アルバート・プホルス

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アルバート・プホルス
Albert Pujols
ロサンゼルス・エンゼルス #5
Albert Pujols on April 14, 2012.jpg
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
二重国籍[1]
出身地 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
サントドミンゴ
生年月日 1980年1月16日(34歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1999年 MLBドラフト13巡目(全体402位)でセントルイス・カージナルスから指名
初出場 2001年4月2日 ロッキーズ
年俸 $16,000,000(2013年)[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
WBC 2006年

ホセ・アルベルト・プホルス(José Alberto "Albert" Pujols, 1980年1月16日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身のプロ野球選手一塁手)。ロサンゼルス・エンゼルスに所属している。

MLBにおける最高の打者の1人で、2001年のデビュー以降、2010年まで打率.300・30本塁打・100打点を10年連続で達成した。2009年シーズン終了後、2000年代を代表する選手として各種メディアから表彰を受けている。The Sporting Newsから"MLB Athlete of the Decade"[3]ESPN[4]スポーツ・イラストレイテッド[5]から"Player of the Decade"に選出された。2012年ミゲル・カブレラがMLB史上45年ぶりの三冠王を獲得するまでは三冠王にもっとも近い男と言われていた。

「プホルズ、プーホルス、プホールス、プーホールス、プーホールズ」などと表記される事もある。

経歴[編集]

アマチュア時代[編集]

1980年1月16日にドミニカ共和国の首都サントドミンゴで、12人兄弟の末っ子として誕生。5歳のときにはバットを握り、その後も兄や姉がプホルスのコーチをするなど、幼少期から野球に親しむ[6]。16歳のとき、アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティに家族で移住。フォート・オーセージ高校時代に相手監督が年齢詐称を訴え、88打席で55回敬遠された[7]

1998年に高校を卒業し、メープルウッズ・コミュニティーカレッジに奨学生として進学した。1999年6月2日にカージナルスからドラフト13巡目(全体402位)で指名を受ける。しかし入団交渉でカージナルスが提示した契約金の額10,000ドルを不服としたプホルスは、その後の大学での試合で活躍し、提示額を60,000ドルまで引き上げさせた[6]。こうして8月17日に入団契約を交わしてプロ入りした。

鮮烈デビュー[編集]

プロ1年目の2000年マイナーリーグA級ピオリアで開幕を迎え、AAA級メンフィスまで一気に昇格。3クラス合計で打率.314・19本塁打・96打点という成績を残し、球団のマイナー最優秀選手として表彰された[8]。翌2001年のスプリングトレーニングでプホルスを観たマーク・マグワイアが才能を見出し、トニー・ラルーサ監督に「彼をロースター入りさせた方がいい」と進言[9]ウォルト・ジョケッティGM(当時)は、この年もプホルスをAAA級メンフィスに置いて経験を積ませる方針だったが、その後のオープン戦でも好成績を残したため、開幕メジャー入りさせることにした[6]

開幕戦に6番・左翼で出場しメジャーデビューを果たす[10]。その後、三塁のレギュラーと目されていたボビー・ボニーヤが故障したため三塁に入り、更に右翼・一塁と様々なポジションに就きながらも、1試合に欠場したのみで、打率.329・37本塁打・130打点という新人離れした成績を挙げた。シーズン終了後にはナ・リーグ新人王を満票で受賞し(史上9人目)[11]MVP投票でも4位に入った。三塁手部門でシルバースラッガー賞も受賞しているが、三塁手として先発出場したのは約50試合で、一塁手・左翼手・右翼手としてもそれぞれ約35試合ずつ先発出場している。

2002年は主に左翼で出場し、打率.314・34本塁打・127打点を記録し、MLB史上初のデビュー年から2年連続で3割・30本塁打・100打点を達成[12]。MVP投票ではバリー・ボンズに次ぐ2位となる。2003年には打率.359・212安打を記録し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者・最多安打を獲得した。95長打・51二塁打でもリーグ1位となった他、本塁打は自己最多の43本を放ち、1922年ロジャース・ホーンスビー以来となる球団史上2人目の40本塁打・200安打を達成した[13]。MVP投票ではまたもボンズに次ぐ2位だったが、この活躍を受けて球団は翌2004年のシーズン開幕前に、7年1億ドルの契約を結んでいる[14]

