アルバート・プホルス
| ロサンゼルス・エンゼルス #5 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1980年1月16日(32歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5cm 230 lb =約104.3kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 一塁手 |
| プロ入り | 1999年 MLBドラフト13巡目(全体402位)でセントルイス・カージナルスから指名 |
| 初出場 | 2001年4月2日 ロッキーズ戦 |
| 年俸 | 14,595,953ドル(2010年)[2] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年 |
|
この表について
|
|
アルバート・プホルス(Albert Pujols, 1980年1月16日 - )は、ドミニカ共和国サントドミンゴ出身の野球選手。本名はホセ・アルベルト・プホルス(José Alberto Pujols)。ロサンゼルス・エンゼルス所属。ポジションは一塁手、右投右打。
MLBにおける最高の打者の1人で、2001年のデビュー以降、2010年まで打率.300・30本塁打・100打点を10年連続で達成した。2009年シーズン終了後、2000年代を代表する選手として各種メディアから表彰を受けている。The Sporting Newsから"MLB Athlete of the Decade"に[3]、ESPN[4]とスポーツ・イラストレイテッド[5]から"Player of the Decade"に選出された。
苗字であるPujolsは、多くのメディアでは「プホルス」と表記されているが、NHKでは「プーホールズ」、J SPORTSでは「プホールズ」、国内唯一のMLB専門月刊誌Sluggerでは「プーホルス」と様々に表記されており、統一されていないのが現状である。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] アマチュア時代
1980年1月16日にドミニカ共和国の首都サントドミンゴで、12人兄弟の末っ子として誕生。5歳のときにはバットを握り、その後も兄や姉がプホルスのコーチをするなど、幼少期から野球に親しむ[6]。16歳のとき、アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティに家族で移住。フォート・オーセージ高校時代に相手監督が年齢詐称を訴え、88打席で55回敬遠された[7]。
1998年に高校を卒業し、メープルウッズ・コミュニティーカレッジに奨学生として進学した。1999年6月2日にカージナルスからドラフト13巡目(全体402位)で指名を受ける。しかし入団交渉でカージナルスが提示した契約金の額10,000ドルを不服としたプホルスは、その後の大学での試合で活躍し、提示額を60,000ドルまで引き上げさせた[6]。こうして8月17日に入団契約を交わしてプロ入りした。
[編集] 鮮烈デビュー
プロ1年目の2000年はマイナーリーグA級ピオリアで開幕を迎え、AAA級メンフィスまで一気に昇格。3クラス合計で打率.314・19本塁打・96打点という成績を残し、球団のマイナー最優秀選手として表彰された[8]。翌2001年のスプリングトレーニングでプホルスを観たマーク・マグワイアが才能を見出し、トニー・ラルーサ監督に「彼をロースター入りさせた方がいい」と進言[9]。ウォルト・ジョケッティGM(当時)は、この年もプホルスをAAA級メンフィスに置いて経験を積ませる方針だったが、その後のオープン戦でも好成績を残したため、開幕メジャー入りさせることにした[6]。
開幕戦に6番・左翼で出場しメジャーデビューを果たす[10]。その後、三塁のレギュラーと目されていたボビー・ボニーヤが故障したため三塁に入り、更に右翼・一塁と様々なポジションに就きながらも、1試合に欠場したのみで、打率.329・37本塁打・130打点という新人離れした成績を挙げた。シーズン終了後にはナ・リーグ新人王を満票で受賞し(史上9人目)[11]、MVP投票でも4位に入った。三塁手部門でシルバースラッガー賞も受賞しているが、三塁手として先発出場したのは約50試合で、一塁手・左翼手・右翼手としてもそれぞれ約35試合ずつ先発出場している。
2002年は主に左翼で出場し、打率.314・34本塁打・127打点を記録し、MLB史上初のデビュー年から2年連続で3割・30本塁打・100打点を達成[12]。MVP投票ではバリー・ボンズに次ぐ2位となる。2003年には打率.359・212安打を記録し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者・最多安打を獲得した。95長打・51二塁打でもリーグ1位となった他、本塁打は自己最多の43本を放ち、1922年のロジャース・ホーンスビー以来となる球団史上2人目の40本塁打・200安打を達成した[13]。MVP投票ではまたもボンズに次ぐ2位だったが、この活躍を受けて球団は翌2004年のシーズン開幕前に、7年1億ドルの契約を結んでいる[14]。
