ダスティ・ベイカー

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ダスティ・ベイカー
Dusty Baker
Dusty Baker talking before game.JPG
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州リバーサイド
生年月日 1949年6月15日(64歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
183 lb =約83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1967年 ドラフト26巡目でアトランタ・ブレーブスから指名
初出場 1968年9月7日
最終出場 1986年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
カブス時代(2006)

ダスティ・ベイカーJohnnie B. "Dusty" Baker, Jr. , 1949年6月15日 - )は、MLBで活躍した元野球選手、監督。 主に外野手。右投右打。アメリカ合衆国カリフォルニア州リバーサイド出身。 1993年から2002年までサンフランシスコ・ジャイアンツ、2003年から2006年まではシカゴ・カブスの監督をつとめた。2008年から2013年までシンシナティ・レッズの指揮を執ってた[1]

人物・来歴[編集]

現役時代[編集]

1967年のドラフト26巡目でアトランタ・ブレーブスに入団。マイナーでのプレー後、1972年には139試合に出場し、打率.321、17本塁打、76打点の好成績を収めメジャーに定着する。1976年ロサンゼルス・ドジャースに移籍。翌1977年には30本塁打を放ち、一塁手のスティーブ・ガービー(33本塁打)、三塁手のロン・セイ(30本塁打)、外野手のレジー・スミス(32本塁打)と共に30本塁打カルテットの一員となり、ワールドシリーズ進出に貢献する。翌1978年ワールドシリーズに進出するが、いずれもニューヨーク・ヤンキースに敗れている。1984年サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。1985年オークランド・アスレチックスに移籍。アスレチックス移籍後は一塁手、指名打者での出場も増える。1986年引退。

監督時代[編集]

1988年から5年間スプリットフィンガード・ファストボールの生みの親としても知られるロジャー・クレイグ監督の下で一塁コーチ・打撃コーチを歴任し、クレイグが退任した1993年サンフランシスコ・ジャイアンツの監督に就任。ウィル・クラークマット・ウィリアムズバリー・ボンズを擁する強力打線と2人の20勝投手、ジョン・バーケットビル・スウィフトに支えられ、106勝59敗の好成績を収める(ナショナルリーグ西地区2位)。

1997年2000年には地区優勝を果たすがリーグチャンピオンシップシリーズに勝つことは出来なかった。 2002年には、ワイルドカードからナショナルリーグを制するが、ワールドシリーズでは3勝4敗でアナハイム・エンゼルスに敗れた。第5戦ではバット・ボーイを務めていた3歳の息子ダレンが、本塁上で選手と交錯しそうになったが、機転をきかせたJ.T.スノー選手が拾い上げ難を逃れた。大変危険なプレーであったため、翌2003年のシーズンから年齢制限を設け、14歳以下の子供がバットボーイとしてベンチ入りすることは禁止された。

2003年にはシカゴ・カブスの監督に就任。1年目は地区優勝を果たすが、またしてもリーグチャンピオンシップシリーズに勝つことは出来なかった。年々成績が低下し、最下位になった2006年ついに解任される。

2007年10月13日、前任のジェリー・ナロン監督の解任に伴いシンシナティ・レッズの新監督に就任。球団史上初の黒人監督となった[2]

指揮官としては、ジャイアンツ時代に三度の最優秀監督に選出され、2002年にはリーグ制覇した実績がある。選手から慕われるプレーヤーズ・マネージャーである反面、出塁率を軽視したり、先発投手に球数を投げさせ過ぎるなど、旧来の野球観に囚われている一面もある。「一番打者は出塁率よりスピード」と硬く信じるベーカーは、レッズの監督就任に際してカブス時代から目をかけていたコーリー・パターソン獲得を上層部に強く要請し、実際に入団してからは一番打者として起用していたが、期待を大きく裏切る惨憺たる成績で、完全に的外れな補強との酷評を受けた。また、若手を信頼せず、ベテランの起用を好む傾向にある。それ故レッズ就任時には、ホーマー・ベイリージョニー・クエト両投手やジョーイ・ボット一塁手、ジェイ・ブルース外野手ら新星がひしめくチームには不向きではないか、と疑問視する声も上がった。一発頼みの大味なスタイルから脱却したいとの狙いから細かく手堅い作戦を多用するが、結局空回りに終わることが多く、そのような戦法は本塁打の出易い本拠地球場にふさわしくない、そもそも指揮官としてチームの特徴を把握出来ていない、など批判も多かった[2][3][4][5]

