グレイディ・サイズモア
| フリーエージェント (FA) | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1982年8月2日(30歳) |
| 身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手(中堅手) |
| プロ入り | 2000年 MLBドラフト3巡目(全体75位)でモントリオール・エクスポズから指名 |
| 初出場 | 2004年7月21日 ホワイトソックス戦 |
| 年俸 | $7,666,667(2011年)[1] |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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グレイディ・サイズモア3世(Grady Sizemore III, 1982年8月2日 - )は、アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身の野球選手。外野手、左投左打。現在はMLBクリーブランド・インディアンスに所属している。
2005年以降4年連続で20本塁打・20盗塁(2008年は30本塁打・30盗塁)を記録し、2007年・2008年にはゴールドグラブ賞を受賞するなど、走攻守揃った外野手としてメジャーリーグを代表するリードオフマンとなりつつあったが、2009年以降は度重なる怪我に苦しみ、十分な出場すらままならない状態が続いている。
インディアンスの地元オハイオ州クリーブランドでは特に女性ファンからの人気が高く、球団がその人気を当て込んで "Mrs.Sizemore" の胸文字をプリントしたTシャツを売り出したところ、たちまち完売している[2]。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り以前 [編集]
ワシントン州シアトルで1982年8月2日、カレッジベースボールで活躍した黒人の父グレイディJr.と白人の母の間に誕生。父はボルチモア・オリオールズの大ファンで、特にカル・リプケンとエディ・マレーがお気に入りだった[3]。その父に買ってもらったバットを、1歳半になったころのサイズモアが振ってみたところ、そのスイングはあまりにも幼児離れしたものだったという[2]。
ワシントン州内にあるカスケード高校に進学したサイズモアは、野球のほかアメリカンフットボールやバスケットボールなど様々なスポーツで活躍する。特にフットボールではラッシングヤードやインターセプト数で同校の記録を塗り替える活躍だった。そのためアリゾナ州立大学やクレムゾン大学、カリフォルニア大学、ワシントン州立大学など複数の大学がサイズモアに奨学金の申し出を行った[4]。その中からサイズモアは、野球とフットボールの奨学生としてワシントン大学へ進学することに決めた。
しかし2000年、MLBドラフト3巡目(全体75位)でモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)が、高校を卒業したサイズモアを指名。サイズモア自身ほとんど考えもしなかったプロからの指名で[5]、有望な新人という扱いでは決してなかったが[2]、入団・プロ入りを決意した。
クリーブランド・インディアンス [編集]
マイナーリーグA級でプレイしていた2002年6月、バートロ・コローンらとのトレードで、他3選手と共にインディアンスへ移籍。そこで急成長を遂げ、2004年7月21日にメジャーデビューした。翌2005年には、フアン・ゴンザレスの怪我もあって中堅手のレギュラーに定着。4月22日のマリナーズ戦で故郷シアトルに凱旋を果たし、家族や友人らの前でプレイするという思い出深い場面を迎えている[5]。その後も活躍し、シーズン成績は打率.289・22本塁打・81打点・22盗塁を記録した他、ロベルト・アロマー以来球団史上2人目となる20二塁打・10三塁打・20本塁打・20盗塁を達成した[6]。ホワイトソックス監督のオジー・ギーエンはサイズモアを高く評価しており、シーズン最終戦でインディアンスと対戦し勝利した後、フィールド上にいたサイズモアと握手し彼を賞賛した[7]。
球団もサイズモアを高く評価し、2006年シーズン開幕直前の3月29日に、年俸調停権取得前のサイズモアと6年2,345万ドル(7年目の2012年は球団オプション)で契約を延長した[8]。その年のレギュラーシーズンでは全162試合に出場し、53二塁打・11三塁打・28本塁打・22盗塁を記録。50二塁打・10三塁打・20本塁打・20盗塁の全てを1シーズンで達成したのは、チャック・クライン以来74年ぶりMLB史上2人目のことであった[9]。また長打数は92で、これは本塁打王のデビッド・オルティーズ(レッドソックス)や長打率リーグトップのトラビス・ハフナー(インディアンス)を抑えてリーグ1位である[9]。7月にはオールスターゲーム初選出も果たした。
