ホワイティ・ハーゾグ

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ホワイティ・ハーゾク
Whitey Herzog
Whitey Herzog ca 1989.jpg
1989年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 イリノイ州ニューアセンズ
生年月日 1931年11月9日(83歳)
身長
体重
5' 11" =約180.3 cm
182 lb =約82.6 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
初出場 1956年4月17日
最終出場 1963年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2010年
得票率 87.50%
選出方法 ベテランズ委員会選出による

ホワイティ・ハーゾグ(Dorrel Norman Elvert "Whitey" Herzog , 1931年11月9日 - )はMLBで活躍したアメリカ合衆国イリノイ州ニューアセンズ出身の野球選手(外野手)。左投左打。 のちスカウト(日本のプロ野球ではスコアラーにあたる)、コーチ、監督、ゼネラル・マネージャー(GM)、ファームシステムディレクターを務め、監督としてワールドシリーズ制覇を果たす。

人物・来歴[編集]

ニューヨーク・ヤンキースに入団。 ヤンキースでのメジャー昇格はならなかったが、スプリング・トレーニング(日本のプロ野球でいう春季キャンプ)で接した、アメリカ野球殿堂入りした当時の監督ケーシー・ステンゲルから受けた影響は、後年監督を務めた際に役立った。 ワシントン・セネターズ(現在のミネソタ・ツインズ)に移籍して1956年4月17日にメジャー初出場を果たす。 その後、1958年途中にカンザスシティ・アスレチックス(現在はオークランド)、1961年ボルチモア・オリオールズ1963年デトロイト・タイガースに移籍し、その年限りで現役を引退した。 選手としての通算成績は、634試合に出場して打率.254、本塁打25、打点172、得点213、二塁打60、三塁打20であった。

引退後、1964年にアスレチックスのスカウトに就任。翌1965年にコーチに就任し、1966年にはニューヨーク・メッツに移籍。 1967年にはフロントに転じ、1969年の「ミラクル・メッツ」と言われたワールドシリーズ制覇に貢献した。

1973年テキサス・レンジャーズの監督に就任したが、138試合で47勝91敗の成績でシーズン終了を待たずに解任。 翌1974年カリフォルニア・エンゼルスのコーチを務め、途中4試合代理監督を務める。 1975年途中にカンザスシティ・ロイヤルズの監督に就任。初年度に66試合で41勝をあげ、チームは最終的に2位に躍進。 1976年からは3年連続してア・リーグ西地区優勝を果たすが、リーグチャンピオンシップシリーズでいずれもヤンキースに敗れる。 ロイヤルズでは、2位に終わった1979年限りで解任される。

1980年途中にセントルイス・カージナルスの監督に就任。シーズン途中でGMを兼任し、1982年までGM兼監督となる。 50日間に及ぶストライキでシーズンが二分された1981年には前後期いずれも2位。 そして1982年には92勝をあげて地区優勝。リーグチャンピオンシップシリーズでもアトランタ・ブレーブスを破り、ワールドシリーズでもミルウォーキー・ブルワーズを破り、ワールドチャンピオンに輝いた。 1983年以後は監督に専念し、1985年1987年にもチームをワールドシリーズに導く。 1985年にはかつて監督を務めたロイヤルズを3勝1敗と追い込むが、第5戦から3連敗して逆転負けを喫する。 第6戦で「誤審」を犯した審判ドン・デンキンガー(詳細はこちら参照)が球審を務めた第7戦では、ストライク・ボールの判定に抗議し、投手ウォーキーン・アンドゥハー共々退場処分となった。 1987年にも敵地メトロドームでの第1戦、第2戦と連敗の後、本拠地ブッシュ・スタジアムで3連勝してミネソタ・ツインズを追い込むが、再び敵地の第6戦、第7戦に連敗した。

カージナルスの監督を1990年途中まで務め、退任。1993年1994年にはエンゼルスのGMを務めた。2009年12月のベテランズ委員会の選考において、2010年のアメリカ野球殿堂入りが決定した。

殿堂入りを記念し、同年7月にカージナルス在籍時の背番号『24』は永久欠番に指定された。

監督としての特徴[編集]

