ウォルター・ジョンソン

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ウォルター・ジョンソン
Walter Johnson
Walter Johnson 1924.jpg
1924年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 カンサス州
生年月日 1887年11月6日
没年月日 1946年12月10日(満59歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1907年
初出場 1907年8月2日
最終出場 1927年9月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1936年
得票率 83.63%
選出方法 BBWAA[1]選出

ウォルター・ジョンソンWalter Perry Johnson , 1887年11月6日 - 1946年12月10日)は、主に1910 - 1920年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手カンサス州フンボルト生まれ。右投げ右打ち。ニックネームはThe Big Train(人間機関車)。通算417勝を挙げたMLBを代表する剛速球投手。

来歴・人物[編集]

デビューまで[編集]

野球選手を志すようになったのは、父親が石油事業を始めるためカンザス州からカリフォルニア州に移住した1901年頃のことだった。高校在学中からその球の速さは注目され、高校卒業後すぐに、アイダホ州のアイダホ・ステートリーグのセミプロチームでプレイしていたところをスカウトされる。ただジョンソン自身は、当時田舎暮らしをよしとしていて、都会に出て行くことを渋っていたというが、1907年ワシントン・セネタースとプロ選手としての契約を結ぶ。デビュー戦のデトロイト・タイガースとの試合に勝つことはできなかったが、対戦したタイガースのタイ・カッブは、ジョンソンが並外れた能力を持った投手であることをすぐに察知した。1年目のジョンソンの勝敗は5勝9敗だったが、防御率は1.88と良い数字を残した。

大投手へ[編集]

ジョンソン入団後もしばらくセネタースは下位に低迷し、ジョンソン自身の勝ち星も伸びなかった。しかし、彼は1910年に25勝17敗、防御率1.36、リーグ最多の313奪三振と更に成績を上げ、1912年には防御率と奪三振でリーグトップとなる。ジョンソンに引っ張られる形でようやくセネタースの成績も向上し、この年チームはリーグ2位まで躍進した。

1913年から1919年のジョンソンの活躍は特に凄まじかった。1913年に最多勝最多奪三振最優秀防御率の投手三冠を獲得し、同年のチャルマーズ賞(最優秀選手賞)を受賞した。またこの年から4年連続でのリーグ最多勝利投手、また奪三振数も1912年から1918年まで8年続けてリーグ最多となる。1916年にはリーグ最多の369回を投げながら、ついに1本のホームランも浴びることがなかった。この頃のジョンソンの球速は99マイルはあったといわれ、シンシナティ・レッズのジョージ・ハーパーが2ストライクであきらめてバッターボックスから帰ってしまったこともあった。サム・クロフォード曰く、「音だけは聞こえた」。30歳になった1918年には二度目の投手三冠に輝き、1919年にも最優秀防御率、最多奪三振の2部門でリーグトップとなった。

悲劇と復活[編集]

毎年のようにリーグの投手タイトルをとってきたが、ボールの規格が変わった1920年の成績は8勝10敗、防御率3.13と落ち込んだ。翌1921年にジョンソンを相次いで不幸が襲う。7月に父親が脳卒中で亡くなり、同じ年のシーズンオフには長女がインフルエンザで亡くなった。相次ぐ悲劇にジョンソンは引退を考えていたが、ファンの懇願もあり、それまで一度もなしえていなかったセネタースのリーグ優勝を目標に現役続行を決意する。悲願となったセネタースのリーグ優勝はついに1924年に成し遂げられ、既に36歳になっていたジョンソンも23勝7敗と大活躍、同年は自身3度目となる投手三冠を獲得し、二度目のリーグ最優秀選手に選ばれた。翌1925年には37歳で20勝を達成、セネタースのリーグ2連覇に貢献した。

引退後[編集]

1927年、39歳で現役を引退。21年間で通算417勝279敗、生涯防御率2.17、3508奪三振、110完封、20勝以上12度、防御率2.00以下の年が11度という驚異的な数字が残った。最多奪三振12度は現在でもMLB最多記録である。

引退後1929年から4年間セネタースの監督を務め、その後3年間クリーブランド・インディアンスを指揮した。インディアンスの監督を退いた1936年アメリカ野球殿堂が設立され、ジョンソンは最初に殿堂入りした5人の選手の一人となった。1946年に脳腫瘍のためワシントンD.C.にて死去。