2007年は、開幕戦から6試合で4本塁打を記録する好調なスタート[10]。前年に続き全162試合に出場し、打率は前年より下がったものの、四球が初めて100を超えたことで出塁率は前年を上回り、また3年連続で20本塁打・20盗塁を記録。シーズン終了後には、自身初のゴールドグラブ賞を受賞した。2008年は、開幕から1か月程経った4月26日のヤンキース戦で右足首を痛め、翌日の試合を欠場。この時点で連続試合出場は、継続中のものとしては最長の382まで伸びていたが、2005年以来の欠場でこれが止まった[11]。それでも2試合欠場後の29日から復帰を果たすと本塁打を量産し、7月のオールスターでは試合前日に行われるホームランダービーにも出場。8月26日には自身初のシーズン30本塁打・30盗塁を達成した。シーズン終了後にはゴールドグラブ賞とシルバースラッガー賞を同時受賞している。
このように過去4年にわたって活躍を続けていたが、2009年は一転して公私ともに不調の年を送ることになる。まず、3月開催の国際大会・第2回ワールド・ベースボール・クラシックにアメリカ合衆国代表の一員として出場する予定だったのが、大会直前に左足付け根を痛めて辞退に追い込まれた[12]。更にその後は左肘も故障し[13]、MLBレギュラーシーズンでも低迷が続く。6月上旬から中旬にかけて20試合に欠場した以外は出場を続けたが、9月3日の試合を最後に戦線離脱し、左足付け根と左肘を手術してシーズンを終えた[14]。オフには、恋人に送るために撮影したというほぼ全裸のプライベート写真が流出し、大きなスキャンダルとなった[15][16]。
2010年は33試合に出場した後、左膝の手術のため戦線を離脱した。
2011年はマイナーでのプレーを経て4月17日に復帰したが、5月と7月にいずれも右膝を痛めて故障者リスト入りした。そのまま戦線離脱し、ヘルニア手術を受けた後9月に復帰したが、シーズン通じて71試合の出場に留まった。オフにインディアンズは2012年分の契約オプションを行使しなかったため、レッドソックスやマリナーズなどと契約交渉を行ったが、結局インディアンズと1年500万ドルで再契約を果たした。
しかし2012年は2月にキャンプを前にして腰痛を患い、さらに3月に背中の手術を受け、開幕後も復帰を果たせずにいたが、8月には右膝の痛みのため今季のプレーを断念することが球団から発表された。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | CLE | 43 | 159 | 138 | 15 | 34 | 6 | 2 | 4 | 56 | 24 | 2 | 0 | 0 | 2 | 14 | 0 | 5 | 34 | 0 | .246 | .333 | .406 | .739 |
| 2005 | 158 | 706 | 640 | 111 | 185 | 37 | 11 | 22 | 310 | 81 | 22 | 10 | 5 | 2 | 52 | 1 | 7 | 132 | 17 | .289 | .348 | .484 | .832 | |
| 2006 | 162 | 751 | 655 | 134 | 190 | 53 | 11 | 28 | 349 | 76 | 22 | 6 | 1 | 4 | 78 | 8 | 13 | 153 | 2 | .290 | .375 | .533 | .908 | |
| 2007 | 162 | 748 | 628 | 118 | 174 | 34 | 5 | 24 | 290 | 78 | 33 | 10 | 0 | 2 | 101 | 9 | 17 | 155 | 3 | .277 | .390 | .462 | .852 | |
| 2008 | 157 | 745 | 634 | 101 | 170 | 39 | 5 | 33 | 318 | 90 | 38 | 5 | 0 | 2 | 98 | 14 | 11 | 130 | 5 | .268 | .374 | .502 | .876 | |
| 2009 | 106 | 503 | 436 | 73 | 108 | 20 | 6 | 18 | 194 | 64 | 13 | 8 | 2 | 1 | 60 | 1 | 4 | 92 | 4 | .248 | .343 | .445 | .788 | |
| 2010 | 33 | 140 | 128 | 15 | 27 | 6 | 2 | 0 | 37 | 13 | 4 | 2 | 0 | 1 | 9 | 0 | 2 | 35 | 1 | .211 | .271 | .289 | .560 | |
| 2011 | 71 | 295 | 268 | 34 | 60 | 21 | 1 | 10 | 113 | 32 | 0 | 2 | 0 | 3 | 18 | 1 | 6 | 85 | 4 | .224 | .285 | .422 | .706 | |
| 通算:8年 | 892 | 4047 | 3527 | 601 | 948 | 216 | 43 | 139 | 1667 | 458 | 134 | 43 | 8 | 17 | 430 | 34 | 65 | 816 | 36 | .269 | .357 | .473 | .830 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
獲得タイトル・表彰 [編集]
- MLBオールスターゲーム選出 3回:2006年 - 2008年
- ゴールドグラブ賞 2回:2007年、2008年
- シルバースラッガー賞 1回:2008年
人物像 [編集]
同じ年にドラフト指名されたジェイソン・ベイとはマイナーリーグ時代からの仲良し。ベイの故郷カナダはオフシーズンは寒くて練習に適さないため、サイズモアがアリゾナ州にある自邸にベイを住まわせて一緒に練習したことがあるほか、ベイが結婚した後はサイズモアがベイの自宅によく食事に行くという[17]。
