クレイグ・ビジオ

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クレイグ・ビジオ
Craig Biggio
Craig Biggio.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州スミスタウン
生年月日 1965年12月14日(49歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
185 lb =約83.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手
プロ入り 1987年 ドラフト1巡目でヒューストン・アストロズから指名
初出場 1988年6月26日 サンフランシスコ・ジャイアンツ
最終出場 2007年9月30日 アトランタ・ブレーブス
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2015年
得票率 82.7%
選出方法 BBWAA選出

クレイグ・アラン・ビジオCraig Alan Biggio1965年12月14日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州スミスタウン出身の元プロ野球選手二塁手、右投右打。現役時代の全てをヒューストン・アストロズで過ごしたフランチャイズ・プレーヤー。通算試合・通算安打・通算二塁打・通算得点などでアストロズの球団記録を保持する、球団史を代表する選手の一人である。日本語メディアではビッジオと表記されることもある。

ジェフ・バグウェルとは1992年から2002年まで一・二塁間でコンビを組み、打撃でもキラーB's(バグウェルとビジオ、またベルバークマン、後にベルトランなどアストロズの中核打者たちの多くが頭文字「B」で始まることとアフリカナイズドミツバチの通称「殺人蜂」とを掛けている)の中心としてチームを牽引してきた。

2007年をもって引退を表明。がんと戦う子供たちを支援する基金のために資金調達を行うなど慈善活動が認められメジャーリーグからロベルト・クレメンテ賞が送られることが決まった。 時事通信によると本人は「クレメンテは野球界の真の伝説。彼の名を冠したこの賞は大リーガーにとって最大級に名誉なこと」[1]と喜びを表した。 

経歴[編集]

アマチュア時代[編集]

サーマン・マンソン(元ヤンキース)に憧れ、高校時代のポジションは捕手遊撃手アメリカンフットボールランニングバックとしても活躍した。シートン・ホール大学に進学してからは野球一筋になり、アメフトで培ったスピードとガッツでチームを引っ張った。

ヒューストン・アストロズ[編集]

捕手[編集]

1987年6月にドラフトでアストロズに1巡目(全米22位)指名されて入団。1988年6月26日にメジャーデビューした。1989年には、134試合で打率.257ながら13本塁打・60打点。加えて捕手としてはナショナルリーグ1位の21盗塁を記録し、シルバースラッガー賞を受賞した。守備では完全に時期尚早で、39回連続で盗塁阻止を失敗した[2]

1991年は4月から6月にかけて3か月連続で月間打率が3割を上回り[3]、捕手としては球団史上初めてオールスターに出場した[4]。シーズントータルで打率.295を記録した。

二塁手[編集]

球団からは「打撃を生かした方がいいのではないか?」と打診され、ビジオは受け入れるも失敗した時の怖さを考えていたという[4]マット・ガランティコーチの指導で自信を持って守れるようになった[4]。二塁手として迎えた1992年は全試合に出場し、打率.277・38盗塁を記録した。2度目のオールスター選出も果たし、捕手と二塁手の2つのポジションでオールスターに出た史上初の選手となった[4]

1994年は、1994年から1995年のMLBストライキによる短縮シーズンだったが39盗塁で盗塁王を獲得し、初めてのゴールドグラブ賞も受賞し、以降4年連続受賞した。以降自他ともに認めるメジャートップクラスの二塁手となった[4]1995年は全試合に出場し、本塁打と盗塁による "20-20" を達成。リーグ最多の123得点を記録し、ジミー・ウィンの球団記録117得点を23年ぶりに更新した[5]

シーズン終了後にフリーエージェントを行使し、1年平均で600万ドル近い額が予想され、再契約は難航した[2]。チームメイトのジェフ・バグウェルは自ら減俸を要請し、前年より200万ドル減の488万ドル契約に変更し、これに応え、ビジオは市場価値より遥かに安い4年総額2200万ドルで残留した[2][5]

1997年チャック・クラインが1932年に152得点を記録して以降でリーグ最高となる146得点を記録し、1998年には51二塁打に加え50盗塁を記録し、1912年のトリス・スピーカー以来史上2人目(84年ぶり)の二塁打と盗塁による "50-50" を達成した[5]。また、球団記録となる210安打を放ち、8月5日に欠場するまでに球団記録となる494試合連続出場した[5]

1999年はリーグ歴代6位となる56本の二塁打を放ち[5]、2年連続50二塁打を記録した。2000年5月4日に球団史上初となる通算2000本安打を達成したが、8月1日に左足のじん帯故障によりシーズン終えた[6]。この年、打率.268、12盗塁など二塁手転向後最低の成績となった。

中堅手、二塁手復帰[編集]

2003年ジェフ・ケント二塁手が加入したため球団から「外野の中堅に回ってもらえないか」と打診され、ビジオは同意し中堅手へ転向[4]。同年8月10日に通算31本目の先頭打者本塁打を放ち、リーグ新記録となった[6]

2005年にケントのFA移籍やウィリー・タベラスの成長に伴い、二塁手に復帰[2]。自己最多の26本塁打をマーク。そして、6月29日にドン・ベイラーが保持していた1900年以降の通算死球記録(267)を更新[6]。また、主砲ジェフ・バグウェルランス・バークマンが故障で戦線離脱中は、約3年ぶりとなる3番を勤めた。チームはこの年初めてワールドシリーズへ進出。ビジオのワールドシリーズ出場までに要した試合数は2564試合で、史上最多となった[2]。同年オフに1年400万ドルで契約延長。