年度別投手成績[編集]













































W
H
I
P
1907 W
H
S
2
14 11 2 5 9 0 .357 110.1 100 1 20 2 70 4 0 35 23 1.88 5.71 1.09
1908 36 23 6 14 14 1 .500 256.1 194 0 53 11 160 13 1 75 47 1.65 5.62 0.96
1909 40 27 4 13 25 1 .342 296.1 247 1 84 15 164 12 0 112 73 2.22 4.98 1.12
1910 45 38 8 25 17 1 .595 370.0 262 1 76 13 313 21 0 92 56 1.36 7.61 0.91
1911 40 36 6 25 13 1 .658 322.1 292 8 70 8 207 17 0 119 68 1.90 5.78 1.12
1912 50 34 7 33 12 2 .733 369.0 259 2 76 16 303 11 0 89 57 1.39 7.39 0.91
1913 48 29 11 36 7 2 .837 346.0 232 9 38 9 243 2 0 56 44 1.14 6.32 0.78
1914 51 33 9 28 18 1 .609 371.2 287 3 74 11 225 14 1 88 71 1.72 5.45 0.97
1915 47 35 7 27 13 4 .675 336.2 258 1 56 19 203 7 0 83 58 1.55 5.43 0.93
1916 48 36 3 25 20 1 .556 369.2 290 0 82 9 228 9 0 105 78 1.90 5.55 1.01
1917 47 30 8 23 16 3 .590 326.0 248 3 68 14 188 7 0 105 80 2.21 5.19 0.97
1918 39 29 8 23 13 3 .639 326.0 241 2 70 8 162 8 0 71 46 1.27 4.47 0.95
1919 39 27 7 20 14 2 .588 290.1 235 0 51 7 147 4 1 73 48 1.49 4.56 0.99
1920 21 12 4 8 10 3 .444 143.2 135 5 27 5 78 5 1 68 50 3.13 4.89 1.13
1921 35 25 1 17 14 1 .548 264.0 265 7 92 2 143 7 0 122 103 3.51 4.88 1.35
1922 41 23 4 15 16 4 .484 280.0 283 8 99 7 105 3 0 115 93 2.99 3.38 1.36
1923 42 18 3 17 12 4 .586 261.0 263 9 73 20 130 2 0 112 101 3.48 4.48 1.29
1924 38 20 6 23 7 0 .767 277.2 233 10 77 10 158 4 0 97 84 2.72 5.12 1.12
1925 30 16 3 20 7 0 .741 229.0 217 7 78 7 108 1 0 95 78 3.07 4.24 1.29
1926 33 22 2 15 16 0 .484 260.2 259 13 73 5 125 2 0 120 105 3.63 4.32 1.27
1927 18 7 1 5 6 0 .455 107.2 113 7 26 7 48 1 0 70 61 5.10 4.01 1.29
Total 802 531 110 417 279 34 .599 5914.1 4913 97 1363 205 3508 154 4 1902 1424 2.17 5.34 1.06
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB最高

タイトル・表彰・記録[編集]

  • アメリカンリーグ最優秀選手:2回(1913年、1924年)
  • 投手三冠:3回(1913年、1918年、1924年)
  • 最多勝利:6回(1913年 - 1916年、1918年、1924年)
  • 最優秀防御率:5回(1912年、1913年、1918年、1919年、1924年)
  • 最多奪三振:12回(1910年、1912年 - 1919年、1921年、1923年、1924年)
  • 通算完封数:110(歴代1位)
  • 通算防御率2.17(歴代8位:投球回2000イニング以上)

打撃成績[編集]

  • 通算成績:933試合、2324打数547安打、本塁打24、打点255、打率.235

監督としての戦績[編集]



















1929 W
S
H
A

L
153 71 81 .467 5
1930 154 94 60 .610 2
1931 156 92 62 .597 3
1932 154 93 61 .604 3
1933 C
L
E
99 48 51 .485 4 6月11日 -
1934 154 85 69 .552 3
1935 96 46 48 .489 3 開幕 - 8月4日
通算成績 966 529 432 .550

出典・外部リンク[編集]