしアレもでっかくなってモテモテで超ハッピー。副作用も全然無いね。みんなもやりなよ!』というステロイド剤使用を推奨する論調で、不謹慎であるとして批判を多く浴び、結果として本が有名になってしまい、ベストセラーとなった。

ステロイド疑惑に関するアメリカ議会のヒアリングでは、パルメイロが自身の薬物使用を否定した一方で、マグワイアは自身の使用に関する質問に対する返答を拒んだりする等不審な答弁が目立った。なお、パルメイロは2005年8月1日にステロイド検査で陽性となり、10日間の出場停止処分を受けた。

[編集] 総合格闘技選手として

2009年5月26日、44歳にして総合格闘技初挑戦。DREAM.9のスーパーハルクトーナメント1回戦でチェ・ホンマンと対戦し、パウンドでKO負け。

[編集] 詳細情報(野球)

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1985 OAK 29 100 96 16 29 3 0 5 47 13 1 1 0 0 4 0 0 31 1 .302 .330 .490 .820
1986 157 682 600 85 144 29 1 33 274 117 15 7 0 9 65 1 8 175 12 .240 .318 .457 .775
1987 159 691 630 81 162 35 3 31 296 113 15 3 0 9 50 2 2 157 16 .257 .310 .470 .780
1988 158 705 610 120 187 34 0 42 347 124 40 16 1 6 78 10 10 128 15 .307 .391 .569 .959
1989 65 258 227 40 61 9 1 17 123 57 6 3 0 6 23 4 2 69 4 .269 .333 .542 .875
1990 131 563 481 83 132 14 2 37 261 101 19 10 0 5 72 8 5 158 9 .274 .371 .543 .914
1991 154 665 572 115 152 32 1 44 318 122 26 6 0 6 78 8 9 152 16 .266 .359 .556 .915
1992 97 421 366 66 90 11 0 22 167 72 5 7 0 4 48 1 3 104 15 .246 .335 .456 .791
TEX 22 91 73 8 17 4 0 4 33 15 1 0 0 0 15 1 3 24 1 .233 .385 .452 .837
'92計 119 512 439 74 107 15 0 26 200 87 6 7 0 4 63 2 6 128 16 .244 .344 .456 .799
1993 60 253 231 30 59 14 1 10 105 46 6 6 0 3 16 2 3 62 6 .255 .308 .455 .763
1994 111 505 429 88 121 19 2 31 237 90 15 8 0 2 69 8 5 114 20 .282 .386 .552 .939
1995 BOS 102 450 396 64 121 25 1 24 220 81 4 0 0 5 42 4 7 93 9 .306 .378 .556 .934
1996 96 432 360 68 104 22 1 28 212 82 3 1 0 3 63 3 6 82 7 .289 .400 .589 .989
1997 OAK 108 446 388 56 91 19 0 23 179 74 8 2 0 4 51 1 3 122 15 .235 .325 .461 .786
1998 TOR 151 658 583 98 138 26 0 46 302 107 29 17 0 4 65 5 6 159 7 .237 .318 .518 .836
1999 TB 113 502 430 75 120 18 1 34 242 95 3 0 0 7 58 3 7 135 14 .279 .369 .563 .931
2000 61 264 218 31 56 15 0 9 98 30 2 0 0 1 41 1 4 65 5 .257 .383 .450 .832
NYY 37 137 111 16 27 3 0 6 48 19 0 0 0 3 23 1 0 37 2 .243 .365 .432 .797
'00計 98 401 329 47 83 18 0 15 146 49 2 0 0 4 64 2 4 102 7 .252 .377 .444 .820
2001 CWS 76 306 256 46 66 8 0 16 122 49 2 1 0 4 45 1 1 75 4 .258 .366 .477 .843
通算:17年 1887 8129 7057 1186 1877 340 14 462 3631 1407 200 88 1 81 906 64 84 1942 178 .266 .353 .515 .867
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 獲得タイトル・表彰・記録

[編集] 総合格闘技戦績

総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
1 1 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× チェ・ホンマン 1R 1:17 KO(パウンド DREAM.9 フェザー級グランプリ2009 2nd ROUND
【スーパーハルクトーナメント 1回戦】
2009年5月26日

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 出典・脚注

  1. ^ 【イタすぎるセレブ達】あのホセ・カンセコがマドンナとの不倫を激白!
  2. ^ 日本語訳版はJose Canseco 『禁断の肉体改造』 ナガオ勝司訳、ベースボール・マガジン社、2005年。ISBN 978-4583038735
  3. ^ Jose Canseco (2006). Juiced: Wild Times, Rampant 'roids, Smash Hits, And How Baseball Got Big. Regan Books. ISBN 978-0060746414. 
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