2004年から本格的に一塁手へ転向。打撃では史上12人・15回しか達成していないシーズン100長打にあと1本まで迫り、46本塁打(リーグ2位)・123打点(同3位)を記録した。またチームメイトのスコット・ローレンジム・エドモンズもシーズン30本塁打を達成し、"MV3" と呼ばれる球団史上屈指の強力打線を形成した[15]

5年間で3度のMVP[編集]

2005年はプホルスの後を打つ4番打者のローレンが故障で離脱し、ラリー・ウォーカーレジー・サンダースがその代わりを務めることに。しかし2人とも峠をすぎていて、プホルスが勝負を避けられるケースが増え、結果としてプホルスの四球は自己最多の97を記録した[16]。踵を痛め1試合欠場しただけで[17]、打撃3部門では打率.330・41本塁打・117打点を記録。プホルスのデビュー年以来4年連続でMVPを受賞していたボンズがこの年は故障でシーズンを棒に振っていたこともあり、プホルスは本塁打王アンドリュー・ジョーンズや首位打者のデレク・リーを抑え、初のMVPを受賞した。

2006年はシーズン開幕前の3月に開催された国際大会・第1回ワールド・ベースボール・クラシックドミニカ共和国代表の一員として出場。シーズンは序盤から例を見ない勢いで本塁打・打点を量産し、5月終了時点で打率.315・25本塁打・65打点という成績を残す。これは年間75本塁打・200打点のペースで、ボンズのシーズン本塁打記録73をプホルスが上回るのではとの声も上がった。ステロイド疑惑と無縁のプホルスの本塁打量産は好意的に受け入れられていた[18]。その後、シーズン開幕前から抱えていた腰痛が悪化。6月4日に故障者リスト入りし22日まで休養したため、記録更新はお預けとなった。しかしこの年は打率.331・本塁打49・打点137という成績を残し、本塁打と打点は自己最多を記録した。また、カージナルスがワールドシリーズに勝利したため、自身初の世界一を経験した。

本塁打を放つプホルス(2008年)

2007年はシーズン序盤の打撃不振やシーズン終盤の左ふくらはぎ痛がたたり、打率.327・32本塁打・103打点といずれも自身の平均を下回る成績となった。2008年は、一時戦列を離れたこともあったものの、リーグ2位となる打率.357に加え、37本塁打・116打点を記録。カージナルスは地区4位に終わったが、プホルスは本塁打・打点の二冠王のライアン・ハワードを抑え、2005年以来2度目のMVPを受賞している[19]

右肘を手術したため、2009年春開催のワールド・ベースボール・クラシック出場を辞退[20]。しかし、レギュラーシーズンでは序盤から本塁打を量産。6月を終了した時点で打率.332・30本塁打・77打点を記録し、6月終了時点で30本塁打はMLB史上10人目の快挙[21]。しかし、6月30日の試合後の会見でプホルスは「傲慢に聞こえるのを承知で言うけど、2006年の最初の2か月の方が凄かった。30本塁打だか何だか知らないけど、あの当時みたいな凄さはまだないんだ」と語っている[7]。地元セントルイス開催となったオールスターのファン投票では、ケン・グリフィー・ジュニアに次いで歴代2位となる5,397,374票を集めた[22]。オールスター試合前、バラク・オバマ米大統領始球式を務め、プホルスは捕手を務めた[23]。試合では3打数無安打に終わった。

後半はややペースが落ちたが、自身初となる本塁打王を獲得。本塁打(47)以外にも得点(124)、出塁率(.443)、長打率(.658)、塁打数(374)、敬遠数(44、歴代5位)と数多くの項目でリーグトップに立った。デビュー以来続けている打率.300・30本塁打・100打点も9年連続まで伸ばし、ルー・ゲーリッグと並ぶMLBタイ記録となった。2年連続、通算3度目となるMVPも獲得。1位票を全て集める満票での受賞で、これは2002年のバリー・ボンズ以来7年ぶり、歴代15人目の快挙だった。また通算3度の受賞はボンズに次いで歴代2位タイとなった[24]

