ドン・ベイラー

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ドン・ベイラー
Don Baylor
ロサンゼルス・エンゼルス コーチ #25
DonBaylorRockies.png
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州オースティン
生年月日 1949年6月28日(64歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手, 指名打者
プロ入り 1967年 ドラフト2巡目
初出場 1970年9月18日
最終出場 1988年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

ドン・ベイラーDonald Edward Baylor , 1949年6月28日 - )はアメリカMLBで活躍した一塁手外野手及び指名打者。右投右打。 現役引退後は監督・コーチも務める。現在は、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム打撃コーチ。アメリカ合衆国テキサス州オースティン出身。

選手時代[編集]

1967年のドラフト会議でボルチモア・オリオールズに2巡目で指名され入団。後に移籍するオークランド・アスレチックスカリフォルニア・エンゼルスニューヨーク・ヤンキースボストン・レッドソックスミネソタ・ツインズで右の強打者として活躍。

1970年9月18日にオリオールズでメジャーデビューを果たすが、当時全盛期のチームにおいて当初出番は少なく、メジャーに定着するのは1972年以後のこととなった。 1975年には25本塁打を打って不動のレギュラーとなるが、その年限りでレジー・ジャクソンとのトレードでアスレチックスに移籍。アスレチックス在籍も1年のみで、1977年にエンゼルスに移籍。

ここでは水を得た魚のように活躍し、1979年には全162試合に出場して打率.296、本塁打36、打点139(打点王)の活躍でア・リーグMVPに選出される。また、この年にはキャリア唯一のオールスターにも出場。チームも初の地区優勝を果たすが、古巣オリオールズに敗れワールドシリーズ進出はならなかった。シーズン139打点は、現在でもエンゼルスの球団記録である。

1980年には故障のため90試合の出場に終わり、以後のシーズンはほとんど指名打者としての起用となる。また、1979年までは1976年の52盗塁をはじめ240盗塁を記録する俊足であったが、1980年以後は45盗塁と減少。1983年にはヤンキースに移籍し、3年間指名打者として活躍。

そして1986年に移籍したボストン・レッドソックスで160試合に出場して打率こそ.238に終わったが本塁打31、打点94と活躍し、チームのリーグ優勝に貢献。 自身初のワールドシリーズ出場を果たしたが、ニューヨーク・メッツに敗れる。 翌1987年のシーズン終盤には地区優勝争いを繰り広げていたツインズに移籍。ここでもリーグ優勝を果たしてワールドシリーズに進出。 そして、自身唯一のワールドチャンピオンに輝いた。 1988年はアスレチックスに2度目の移籍。この年92試合の出場に終わるが、3年連続違うチームでのワールドシリーズ出場を果たす。 39歳の年齢もあってこの年限りで現役を引退した。

広岡達朗が西武ライオンズの監督を務めていた頃、ベイラーの獲得を熱望していたことがある。前後するが、藤田元司が読売ジャイアンツの監督(2度目)を務めていた頃、キャンプで臨時打撃コーチとして招聘され、背番号42をつけて指導していた。

監督・コーチとして[編集]

現役引退後はまずミルウォーキー・ブルワーズの傘下マイナーで打撃コーチに就任。メジャーのコーチとなって、続いてセントルイス・カージナルスに移籍。 1993年には新設されたコロラド・ロッキーズの初代監督となり、1998年まで務める。 この間、1995年にはチームをワイルドカードでプレイオフに導き、ナ・リーグの最優秀監督賞を受賞する。 1997年までの5年間は363勝384敗で、これはメジャーで新設された球団の最初5年間の成績としては最高である。

1998年限りで解任され、翌1999年アトランタ・ブレーブスでコーチを務め、2000年にはシカゴ・カブスの監督に就任。 2002年のシーズン途中で解任され、2003年2004年はメッツでベンチコーチ(日本のプロ野球でいうヘッドコーチに相当)を務め、2005年シアトル・マリナーズで打撃コーチを務めた。 監督としては、統率力・指導力はあったが選手をガミガミと叱るため一部の選手から不評で、特にサミー・ソーサとは対立した。

マリナーズのコーチ辞任後は、MASNの野球解説者を務めた。 2009年からコロラド・ロッキーズ2011年からはアリゾナ・ダイヤモンドバックスの打撃コーチ。

2013年10月16日ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムの打撃コーチに就任した[1]

プレースタイル[編集]

