ホセ・レイエス
| トロント・ブルージェイズ #7 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1983年6月11日(29歳) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投両打 |
| ポジション | 遊撃手 |
| プロ入り | 1999年 アマチュア・フリーエージェントとしてニューヨーク・メッツと契約 |
| 初出場 | 2003年6月10日 レンジャーズ戦 |
| 年俸 | $10,000,000(2013年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年、2009年、2013年 |
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この表について
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ホセ・ベルナベ・レイエス(José Bernabé Reyes, 1983年6月11日 - )は、ドミニカ共和国サンティアゴ州ビラ・ゴンザレス出身の野球選手。遊撃手、右投両打。MLBトロント・ブルージェイズに所属している。
目次 |
経歴 [編集]
アマチュア、マイナー時代 [編集]
レイエスは1983年6月11日、ドミニカ共和国のサンティアゴ州ビラ・ゴンザレスで生まれた。10歳のころ野球を始めたが、家が貧しかったためグラブには牛乳パック、ボールには柑橘類を使っていた[2]。このときからポジションは遊撃手だった。
ロベルト・アロマーに憧れ野球に打ち込んでいた[2]レイエスだったが、進学したリセオイ・デリア・レイエス高校には野球部がなかったため別のチームでプレイしていた[3]。1999年、レイエスの噂を聞きつけ観戦に訪れたメッツスカウトの目にとまり、8月に契約を交わした。
2000年にマイナーリーグの1番下のクラスであるルーキーリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせたレイエスは、直後に右打者から両打ち(スイッチヒッター)へ転向した。その後マイナーリーグで着実に成長を遂げ、際だつ身体能力の高さ(特にずば抜けた俊足・強肩)で、デビッド・ライトやスコット・カズミアーらとともにメッツの超有望株として知られるようになった。AA級に昇格した2002年には、USAトゥデイのマイナー最優秀選手にも選出されている。
ニューヨーク・メッツ [編集]
2003年、AAA級で盗塁数1位を記録していたレイエスは、6月10日のレンジャーズ戦でメジャーデビューを果たした。この日は20歳の誕生日の前日だったため、メッツでは1984年のドワイト・グッデン以来19年ぶり9人目の「10代でメジャーデビュー」となった。8月31日に左足首を捻挫してこの年のシーズンを終えたが、17試合連続安打を放ち、最後の40試合で.358の高打率を記録するなど活躍した。球団もファンも将来のスーパースターとして期待を抱いていた。
2004年、西武ライオンズ(日本)から松井稼頭央がFAで入団したため、ポジションが遊撃で重なるレイエスは二塁手への転向を余儀なくされた。地元ニューヨークではレイエスの二塁コンバートに反対する声が根強かった[4]。それでもレイエス本人は「チームはメジャー最高の二遊間を作ろうとしている。僕にはそれがよく分かったんだ」といい、日本でのプレイ経験があるホセ・パーラから「リトル・マツイは素晴らしい選手だよ」と聞いたこともあって、二塁への転向を二つ返事で承諾した[4]。しかしこの年レイエスは怪我もあって前年を下回る53試合にしか出場できず、松井も23失策を記録する守乱だった。翌年、チームは松井を二塁へコンバートし、レイエスを遊撃に戻した。
2005年は初めて怪我なくシーズンを過ごし、161試合に出場した。打率.276ながら60盗塁・17三塁打(どちらもナショナルリーグ最多)を記録するなどメジャー屈指のスピードを存分に発揮した。しかし27四球・出塁率.300と選球眼に難があった。
2006年のスプリング・トレーニングで、レイエスはリッキー・ヘンダーソンから指導を受けた。これまではボール球でも構わず振り、自分の好きなタイミングで盗塁のスタートを切っていたレイエスに対し、ヘンダーソンは「2ストライク後の投球へのアプローチへの仕方」と「投手の癖を見抜いてスタートを切ること」をアドバイスした[5]。この成果は数字となって現れた。シーズンでは打率.300・19本塁打・81打点と打撃3部門全てにおいて自己最高を記録。四球53と前年より倍近く増やし、課題だった出塁率も.354と向上した。さらに2年連続で60盗塁を超え(64盗塁)盗塁王を獲得、三塁打も2年連続17本でリーグ1位となった。オールスターにも初選出されたが、7月7日のマーリンズ戦で左手小指を7針縫う怪我をしたため辞退[6]。7月18日から再び先発出場し続け、球団は8月3日に、2007年からの4年で2,325万ドル(5年目の2011年は球団オプション)の契約を結んでいる[7]。
年々上がっていく成績に、2007年のシーズン前にはレイエスはMVP候補に挙げられた[8]。高い期待に応えるように、レイエスはオールスターまでに46盗塁・出塁率.387を記録していた。しかし後半戦に入ると成績は急降下。チームも地区2位のフィリーズに残り17試合で7ゲーム差をつけて首位にいたのに、最終戦で順位を逆転されてポストシーズン進出を逃した。レイエスは、シーズン78盗塁で3年連続の盗塁王を獲得したにもかかわらず、メッツ転落の「最大の戦犯」として名前が挙げられた[9]。
