ビリー・ハミルトン

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ビリー・ハミルトン
Billy Hamilton
Billy Hamilton baseball card.jpg
1887-90年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニュージャージー州ニューアーク
生年月日 1866年2月16日
没年月日 1940年12月16日(満74歳没)
身長
体重
5' 6" =約167.6 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手中堅手
初出場 1888年7月31日
最終出場 1901年9月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1961年
選出方法 ベテランズ委員会選出

ビリー・ハミルトン(William Robert "Billy" Hamilton, 1866年2月16日 - 1940年12月16日) は、19世紀のアメリカメジャーリーグの野球選手。主なポジションは中堅手ニュージャージー州ニューアーク生まれ。右投げ左打ち。ニックネームは"Sliding Billy"(スライディング・ビリー)。ルー・ブロックリッキー・ヘンダーソン以前に、通算盗塁数のメジャーリーグ記録を保持していた。[1]

経歴[編集]

1888年に、ニューイングランドのウースター球団から、アメリカン・アソシエーションのカンザスシティ・カウボーイズにトレードされ、メジャーリーグにデビュー。翌1889年には打率を3割にのせ、111盗塁を記録し注目されるようになる。1890年フィリーズに金銭トレードで移籍。この年、翌年と3年連続の100盗塁以上という記録を作る。1891年には打撃面でも活躍し、この年のリーグ最多安打(179安打)だけでなく、リーグ最多得点 (141) と首位打者にもなる。加えて四球数もリーグ最多 (102) となり、この年の出塁率は.453にも達した。

その後シーズン毎の盗塁数が100を超えることはなくなったが、四球の多さもあいまって毎年高い打率と出塁率を挙げていた。1893年には82試合にしか出場できなかったが、打率.380で二度目の首位打者となった。翌1894年には、220安打を放って打率も4割を超え (.403) 、四球数126でリーグ最多、盗塁数もリーグ最多の98とした。またこの年の得点数192[2]は、メジャーリーグのシーズン最多記録である。

1896年にボストン・ビーンイーターズに移籍。この年と翌年は150得点以上と活躍したが、1899年シーズン以降は、走力の衰えからかそれまでのような活躍ができなくなってきていた。1901年に現役を引退。ハミルトンは、メジャーリーグ史上ごくわずかしかいない、通算成績で「得点数」が「試合数」を上回った選手の一人となった。

1940年マサチューセッツ州で死去。1961年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

※数字の後の"*"は、記録不明の箇所があることを示す。

































O
P
S
1591 6268 2158 242 94 40 1690 736 912 218* 1187 89 47* .344 .455 .432 .887

獲得タイトル・記録[編集]

  • 首位打者:2回(1891年、1893年)
  • 最多安打:1回(1891年)
  • 最多盗塁:5回(1889年 - 1891年、1894年、1895年)※1889年はアメリカン・アソシエーションでの記録
  • 最多得点:4回(1891年、1894年、1895年、1897年)
  • シーズン最多得点:192(1894年、メジャーリーグ記録)
  • 通算盗塁数:912(歴代3位)
  • 通算出塁率:.455(歴代4位)
  • 1試合盗塁数:7(1894年8月31日、メジャーリーグ記録)
  • 4年連続150得点(1894年 - 1897年)、10年連続100得点30盗塁(1889年 - 1898年)

脚注[編集]

  1. ^ 1890年頃の盗塁の記録ルールは、1901年以降のものとは異なり、例えばシングルヒットで一塁から三塁へ達した場合でも、二塁から三塁への走塁は盗塁と記録されていた。[1]
  2. ^ 殿堂額の表記では196得点となっている。

出典・外部リンク[編集]