2004年から本格的に一塁手へ転向。打撃では史上12人・15回しか達成していないシーズン100長打にあと1本まで迫り、46本塁打(リーグ2位)・123打点(同3位)を記録した。またチームメイトのスコット・ローレンとジム・エドモンズもシーズン30本塁打を達成し、"MV3" と呼ばれる球団史上屈指の強力打線を形成した[15]。
[編集] 5年間で3度のMVP
2005年はプホルスの後を打つ4番打者のローレンが故障で離脱し、ラリー・ウォーカーやレジー・サンダースがその代わりを務めることに。しかし2人とも峠をすぎていて、プホルスが勝負を避けられるケースが増え、結果としてプホルスの四球は自己最多の97を記録した[16]。踵を痛め1試合欠場しただけで[17]、打撃3部門では打率.330・41本塁打・117打点を記録。プホルスのデビュー年以来4年連続でMVPを受賞していたボンズがこの年は故障でシーズンを棒に振っていたこともあり、プホルスは本塁打王のアンドリュー・ジョーンズや首位打者のデレク・リーを抑え、初のMVPを受賞した。
2006年には、
シーズン開幕前の3月に開催された国際大会・第1回ワールド・ベースボール・クラシックにドミニカ共和国代表の一員として出場。その後開幕したシーズンでは序盤から例を見ない勢いで本塁打・打点を量産し、5月終了時点で打率.315・25本塁打・65打点という成績を残す。これは年間75本塁打・200打点のペースで、ボンズのシーズン本塁打記録73をプホルスが上回るのではとの声も上がった。ステロイド疑惑と無縁のプホルスの本塁打量産は好意的に受け入れられていた[18]。しかしその後、シーズン開幕前から抱えていた腰痛が悪化。6月4日に故障者リスト入りし22日まで休養したため、記録更新はお預けとなった。しかしこの年は打率.331・本塁打49・打点137という成績を残し、本塁打と打点は自己最多を記録した。また、カージナルスがワールドシリーズに勝利したため、自身初の世界一を経験した。
2007年はシーズン序盤の打撃不振やシーズン終盤の左ふくらはぎ痛がたたり、打率.327・32本塁打・103打点といずれも自身の平均を下回る成績となった。2008年は、一時戦列を離れたこともあったものの、リーグ2位となる打率.357に加え、37本塁打・116打点を記録。カージナルスは地区4位に終わったが、プホルスは本塁打・打点の二冠王のライアン・ハワードを抑え、2005年以来2度目のMVPを受賞している[19]。
右肘を手術したため、2009年春開催のワールド・ベースボール・クラシック出場を辞退[20]。しかし、レギュラーシーズンでは序盤から本塁打を量産。6月を終了した時点で打率.332・30本塁打・77打点を記録し、6月終了時点で30本塁打はMLB史上10人目の快挙[21]。しかし、6月30日の試合後の会見でプホルスは「傲慢に聞こえるのを承知で言うけど、2006年の最初の2か月の方が凄かった。30本塁打だか何だか知らないけど、あの当時みたいな凄さはまだないんだ」と語っている[7]。地元セントルイス開催となったオールスターのファン投票では、ケン・グリフィー・ジュニアに次いで歴代2位となる5,397,374票を集めた[22]。オールスター試合前、バラク・オバマ米大統領が始球式を務め、プホルスは捕手を務めた[23]。試合では3打数無安打に終わった。
後半はややペースが落ちたが、自身初となる本塁打王を獲得。本塁打以外にも得点(124)、出塁率(.443)、長打率(.658)、塁打数(374)、敬遠数(44、歴代5位)と数多くの項目でリーグトップに立った。デビュー以来続けている打率.300・30本塁打・100打点も9年連続まで伸ばし、ルー・ゲーリッグと並ぶMLBタイ記録となった。2年連続、通算3度目となるMVPも獲得。1位票を全て集める満票での受賞で、これは2002年のバリー・ボンズ以来7年ぶり、歴代15人目の快挙だった。また通算3度の受賞はボンズに次いで歴代2位タイとなった[24]。
メジャー10年目となる2010年は、
開幕戦(シンシナティ・レッズ戦)で5打数4安打2本塁打3打点という最高の滑り出しを見せると、2003年以来続けているオールスターメンバー選出も果たした(結果は2打数ノーヒット)。その後、8月15日のシカゴ・カブス戦でシーズン30号本塁打を放ち、メジャーデビューから10年連続でのシーズン30本塁打以上を達成。その11日後、8月26日のワシントン・ナショナルズ戦で放ったシーズン34号本塁打は、ニューヨーク・ヤンキースのアレックス・ロドリゲス三塁手、2010年シーズン途中でシアトル・マリナーズで引退したケン・グリフィー外野手に次ぐMLB史上3番目のスピードでの通算400号本塁打であった。更には9月11日のアトランタ・ブレーブス戦で3打点を記録したことにより、シーズン100打点以上も10年連続での達成となった。最終的にシーズンを打率.312で終了し、10年連続での3割30本100打点の記録達成となった。同時に42本、118打点で本塁打王と打点王の二冠を獲得。115得点、38敬遠は両リーグ1位を記録した。
