ハンク・アーロン

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ハンク・アーロン
Hank Aaron
Hank Aaron All Star Parade 2008.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アラバマ州モービル
生年月日 1934年2月5日(80歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り  1952年
初出場 1954年4月13日
最終出場 1976年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1982年
得票率 97.8%
選出方法 BBWAA[1]による選出

ヘンリー・ルイス・アーロンHenry Louis Aaron, 1934年2月5日 - )は、アメリカ合衆国アラバマ州モービル出身の元プロ野球選手外野手)。右投げ右打ち。

通算本塁打755本はベーブ・ルースを超え、2007年バリー・ボンズに抜かれるまで33年間MLB歴代1位だった。あだ名は「ハマー」。M.C.ハマーの憧れの存在としても知られる。ベジタリアンとしても有名である。

人物[編集]

子供時代は近くに野球チームが無く、ソーダの栓やぼろ布、ブリキの蓋などで野球のまねごとをしていた。ジャッキー・ロビンソンの所属したブルックリン・ドジャースが2軍のチームと試合をするためにモービルを訪れた時、幼いアーロンはアーロンが野球や人生について話すのを聞いている。[1]弟のトミー・アーロンも後にメジャーリーガーとなったが[2]、ハンクが殿堂入りした2年後(1984年白血病により亡くなっている。

最初はニグロリーグのクラウンズと契約して遊撃手として力をつけたが、1952年にボストン・ブレーブス(現・アトランタ・ブレーブス)のスカウトの目にとまり契約を結ぶこととなる。この時、アーロンのバットの持ち方がクロスハンド(右打者なのに、左腕が上になるバットの持ち方)なのに、凄いパワーの持ち主だと周囲を驚かせている。

ブレーブス入団後、チームはミルウォーキーフランチャイズを移転した為ハンクの所属チームの1年目は「ミルウォーキー・ブレーブス」である。1954年ニューヨーク・ジャイアンツから移籍し、左翼手のレギュラーと目されていたボビー・トムソン1951年のナショナルリーグ・プレーオフ最終戦でサヨナラ3ランを放った選手)が春季キャンプの練習試合で2塁へのスライディングの際に足首を骨折するアクシデントが発生。翌日の試合で左翼手で先発出場したアーロンは本塁打を放ち、これをきっかけにメジャー契約を勝ち取った。 当時は大エースウォーレン・スパーンや主砲エディ・マシューズを擁したチームだった。1957年にはナショナルリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズではミッキー・マントルらが主軸の強豪でワールドチャンピオン、ニューヨーク・ヤンキースとの対決であったがアーロンはそこで活躍し、ヤンキースを破ってワールドチャンピオンとなるがこれが唯一体験したワールドチャンピオンとなる。

その後ブレーブスは1966年アトランタに移転するがアーロンの注目がさほどでなかったのは事実で、注目されはじめたのは1970年代に入ってウィリー・メイズの本塁打数を塗り替えた頃である。

そして1973年、ルースの記録に追いつくまであと1本のところでシーズンを終えるのだがこのシーズンオフはアーロンにとって長いものとなった。ルースの記録を信奉する者や、ルースの記録を黒人のアーロンが破ろうとしていることに反感を抱く白人至上主義者による執拗な嫌がらせや身の危険となる脅迫が相次いだのである。アーロンは当初、この事実を隠していたが、ある時ふとした事がきっかけでこれに触れたところ、今度は全米中からアーロンを支持する激励の手紙が届いた。「貴方への嫌がらせの手紙を処分するいい物を送りましょう」と、マッチを送ってきた白人もいた。当時アーロンは「ベーブ・ルースを忘れてほしいとは思っていない。ただ、私を覚えてもらいたいのです」と訴えている[3]

これらをはねのけ翌1974年の開幕戦、シンシナティ・レッズ戦で本塁打を放ちルースの記録に並ぶ[4]と同年4月8日午後7時7分、本拠地フルトン・カウンティ・スタジアム(当時ブレーブス本拠地)での第2打席、4回無死一塁の場面でロサンゼルス・ドジャースアル・ダウニング投手のカウント1ボールでの2球目の速球を叩いて715本目の本塁打を放ち、ルースの記録を破った(ホームランボールはレフトフェンスとスタンドの間にあったブレーブスのブルペンに飛び、リリーフ投手トム・ハウスが直接グラブでキャッチした)。

この年の秋には日米野球で来日し読売ジャイアンツ王貞治と本塁打競争を行い、10対9でアーロンが勝っている。また王に手土産としてスパイクとグラブをプレゼントしたが、スパイクは王の足には大きすぎたりグラブも右利き用(王は左利き)だったがそれでも王は喜んで受け取ったというエピソードがある。

  • 王がアーロンの通算本塁打記録を塗り替えた時、米メディアの多くは日本の球場の狭さや投手レベルを引き合いに出したが、アーロン自身は王の記録達成に心から敬意を表し、紳士的に祝福した。そしてフラミンゴのはく製を記念にと王に贈っている。以降、王とは前述の通り長い親交があり1990年にはアサヒビール飲料(現・アサヒ飲料)の缶コーヒー「JO」のCMでも共演している。

1975年からミルウォーキー・ブルワーズに移籍して、2年間をそこで過ごしてバットを置いた。本塁打数755本はメジャーリーグ歴代2位(右打者では1位)。また通算安打数も3771本で、引退した当時はタイ・カッブに次ぐ記録であった。

