フェルナンド・エイバッド

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フェルナンド・エイバッド
Fernando Abad
オークランド・アスレチックス #56
Fernando Abad on May 30, 2013.jpg
ナショナルズ時代(2013年5月30日)
基本情報
国籍 ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
出身地 ラ・ロマーナ州ラ・ロマーナ
生年月日 1985年12月17日
身長
体重
6' 2" =約188 cm
215 lb =約97.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2002年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場 2010年7月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

フェルナンド・アントニオ・エイバッドFernando Antonio Abad , 1985年12月17日 - )は、ドミニカ共和国ラ・ロマーナ州ラ・ロマーナ出身のプロ野球選手投手)。左投左打。MLBオークランド・アスレチックス所属。日本ではフェルナンド・アバッドと表記されることもある[1][2]

経歴[編集]

アストロズ時代[編集]

2002年12月12日ヒューストン・アストロズと契約。

2006年はルーキー級ドミニカン・サマーリーグで15試合に登板。うち11試合で先発を務め、5勝・防御率1.32の好成績を記録した。

2007年ルーキー級、9月にはA-級でプレイし、合計19試合に登板した。53.0回を投げたが、防御率は4.25で、WHIPなども前年に比べると悪化した。

2008年はA級レキシントン・レジェンズで、全てリリーフとしてチーム最多の45試合に登板。防御率3.30・WHIP1.19と、一定の結果を残した。この年は夏に調子を上げ、6月終了時点での成績は26試合・防御率4.12だったが、7月以降は19試合・防御率2.20だった。

2009年は開幕をA+級ランカスター・ジェットホークスで迎え、全てリリーフとして41試合・82.2回を投げた。防御率は4.14とさほど良い数字ではなかったが、与四球を8に抑えたこともあり、WHIPは1.04という出色の数字だった(チームの全投手の平均WHIPが1.61)。8月下旬にAA級コーパスクリスティ・フックスへと昇格し、先発として3試合に登板した。うち9月2日の試合では、わずか62球で6回を投げ、被安打1・与四球1・無失点に抑えるという好投を見せた。

2010年はAA級コーパスクリスティで先発として4試合に登板し、4試合全てで5回以上を投げ切ったが勝ち星はつかなかった。その後はリリーフに回り、7月には登板した4試合で連続して勝利投手となるという珍事もあった。7月25日にメジャーへ昇格し、7月28日シカゴ・カブス戦で、8対1とリードした9回表にメジャー初登板を果たした。先頭打者の福留孝介に四球を与えるなど、1アウト一・二塁のピンチを招いたが、結果的に1回を無失点に抑えてこの試合を締めくくった。その後、一時期AAA級へと降格するも、8月20日フロリダ・マーリンズ戦からは再度メジャーで投げることとなった。この試合では0対7とリードされた8回裏に登板し、5番打者のジャンカルロ・スタントンからMLBでの初三振を奪ったが、続く6番コディ・ロスと、7番エクトル・ルナには連続で本塁打を浴び、MLBでの初被本塁打と初失点も記録した。 続く8月24日フィラデルフィア・フィリーズ戦からは8試合連続で無失点に抑えるなど概ね好投を続け、9月以降はチームが戦った30試合中17試合に登板するという大車輪の働きを見せた。9月だけで6ホールドを記録し[1]、シーズンでは22試合・防御率2.84・WHIP1.00という成績だった。

2011年は自身初となる開幕ロースター入りを果たした。左のワンポイントリリーフに近い形で短いイニングを任されたが、失点を喫するケースが重なり、5月16日アトランタ・ブレーブス戦で早くも4敗目を喫した。この試合後にAAA級へと降格し、6月16日ピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャー復帰を果たす。ここから6試合は、5.1回を投げ、ヒットを打たれながらも防御率1.69に抑えていた。しかし、復帰後7試合目の登板となった7月2日ボストン・レッドソックス戦では、2点ビハインドの8回表に登板すると、先頭打者から3連打を浴びて無死満塁とし、犠牲フライと3点本塁打を許して一挙に4点を失ってしまった。これでメジャーでの防御率は7.32へと跳ね上がり、再びマイナーへと降格。シーズン終了まで20試合に登板したが、この間の防御率は5.12と好調を取り戻すことが出来ず、メジャーでの再度の登板の機会もなかった。