メジャー10年目となる2010年は、開幕戦(シンシナティ・レッズ戦)で5打数4安打2本塁打3打点という最高の滑り出しを見せると、2003年以来続けているオールスターメンバー選出も果たした(結果は2打数ノーヒット)。8月15日シカゴ・カブス戦でシーズン30号本塁打を放ち、メジャーデビューから10年連続でのシーズン30本塁打以上を達成。その11日後、8月26日ワシントン・ナショナルズ戦で放ったシーズン34号本塁打は、ニューヨーク・ヤンキースアレックス・ロドリゲス三塁手、2010年シーズン途中にシアトル・マリナーズで引退したケン・グリフィー・ジュニア外野手に次ぐMLB史上3番目のスピードでの通算400号本塁打であった。更には9月11日アトランタ・ブレーブス戦で3打点を記録したことにより、シーズン100打点以上も10年連続での達成となった。最終的にシーズンを打率.312で終了し、10年連続での3割30本100打点の記録達成となった。同時に42本、118打点で本塁打王と打点王の二冠を獲得。115得点、38敬遠は両リーグ1位を記録した。

2011年ワールドシリーズ優勝パレードでのプホルス

2011年2月16日、カージナルスはプホルスに9年1億9500万ドルでの契約延長を持ちかけたが、プホルスが10年契約を希望したため、合意には至らなかった[25]。春季キャンプが始まるまでに合意できなかった場合は、プレーに専念するためにフリーエージェントとなる今季終了後まで交渉しないことを表明した。同年6月19日、ロイヤルズ戦で二塁手からの送球を捕球する際に打者走者と交錯し、左前腕の橈骨(とうこつ)を亀裂骨折した[26]。前半戦に不調に陥ったことや、故障の影響で出場試合数が減ったこともあり、シーズン成績は打率.299、37本、99打点と自己最低に終わった。打率3割・100打点をあと一歩のところで逃し、連続記録は途絶えた。 2011年のワールドシリーズ第3戦では3打席連続本塁打を記録。1977年レジー・ジャクソン以来、34年ぶりの快挙だった。チームはそのままシリーズを制し、プホルスは2個目のチャンピオンリングを手にした。

ワールドシリーズ後にFAとなったプホルスには、残留を求めるカージナルスに加えて、マイアミ・マーリンズシカゴ・カブスなど複数の球団が強い関心を示していると報じられた。12月6日にはカージナルス、マーリンズを含む3球団が総額2億ドル以上の契約を提示したことが明らかになった[27]。カージナルス残留かマーリンズ移籍のどちらかを選ぶ可能性が高いと見られていた。

大型契約でのエンゼルス移籍 [編集]

12月7日ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと10年総額2億5400万ドル(出来高を含むと最大で2億8000万ドル)の契約に合意した。これは2007年にアレックス・ロドリゲスがニューヨーク・ヤンキースと結んだ10年2億7500万ドルに次ぐMLB史上2番目の大型契約となった。なお、カージナルスの提示は9年2億1000万ドル(10年目のオプション付き)で、マーリンズはロドリゲスの史上最高額に並ぶ10年2億7500万ドルを提示していた。金銭面でマーリンズを下回るエンゼルスを選んだ決め手は、他の29球団すべてへのトレード拒否条項だったとされる[25]。また、引退後10年間「球団の顔」として活動することも契約に含まれており、その他のボーナスも含めると20年2億6575万ドル(約199億円)となっている[28]。12月9日、ワールドシリーズでの対戦相手でテキサス・レンジャーズから移籍してきたC・J・ウィルソンと共にエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムで入団会見を行った。