カージナルス監督当時のハーゾグ

投手力と機動力、守備力を重視。

ロイヤルズの本拠地ロイヤルズ・スタジアム(現名称はカウフマン・スタジアム)とカージナルスの本拠地ブッシュ・スタジアム(フィールドも現在より広かった)は、当時いずれも走者に有利な人工芝球場だったことあり、「ホワイティ・ボール」と呼ばれた俊足の選手を多用。

特にカージナルス時代の1985年には、110盗塁を記録して新人王を獲得したビンス・コールマンを筆頭に、ウィリー・マギー(56盗塁)、アンディ・バンスライク(34盗塁)、トム・ハー(31盗塁)、オジー・スミス(31盗塁)と実に5人が30盗塁を記録し、チーム全体で314盗塁を記録。 (2位は182盗塁のシカゴ・カブス。)

オジー・スミスについては「年間162試合で100点を防ぐ守備力」と高く評価し、サンディエゴ・パドレスからトレードで獲得し、成功を収めた。

出塁率の高い打者を好み、ロイヤルズではジョージ・ブレットハル・マクレー、カージナルスではキース・ヘルナンデスジャック・クラーク、オジー・スミス、ダレル・ポーターらを重視。

年度別成績(選手)[編集]

















































O
P
S
1956 WSH2 117 465 421 49 103 13 7 4 142 35 8 5 8 1 35 0 0 74 5 .245 .302 .337 .639
1957 36 93 78 7 13 3 0 0 16 4 1 2 0 0 13 0 2 12 0 .167 .301 .205 .506
1958 8 6 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 5 0 .000 .167 .000 .167
KCA 88 113 96 11 23 1 2 0 28 9 0 3 0 1 16 1 0 21 0 .240 .345 .292 .637
'58計 96 119 101 11 23 1 2 0 28 9 0 3 0 1 17 1 0 26 0 .228 .336 .277 .613
1959 38 158 123 25 36 7 1 1 48 9 1 0 1 0 34 0 0 23 2 .293 .446 .390 .836
1960 83 295 252 43 67 10 2 8 105 38 0 1 1 2 40 2 0 32 6 .266 .364 .417 .781
1961 BAL 113 377 323 39 94 11 6 5 132 35 1 4 2 1 50 1 1 41 6 .291 .387 .409 .795
1962 99 312 263 34 70 13 1 7 106 35 2 3 3 2 41 1 3 36 6 .266 .369 .403 .772
1963 DET 52 66 53 5 8 2 1 0 12 7 0 0 0 1 11 3 1 17 0 .151 .303 .226 .529
通算:8 年 634 1885 1614 213 414 60 20 25 589 172 13 18 15 8 241 8 7 261 25 .257 .354 .365 .719

年度別成績(監督)[編集]

年度 チーム 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考
1973 TEX AL West 41 138 47 91 .341 6 / 6 途中就任。順位は最終順位。
1974 CAL AL West 42 4 2 2 .500 6 / 6 代理監督。順位は最終順位。 
1975 KC AL West 43 66 41 24 .621 2 / 6 途中就任。順位は最終順位。 
1976 KC AL West 44 162 90 72 .556 1 / 6 地区優勝
1977 KC AL West 45 162 102 60 .630 1 / 7 地区優勝
1978 KC AL West 46 162 92 70 .568 1 / 7 地区優勝
1979 KC AL West 47 162 85 77 .525 2 / 7  
1980 STL NL East 48 73 38 35 .521 4 / 6 途中就任。順位は最終順位。
1981 STL NL East 49 103 59 43 .578 前後期共に2位
1982 STL NL East 50 162 92 70 .568 1 / 6 ワールドシリーズ優勝
1983 STL NL East 51 162 79 83 .488 4 / 6  
1984 STL NL East 52 162 84 78 .519 3 / 6  
1985 STL NL East 53 162 101 61 .623 1 / 6 リーグ優勝
1986 STL NL East 54 161 79 82 .491 3 / 6  
1987 STL NL East 55 162 95 67 .586 1 / 6 リーグ優勝
1988 STL NL East 56 162 76 86 .469 5 / 6  
1989 STL NL East 57 164 86 76 .531 3 / 6  
1990 STL NL East 58 80 33 47 .413 6 / 6 途中解任。順位は最終順位。
通算 18年     2409 1281 1125 .532    

外部リンク[編集]