翌2011年2月16日、カージナルスはプホルスに9年1億9500万ドルでの契約延長を持ちかけたが、プホルスが10年契約を希望したため、合意には至らなかった[25]。春季キャンプが始まるまでに合意できなかった場合は、プレーに専念するためにフリーエージェントとなる今季終了後まで交渉しないことを表明した。同年6月19日、ロイヤルズ戦で二塁手からの送球を捕球する際に打者走者と交錯し、左前腕の橈骨(とうこつ)を亀裂骨折した[26]。前半戦に不調に陥ったことや、故障の影響で出場試合数が減ったこともあり、シーズン成績は打率.299、37本、99打点と自己最低に終わった。打率3割・100打点をあと一歩のところで逃し、連続記録は途絶えた。 2011年のワールドシリーズ第3戦では3打席連続本塁打を記録。1977年のレジー・ジャクソン以来、34年ぶりの快挙だった。チームはそのままシリーズを制し、プホルスは2個目のチャンピオンリングを手にした。
ワールドシリーズ後にFAとなったプホルスには、残留を求めるカージナルスに加えて、マイアミ・マーリンズ、シカゴ・カブスなど複数の球団が強い関心を示していると報じられた。12月6日にはカージナルス、マーリンズを含む3球団が総額2億ドル以上の契約を提示したことが明らかになった[27]。カージナルス残留かマーリンズ移籍のどちらかを選ぶ可能性が高いと見られていた。
[編集] 大型契約でのエンゼルス移籍
翌12月7日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムと10年総額2億5400万ドル(出来高を含むと最大で2億8000万ドル)の契約に合意した。これは2007年にアレックス・ロドリゲスがニューヨーク・ヤンキースと結んだ10年2億7500万ドルに次ぐMLB史上2番目の大型契約だった。なお、カージナルスの提示は9年2億1000万ドル(10年目のオプション付き)で、マーリンズはロドリゲスの史上最高額に並ぶ10年2億7500万ドルを提示していた。金銭面でマーリンズを下回るエンゼルスを選んだ決め手は、他の29球団すべてへのトレード拒否条項だったとされる[25]。
12月9日、ワールド・シリーズで戦った、テキサス・レンジャースのエースだった、C.J.ウィルソンとエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムで入団会見を行った。
[編集] 特徴
[編集] 打撃
足を大きく広げたスタンスで60パーセントの体重を軸足に残し、バットを上下に動かす独特のフォームが特徴。そのスイングは「理想の体現」とも表現され、2006年5月22日付のスポーツ・イラストレイテッド誌では "A swing of beauty" と紹介された[28]。スイング・スピードは飛び抜けて速く、通常の打者よりも球の見極め時間が長い。ただ本人はそのスピードのせいで引っ張る打撃中心となることを嫌っているため、右投手に対して32 1/2オンス(約921.4グラム)のバットを使うのに対し、見極め時間が長くなる左投手に対しては33オンス(約935.5グラム)と重めのバットを選んで故意にスイングスピードを下げている[28]。そのため、反対方向への強い打球も目立つ。現在は主にマルッチ社のロックメイプルバットを使用している。
選球眼が非常にいいことやバットコントロールに優れることから、四球数が多い一方で三振数は少ない。2006年から4年連続で BB/SO (四球数/三振数)の値が両リーグ1位である。また、2006年は49本塁打に対し三振数が50であったが、40本塁打以上で三振数が本塁打数を下回った打者は、当時の直近50年間でも2004年のバリー・ボンズのみで、プホルスはこれにあと一歩まで迫った。
新時代の三冠王とも言われる打率/出塁率/長打率[29]において、通算の打率.331、出塁率.426、長打率.624はすべて現役1位である。
[編集] 守備・走塁
メジャー昇格当初は左翼手や三塁手・遊撃手・右翼手としても出場していたが、ティノ・マルティネスの移籍に伴い、2004年から一塁手に固定された。スローイングの改善や投手との連携プレイ習得に励んだ結果、守備力もリーグトップクラスと評価されるようになり[30]、2006年・2010年にはゴールドグラブ賞を獲得。2009年には一塁手として185補殺を記録し、ビル・バックナーが持っていたシーズン補殺記録を更新した[31]。またMLBの専門家が集い、ポジション別で最高のディフェンシブ・プレイヤーを決めるフィールディング・バイブル・アワードでは、この賞が創設されて以来2006~2009年の四年連続で一塁手部門を受賞し、2011年にも受賞している[32]。第一歩の速さや機敏さ、フットワーク、悪送球の捕り方、守備範囲の広さで高い評価を受けている。一塁手ではあるが肩でも評価は高く、巧みなフットワーク後の送球の正確さ、リリースの素早さがメジャーでも有数とされる。[33]2011年も基本的には一塁手であったが、新加入のバークマンが一塁に入る場合は三塁でスタメン出場することもあった。
走塁面では、2005年に盗塁を18回試み失敗を2回に抑えるという格段の進歩を見せている。だがその後3年間では16盗塁に対し失敗も11回と、バッテリーの警戒が強くなると成功率が悪化する面が露呈した。ただし2009年は20回中16回を成功させている。また塁間での走り、特に膨らみなく走る点で高い評価を受け、リードの取り方もうまい。[33]
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001 | STL | 161 | 676 | 590 | 112 | 194 | 47 | 4 | 37 | 360 | 130 | 1 | 3 | 1 | 7 | 69 | 6 | 9 | 93 | 21 | .329 | .403 | .610 | 1.013 |
