サム・トンプソン
| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1860年3月5日 |
| 没年月日 | 1922年11月7日(満62歳没) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 207 lb =約93.9 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| 初出場 | 1885年7月2日 |
| 最終出場 | 1906年9月10日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 選出年 | 1974年 |
| 選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
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この表について
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サム・トンプソン(Samuel Luther Thompson, 1860年3月5日 - 1922年11月7日) は、19世紀に活躍したアメリカ・メジャーリーグの選手。ポジションは右翼手。インディアナ州生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは"Big Sam"(ビッグ・サム)。ボールの飛ばない時代の数少ない長距離打者だった。
目次 |
経歴 [編集]
元々大工をしていたトンプソンは、1884年、ウエスタンリーグのインディアナポリス球団からデトロイト・ウルバリンズに入団。63試合に出場して打率.303をマーク、本塁打7本、44打点、長打率.500と長打力を発揮して外野のレギュラーとなる。1887年には打率.372で首位打者となったほか、203安打で166打点を挙げ、チームのナショナルリーグ制覇に貢献する。この年の5月7日の試合では、満塁走者を一掃する三塁打を二度放ったという記録もつくっている。
1889年にフィリーズに移籍。同年は20本塁打で初めて本塁打のタイトルを獲得する。また1894年には、チームメイトだったエド・デラハンティと共に打率4割超え(.407) を達成するとともに、141打点を挙げ、両打撃部門でリーグ2位となる(この年はヒュー・ダフィーが.440を記録して三冠王になった年である)。また、この年は打点が147打点で1位であるとする説もあるが公式には2位のままである。翌1895年には18本塁打、165打点をマークして両部門のリーグトップとなった。
1896年に不運な怪我に見舞われ、翌年、翌々年のシーズンはほとんど出場できなかった。1898年に一度引退したが、野球への思いが絶ちがたかったのか、8年後の1906年、46歳の時に現役復帰し、8試合に出場し7本の安打を記録。打率は.226であった。1922年、ミシガン州デトロイトで死去。1974年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。
通算成績 [編集]
打撃成績 [編集]
※数字の後の"*"は、記録不明の箇所があることを示す。
| 試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
得 点 |
打 点 |
盗 塁 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
犠 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1407 | 5984 | 1979 | 340 | 160 | 127 | 1256 | 1299 | 229* | 226* | 450 | 63* | 13* | .331 | .384 | .505 | .889 |
獲得タイトル・記録 [編集]
出典・外部リンク [編集]
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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