フランク・チャンス

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フランク・チャンス
Frank Chance
Frank Chance.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州フレズノ
生年月日 1876年9月9日
没年月日 1924年10月15日(満48歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
初出場 1898年4月29日
最終出場 1914年4月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴:

監督歴:

Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1946年
選出方法 ベテランズ委員会選出

フランク・チャンス(Frank Leroy Chance, 1877年9月9日 - 1924年9月15日)は、1900年~1910年代のアメリカメジャーリーグで活躍した選手、及び監督。主なポジションは一塁手カリフォルニア州フレズノ生まれ。右投げ右打ち。1906~1908年のカブスのリーグ3連覇を支えた「ダブルプレー・トリオ」の一人であり、監督である。

略歴[編集]

1898年にカブスに入団。当初は主に捕手として試合に出ていたが、1903年頃からは主に一塁を守るようになる。それに伴って打率も上昇し、同年から1906年まで4年続けて打率3割をマークする。

1905年途中から、フランク・セレーに替わってチームを率いる監督兼任選手となる。チームは1906年から1910年までリーグを4度制覇、ワールドシリーズも2度制覇する。1906年にはメジャーリーグ記録となるレギュラーシーズンでの116勝を挙げ、チームの牽引役であったチャンスは、"the Peerless Leader" (比類なきリーダー)と呼ばれるようになる。1910年のワールドシリーズ第3戦では、シリーズ史上最初の退場者となった。

1913年から2年間はニューヨーク・ヤンキースの監督を務めたものの、チームは上位に浮上できず、1914年途中で監督を退く。長いブランクの後、1923年にレッドソックスの監督を1年だけ務める。監督を退いた翌年の1924年に、ロサンゼルスにて他界。

1946年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。かつてのダブルプレー・トリオであるジョー・ティンカージョニー・エバースと共に、3人揃っての選出であった。


通算成績[編集]

打撃成績[編集]

※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。































O
P
S
1287 4297 1271 200 79 20 797 596 401 29* 554 137 .296 .394 .394 .788

獲得タイトル・記録[編集]

監督としての戦績[編集]

※順位は年度最終順位



















1905 CHC NL 90 55 33 .625 3位 7月1日
1906 155 116 36 .763 1位 勝利数メジャーリーグ記録[1]
1907 155 107 45 .704 1位 WS優勝
1908 158 99 55 .643 1位 WS優勝
1909 155 104 49 .680 2位
1910 154 104 50 .675 1位
1911 157 92 62 .597 2位
1912 152 91 59 .607 3位
1913 NYY AL 153 57 94 .377 7位
1914 137 60 74 .448 6位 9月14日
1923 BOS 154 61 91 .401 8位
通算 1620 946 648 .593

脚注[編集]

出典・外部リンク[編集]