2012年はレギュラーシーズン中3度にわたってAAA級に降格し、その都度MLBに再度昇格するという、動きの多いシーズンとなった。この年も開幕から専らリリーフとして登板していたが、8月にマイナーリーグで3試合に先発登板したのを機に、自身初めてメジャーでも先発を務めることとなった。しかし、8月25日から9月24日にかけてメジャーで6試合に先発登板するものの、5回を投げ切ったのが1試合だけで、かつ全ての試合で敗戦投手となるなど、この試みは上手くいかなかった。結果として、先発として登板するまでは30試合・防御率3.86という成績だったが、シーズン終了時には防御率が5.09となってしまった。オフの11月1日にFAとなった。

ナショナルズ時代[編集]

2012年11月19日ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[3]

2013年はAAA級シラキュース・チーフスで開幕を迎え、5月にかけて17試合・17.0回・防御率1.06と快投を見せる。与四球も僅かに2個と、持ち前の制球力も発揮した。5月25日のフィリーズ戦でメジャーでのシーズン初登板を果たすと、そこから10試合連続で無失点に抑えるなど好調を維持し、7月終了時点では26試合・24.1回・防御率1.48という成績を記録していた。その後はやや失点が重なり、シーズン全体では防御率3.35となったが、メジャーでの自己最多となる39試合に登板するなど、過去2年と比べると大きく数字を向上させた。

アスレチックス時代[編集]

2013年11月25日ジョン・ウッテンとのトレードでオークランド・アスレチックスに移籍した[4]

2014年3月31日の開幕戦で登板すると、ここから14試合連続無失点を記録。この間13.1回に投げて、打たれたヒットは2本、被打率.047・15奪三振と打者を圧倒した。5月にはシーズン初失点を喫するなどやや調子を落としたが、6月以降は尻上がりに調子を上げ、6月からレギュラーシーズン終了までに投げた43試合のうち、失点を許したのが僅かに4試合で、この間は防御率1.30・被打率.203という好成績だった。7月から9月にかけては、18試合連続無失点も記録した。自身初めて年間を通じてメジャーで投げ、69試合・チームで最高の防御率1.57をマークするなど、初となるアメリカンリーグでのプレイで成功を収め、大きく飛躍するシーズンとなった。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2010 HOU 22 0 0 0 0 0 1 1 6 .000 76 19.0 14 3 5 0 0 12 0 0 6 6 2.84 1.00
2011 29 0 0 0 0 1 4 0 7 .200 99 19.2 28 5 9 0 1 15 0 0 18 16 7.32 1.88
2012 37 6 0 0 0 0 6 0 3 .000 208 46.0 57 6 19 1 3 38 4 0 27 26 5.09 1.65
2013 WAS 39 0 0 0 0 0 3 0 2 .000 166 37.2 42 3 10 0 1 32 0 0 14 14 3.35 1.38
2014 OAK 69 0 0 0 0 2 4 0 9 .333 216 57.1 34 4 15 3 4 51 0 0 11 10 1.57 0.86
通算:5年 196 6 0 0 0 3 18 0 27 .143 765 179.2 175 21 58 4 9 148 4 0 76 72 3.61 1.30
  • 2014年度シーズン終了時

背番号[編集]

  • 58 (2010年 - 2013年)
  • 56 (2014年 - )

脚注[編集]

  1. ^ a b 『月刊スラッガー 2011年2月号』、(株) 日本スポーツ企画出版社2011年2月24日、 64頁、 雑誌 15509-2。
  2. ^ 『月刊スラッガー 2011年4月号』、(株) 日本スポーツ企画出版社2011年4月24日、 52頁、 雑誌 15509-4。
  3. ^ Minor Moves: Athletics, Nationals, Dodgers MLBTradeRumors.com 2014年12月31日閲覧。
  4. ^ A's acquire Fernando Abad from Nats ESPN MLB 2014年12月31日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]