ロジャー・コナー
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1857年7月1日 |
| 没年月日 | 1931年1月4日(満73歳没) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 220 lb =約99.8 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 一塁手 |
| プロ入り | 1880年 |
| 初出場 | 1880年5月1日 |
| 最終出場 | 1897年5月18日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
| 選出年 | 1976年 |
| 選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
|
この表について
|
|
ロジャー・コナー(Roger Connor、1857年7月1日 - 1931年1月4日) は、19世紀のアメリカ・メジャーリーグの選手。主なポジションは一塁手。コネチカット州生まれ。左投げ左打ち。飛ぶボールが採用され、ベーブ・ルースが本塁打を量産する1920年まで、通算本塁打数の最多記録をもっていた。
目次 |
経歴[編集]
1880年にトロージャンズと契約してメジャーリーグにデビュー。6フィート3インチ(190cm) 、220ポンド(99.8kg) という大柄な体格ながら守備・走塁は俊敏だった。1年目から打率.332、47打点とリーグ3位の成績をあげる。
トロージャンズ破綻後、1883年にニューヨーク・ゴサムズに移籍する。1885年にはリーグ最多安打と同時にリーグの首位打者(.371)になった。所属していたゴサムズはコナーの在籍中にチーム名を『ジャイアンツ』(=巨人)に変更しているが、その巨人とはコナーのことを指すという説が今でもあるほどである。コナーはまた、ジャイアンツの本拠地であったポロ・グラウンズで、最初に柵超えの本塁打を放った選手としても知られている。
以後1889年には130打点で打点王、翌1890年にはリーグ最多本塁打をマークした。個々の打撃成績においてリーグトップになる回数は少なかったものの、各打撃部門では常にリーグの上位の成績をあげていた。本塁打は、毎年のリーグ最多本塁打数が20本に満たない当時で、二桁本塁打を放ったシーズンが6度に及ぶ。
1894年にセントルイス・ブラウンズに移籍し、1897年に現役を引退。通算本塁打数(138本) は、当時のメジャーリーグ最多本塁打記録であった。引退後は故郷へ戻り、いくつかのマイナーリーグ球団を運営していた。1931年、生まれ故郷のコネチカット州ウォーターベリーで死去。
1976年、ベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出した。
通算成績[編集]
打撃成績[編集]
※数字の後の"(+)"は、記録不明の箇所があることを示す。
| 試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
得 点 |
打 点 |
盗 塁 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
犠 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1997 | 7794 | 2467 | 441 | 233 | 138 | 1620 | 1322 | 244(+) | 449(+) | 1002 | 38(+) | 9(+) | .317 | .397 | .486 | .883 |
獲得タイトル・記録[編集]
- 首位打者:1回(1885年)
- 最多安打:1回(1885年)
- 最多本塁打:1回(1890年)
- 打点王:1回(1889年)
- 通算三塁打数:233(歴代5位)
- メジャーリーグ史上初めて、「満塁ホームラン」を放った(1881年9月10日)。
- サイクル安打:1回(1890年7月21日)
監督としての戦績[編集]
- 所属:セントルイス・ブラウンズ(1896年)
- 戦績:8勝37敗、勝率.178、リーグ最高順位:11位
出典・外部リンク[編集]
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 年度別成績 (Retrosheet)
|
|||||