| 2002 | 157 | 675 | 590 | 118 | 185 | 40 | 2 | 34 | 331 | 127 | 2 | 4 | 0 | 4 | 72 | 13 | 9 | 69 | 20 | .314 | .394 | .561 | .955 | |
| 2003 | 157 | 685 | 591 | 137 | 212 | 51 | 1 | 43 | 394 | 124 | 5 | 1 | 0 | 5 | 79 | 12 | 10 | 65 | 13 | .359 | .439 | .667 | 1.106 | |
| 2004 | 154 | 692 | 592 | 133 | 196 | 51 | 2 | 46 | 389 | 123 | 5 | 5 | 0 | 9 | 84 | 12 | 7 | 52 | 21 | .331 | .415 | .657 | 1.072 | |
| 2005 | 161 | 700 | 591 | 129 | 195 | 38 | 2 | 41 | 360 | 117 | 16 | 2 | 0 | 3 | 97 | 27 | 9 | 65 | 19 | .330 | .430 | .609 | 1.039 | |
| 2006 | 143 | 634 | 535 | 119 | 177 | 33 | 1 | 49 | 359 | 137 | 7 | 2 | 0 | 3 | 92 | 28 | 4 | 50 | 20 | .331 | .431 | .671 | 1.102 | |
| 2007 | 158 | 679 | 565 | 99 | 185 | 38 | 1 | 32 | 321 | 103 | 2 | 6 | 0 | 8 | 99 | 22 | 7 | 58 | 27 | .327 | .429 | .568 | .997 | |
| 2008 | 148 | 641 | 524 | 100 | 187 | 44 | 0 | 37 | 342 | 116 | 7 | 3 | 0 | 8 | 104 | 34 | 5 | 54 | 16 | .357 | .462 | .653 | 1.115 | |
| 2009 | 160 | 700 | 568 | 124 | 186 | 45 | 1 | 47 | 374 | 135 | 16 | 4 | 0 | 8 | 115 | 44 | 9 | 64 | 23 | .327 | .443 | .658 | 1.101 | |
| 2010 | 159 | 700 | 587 | 115 | 183 | 39 | 1 | 42 | 350 | 118 | 14 | 4 | 0 | 6 | 103 | 38 | 4 | 76 | 23 | .312 | .414 | .596 | 1.011 | |
| 2011 | 147 | 651 | 579 | 105 | 173 | 29 | 0 | 37 | 313 | 99 | 9 | 1 | 0 | 7 | 61 | 15 | 4 | 58 | 29 | .299 | .366 | .541 | .906 | |
| 通算:11年 | 1705 | 7433 | 6312 | 1291 | 2073 | 455 | 15 | 445 | 3893 | 1329 | 84 | 35 | 1 | 68 | 975 | 251 | 77 | 704 | 232 | .328 | .420 | .617 | 1.037 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 獲得タイトル・表彰・記録
- 首位打者 1回:2003年(.359)
- 本塁打王 2回:2009年(47本)、2010年(42本)
- 打点王 1回:2010年(118打点)
- シルバースラッガー賞 6回:2001年(三塁手部門)、2003年(外野手部門)、2004年、2008年 - 2010年(一塁手部門)
- ゴールドグラブ賞 2回:2006年、2010年(一塁手部門)
- ハンク・アーロン賞 2回:2003年、2009年
- ロベルト・クレメンテ賞 1回:2008年
- ルー・ゲーリッグ賞 1回:2009年
- ハート&ハッスル賞 1回:2009年
- ナ・リーグ新人王:2001年
- ナ・リーグ年間MVP 3回:2005年、2008年 - 2009年
- ナ・リーグ月間新人MVP 2回:2001年4月・5月
- ナ・リーグ月間MVP 6回:2003年5月・6月、2006年4月、2009年4月・6月、2010年8月
- ナ・リーグチャンピオンシップシリーズMVP 1回:2004年
- MLBオールスターゲーム選出 10回:2001年、2003年 - 2011年
[編集] 人物像
[編集] 慈善活動
敬虔なキリスト教徒として知られ、本人は「社会的規範」になることを目指している[30]。チャリティ活動に熱心で、特にダウン症児とその家族の支援に力を注いでいる。というのも、2000年1月1日に結婚したデイドル夫人は過去に別の男性と結婚していた時期があり、その男性との間にできた娘のイザベラがダウン症児であるためである。デイドルと結婚したときに、彼女の連れ子であるイザベラはプホルスの義娘となった。
2005年、プホルス一家はダウン症児とその家族の生活を支援するための基金を設立した。それらの支援活動が高く評価され、2008年10月25日、ロベルト・クレメンテ賞がプホルスに贈られることがメジャーリーグベースボール機構より発表された[34]。