移籍初年度の2012年は開幕から打撃不振で、4月は本塁打0に終わる。5月6日にようやく移籍第1号を放ったが、5月14日まで打率2割に届かないという苦しい状態が続いた。特に四球率の低下が顕著で、「本当は35,6歳なのではないか」という年齢詐称疑惑が再燃。もはやMLB最強の打者ではなくなったという厳しい声も上がり始めた[29]。その後は復調し、最終的に12年連続となる30本塁打に到達し、2年ぶり11度目の100打点もクリアした。しかし、OPSは12年目で初めて.900を切り、本塁打数も自己最少にとどまった。

2013年は左足に不安を抱えたまま開幕を迎え、前年同様の打撃不振に苦しむ。怪我をかばって出場を続けていたが、7月28日に左足裏筋膜部分断裂で故障者リスト入り[30]。8月下旬にシーズン中の復帰を断念したことでデビュー以来続いていたシーズン30本塁打は12年で途切れた[31]

2014年4月22日、初回に通算499号となる3ランを放つと、5回に2ランを放ち野球殿堂入りの目安とされる通算500号本塁打に到達した。AP通信によると、「(達成が)今年だというのは分かっていた。だから、いつものようにチームの勝利に貢献できるように毎日準備している」とコメントした。本塁付近で同僚に出迎えられて祝福を受け「結構感動した」そうだが、同僚たちには「試合に勝たないといけない」とだけ言った。試合は7対2で勝利した[32]

選手としての特徴[編集]

打撃面において長年に渡り大きな活躍をしており、現役選手であるが将来の野球殿堂入りが確実視されている数少ない選手の一人。2013年1月5日にはCBSスポーツ電子版が「現役選手で殿堂入りが確実な5人」を特集し、デレク・ジーターマリアノ・リベライチロージム・トーミの4人とともにプホルスの名前が挙げられた[33][34]

打撃[編集]

プホルスの構え

足を大きく広げたスタンスで60パーセントの体重を軸足に残し、バットを上下に動かす独特のフォームが特徴。そのスイングは「理想の体現」とも表現され、2006年5月22日付のスポーツ・イラストレイテッド誌では "A swing of beauty" と紹介された[35]。スイング・スピードは飛び抜けて速く、通常の打者よりも球の見極め時間が長い。ただ本人はそのスピードのせいで引っ張る打撃中心となることを嫌っているため、右投手に対して32 1/2オンス(約921.4グラム)のバットを使うのに対し、見極め時間が長くなる左投手に対しては33オンス(約935.5グラム)と重めのバットを選んで故意にスイングスピードを下げている[35]。そのため、反対方向への強い打球も目立つが基本的にプルヒッターであるため、移籍した2012年以降は広い本拠地球場のせいか逆方向への本塁打はまだ打てていない。現在は主にマルッチ社のロックメイプルバットを使用している。


選球眼が非常に良いことやバットコントロールに優れることから、四球数が多い一方で三振数は少ない。2006年から4年連続で BB/SO (四球数/三振数)の値が両リーグ1位である。また、2006年は49本塁打に対し三振数が50であったが、40本塁打以上で三振数が本塁打数を下回った打者は、当時の直近50年間でも2004年のバリー・ボンズのみで、プホルスはこれにあと一歩まで迫った。

新時代の三冠王とも言われる打率/出塁率/長打率[36]において、通算の打率.331、出塁率.426、長打率.624はすべて現役1位である。

守備・走塁[編集]

一塁守備につくプホルス(2007年)

メジャー昇格当初は左翼手三塁手遊撃手右翼手としても出場していたが、ティノ・マルティネスの移籍に伴い、2004年から一塁手に固定された。スローイングの改善や投手との連携プレイ習得に励んだ結果、守備力もリーグトップクラスと評価されるようになり[37]、2006年・2010年にはゴールドグラブ賞を獲得。2009年には一塁手として185補殺を記録し、ビル・バックナーが持っていたシーズン補殺記録を更新した[38]。またMLBの専門家が集い、ポジション別で最高のディフェンシブ・プレイヤーを決めるフィールディング・バイブル・アワードでは、この賞が創設されて以来2006~2009年の四年連続で一塁手部門を受賞し、2011年にも受賞している[39]

