ハンク・アーロン

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ハンク・アーロン
Hank Aaron
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国 アラバマ州モービル
生年月日 1934年2月5日(75歳)
身長
体重
183cm
82kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 外野手一塁手
プロ入り 1952年
初出場 1954年4月13日
最終出場 1976年10月3日
経歴(括弧内は在籍年)
殿堂表彰者
選出年 1982年
得票率 97.8%
選出方法 BBWAA[1]による選出

“ハンク”ヘンリー・ルイス・アーロンHenry Louis "Hank" Aaron, 1934年2月5日 - )はアメリカメジャーリーグの元野球選手。右投右打・外野手。アラバマ州モービル出身。

通算本塁打755本はベーブ・ルースを超え、2007年バリー・ボンズに抜かれるまで33年間メジャーリーグ歴代1位だった。あだ名は「ハマー」。M.C.ハマーの憧れの存在としても知られる。Henry Louisルー・ゲーリッグと同名。

目次

[編集] 人物

子供時代は近くに野球チームが無く、ソーダの栓やぼろ布、ブリキの蓋などで野球のまねごとをしていた。ジャッキー・ロビンソンの所属したブルックリン・ドジャースが2軍のチームと試合をするためにモービルに来た時、幼いアーロンは彼が野球や人生について話すのを聞いている。[1]

最初はニグロ・リーグのクラウンズと契約して遊撃手として力をつけたが、1952年にボストン・ブレーブス(現・アトランタ・ブレーブス)のスカウトに目がとまり契約を結ぶこととなる。この時、ハンクのバットの持ち方がクロスハンド(右打者なのに、左腕が上になるバットの持ち方)なのに、凄いパワーの持ち主だと周囲を驚かせている。

ブレーブス入団後、チームはミルウォーキーフランチャイズを移転したためハンクの所属チームの1年目は「ミルウォーキー・ブレーブス」である。1954年ニューヨーク・ジャイアンツから移籍し、左翼手のレギュラーと目されていたボビー・トムソン1951年のナショナルリーグ・プレーオフ最終戦でサヨナラ3ランを放った選手)が春季キャンプの練習試合で2塁へのスライディングの際に足首を骨折するアクシデントが発生。翌日の試合で左翼手で先発出場したハンクは本塁打を放ち、これをきっかけにメジャー契約を勝ち取った。 当時は大エースウォーレン・スパーンや主砲エディ・マシューズを擁したチームだった。1957年にはナショナル・リーグ優勝を果たし、ワールドシリーズではミッキー・マントルらが主軸の強豪でワールドチャンピオン、ニューヨーク・ヤンキースとの対決であったがハンクはそこで活躍し、ヤンキースを破ってワールドチャンピオンとなるがこれが唯一体験したワールドチャンピオンとなる。

その後ブレーブスは1966年アトランタに移転するがハンクの注目がさほどでなかったのは事実で、注目されはじめたのは1970年代に入ってウィリー・メイズの本塁打数を塗り替えた頃である。

そして1973年、ルースの記録に追いつくまであと1本のところでシーズンを終えるのだがこのシーズンオフはハンクにとって長いものとなった。ルースの記録を信奉する者やルースの記録を、黒人のアーロンが破ることに屈辱を覚える白人至上主義者による執拗な嫌がらせや身の危険となる脅迫が相次いだのである。ハンクは当初この事実を隠していたがある時ふとした事がきっかけでこれに触れた所、今度は全米中からハンクを支持する激励の手紙が届いた。「貴方への嫌がらせの手紙を処分するいいものを送りましょう」と、マッチを送ってきた白人もいた。

これらをはねのけ翌1974年の開幕戦、シンシナティ・レッズ戦で本塁打を放ちルースの記録に並ぶと同年4月8日、本拠地フルトン・カウンティ・スタジアム(当時ブレーブス本拠地)でロサンゼルス・ドジャースアル・ダウニング投手から715本目の本塁打を放ち、ルースの記録を破った(ホームランボールはレフトフェンスとスタンドの間にあったブレーブスのブルペンに飛び、リリーフ投手トム・ハウスが直接グラブでキャッチした)。

この年の秋には日米野球で来日し読売ジャイアンツ王貞治と本塁打競争を行い、10対9でアーロンが勝っている。また王に手土産としてスパイクとグラブをプレゼントしたが、スパイクは王の足には大きすぎたりグラブも右利き用(王は左利き)だったがそれでも王は喜んで受け取ったというエピソードがある。

1975年からミルウォーキー・ブルワーズに移籍して、2年間をそこで過ごしてバットを置いた。本塁打数755本はメジャーリーグ歴代2位(右打者では1位)。また通算安打数も3771本という記録もあり、引退した当時はタイ・カッブに次ぐ記録であった。

1982年に野球殿堂入り。アトランタ・ブレーブス、ミルウォーキー・ブルワーズの背番号44はそれぞれ永久欠番に指定されている。引退後はブレーブスの球団副会長などを務め、ほかにも王と組んで世界少年野球推進財団を主宰するなどやはり後進の育成に力を向けている。2006年ワールド・ベースボール・クラシックの決勝において始球式を務めた。その際、日本代表監督を務めていた王と肩を寄せ軽い談笑をしているシーンが放送された。ちなみに王は「尊敬する野球選手は?」という問には必ずハンクの名を入れる。

