アーリー・ウィン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
アーリー・ウィン
Early Wynn
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州ハートフォード
生年月日 1920年1月6日
没年月日 1999年4月4日(満79歳没)
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 投手
プロ入り 1937年
初出場 1939年9月13日
最終出場 1963年9月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1972年
得票率 76.01%
選出方法 BBWAA[1]選出

アーリー・ウィンEarly Wynn Jr., 1920年1月6日 - 1999年4月4日)は、アメリカ合衆国アラバマ州ハートフォード出身の元プロ野球選手投手)。右投両打。

ニックネームは"Gas"(ガス)。23年間現役を続け通算300勝を挙げた。

経歴[編集]

1937年にワシントン・セネタースとアマチュア契約を結び、1939年にメジャーデビュー。1943年に18勝12敗、防御率2.91の好投を見せ、その後1947年まで防御率3点台の安定した成績を残していたが、1948年に8勝19敗と大きく成績を落とし、クリーブランド・インディアンスにトレードされる。

インディアンスで、ウィンは当時ピッチングコーチをしていたメル・ハーダーから変化球(カーブ、スライダー、チェンジアップ、ナックルボール)の投げ方を指導された。すぐに変化球を習得したウィンは1950年にリーグの最優秀防御率投手となる。インディアンスに在籍した1957年までの間で、シーズン20勝以上を4度達成し、1954年には最多勝投手にもなった。オールスターゲームは1955年に初めて出場したが、この時には既に35歳になっていた。

1957年にトレードでシカゴ・ホワイトソックスに移籍し、1959年に22勝10敗の成績でホワイトソックスのリーグ制覇に貢献、同年のサイ・ヤング賞を受賞した。40歳を過ぎてからは登板機会も減ったが、300勝が目前だったウィンは1963年にインディアンスに復帰、同年300勝を達成して現役を引退した。殿堂入り資格を得て4年目の1972年に、記者投票の得票率76%でアメリカ野球殿堂入り選手に選出される。引退後はトロント・ブルージェイズのラジオ実況解説者を1977年から1980年まで勤めた。1999年フロリダ州で死去。

ウィンは気性が荒く、元々強気の内角攻めを得意とする剛速球投手で、打者達には『最も恐ろしい投手の一人』として知られていた。息子のジョーと遊んでいる時でさえ、2本続けて打たれたらブラッシュ・ボールを投げ込む程だった。打撃練習でウィンが投げていた時、チームメイトのジョー・カニンガムがピッチャー返しを打った。するとウィンは、三球続けてブラッシュ・ボールを投げつけた。ミッキー・マントルにピッチャー返しのヒットを打たれた時などは、次の打席を待たずに報復しようとした。牽制球のふりをしてマントルに豪速球を投げたのである。

また投手でありながらスイッチヒッターであり、そのバッティングにも一目置かれていた。現役通算でウィンは90回代打で登場し、史上4人目となる「投手による代打満塁本塁打」を放ったこともある。

通算成績[編集]

投手成績[編集]
































W
H
I
P
691 612 4564.0 300 49 244 15 2334 4291 338 1775 64 51 1796 3.54 1.33

打撃成績[編集]

  • 通算成績:796試合、1704打数365安打、本塁打17、打点173、打率.214

獲得タイトル・記録[編集]

外部リンク[編集]