マット・ケンプ

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マット・ケンプ
Matt Kemp
ロサンゼルス・ドジャース #27
Matt Kemp at Petco Park.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 オクラホマ州ミッドウェスト・シティ
生年月日 1984年9月23日(28歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手(中堅手/右翼手)
プロ入り 2003年 ドラフト6巡目でロサンゼルス・ドジャースに指名
初出場 2006年5月28日 ナショナルズ
年俸 $4,750,000(2012年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)

マシュー・ライアン・ケンプ(Matthew Ryan Kemp, 1984年9月23日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身のメジャーリーグベースボールロサンゼルス・ドジャースに所属する外野手(中堅手/右翼手)。右投右打。愛称はThe Bison(ザ・バイソン)

目次

略歴 [編集]

オクラホマ州のミッドウェスト・シティ高校時代には野球バスケットボールの両方で頭角を現す[2]。高校時代のバスケットボールチームのチームメイトには、NBAボストン・セルティックスに所属するシェルデン・ウィリアムスがいた。2003年にドラフト6巡目でロサンゼルス・ドジャースから指名されプロ入り。マイナー時代から好成績を残し、2006年5月28日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャーデビュー。

メジャーリーグ昇格後 [編集]

メジャー昇格後、初戦で早速メジャー初安打を放つ。同年7月1日のドジャー・スタジアムでのフィラデルフィア・フィリーズ戦で、ガビン・フロイドからメジャー初本塁打を放つと、翌日、翌々日の試合でも本塁打を放ち、メジャー昇格後10日で4本塁打という鮮烈なデビューを飾った。これは球団史上初、メジャーリーグ全体でも史上5人目の快挙であった[3]。その後、一旦はドジャース傘下の3Aラスベガス・フィフティワンズに降格するも、9月1日のロースター拡大後は再びメジャーに昇格。最終的に打率.253、7本塁打、23打点、6盗塁という成績を残す。

2007年は開幕をメジャーで迎えるが、打球を追ってドジャースタジアムのフェンスに激突するというアクシデントによる負傷でDL入り。怪我から復帰後は、3Aでの調整を経て7月半ばにメジャーに復帰。その後は好調を維持し、最終的に98試合の出場ながら打率.342という好成績を残す。また、本塁打、盗塁も初めて2桁に到達した。 2008年は当初右翼のレギュラーとして期待されていたが、アンドリュー・ジョーンズの故障もあって中堅に回る。4月28日-5月4日の週間MVPにも選ばれ[4]、完全にレギュラーの地位を確保した。6月3日のロッキーズ戦で、相手捕手のヨービット・トレアルバと乱闘騒ぎを起こして退場処分となり、4試合の出場停止処分を受ける[5]という不測の事態もあったものの、最終的には155試合に出場し、打率.290、18本塁打、76打点、35盗塁の好成績を収めた。

2009年は、自己ベストのシーズンを送った。出場試合数159を含めて、得点・安打・三塁打・本塁打・四球・打率・出塁率・長打率・死球・犠飛などの各部門で前年を上回る数字を残し、逆に盗塁死・三振をどちらも減少させた。特に本塁打と打点はそれぞれ、25本・100打点のラインをクリアした。シーズン終了後のMVP投票では10位にランクインし、シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を同時に受賞した。

大きく飛躍した2009年と比べると、2010年は壁にぶつかったシーズンとなった。全162試合にフル出場し、自己ベストを更新する28本塁打を放ったが、打率と打点はそれぞれ、.250と90のラインをクリアする事すら出来なかった。また、走塁面では盗塁19に対して失敗が15と、盗塁成功率が大幅に低下してしまった。更に守備面でも、2008年に16、2009年に14あった補殺が3まで減少し、守備防御点は両リーグで最低の-15と大不振に陥った[6]