レイエスが後半戦に不振に陥った理由として、2006年春にはレイエスを成長させたヘンダーソンの存在が指摘されている。オールスター後にメッツのコーチに就任したヘンダーソンだが、試合前にトランプをする姿が若いレイエスに悪影響を与えたとみられ、実際にヘンダーソンがコーチ就任して以降のレイエスの打率は.247と低迷している[9]。そのほか、シーズンを通して盗塁しまくったことで9月に疲労が押し寄せたことが不振につながった、という指摘もある[10]。評価を下げたレイエスはシーズン終了後にヨハン・サンタナのトレード要員になったが[11]、残留。
2008年は4年連続での盗塁王こそ逃したものの、シーズントータルで56盗塁を記録し、9月10日にはムーキー・ウィルソンの通算盗塁球団記録281を更新[12]。19三塁打と自己最高の数字を記録。前年より打率・出塁率が上昇し、リーグ最多の204安打を記録。しかし、9月の月間打率.243・出塁率.314は「レイエスの出塁が鍵」と言われるチームにとっては十分な成績とは言えず、2年連続で惨敗の戦犯の一人となった[13]。
2009年は、故障の影響で、5年ぶりに出場試合数が150を下回った。また、出場試合数が減少した影響で、打数・得点・安打・二塁打・三塁打・本塁打・盗塁などの各部門で自己最小の数字に終わった。それでも、盗塁数は11盗塁であり、メジャーデビュー以来7年連続で2ケタ盗塁を記録し続けている。
2010年シーズン開幕前にはステロイド使用疑惑が巻き起こり、開幕から15日間の出場停止処分を受けた。5月25日のフィリーズ戦でジェイミー・モイヤーからメジャー通算1,000本安打を達成。オールスターに選出されたが故障のため出場できなかった。
2011年6月28日にメジャー通算1,000試合出場を達成。この試合で通算360個目の盗塁を記録したが、これはこの時点でメジャー歴代100位に入った盗塁であった。この年もオールスターにファン投票で選出されたが、再び故障のため出場できなかった。このシーズン、打率.337を記録し、ブルワーズのライアン・ブラウンを抑えてナ・リーグ首位打者となった。これはメッツ創設以来50シーズン目にして球団史上初の首位打者であった。また、このシーズンにおいてレイエスは126試合にしか出場しておらず、2002年のマニー・ラミレス(当時レッドソックス)が120試合出場で首位打者となって以後、最少出場試合数の首位打者であった。
マイアミ・マーリンズ [編集]
2011年のワールドシリーズ終了後にフリーエージェントとなり、12月4日、マイアミ・マーリンズと6年総額1億1100万ドル(約86億6000万円)で契約した[14]。
トロント・ブルージェイズ [編集]
2012年11月13日にジョシュ・ジョンソン、マーク・バーリー、ユネル・エスコバーら総勢11人が動く大型トレードでトロント・ブルージェイズに移籍した[15]。
2013年のワールド・ベースボール・クラシックではドミニカ共和国代表に3大会連続で選出され、チームの初優勝に貢献。自身も遊撃手部門でベストナインを獲得した。[16]ところが、シーズン序盤の4月12日のロイヤルズ戦で二盗を試みスライディングをした際に左足首を負傷、故障者リスト入りとなった[17](4月23日には40人枠からも外された)。これに伴い、レイエスの代役として川崎宗則がメジャーに昇格した。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | NYM | 69 | 292 | 274 | 47 | 84 | 12 | 4 | 5 | 119 | 32 | 13 | 3 | 2 | 3 | 13 | 0 | 0 | 36 | 1 | .307 | .334 | .434 | .768 |
| 2004 | 53 | 229 | 220 | 33 | 56 | 16 | 2 | 2 | 82 | 14 | 19 | 2 | 4 | 0 | 5 | 0 | 0 | 31 | 1 | .255 | .271 | .373 | .644 | |
| 2005 | 161 | 733 | 696 | 99 | 190 | 24 | 17 | 7 | 269 | 58 | 60 | 15 | 4 | 4 | 27 | 0 | 2 | 78 | 7 | .273 | .300 | .386 | .686 | |
| 2006 | 153 | 703 | 647 | 122 | 194 | 30 | 17 | 19 | 315 | 81 | 64 | 17 | 2 | 0 | 53 | 6 | 1 | 81 | 6 | .300 | .354 | .487 | .841 | |
| 2007 | 160 | 765 | 681 | 119 | 191 | 36 | 12 | 12 | 287 | 57 | 78 | 21 | 5 | 1 | 77 | 13 | 1 | 78 | 6 | .280 | .354 | .421 | .775 | |
| 2008 | 159 | 763 | 688 | 113 | 204 | 37 | 19 | 16 | 327 | 68 | 56 | 15 | 5 | 3 | 66 | 8 | 1 | 82 | 9 | .297 | .358 | .475 | .833 | |
| 2009 | 36 | 166 | 147 | 18 | 41 | 7 | 2 | 2 | 58 | 15 | 11 | 2 | 0 | 1 | 18 | 1 | 0 | 19 | 2 | .279 | .355 | .395 | .750 | |
| 2010 | 133 | 603 | 563 | 83 | 159 | 29 | 10 | 11 | 241 | 54 | 30 | 10 | 4 | 3 | 31 | 4 | 2 | 63 | 8 | .282 | .321 | .428 | .749 | |