一番意識する打者としてイチローの名前を挙げ「彼はどんなタイプの投手でも打てる。実はパワーもあるし、守備、走塁も素晴らしいし、チームを勝利に導くために、フィールドであらゆることをやってのけてしまう。イチローはボクにとって究極の選手」と語っている[18]。
脚注 [編集]
- ^ “Grady Sizemore Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2011年11月13日閲覧。
- ^ a b c 谷口輝世子 「グレイディ・サイズモア[インディアンス]スター誕生」 『月刊スラッガー』2007年6月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-6、38-41頁。
- ^ George Castle / Special to MLBPLAYERS.com, "Sizemore collected cards with his dad," MLBPLAYERS.com, April 10, 2007. 2008年9月10日閲覧。
- ^ "Biography and Career Highlights," indians.com. 2007年6月24日閲覧。
- ^ a b Daniel Jimenez, "Grady Sizemore: The Playmaker," YOUNG MONEY Magazine, March 16, 2007. 2008年8月25日閲覧。
- ^ "2005 Career Highlights," indians.com. 2008年4月27日閲覧。
- ^ Tom Verducci, "One Sizemore Fits All (cont.)," SI.com, May 8, 2007. 2008年10月5日閲覧。
- ^ Anthony Castrovince / MLB.com, "Tribe, Sizemore agree to six-year deal / Outfielder's contract runs through 2011 with club option for '12," indians.com, March 29, 2006. 2008年4月27日閲覧。
- ^ a b "2006 Career Highlights," indians.com. 2008年4月27日閲覧。
- ^ "Grady Sizemore 2007 Batting Gamelogs," Baseball-Reference.com. 2008年1月4日閲覧。
- ^ Anthony Castrovince / MLB.com, "Sizemore's streak ends / Tribe center fielder had played in 382 straight games," indians.com, April 27, 2008. 2008年12月18日閲覧。
- ^ Anthony Castrovince / MLB.com, "Sizemore decides to sit out Classic / Indians center fielder battling a nagging left groin injury," MLB.com, February 27, 2009. 2009年12月2日閲覧。
- ^ Rustin Dodd / MLB.com, "Sizemore slowed by sore left elbow / Outfielder gets another night as DH, bats second," indians.com, May 20, 2009. 2009年12月2日閲覧。
- ^ Anthony Castrovince / MLB.com, "Sizemore's second surgery goes well / Center fielder scheduled to rehab in Cleveland, then Arizona," indians.com, September 16, 2009. 2009年12月2日閲覧。
- ^ Associated Press, "Indians' Sizemore asks MLB for help," ESPN.com, November 30, 2009. 2009年12月2日閲覧。
- ^ 「【MLB】全米騒然、サイズモア騒動」 『MSN産経ニュース』、2009年12月2日。2009年12月2日閲覧。
- ^ 阿部寛子 「連載企画 MLB TALK SHOW ジェイソン・ベイ[パイレーツ]」 『月刊スラッガー』2007年9月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-9、67-69頁。
- ^ カルロス山崎 「シリーズの行方は松坂の手中に(2/2)インディアンス vs. レッドソックス第3戦」 『スポーツナビ』、2007年10月15日。2008年1月4日閲覧。
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- The Grady's Ladies Sisterhood…女性ファンによる私設ファンクラブ