1982年野球殿堂入り。アトランタ・ブレーブス、ミルウォーキー・ブルワーズの背番号44はそれぞれ永久欠番に指定されている。引退後はブレーブスの球団副会長などを務め、ほかにも王と共に世界少年野球大会を提唱し、野球の普及、発展に努める。2006年ワールド・ベースボール・クラシックの決勝において始球式を務めた。その際、日本代表監督を務めていた王と肩を寄せ軽い談笑をしているシーンが放送された。ちなみに王は「尊敬する野球選手は?」という問いには必ずアーロンの名を入れる。

2007年8月7日バリー・ボンズが通算756本の本塁打を放ちアーロンの通算本塁打記録を抜いたが、薬物疑惑もあるボンズの式典に出席しないと表明していた。ボンズの記録達成時にはVTRでコメントを球場に流している。2009年8月7日、共同通信によると、2003年に匿名で行われたドーピング検査の陽性反応を示した選手のリストを公表すべきだとAP通信のインタビューに答えている。曰く、「私は長年野球をしていたからシーズン70本以上の本塁打を放つのは無理ということが分かる」とのことで、薬物疑惑のある選手の記録にはアスタリスクを付けるべきだとしている。

年度別打撃成績[編集]

本塁打数ばかりが注目されるが、1960年から1968年まで盗塁数は二桁を数え、特に1963年には30-30(3割を記録しているため、トリプルスリーでもある)を達成するなど、俊足も持ち合わせていた。彼は自分自身をホームランバッターでなく万能の選手ととらえ、他の人たちにもそう思ってほしいとコメントしている。[5]

















































O
P
S
1954 MLN
ATL
122 509 468 58 131 27 6 13 209 69 2 2 6 4 28 - 3 39 13 .280 .322 .447 0.769
1955 153 665 602 105 189 37 9 27 325 106 3 1 7 4 49 5 3 61 20 .314 .366 .540 0.906
1956 153 660 609 106 200 34 14 26 340 92 2 4 5 7 37 6 2 54 21 .328 .365 .558 0.923
1957 151 675 615 118 198 27 6 44 369 132 1 1 0 3 57 15 0 58 13 .322 .378 .600 0.978
1958 153 664 601 109 196 34 4 30 328 95 4 1 0 3 59 16 1 49 21 .326 .386 .546 0.932
1959 154 693 629 116 223 46 7 39 400 123 8 0 0 9 51 17 4 54 19 .355 .401 .636 1.037
1960 153 664 590 102 172 20 11 40 334 126 16 7 0 12 60 13 2 63 8 .292 .352 .566 0.918
1961 155 671 603 115 197 39 10 34 358 120 21 9 1 9 56 20 2 64 16 .327 .381 .594 0.975
1962 156 667 592 127 191 28 6 45 366 128 15 7 0 6 66 14 3 73 14 .323 .390 .618 1.008
1963 161 714 631 121 201 29 2 44 370 130 31 5 0 5 78 18 0 94 11 .319 .391 .586 0.977
1964 145 634 570 103 187 30 2 24 293 95 22 4 0 2 62 9 0 46 22 .328 .393 .514 0.907
1965 150 639 570 109 181 40 1 32 319 89 24 4 0 8 60 10 1 81 15 .318 .379 .560 0.939
1966 158 688 603 117 168 23 1 44 325 127 21 3 0 8 76 15 1 96 14 .279 .356 .539 0.895
1967 155 669 600 113 184 37 3 39 344 109 17 6 0 6 63 19 0 97 11 .307 .369 .573 0.942
1968 160 676 600 84 174 33 4 29 302 86 28 5 0 5 64 23 1 62 21 .287 .354 .498 0.852
1969 147 639 547 100 164 30 3 44 332 97 9 10 0 3 87 19 2 47 14 .300 .396 .607 1.003
1970 150 598 516 103 154 26 1 38 296 118 9 0 0 6 74 15 2 63 13 .298 .385 .574 0.959
1971 139 573 495 95 162 22 3 47 331 118 1 1 0 5 71 21 2 58 9 .327 .410 .669 1.079
1972 129 544 449 75 119 10 0 34 231 77 4 0 0 2 92 15 1 55 17 .265 .390 .514 0.904
1973 120 465 392 84 118 12 1 40 252 96 1 1 0 4 68 13 1 51 7 .301 .402 .643 1.045
1974 112 382 340 47 91 16 0 20 167 69 1 0 1 2 39 6 0 29 6 .268 .341 .491 0.832
1975 MIL 137 543 465 45 109 16 2 12 165 60 0 1 1 6 70 3 1 51 15 .234 .332 .355 0.687
1976 85 308 271 22 62 8 0 10 100 35 0 1 0 2 35 1 0 38 8 .229 .315 .369 0.684
通算:23年 3298 13904 12364 2174 3771 624 98 755 6856 2297 240 73 21 121 1402 293 32 1383 328 .305 .374 .555 0.929
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高
  • ML1(ミルウォーキー・ブレーブス)は、1966年にATL(アトランタ・ブレーブス)に球団名を変更

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ パット・サマーオール『ヒーロー・インタヴューズ』朝日新聞社刊、21~23ページ
  2. ^ Right Name, Wrong Genes: The Top 50 Less Talented Relatives of Superstars”. bleacherreport.com (2010年9月7日). 2012年3月25日閲覧。
  3. ^ 栗山英樹監修『言葉の魔球 野球名言集』出版芸術社 178ページ
  4. ^ この本塁打はリーグ全体でシーズン最初の本塁打であるため、この年から導入された牛革ボールを打ったMLB初の本塁打でもあった。当日の記録
  5. ^ パット・サマーオール『ヒーロー・インタヴューズ』朝日新聞社刊、27ページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]