オジー・カンセコ

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オジー・カンセコ
Ozzie Canseco
ネクセンヒーローズ #04
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 キューバの旗 ハバナ
生年月日 1964年7月1日(47歳)
身長
体重
6' 2" =約188cm
225 lb =約102.1kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1982年 MLBドラフト2巡目
初出場 MLB / 1990年7月18日
最終出場 MLB / 1993年5月13日
経歴(括弧内は在籍年)

オジー・カンセコOsvaldo "Ozzie" Canseco Capas , 1964年7月2日 - )は、キューバ出身の元プロ野球選手外野手)。

一卵性双生児の弟のホセ・カンセコも元メジャーリーガー

目次

[編集] 来歴・人物

幼少期に家族・従兄弟・親戚と一緒と共に、キューバからアメリカ合衆国フロリダ州マイアミに亡命。

コーラルパーク高校からマイアミ・デード短大に進学し、1982年MLBドラフト2巡目でニューヨーク・ヤンキースに指名され契約。当初は投手として登録されていたが、マイナーリーグ1984年には外野手としても出場し、しばらく二足のわらじを履くことになる。1986年オークランド・アスレチックスにトレードされると、完全に外野手に転向したが、それでもマイナーで稀に投手として登場することがあった。

双子の弟のホセは早々とメジャーで華々しい活躍を見せたがオジーはなかなか芽が出ず、メジャーデビューはプロ入り8年目の1990年だった(同年は9試合に出場)。

1991年近鉄バファローズに入団し、来日。あのホセ・カンセコの実兄いうことで話題になり、ファンも大いに期待した。しかし同年の近鉄にはラルフ・ブライアントジム・トレーバーという実績のある大物助っ人外国人が名を連ねており、球団としては第三の外国人という扱いにすぎなかった。シーズン中にブライアントが故障し、カンセコにチャンスが訪れたかと思われたが、ファームで中途半端な成績しか挙げていなかったため、近鉄は新外国人ジェシー・リードを獲得し、彼をブライアントの代わりに抜擢した。しかも、当時は外国人の登録は1チーム3人までという規定があったため、カンセコは一軍に昇格することなく任意引退となった。球団としては翌年も契約する意志があったために自由契約ではなく任意引退という処置をとったのだが、これではファームの試合に出場することもできないため、納得できなかったカンセコはシーズンの途中で退団し、帰国した。

その後1992年セントルイス・カージナルスと契約し、メジャー出場するものの数試合しか出場できず、1994年に移籍したミルウォーキー・ブルワーズではメジャー出場することはなく、同年限りで引退を表明。

1998年独立リーグで復帰を果たす。

2000年にはニューアーク・ベア―ズでリーグ記録の48本の本塁打を放ち、リーグMVPを受賞している。

2001年韓国ロッテ・ジャイアンツと契約するが、一軍戦に1試合も出場しないまま解雇された。解雇後は前年に在籍したニューアーク・ベアーズに復帰した。

2010年にはアメリカ独立リーグユナイテッド・リーグラレド・ブロンコスでプレーした。

2011年にホセ・カンセコが監督を務めるアメリカ独立リーグノース・アメリカン・リーグユマ・スコーピオンズに選手兼任のコーチとして就任した。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績

















































O
P
S
1990 OAK 9 20 19 1 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 1 0 0 10 0 .105 .150 .158 .308
1992 STL 9 36 29 7 8 5 0 0 13 3 0 0 0 0 7 0 0 4 1 .276 .417 .448 .965
1993 6 18 17 0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .176 .222 .176 .399
通算:3年 24 74 65 8 13 6 0 0 19 4 0 0 0 0 9 0 0 17 1 .200 .297 .292 .590

[編集] 背番号

  • 55 (1990年)
  • 35 (1991年)
  • 46 (1992年)
  • 48 (1993年)
  • 27 (2010年)
  • 32 (2011年)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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