ミュール・サトルス

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ミュール・サトルス
Mule Suttles
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州ブロックトン
生年月日 1900年3月31日
没年月日 1966年6月9日(満66歳没)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
  • バカラック・ジャイアンツ(1921年)
  • バーミンガム・ブラックバロンズ(1923-1925年)
  • セントルイス・スターズ(1926-1931年)
  • ボルチモア・ブラックソックス(1930年)
  • デトロイト・ウルヴス(1932年)
  • ワシントン・パイロッツ(1932年)
  • コールズ・アメリカン・ジャイアンツ(1933-1935年)
  • インディアナポリス・ABCs(1939年)
  • ニューアーク・イーグルス(1936-1940,1942-1944年)
  • ニューヨーク・ブラック・ヤンキース(1941-1942年)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2006年
選出方法 ニグロリーグ特別委員会による選出

ミュール・サトルス(George "Mule" Suttles, 1900年3月31日 - 1966年6月9日[1])は、1920~1940年代にアメリカ合衆国ニグロリーグで活躍していた野球選手。主なポジションは一塁手アラバマ州ブロクトン生まれ。右投げ右打ち。

来歴・人物[編集]

サトルスは17歳からニグロリーグで野球を始め、1923年にバーミンガムに所属していた頃から強打者として頭角を現してきた。穏やかな性格だったというが、身長は6フィート3インチ、体重215ポンドという体格に恵まれた大柄な選手で、大きく重いバット(伝えられるところでは50オンス=約1.4kgもあった)から長打を量産する強打者として知られるようになった。長打力に関する逸話も多く、500フィートを超える本塁打を放ったという話がいくつもある。キューバのハバナで行った試合では、打球が高さ60フィートもあるセンターのフェンスの上を越えて、球場の外の海に落ちたという。

1926年から1930年にセントルイス・スターズに所属していた時期には、長打(二塁打、三塁打、本塁打)と打率の部門で、ほぼ毎年のようにリーグ最高を記録していた。またニグロリーグの東西オールスター戦には5回出場し、4割以上の打率と2本の本塁打を記録している。そのうちの1本は1935年のゲームで、延長11回にマーティン・ディーゴから放った劇的な勝ち越しのスリーランホームランだった。

サトルスは42歳まで現役選手を続けたが、40歳を過ぎた1940年頃には、当時『100万ドルの内野』と呼ばれていたイーグルス内野陣の一角を担っていた(このうち遊撃手のウィリー・ウェルズと三塁手だったレイ・ダンドリッジは、後年アメリカ野球殿堂入りしている)。またイーグルスでは監督も兼任することがあったようである。引退後1966年に癌のためニューアークで死去。2006年ニグロリーグ特別委員会によりアメリカ野球殿堂入りした。

親族について[編集]

甥のウォーレン・"バードランド"・サトルスは、1945年に結成されたR&Bのコーラスグループ「ザ・レイヴンズ」(The Ravens)のメンバーだった。彼は叔父をたよってニューヨークに移り住み、下積みの時代に叔父のバー経営を手伝っていたようである。なおザ・レイヴンズは『ボーカルグループの殿堂』入りを果たしている。(The Ravensの紹介記事)

記録・表彰等[編集]

  • 通算成績:本塁打133本、打率.327
  • リーグ最多本塁打:2回
  • リーグ首位打者:1回
  • ニグロリーグ東西オールスター戦成績:打率.412、長打率.883

脚注[編集]

  1. ^ 生年及び没年はアメリカ野球殿堂の表記に沿った。

出典・外部リンク[編集]