ハンク・オーデイ

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ハンク・オーデイ
Hank O'Day
Hank ODay baseball card.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州シカゴ
生年月日 1862年7月8日
没年月日 1935年7月2日(満72歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投??打
ポジション 投手監督審判
初出場 1884年5月2日
最終出場 1890年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2013年
得票率 93.8%
選出方法 ベテランズ委員会選出

ハンク・オーデイ(Henry Francis "Hank" O'Day、1862年7月8日 - 1935年7月2日)は、1880年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手、及び監督。後に1920年代までメジャーリーグの審判員を務めた。イリノイ州シカゴ生まれ。右投げ、打席左右は不明。ナショナルリーグで選手・監督・審判の3つの職歴を経験した唯一の人物である。

経歴・人物[編集]

選手歴[編集]

1884年アメリカン・アソシエーションのトレド・ブルーストッキングの投手として出場、トレドでは36勝を挙げたトニー・マレーンとともに投手の二枚看板を期待され41試合に登板したが、成績は9勝28敗と振るわなかった。トレド球団が一年で破綻すると、1885年にピッツバーグ・アレゲニーズで12試合に登板、翌1886年はデトロイト・ウルバリンズに居たものの出場機会はなく、9月にワシントン・ナショナルズに金銭で移籍した。ナショナルズでは1887年に8勝20敗、1888年に16勝したもののリーグ最多の29敗を喫する。最も勝ち星を挙げたシーズンは、オーデイが選手として出場した最後の年の1890年のことで、この時はプレイヤーズ・リーグのニューヨーク・ジャイアンツで22勝13敗の成績を残した。オーデイは選手時代にも審判に欠員が出た場合の代役を任せられることがあり、1890年までに6試合の審判経験があった。

オーデイは、メジャーリーグ史上初めて「代打」を送られた選手でもある。1889年9月10日の試合中オーデイは負傷し、打席に立てなくなったために、ミッキー・ウェルチが替わりに打席に立った(怪我などの理由なく代打を出せるようになったのは3年後の1892年のことである)。

審判歴・監督歴[編集]

オーデイはプレイヤーズ・リーグ参加から5年後の1895年に75試合の審判を務め、この年以降審判員として本格的に活動しはじめる。ナショナルリーグでの審判歴は1927年まで30年以上に及ぶが、この間1912年1914年の2年は、シンシナティ・レッズとシカゴ・カブスの監督をしていたため、審判としては試合に出場していない。2年間の監督時代の戦績は2年ともほぼ5割だった。

審判としてのオーデイは、他人がどれだけ非難しようが、勇気をもって正しい判定を下す人物として評価されていた。その最たるものが、1908年9月23日に行われた、ニューヨーク・ジャイアンツ対シカゴ・カブス戦での、"マークルズ・ボナー"の判定であろう(フレッド・マークルの項を参照)。ジャイアンツのサヨナラ安打に歓喜した一塁走者のマークルが、フォースプレーにもかかわらず二塁を踏まずにベンチを下がったことをカブスのジョニー・エバースがアピールし、この試合主審だったオーデイはマークルにアウトの判定を下し、その試合を引き分け再試合と宣告した。ジャイアンツの監督だったジョン・マグローは、「オーデイがペナントを奪った」と非難したが、判定が変わることはなかった。ただこの判定には伏線があり、このプレーの二週間前、オーデイはカブスとパイレーツの試合で全く同じ状況(サヨナラ安打で一塁走者が二塁を踏まずにベンチに下がったことをアピールされる)に遭遇している。その時はプレーをよく見ていなかったためエバースのアピールを認めていなかった。

オーデイはナショナルリーグの審判を1927年まで務めた。出場試合数3986試合は引退当時史上3位の試合数で、主審試合数2710試合と10度のワールドシリーズ出場はビル・クレムについで史上2位の記録である。1935年にシカゴで死去。

2013年ベテランズ委員会の選考により、アメリカ野球殿堂入りを果たした。

通算成績[編集]

投手成績[編集]

数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。























防御率
201 192 1651.3 73 6 110 4 663 1656 65 580 77* 80 687 3.74

獲得タイトル・記録[編集]

  • 敗戦数リーグ最多:1888年
  • 最多セーブ数:1890年(3セーブ)

打撃成績[編集]

  • 通算成績:232試合、817打数155安打、本塁打1、打点46、打率.190

監督としての戦績[編集]

年度 チーム リーグ 試合 勝利 敗戦 勝率 順位 備考
1912年 CIN NL 155 75 78 .490 4位
1914年 CHC 156 78 76 .506 4位
通算 311 153 154 .498

審判歴[編集]

在籍:ナショナルリーグ(1888年,1889年,1895年~1927年)

  • 出場試合数:
    • レギュラーシーズン:3986試合
    • ワールドシリーズ:57試合(1903,1905,1907,1908,1910,1916,1918,1920,1923,1926年)

出典・外部リンク[編集]