2011年は、前年とは大きく変わって、好成績を収めた。この年はオールスターにも出場した。惜しくも三冠王は逃したものの、本塁打王打点王と二冠を達成し、3割、40本、40盗塁まであと1本塁打に迫った。自身2度目のシルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞に加え、ハンク・アーロン賞を受賞した。11月18日に8年1億6000万ドルでドジャースと契約延長。これはケビン・ブラウンの7年1億500万ドルを大きく上回る球団史上最高額であり、MLB全体でも史上7番目の大型契約となる[7]

2012年は、大型契約を結んだ後と言う事もあり大きな期待がかかった。期待通りに開幕から好調で本塁打を量産。盗塁数は少なかったが地元では史上初の50本塁打50盗塁を期待する声が上がるほど調子がよかった。しかし、故障で離脱してしまい、復帰後は調子を落とし、最終的には106試合の出場で打率.303、本塁打23本、打点69、盗塁9個に終わった。

選手としての特徴 [編集]

193cm、102kgの巨漢ながら、アフリカ系アメリカ人選手の例に漏れず、高い身体能力を持ち、長打力、走力、守備力を併せ持つ次世代のスーパースター候補であった。特に走力があり、2011年シーズンは自己最多となる40盗塁をマークした。最大の欠点は選球眼の悪さで、毎年三振率が非常に高い。2008年シーズンは出場試合数とほぼ同じ153三振を喫し、2010年は170個の三振を喫した。一方で四球の数は少なく、出塁率もそれほど高くない。しかし、2007年シーズンには既定打席未到達ながら打率.342をマークするなど、ミート力も兼ね備えている。 2009年シーズンは打率3割、30本塁打、30盗塁に近い成績を残し、ドジャースの近未来の核であることを証明している。なお、その活躍が認められオールスターでは「最後の4人」に選出されるも本選出場を逃す(出場したのはフィリーズのビクトリーノ)。 2011年は四球の数も増加し.399と4割近い出塁率を記録。打率.324、本塁打39本、打点126、盗塁40個と活躍したことで オフに大型契約を結ぶなどスーパースターへの階段を一気に駆け上がった。

年度別打撃成績 [編集]

















































O
P
S
2006 LAD 52 166 154 30 39 7 1 7 69 23 6 0 0 3 9 1 0 53 1 .253 .289 .448 .737
2007 98 311 292 47 100 12 5 10 152 42 10 5 0 3 16 0 0 66 6 .342 .373 .521 .894
2008 155 647 606 93 176 38 5 18 278 76 35 11 1 3 46 6 1 153 11 .290 .340 .459 .799
2009 159 667 606 97 180 25 7 26 297 101 34 8 0 6 52 6 3 139 14 .297 .352 .490 .842
2010 162 668 602 82 150 25 6 28 271 89 19 15 0 9 53 4 4 170 14 .249 .310 .450 .760
2011 161 689 602 115 195 33 4 39 353 126 40 11 0 7 74 24 6 159 16 .324 .399 .586 .986
2012 106 449 403 74 122 22 2 23 217 69 9 4 0 3 40 8 3 103 10 .303 .367 .538 .906
通算:7年 893 3607 3265 538 962 162 30 151 1637 526 153 54 1 34 290 49 17 843 72 .295 .352 .501 .853
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰 [編集]

その他 [編集]

愛称のThe Bison(ザ・バイソン)は、メジャー昇格後2試合目となる2006年5月29日のアトランタ・ブレーブス戦の4回、ケンプが二盗を決めた際に、テレビ放送で解説を務めていた往年の名投手ドン・サットンが「バッファローがダイヤモンドを駆け回っているようだ。」と表現したのが切っ掛けである。この表現は、ケンプの大柄な体格と相まって一気に浸透した。後に、“Buffero”(バッファロー)の愛称は北米でより一般に野牛を意味する“Bison”(バイソン)と改められた。

オクラホマ州出身だが、シーズンオフの間もロサンゼルスに居を構えている。2010年1月、人気歌手リアーナとの交際が報じられた[8]

脚注 [編集]

外部リンク [編集]