2006年も21本塁打を記録したものの、打率.246はデビュー年以来の低水準となった。

3000本安打、引退[編集]

アストロズの本拠地ミニッツ・メイド・パークではビジオの安打数のカウンターが設置された

3000本安打まであと70本で迎えた2007年6月28日ロッキーズ戦でメジャーリーグ史上27人目の通算3000本安打を達成した[7]7月24日の試合前に今シーズン限りでの現役引退を表明し[8]、その試合で決勝満塁本塁打を放った。それから約二ヵ月後の9月30日の試合が最後の出場となった。

2008年5月23日、同年8月17日に背番号7が永久欠番になることが発表された[9]

殿堂入り得票[編集]

ビジオは2013年に殿堂入り資格を得た。3000安打を達成しているということで殿堂入りは確実と見られていたが、得票率は68.2%で落選となった。これに関してはバリー・ボンズロジャー・クレメンスと言った薬物疑惑があるが、圧倒的な成績を残した両選手の割りを食ったとされ、ビジオは得票結果を「公正ではない」とした上で「確かに(禁止薬物を使用して)有罪といえる選手はいたが、他は違う。一緒にされるのは苦痛だ」として、薬物使用者の影響を受けている殿堂得票に強い不快感を表明した[10]

続く2014年も僅かに殿堂入りを逃したが、2015年に82.7%の得票率で殿堂入りを達成した。

獲得タイトル・記録・表彰[編集]

捕手として 1回:1989年
二塁手として 4回:1994年、1996年、1997年、1998年

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1988 HOU 50 131 123 14 26 6 1 3 43 5 6 1 1 0 7 2 0 29 1 .211 .254 .350 .604
1989 134 509 443 64 114 21 2 13 178 60 21 3 6 5 49 8 6 64 7 .257 .336 .402 .738
1990 150 621 555 53 153 24 2 4 193 42 25 11 9 1 53 1 3 79 11 .276 .342 .348 .690
1991 149 609 546 79 161 23 4 4 204 46 19 6 5 3 53 3 2 71 2 .295 .358 .374 .732
1992 162 721 613 96 170 32 3 6 226 39 38 15 5 2 94 9 7 95 5 .277 .378 .369 .747
1993 155 706 610 98 175 41 5 21 289 64 15 17 4 5 77 7 10 93 10 .287 .373 .474 .847
1994 114 511 437 88 139 44 5 6 211 56 39 4 2 2 62 1 8 58 5 .318 .411 .483 .894
1995 141 673 553 123 167 30 2 22 267 77 33 8 11 7 80 1 22 85 6 .302 .406 .483 .889
1996 162 723 605 113 174 24 4 15 251 75 25 7 8 8 75 0 27 72 10 .288 .386 .415 .801
1997 162 744 619 146 191 37 8 22 310 81 47 10 0 7 84 6 34 107 0 .309 .415 .501 .916
1998 160 738 646 123 210 51 2 20 325 88 50 8 1 4 64 6 23 113 10 .325 .403 .503 .906
1999 160 749 639 123 188 56 0 16 292 73 28 14 5 6 88 9 11 107 5 .294 .386 .457 .843
2000 101 466 377 67 101 13 5 8 148 35 12 2 7 5 61 3 16 73 10 .268 .388 .393 .781
2001 155 717 617 118 180 35 3 20 281 70 7 4 0 6 66 4 28 100 11 .292 .382 .455 .837
2002 145 655 577 96 146 36 3 15 233 58 16 2 9 2 50 2 17 111 15 .263 .330 .404 .734
2003 153 717 628 102 166 44 2 15 259 62 8 4 3 2 57 3 27 116 4 .264 .350 .412 .762
2004 156 700 633 100 178 47 0 24 297 63 7 2 9 3 40 0 15 94 8 .281 .337 .469 .806
2005 155 651 590 94 156 40 1 26 276 69 11 1 4 3 37 2 17 90 10 .264 .325 .468 .793
2006 145 607 548 79 135 33 0 21 231 62 3 2 5 5 40 1 9 84 16 .246 .306 .422 .728
2007 141 555 517 68 130 31 3 10 197 50 4 3 7 5 23 0 3 112 5 .251 .285 .381 .666
通算:20年 2850 12503 10876 1844 3060 668 55 291 4711 1175 414 124 101 81 1160 68 285 1753 151 .281 .363 .433 .796
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注[編集]

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  1. ^ ビジオにクレメンテ賞、2007年10月28日閲覧
  2. ^ a b c d e ナガオ勝司「決戦の残像 クレイグ・ビジオ」『月刊メジャー・リーグ』2006年3月号、ベースボールマガジン社、2006年、雑誌 08625-3、92項 - 93項。
  3. ^ Craig Biggio 1991 Batting Splits” (英語). baseball-reference.com. 2008年7月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 鉄矢多美子「特集コンバートへの挑戦 クレイグ・ビジオ[アストロズ・中堅手]」『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-6、20項 - 21項。
  5. ^ a b c d e The Ballplayers - Craig Biggio Biography” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年7月11日閲覧。
  6. ^ a b c The Ballplayers - Craig Biggio Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年7月11日閲覧。
  7. ^ Craig Biggio 3,000 hits” (英語). MLB.com. 2008年7月11日閲覧。
  8. ^ Longtime Astro Biggio says he'll retire with 'no regrets'” (英語). ESPN.com. 2008年7月11日閲覧。
  9. ^ Astros to retire Biggio's jersey Aug. 17” (英語). MLB.com. 2008年7月11日閲覧。
  10. ^ http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20130112-1071001.html

外部リンク[編集]