死球が多く、リーグの死球1位になること8回(1973年1975年1976年1978年1984年から1987年)、通算267死球はMLB歴代4位である(2013年終了時点)[2]。これほど多くの死球を浴びながら39歳まで活躍したのは特筆すべき点である。また、アスレチックス(1976年の20)、ヤンキース(1985年の24)、レッドソックス(1986年の35)の3球団でシーズン死球の球団記録を持っている。これほど死球が多いのはややプレートに覆い被さって構えるベイラーに対して相手投手がインコースを徹底的に攻めたために起こった現象であった[3]

打撃は長打力と巧打力を兼ね備え、守備も上手く、足も速かった。肩の弱さのみが欠点であった。しかし、肩の弱さはMLBでは致命的であった。幸いにも指名打者が採用されているアメリカンリーグでプレーしているために指名打者として多くの試合に出場する事が出来た[3]

受賞歴・記録[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1970 BAL 8 20 17 4 4 0 0 0 4 4 1 1 0 1 2 0 0 3 0 .235 .300 .235 0.535
1971 1 5 2 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 2 0 1 1 0 .000 .600 .000 0.600
1972 102 363 320 33 81 13 3 11 133 38 24 2 2 3 29 0 9 50 9 .253 .330 .416 0.745
1973 118 459 405 64 116 20 4 11 177 51 32 9 0 6 35 3 13 48 11 .286 .357 .437 0.794
1974 137 549 489 66 133 22 1 10 187 59 29 12 3 4 43 6 10 56 10 .272 .341 .382 0.723
1975 145 598 524 79 148 21 6 25 256 76 32 17 4 4 53 8 13 64 12 .282 .360 .489 0.849
1976 OAK 157 685 595 85 147 25 1 15 219 68 52 12 1 11 58 4 20 72 11 .247 .329 .368 0.697
1977 CAL 154 645 561 87 141 27 0 25 243 75 26 12 2 8 62 7 12 76 16 .251 .334 .433 0.768
1978 158 677 591 103 151 26 0 34 279 99 22 9 0 12 56 9 18 71 15 .255 .332 .472 0.804
1979 162 722 628 120 186 33 3 36 333 139 22 12 0 12 71 6 11 51 10 .296 .371 .530 0.901
1980 90 380 340 39 85 12 2 5 116 51 6 6 0 5 24 4 11 32 9 .250 .316 .341 0.657
1981 103 432 377 52 90 18 1 17 161 66 3 3 0 6 42 1 7 51 13 .239 .322 .427 0.749
1982 157 680 608 80 160 24 1 24 258 93 10 4 0 8 57 7 7 69 18 .263 .329 .424 0.754
1983 NYY 144 597 534 82 162 33 3 21 264 85 17 7 2 8 40 11 13 53 10 .303 .361 .494 0.856
1984 134 558 493 84 129 29 1 27 241 89 1 1 1 3 38 6 23 68 10 .262 .341 .489 0.830
1985 142 564 477 70 110 24 1 23 205 91 0 4 1 10 52 6 24 90 10 .231 .330 .430 0.760
1986 BOS 160 687 585 93 139 23 1 31 257 94 3 5 0 5 62 8 35 111 12 .238 .344 .439 0.783
1987 108 409 339 64 81 8 0 16 137 57 5 2 0 6 40 3 24 47 10 .239 .355 .404 0.759
MIN 20 58 49 3 14 1 0 0 15 6 0 1 0 0 5 0 4 12 3 .286 .397 .306 0.703
'87計 128 467 388 67 95 9 0 16 152 63 5 3 0 6 45 3 28 59 13 .245 .360 .392 0.751
1988 OAK 92 313 264 28 58 7 0 7 86 34 0 1 0 3 34 2 12 44 7 .220 .332 .326 0.658
通算:19年 2292 9401 8198 1236 2135 366 28 338 3571 1276 285 120 16 115 805 91 267 1069 196 .260 .342 .436 0.777
  • 太字はリーグ1位。

監督成績[編集]

年度 チーム リーグ
地区
試合 勝利 敗戦 勝率 順位
1993年 COL NL
西地区
162 67 95 .414 6 / 7
1994年 117 53 64 .453 3 / 5
1995年 144 77 67 .535 2 / 5
1996年 163 83 79 .512 3 / 5
1997年 162 83 79 .512 3 / 5
1998年 162 77 85 .475 4 / 5
2000年 CHC NL
中地区
162 65 97 .401 6 / 6
2001年 162 88 74 .543 3 / 6
2002年 83 34 49 .410 5 / 6
通算     1317 627 689 .476  

※2002年はシーズン途中解任。順位は最終順位。

参照[編集]

外部リンク[編集]