2010年はレッズを15年ぶりの地区優勝に導く。オフに2年間の契約延長を行った。

2012年にも地区優勝を決めたが、その優勝決定試合には姿を見せることができなかった。これは直前に不整脈で入院していた為であった[6]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1968 ATL 6 5 5 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .400 .400 .400 .800
1969 3 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
1970 13 27 24 3 7 0 0 0 7 4 0 0 0 1 2 0 0 4 1 .292 .333 .292 .625
1971 29 64 62 2 14 2 0 0 16 4 0 1 1 0 1 1 0 14 1 .226 .238 .258 .496
1972 127 503 446 62 143 27 2 17 225 76 4 7 2 6 45 2 4 68 9 .321 .383 .504 .887
1973 159 686 604 101 174 29 4 21 274 99 24 3 1 9 67 8 5 72 14 .288 .359 .454 .813
1974 149 656 574 80 147 35 0 20 242 69 18 7 3 7 71 9 1 87 12 .256 .335 .422 .757
1975 142 567 494 63 129 18 2 19 208 72 12 7 1 5 67 7 0 57 10 .261 .346 .421 .767
1976 LAD 112 421 384 36 93 13 0 4 118 39 2 4 1 4 31 3 1 54 15 .242 .298 .307 .605
1977 153 604 533 86 155 26 1 30 273 86 2 6 2 5 58 6 6 89 9 .291 .364 .512 .876
1978 149 579 522 62 137 24 1 11 196 66 12 3 4 3 47 2 3 66 10 .262 .325 .375 .700
1979 151 616 554 86 152 29 1 23 252 88 11 4 2 3 56 0 1 70 16 .274 .340 .455 .795
1980 153 638 579 80 170 26 4 29 291 97 12 10 1 12 43 4 3 66 11 .294 .339 .503 .842
1981 103 438 400 48 128 17 3 9 178 49 10 7 3 5 29 1 1 43 9 .320 .363 .445 .808
1982 147 640 570 80 171 19 1 23 261 88 17 10 2 9 56 5 3 62 7 .300 .361 .458 .819
1983 149 616 531 71 138 25 1 15 210 73 7 1 4 7 72 2 2 59 9 .260 .346 .395 .741
1984 SF 100 287 243 31 71 7 2 3 91 32 4 1 0 4 40 1 0 27 5 .292 .387 .374 .761
1985 OAK 111 396 343 48 92 15 1 14 151 52 2 1 0 3 50 0 0 47 12 .268 .359 .440 .799
1986 83 271 242 25 58 8 0 4 78 19 0 1 0 2 27 1 0 37 8 .240 .314 .322 .636
通算:19年 2039 8021 7117 964 1981 320 23 242 3073 1013 137 73 27 85 762 52 30 926 158 .278 .347 .432 .779

年度別監督成績[編集]

年度 球団 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考 ポストシーズン
勝敗
1993 SF NL 西 44 162 103 59 .636 2 / 7  
1994 45 115 55 60 .478 2 / 4  
1995 46 144 67 77 .465 4 / 4  
1996 47 162 68 94 .420 4 / 4  
1997 48 162 90 72 .556 1 / 4 NLDS敗退 0勝3敗
1998 49 163 89 74 .546 2 / 5  
1999 50 162 86 76 .531 2 / 5  
2000 51 162 97 65 .599 1 / 5 NLDS敗退 1勝3敗
2001 52 162 90 72 .556 2 / 5  
2002 53 162 95 66 .590 2 / 5 WS敗退 10勝7敗
2003 CHC NL 中 54 162 88 74 .543 1 / 6 NLCS敗退 6勝6敗
2004 55 162 89 73 .549 3 / 6  
2005 56 162 79 83 .488 4 / 6  
2006 57 162 66 96 .407 6 / 6  
2008 CIN 59 162 74 88 .457 5 / 6  
2009 60 162 78 84 .481 4 / 6  
2010 61 162 91 71 .562 1 / 6 NLDS敗退 0勝3敗
2011 62 162 79 83 .488 3 / 6  
2012 63 162 97 65 .599 1 / 6 NLDS敗退 2勝3敗
2013 64 162 90 72 .556 3 / 5 PO敗退
通算20年 3176 1671 1504 .526     19勝25敗
  • 太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)

受賞歴・記録[編集]

参考資料[編集]

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  1. ^ “Reds give Dusty Baker a three-year deal”. http://www.latimes.com/sports/la-sp-newswire14oct14,1,4876134.story?coll=la-headlines-sports 2007年10月14日閲覧。 
  2. ^ a b 『ウェルカム・メジャーリーグ 2008』 白夜書房〈白夜ムック 315〉、194頁。ISBN 978-4861913983
  3. ^ Dusty Baker and Pitch Counts”. 2006年5月26日閲覧。
  4. ^ 出野哲也「レッズの進むべき道を探る 迷走の先にあるものは」 『月刊スラッガー No.124 , 2008年8月号』 日本スポーツ企画出版社、39 - 41頁。
  5. ^ 出野哲也「2008後半戦チーム別総点検ナショナル・リーグ編」 『月刊スラッガー No.125 , 2008年9月号』 日本スポーツ企画出版社、48頁。
  6. ^ レッズ 2年ぶり地区V 名将は入院中 主力選手「監督に会いたいよ」 - スポーツニッポン、2012年9月23日

外部リンク[編集]