[編集] 年齢詐称・薬物疑惑
デビュー当時から年齢詐称疑惑が報じられている。「米国への移住時に問題なく高校へ入れるようにするため実際より4年(またはそれ以上)若くなるよう詐称した」というもの[35]。本人は「何歳かは自分が一番よく知っているよ」と否定している[30]。
また、デビュー当初からのハイレベルな成績や筋骨隆々の体格、さらにドミニカ共和国出身の選手に薬物使用が多いことなどから、プホルスについてもしばしば薬物使用が噂になる。2009年になってアレックス・ロドリゲスやマニー・ラミレスといった強打者の薬物使用が発覚したこともあり、プホルスを疑う者も少なからず存在する[36]。しかし、プホルス本人はステロイド使用の疑いに対して不快感を露にしており、「昨年は6回検査を受けた。それで不十分だと言うならば毎日だって検査を受ける。もし検査で陽性反応が出た場合、これまで稼いだ年俸の全てを球団に返上する」とまで発言して、ステロイドに対して極めて厳格な姿勢をとっている[37]。
[編集] 脚注
- ^ Matthew Leach / MLB.com, "Pujols officially becomes U.S. citizen / Slugger flies to Florida for camp shortly after swearing in," stlcardinals.com, February 8, 2007. 2009年9月22日閲覧。
- ^ "St. Louis Cardinals Salaries - 2010," ESPN.com. 2010年5月4日閲覧。
- ^ "Sporting News' MLB Athlete of the Decade: Albert Pujols, 1B, Cardinals," Sporting News, September 24, 2009. 2009年9月25日閲覧。
- ^ "ESPN' Top 100 players of the decade," ESPN, December 14, 2009. 2009年12月19日閲覧。
- ^ "MLB: Highlights and lowlights," Sports Illustrated, December 9, 2009. 2009年12月19日閲覧。
- ^ a b c 加藤和彦 「アルバート・プホルス[カージナルス]/強靭なキッド。」 『月刊メジャー・リーグ』2002年3月号、ベースボール・マガジン社、2002年、雑誌08625-3、22-25頁。
- ^ a b ナガオ勝司 「アルバート・プホルス [カージナルス]/ナ・リーグ本塁打王獲得!持ち越した夢」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2009』、ベースボールマガジン社、2009年、雑誌 20448-11/25、12 - 15頁。
- ^ Curry, Jack (2001年11月13日). “ujols and Suzuki Win, But There Is a Surprise” (英語). The New York Times. 2010年5月5日閲覧。
- ^ 「30 CLUB MONTHLY REPORT 各球団マンスリー・リポート セントルイス・カージナルス OBのマグワイアが始球式に登場 ローレンがハイペースでHR量産」 『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-6、64頁。
- ^ "April 2, 2001 St. Louis Cardinals at Colorado Rockies Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2008年1月29日閲覧。
- ^ "2001 Career Highlights," stlcardinals.com. 2008年1月29日閲覧。
- ^ Leach, Matthew (2002年9月29日). “MLBeat: Williams on roster” (英語). MLB.com. 2010年5月4日閲覧。
- ^ Latsch, Nate (2003年9月17日). “Cards notes: Pujols making history” (英語). MLB.com. 2010年5月5日閲覧。
- ^ ESPN.com news services, "Contract reportedly for seven years," ESPN.com, February 19, 2004. 2008年1月29日閲覧。
- ^ The Birdhouse staff, "St. Louis Cardinals #5 All-Time Team: 2004," Scout.com, January 25, 2008. 2008年10月7日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』 廣済堂出版、2006年、304頁。ISBN 978-4-331-51146-6。