2007年8月7日バリー・ボンズが通算756本のホームランを放ちハンクの通算本塁打記録を抜いたが、薬物疑惑もあるボンズの式典に出席しないと表明していた。ボンズの記録達成時にはVTRでコメントを球場に流している。

[編集] エピソード

  • ハンクはベジタリアンとしても有名である。
  • 王がハンクの通算本塁打記録を塗り替えた時、米メディアの多くは日本の球場の狭さや投手レベルを引き合いに出し王の偉業を「無価値なもの」とし、また大リーグでも非公認扱いとされている。しかしハンク自身は王の記録達成に心から敬意を表し、紳士的に祝福した。以降、王とは前述の通り長い親交があり1990年にはアサヒビール飲料(現・アサヒ飲料)の缶コーヒー「JO」のCMでも共演している。
  • 弟のトミー・アーロンもメジャーリーガーとしてプレーしたが、ハンクが殿堂入りした2年後(1984年白血病により亡くなっている。
  • 本塁打数ばかりが注目されるが、1960年から1968年まで盗塁数は二桁を数え、特に1963年には30-30(3割を記録しているため、トリプルスリーでもある)を達成するなど、俊足も持ち合わせていた。彼は自分自身をホームランバッターでなく万能の選手ととらえ、他の人たちにもそう思ってほしいとコメントしている。[2]


[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1954 MLN 122 509 468 58 131 27 6 13 209 69 2 2 6 4 28 - 3 39 13 .280 .322 .447 0.769
1955 153 665 602 105 189 37 9 27 325 106 3 1 7 4 49 5 3 61 20 .314 .366 .540 0.906
1956 153 660 609 106 200 34 14 26 340 92 2 4 5 7 37 6 2 54 21 .328 .365 .558 0.923
1957 151 675 615 118 198 27 6 44 369 132 1 1 0 3 57 15 0 58 13 .322 .378 .600 0.978
1958 153 664 601 109 196 34 4 30 328 95 4 1 0 3 59 16 1 49 21 .326 .386 .546 0.932
1959 154 693 629 116 223 46 7 39 400 123 8 0 0 9 51 17 4 54 19 .355 .401 .636 1.037
1960 153 664 590 102 172 20 11 40 334 126 16 7 0 12 60 13 2 63 8 .292 .352 .566 0.918
1961 155 671 603 115 197 39 10 34 358 120 21 9 1 9 56 20 2 64 16 .327 .381 .594 0.975
1962 156 667 592 127 191 28 6 45 366 128 15 7 0 6 66 14 3 73 14 .323 .390 .618 1.008
1963 161 714 631 121 201 29 2 44 370 130 31 5 0 5 78 18 0 94 11 .319 .391 .586 0.977
1964 145 634 570 103 187 30 2 24 293 95 22 4 0 2 62 9 0 46 22 .328 .393 .514 0.907
1965 150 639 570 109 181 40 1 32 319 89 24 4 0 8 60 10 1 81 15 .318 .379 .560 0.939
1966 ATL 158 688 603 117 168 23 1 44 325 127 21 3 0 8 76 15 1 96 14 .279 .356 .539 0.895
1967 155 669 600 113 184 37 3 39 344 109 17 6 0 6 63 19 0 97 11 .307 .369 .573 0.942
1968 160 676 600 84 174 33 4 29 302 86 28 5 0 5 64 23 1 62 21 .287 .354 .498 0.852
1969 147 639 547 100 164 30 3 44 332 97 9 10 0 3 87 19 2 47 14 .300 .396 .607 1.003
1970 150 598 516 103 154 26 1 38 296 118 9 0 0 6 74 15 2 63 13 .298 .385 .574 0.959
1971 139 573 495 95 162 22 3 47 331 118 1 1 0 5 71 21 2 58 9 .327 .410 .669 1.079
1972 129 544 449 75 119 10 0 34 231 77 4 0 0 2 92 15 1 55 17 .265 .390 .514 0.904
1973 120 465 392 84 118 12 1 40 252 96 1 1 0 4 68 13 1 51 7 .301 .402 .643 1.045
1974 112 382 340 47 91 16 0 20 167 69 1 0 1 2 39 6 0 29 6 .268 .341 .491 0.832
1975 MIL 137 543 465 45 109 16 2 12 165 60 0 1 1 6 70 3 1 51 15 .234 .332 .355 0.687
1976 85 308 271 22 62 8 0 10 100 35 0 1 0 2 35 1 0 38 8 .229 .315 .369 0.684
通算:23年 3298 13904 12364 2174 3771 624 98 755 6856 2297 240 73 21 121 1402 293 32 1383 328 .305 .374 .555 0.929
  • 太字はリーグ1位。赤太字はメジャー歴代1位。

[編集] 獲得タイトル

  • MVP:1回(1957年)
  • 首位打者:2回(1956年(.328)、1959年(.355))
  • 最多本塁打:4回(1957年(44)、1963年(44)、1966年(44)、1967年(39))
  • 最多打点:4回(1957年(132)、1960年(126)、1963年(130)、1966年(127))
  • ゴールドグラブ賞:3回(1958年、1959年、1960年)

[編集] 関連項目


[編集] 脚注

  1. ^ パット・サマーオール『ヒーロー・インタヴューズ』朝日新聞社刊、21~23ページ)
  2. ^ パット・サマーオール『ヒーロー・インタヴューズ』朝日新聞社刊、27ページ)

[編集] 外部リンク