第一歩の速さや機敏さ、フットワーク、悪送球の捕り方、守備範囲の広さで高い評価を受けている。一塁手ではあるが肩でも評価は高く、巧みなフットワーク後の送球の正確さ、リリースの素早さがメジャーでも有数とされる[40]。2007年の守備防御点27は、守備防御点が記録されるようになった2003年以降、2位(19点)を大きく引き離して一塁手としてのシーズン記録である。2006年、2008年の守備防御点もそれぞれ歴代6位、7位につけている。2011年は、基本的には一塁手であったが、新加入のバークマンが一塁に入る場合は三塁でスタメン出場することもあった。

走塁面では、2005年に盗塁を18回試み失敗を2回に抑えるという格段の進歩を見せている。しかしその後3年間では16盗塁に対し失敗も11回と、バッテリーの警戒が強くなると成功率が悪化する面が露呈した。ただし2009年は20回中16回を成功させている。また塁間での走り、特に膨らみなく走る点で高い評価を受け、リードの取り方もうまい[40]

人物[編集]

慈善活動[編集]

敬虔なキリスト教徒として知られ、本人は「社会的規範」になることを目指している[37]。チャリティ活動に熱心で、特にダウン症児とその家族の支援に力を注いでいる。というのも、2000年1月1日に結婚したデイドル夫人は過去に別の男性と結婚していた時期があり、その男性との間にできた娘のイザベラがダウン症児であるためである。デイドルと結婚したときに、彼女の連れ子であるイザベラはプホルスの義娘となった。

2005年、プホルス一家はダウン症児とその家族の生活を支援するための基金を設立した。それらの支援活動が高く評価され、2008年10月25日、ロベルト・クレメンテ賞がプホルスに贈られることがメジャーリーグベースボール機構より発表された[41]

年齢詐称・薬物疑惑[編集]

デビュー当時から年齢詐称疑惑が報じられている。「米国への移住時に問題なく高校へ入れるようにするため実際より4年(またはそれ以上)若くなるよう詐称した」というもの[42]。本人は「何歳かは自分が一番よく知っているよ」と否定している[37]

また、デビュー当初からのハイレベルな成績や筋骨隆々の体格、さらにドミニカ共和国出身の選手に薬物使用が多いことなどから、プホルスについてもしばしば薬物使用が噂になる。2009年になってアレックス・ロドリゲスマニー・ラミレスといった強打者の薬物使用が発覚したこともあり、プホルスを疑う者も少なからず存在する[43]。しかし、プホルス本人はステロイド使用の疑いに対して不快感を露にしており、「昨年は6回検査を受けた。それで不十分だと言うならば毎日だって検査を受ける。もし検査で陽性反応が出た場合、これまで稼いだ年俸の全てを球団に返上する」とまで発言して、ステロイドに対して極めて厳格な姿勢をとっている[44]

しかし、現在のところ使用した証拠は何ら存在せず、憶測で疑われているのみである。一般的にはクリーンな選手として評価されているため、将来の野球殿堂入りが確実視されている(先述)。

プホルスをテーマとする歌[編集]

