オジー・カンセコ

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オジー・カンセコ
Ozzie Canseco
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地  キューバハバナ
生年月日 (1964-07-02) 1964年7月2日(59歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 左翼手
プロ入り 1983年 MLBドラフト2巡目
初出場 1990年7月18日
最終出場 1993年5月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • ユマ・スコーピオンズ (2011)
  • エディンバーグ・ロードランナーズ (2013)

オズワルド・カンセコ・カパスOsvaldo "Ozzie" Canseco Capas , 1964年7月2日 - )は、キューバ共和国ハバナ出身の元プロ野球選手左翼手)。右投げ右打ち。

一卵性双生児の弟のホセ・カンセコも元MLB選手[1]

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

キューバハバナに生まれ、両親がキューバ革命によって財産を没収された。1965年フィデル・カストロ政権が反体制派のアメリカ合衆国への移住を認めた事に伴い、家族と共にフロリダ州マイアミへ移住した。

プロ入り後 - 最初の現役引退[編集]

1982年のMLBドラフト2巡目でニューヨーク・ヤンキースから指名を受けて契約。

当初は投手として登録されていたが、マイナーリーグ1984年には外野手としても出場し、しばらく二足のわらじを履く事になる。

1986年オークランド・アスレチックストレードされると完全に外野手に転向したが、それでもマイナーで時折投手として登場する事があった。

双子の弟のホセ・カンセコは早々とMLBで華々しい活躍を見せたがオジーはなかなか芽が出ず、MLB初出場はプロ入り8年目、1990年7月18日の対クリーブランド・インディアンス戦だった(同年は9試合に出場)。

1991年日本プロ野球近鉄バファローズに入団した。ホセ・カンセコの実兄という事で話題になり、ファンも大いに期待した。しかし同年の近鉄にはラルフ・ブライアントジム・トレーバーという実績のある大物助っ人外国人が名を連ねており、球団では第3の保険用外国人という扱いに過ぎなかった。シーズン中にブライアントが故障し、カンセコにチャンスが訪れたかと思われたが、二軍でも満足な成績を残せていなかったため、近鉄は新外国人ジェシー・リードを獲得し、彼をブライアントの代わりに抜擢した。当時、外国人枠の一軍枠は1チーム2人・契約は3人までという規定があったため、リード獲得のためにカンセコが解雇され、シーズン途中で退団した。

その後は1992年1月15日にセントルイス・カージナルスと契約を結んだものの、MLBでは2年間で15試合出場のみに終わった。

1993年12月14日に移籍したミルウォーキー・ブルワーズではMLBで出場する事はなく、1994年限りで現役引退を表明。

北米独立リーグ時代[編集]

1998年北米独立リーグノーザンリーグで現役復帰を果たした。この年はダルース・スペリオル・デュークスファーゴ・ムーアヘッド・レッドホークスに所属した。

1999年リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルタバスコ・ガナドレスモンテレイ・サルタンズに所属した。

2000年にはアトランティックリーグニューアーク・ベアーズで独立リーグの歴代最多記録となるシーズン48号本塁打を放ち[2]MVPを受賞した。

2001年韓国プロ野球ロッテ・ジャイアンツと契約を結んだが、一軍戦に1試合も出場しないまま解雇された。解雇後は前年に在籍したニューアーク・ベアーズに復帰した。

2010年は弟のホセと共にユナイテッドリーグ・ベースボールラレド・ブロンコスでプレーした。

2011年は弟が監督に就任したノース・アメリカンリーグユマ・スコーピオンズの選手兼任ベンチコーチを務めた。

2013年4月19日にユナイテッドリーグベースボールのエディンバーグ・ロードランナーズの監督に就任した[3]

選手としての特徴[編集]

人物[編集]

法的トラブル[編集]

2001年10月31日に弟ホセと一緒にマイアミビーチのナイトクラブでカリフォルニア州からの旅行客2人と喧嘩になり、1人は鼻骨折、もう1人は唇に20針の大怪我を負わせた。2002年11月5日に18か月間の保護観察処分と200時間の社会奉仕活動の判決を言い渡された[4]

2003年11月18日に筋肉増強剤であるアナボリックステロイドの不法所持と無免許運転のため、運転免許停止と懲役5ヶ月の判決を言い渡された[5]

2011年1月15日に飲酒運転で逮捕された[6]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1990 OAK 9 20 19 1 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 1 0 0 10 0 .105 .150 .158 .308
1992 STL 9 36 29 7 8 5 0 0 13 3 0 0 0 0 7 0 0 4 1 .276 .417 .448 .965
1993 6 18 17 0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .176 .222 .176 .399
MLB:3年 24 74 65 8 13 6 0 0 19 4 0 0 0 0 9 0 0 17 1 .200 .297 .292 .590

背番号[編集]

  • 55 (1990年)
  • 35 (1991年)
  • 46 (1992年)
  • 48 (1993年)
  • 22 (2001年)

脚注[編集]

  1. ^ Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars” (英語). Bleacherreport.com. 2012年3月25日閲覧。
  2. ^ Jose, Ozzie Canseco introduced as newest Scorpions” (英語). YumaSun.com. 2013年8月31日閲覧。
  3. ^ Ozzie Canseco to coach Roadrunners” (英語). TheMonitor.com. 2013年6月19日閲覧。
  4. ^ Canseco twins plead guilty to felony” (英語). CBC.ca Sports. 2013年3月19日閲覧。
  5. ^ Sentence leveled for steroid, traffic offenses” (英語). ESPN.com. 2013年3月19日閲覧。
  6. ^ “お騒がせ双子”カンセコ氏の兄が飲酒運転で逮捕”. スポニチアネックス. 2013年3月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]