| 2011 | 126 | 586 | 537 | 101 | 181 | 31 | 16 | 7 | 265 | 44 | 39 | 7 | 2 | 4 | 43 | 9 | 0 | 41 | 5 | .337 | .384 | .493 | .877 | |
| 2012 | MIA | 160 | 716 | 642 | 86 | 184 | 37 | 12 | 11 | 278 | 57 | 40 | 11 | 5 | 6 | 63 | 9 | 0 | 56 | 10 | .287 | .347 | .433 | .780 |
| 通算:10年 | 1210 | 5556 | 5095 | 821 | 1484 | 259 | 111 | 92 | 2241 | 480 | 410 | 103 | 33 | 25 | 396 | 50 | 7 | 565 | 55 | .291 | .342 | .440 | .782 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰 [編集]
- MLB
- 首位打者 1回:2011年
- 最多盗塁 3回:2005年 - 2007年
- シルバースラッガー賞 1回:2006年
- MLBオールスターゲーム選出 3回:2006年、2007年、2010年
- サイクル安打 1回:2006年7月21日
- ドミニカ共和国代表
脚注 [編集]
- ^ “New York Mets 2010 Player Salaries and Team Payroll” (英語). ESPN.com. 2010年10月23日閲覧。
- ^ a b 福島良一 「FACE IN THE CROWD」『週刊ベースボール』2003年12月29日号、ベースボール・マガジン社、2003年、雑誌20445-12/29、85頁。
- ^ "Biography and Career Highlights," The Official Site of The New York Mets. 2007年7月28日閲覧。
- ^ a b 水次祥子 「ホゼ・レイエス[メッツ・二塁手]KAZとの2年目の再出発。」『月刊メジャー・リーグ』2004年6月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-6、14-15 頁。
- ^ 澤田敏典 「MLB30チーム最新レポート&全選手個人成績 ニューヨーク・メッツ/NYM 世界の盗塁王リッキーの教え」 『月刊スラッガー』2006年7月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-7、80頁。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、251項。ISBN 978-4-331-51213-5。
- ^ Associated Press (2006年8月3日). “K-Rod, Mets finalize deal” (英語). ESPN.com. 2008年12月11日閲覧。
- ^ 杉浦大介 「MLB30球団最新レポート&全選手個人成績 ニューヨーク・メッツ/NYM リッキーの後継者はレイエスで決まり」『月刊スラッガー』2007年7月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-7、82頁。
- ^ a b 杉浦大介 「ニューヨーク・メッツ 失われた10月」 『月刊スラッガー』2008年1月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-1、49-51頁。
- ^ 岡田弘太郎 「メッツ、歴史的敗退の危機(2/2)失速の原因はブルペンとリードオフマンの不振」『スポーツナビ』、2007年9月27日。2008年1月17日閲覧。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』 廣済堂出版、2008年、272項。ISBN 978-4-331-51300-2。
- ^ Noble, Marty (2008年9月10日). “Reyes runs past Mookie on club list Shortstop's stolen base in third gives him Mets' all-time record” (英語). MLB.com. 2008年12月12日閲覧。
- ^ 杉浦大介 「MLB30球団最新レポート&全選手シーズン最終成績 ニューヨーク・メッツ/NYM 色褪せてしまった初のシーズン200安打」 木村愛訳、『スラッガー』2008年12月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌 15509-12、67項
- ^ Associated Press (2011年12月5日). “レイエスがマーリンズ入り=86億円で6年契約―米報道” (日本語). 2011年12月5日閲覧。
- ^ Blue Jays To Acquire Johnson, Reyes, Buehrle From Marlins MLB Rumors
- ^ “井端、マエケンがWBC優秀選手選出 ドミニカ共和国から最多5人”. スポニチアネックス (2013年3月21日). 2013年3月21日閲覧。
- ^ “Blue Jays: Jose Reyes won’t need surgery on sprained left ankle” (英語). thestar.com (2013年4月16日). 2013年4月18日閲覧。
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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