ラッパーのワーレイリック・ロスファボラスをフィーチャーした、プホルスをテーマとする楽曲がある。タイトルは、そのまま“Albert Pujols”。

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2001 STL 161 676 590 112 194 47 4 37 360 130 1 3 1 7 69 6 9 93 21 .329 .403 .610 1.013
2002 157 675 590 118 185 40 2 34 331 127 2 4 0 4 72 13 9 69 20 .314 .394 .561 .955
2003 157 685 591 137 212 51 1 43 394 124 5 1 0 5 79 12 10 65 13 .359 .439 .667 1.106
2004 154 692 592 133 196 51 2 46 389 123 5 5 0 9 84 12 7 52 21 .331 .415 .657 1.072
2005 161 700 591 129 195 38 2 41 360 117 16 2 0 3 97 27 9 65 19 .330 .430 .609 1.039
2006 143 634 535 119 177 33 1 49 359 137 7 2 0 3 92 28 4 50 20 .331 .431 .671 1.102
2007 158 679 565 99 185 38 1 32 321 103 2 6 0 8 99 22 7 58 27 .327 .429 .568 .997
2008 148 641 524 100 187 44 0 37 342 116 7 3 0 8 104 34 5 54 16 .357 .462 .653 1.115
2009 160 700 568 124 186 45 1 47 374 135 16 4 0 8 115 44 9 64 23 .327 .443 .658 1.101
2010 159 700 587 115 183 39 1 42 350 118 14 4 0 6 103 38 4 76 23 .312 .414 .596 1.011
2011 147 651 579 105 173 29 0 37 313 99 9 1 0 7 61 15 4 58 29 .299 .366 .541 .906
2012 LAA 154 670 607 85 173 50 0 30 313 105 8 1 0 6 52 16 5 76 19 .285 .343 .516 .859
2013 99 443 391 49 101 19 0 17 171 64 1 1 0 7 40 8 5 55 18 .258 .330 .437 .767
通算:13年 1958 8546 7310 1425 2347 524 15 492 4377 1498 93 37 1 81 1067 275 87 835 269 .321 .410 .599 1.008
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Pujols officially becomes U.S. citizen / Slugger flies to Florida for camp shortly after swearing in," stlcardinals.com, February 8, 2007. 2009年9月22日閲覧。
  2. ^ Albert Pujols Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2012年10月15日閲覧。
  3. ^ "Sporting News' MLB Athlete of the Decade: Albert Pujols, 1B, Cardinals," Sporting News, September 24, 2009. 2009年9月25日閲覧。
  4. ^ "ESPN' Top 100 players of the decade," ESPN, December 14, 2009. 2009年12月19日閲覧。
  5. ^ "MLB: Highlights and lowlights," Sports Illustrated, December 9, 2009. 2009年12月19日閲覧。
  6. ^ a b c 加藤和彦 「アルバート・プホルス[カージナルス]/強靭なキッド。」 『月刊メジャー・リーグ』2002年3月号、ベースボール・マガジン社、2002年、雑誌08625-3、22-25頁。
  7. ^ a b ナガオ勝司 「アルバート・プホルス [カージナルス]/ナ・リーグ本塁打王獲得!持ち越した夢」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2009』、ベースボールマガジン社、2009年、雑誌 20448-11/25、12 - 15頁。
  8. ^ Curry, Jack (2001年11月13日). “ujols and Suzuki Win, But There Is a Surprise” (英語). The New York Times. 2010年5月5日閲覧。
  9. ^ 「30 CLUB MONTHLY REPORT 各球団マンスリー・リポート セントルイス・カージナルス OBのマグワイアが始球式に登場 ローレンがハイペースでHR量産」 『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-6、64頁。
  10. ^ "April 2, 2001 St. Louis Cardinals at Colorado Rockies Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2008年1月29日閲覧。
  11. ^ "2001 Career Highlights," stlcardinals.com. 2008年1月29日閲覧。
  12. ^ Leach, Matthew (2002年9月29日). “MLBeat: Williams on roster” (英語). MLB.com. 2010年5月4日閲覧。
  13. ^ Latsch, Nate (2003年9月17日). “Cards notes: Pujols making history” (英語). MLB.com. 2010年5月5日閲覧。
  14. ^ ESPN.com news services, "Contract reportedly for seven years," ESPN.com, February 19, 2004. 2008年1月29日閲覧。
  15. ^ The Birdhouse staff, "St. Louis Cardinals #5 All-Time Team: 2004," Scout.com, January 25, 2008. 2008年10月7日閲覧。
  16. ^ 友成那智村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』 廣済堂出版、2006年、304頁。ISBN 978-4-331-51146-6
  17. ^ 水次祥子 「報われた雌状の4年間 MVP アルバート・プホルス[カージナルス]」 『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-1、22-25頁。
  18. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、318頁。ISBN 978-4-331-51213-5
  19. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Crowning achievement: Pujols NL MVP / Cards star becomes first Dominican player to win two such awards," MLB.com, November 17, 2008. 2008年11月18日閲覧。
  20. ^ Leach, Matthew (2010年2月16日). “Pujols won't participate in Classic” (英語). MLB.com. 2010年5月4日閲覧。
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外部リンク[編集]