- ^ 水次祥子 「報われた雌状の4年間 MVP アルバート・プホルス[カージナルス]」 『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08625-1、22-25頁。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、318頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ^ Matthew Leach / MLB.com, "Crowning achievement: Pujols NL MVP / Cards star becomes first Dominican player to win two such awards," MLB.com, November 17, 2008. 2008年11月18日閲覧。
- ^ Leach, Matthew (2010年2月16日). “Pujols won't participate in Classic” (英語). MLB.com. 2010年5月4日閲覧。
- ^ Matthew Leach / MLB.com, "Pujols launches long ball No. 30," MLB.com, July 1, 2009. 2009年7月2日閲覧。
- ^ Associated Press (2009年7月6日). “Pujols, Molina to start in St. Louis” (英語). ESPN.com. 2010年5月4日閲覧。
- ^ ESPN.com news services (2009年7月15日). “Obama gets first pitch to home plate” (英語). ESPN.com. 2010年5月5日閲覧。
- ^ Matthew Leach / MLB.com, "Third time is charming for MVP Pujols," MLB.com, November 24, 2009. 2009年11月25日閲覧。
- ^ a b Nightengale, Bob(2011-12-08). From zero to $254 million, how the Pujols deal got done. USATODAY.com(英語). 2011年12月9日閲覧
- ^ [1]MSN 産経ニュース、2011.6.21 08:54
- ^ また、当時、ミルウォーキ・ブルワーズにいたプリンス・フィルダーも共にFAだったため、アメリカでは、コーラを選ぶかペプシを選ぶかというように比喩された。Pujols Has Three Offers Of Ten Years, $200MM+. MLBTradeRumors.com(英語). 2011年12月9日閲覧
- ^ a b Daniel G. Habib, "A Swing of Beauty," SI.com, May 22, 2006. 2008年1月29日閲覧。
- ^ 「新時代の三冠王(打率/出塁率/長打率)」 『月刊スラッガー』2009年12月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-12、11頁。
- ^ a b c 出野哲也 「アルバート・プーホルス[カージナルス] 21世紀のロールモデル」 『月刊スラッガー』2006年8月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-8、8-13頁。
- ^ Matthew Leach / MLB.com, "Pujols sets first baseman assist mark," MLB.com, October 4, 2009. 2009年10月5日閲覧。
- ^ "Fielding Bible Awards Winners," 2009年11月6日閲覧。
- ^ a b 「スカウティングレポート/アルバート・プーホルス 「偉大な選手への道」」 『月刊スラッガー』2010年2月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-2、13頁。
- ^ Mark Newman / MLB.com, "Pujols wins Clemente Award / Cardinals first baseman honored for play, off-field efforts," MLB.com, October 25, 2008. 2008年10月25日閲覧。
- ^ 菊地靖 「WBC・中南米の深い謎」 『Number Web』、2006年3月15日。2007年4月15日閲覧。
- ^ 出野哲也 「緊急レポート「M・ラミレス薬物規定違反で50試合出場停止の波紋」」 『月刊スラッガー』2009年7月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-7、59-61頁。
- ^ Bob Nightengale, USA TODAY, "Cardinals slugger Albert Pujols is batting cleanup for baseball," USATODAY.com, July 13, 2009. 2009年7月14日閲覧。
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||
|
|||||
|
|||||