ジム・コンスタンティー
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| 基本情報 | |
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| 出身地 | |
| 生年月日 | 1917年3月2日 |
| 没年月日 | 1976年6月11日(満59歳没) |
| 身長 体重 |
6' 1.5" =約186.7 cm 202 lb =約91.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| 初出場 | 1944年6月18日 |
| 最終出場 | 1956年9月19日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ジム・コンスタンティー(Casimir James "Jim" Konstanty、1917年3月2日 - 1976年6月11日)はアメリカニューヨーク州ストライカーズヴィル出身の野球選手(投手、右投げ右打ち)。"Whiz Kids"と呼ばれた1950年のフィラデルフィア・フィリーズで救援投手として活躍し、同年ナショナルリーグ最優秀選手となった。
目次 |
来歴・人物 [編集]
シラキュース大学で学士号を取得した後、コンスタンティーはニューヨークのセントレジス・フォールズで体育の教官をしていたが、その後シンシナティ・レッズと契約して1944年にメジャーにデビューする。同年先発として6勝4敗の成績を残したが、1947年まではほとんどマイナーリーグで過ごしていた。1948年、31歳になってフィラデルフィア・フィリーズに移籍し、リリーフを専門でこなす投手となってから、ようやくメジャーに定着するようになった。
鋭いスライダーとチェンジアップを武器に1949年に9勝7セーブ、3.25の成績を残し、翌1950年にはリーグ最多となる74試合に登板し16勝7敗と22セーブ、防御率2.66を記録、この年のフィリーズのリーグ優勝に大きく貢献する。この年コンスタンティーはナショナルリーグの最優秀選手だけでなく、AP通信のアスリート・オブ・ザ・イヤーや、スポーティングニューズ紙のピッチャー・オブ・ザ・イヤー等の表彰を受けた。
しかし翌年はその反動からか4勝11敗9セーブと不振に陥り、1953年には再び先発投手となり14勝を挙げている。このときはすでに36歳になっていた。翌1954年シーズン中にフィリーズから放出され、ヤンキース、カージナルスに在籍し1956年に現役を引退した。
1976年にニューヨーク州オニオンタで死去。
通算成績 [編集]
投手成績 [編集]
| 登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 433 | 36 | 945.2 | 66 | 2 | 48 | 74 | 268 | 957 | 88 | 269 | 5 | 8 | 364 | 3.46 |
獲得タイトル・記録 [編集]
- ナショナルリーグ最優秀選手:1950年
- ナショナルリーグ最多セーブ:1950年
- オールスターゲーム選出:1950年
- ワールドシリーズ出場:1回(1950年)
打撃成績 [編集]
- 通算:433試合、202打数33安打、本塁打0、打点14、打率.163
出典・外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
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