ウォーリー・ピップ

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ウォーリー・ピップ
Wally Pipp
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 イリノイ州シカゴ
生年月日 1893年2月17日
没年月日 1965年1月11日(満71歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
初出場 1913年7月29日
最終出場 1928年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウォーリー・ピップ(Wally Pipp)ことウォルター・クレメント・ピップWalter Clement Pipp, 1893年2月17日 - 1965年1月11日)は、メジャーリーグプロ野球選手内野手)。

ニューヨーク・ヤンキースでは二度の本塁打王を獲得。ピップの欠場がルー・ゲーリッグの連続試合出場のきっかけとなったことで知られる。

来歴・人物[編集]

アメリカ・カトリック大学在学中、デトロイト・タイガースで12試合に出場。

大学卒業後の1915年ニューヨーク・ヤンキースに入団し、以後一塁手のレギュラーとして活躍。1916年には12本塁打を放ち、ヤンキース球団史上初のア・リーグ本塁打王となる。翌1917年も二年連続で本塁打王となった。1921年からのリーグ三連覇、1923年のワールドシリーズ制覇に貢献。また、その頃コロンビア大学に在学していたルー・ゲーリッグを見出し、自らの後継者としてミラー・ハギンス監督に獲得を進言したという。

1925年6月2日、ハギンス監督は不振の上頭痛を訴えたピップに代え、ゲーリッグをスタメンに起用する。これは当時のヤンキースでちょくちょく行われていたスタメン変更のひとつであったが、ゲーリッグはこのチャンスを掴みレギュラーに定着。これが2130試合連続出場記録の始まりとなった。さらにその一ヵ月後ピップは練習中に頭蓋骨骨折の怪我を負い、シーズン終了後にはシンシナティ・レッズにトレードされた。以後3シーズンはレッズで活躍し、1928年限りで現役を引退。通算226犠打はヤンキースの球団記録である。

その後はスポーツ・イラストレイテッド初のライターの一人として活躍した。

1965年ミシガン州グランドラピッズにて死去。グランドラピッズのウッドローン墓地に埋葬されている。

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

試合 打数 安打 二塁打 三塁打 本塁打 得点 打点 盗塁 三振 四球 死球 犠打 打率 出塁率 長打率
1872 6914 1941 311 148 90 974 998 125 551 596 38 272 .281 .341 .408

獲得タイトル・記録[編集]

外部リンク[編集]