ポロ・グラウンズ
| ポロ・グラウンズIV Polo Grounds IV |
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|---|---|
| 施設データ | |
| 所在地 | Manhattan , New York |
| 開場 | 1891年4月22日 |
| 閉場 | 1963年12月8日 |
| 取り壊し | 1964年4月10日 |
| 所有者 | ニューヨーク・ジャイアンツ |
| グラウンド | 天然芝 |
| 建設費 | 30万ドル |
| 設計者 | オズボーン・エンジニアリング |
| 使用チーム • 開催試合 | |
| ニューヨーク・ジャイアンツ(MLB、開場~1957年) ニューヨーク・ヤンキース(1913年~1922年) ニューヨーク・ジャイアンツ(NFL、1925年~1955年) ニューヨーク・タイタンズ(1960年~1963年) ニューヨーク・メッツ(1962年~1963年) |
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| 収容能力 | |
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54,500人 (閉場時)
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| グラウンドデータ | |
| 球場規模 | 左翼 - 279 ft (約85.0 m) 左中間 - 455 ft (約138.7 m) 中堅 - 483 ft (約147.2 m) 右中間 - 449 ft (約136.9 m) 右翼 - 257.67 ft (約78.5 m) バックネット - 65 ft (約19.8 m) |
| フェンス | 左翼 - 16.81 ft (約5.1 m) 左中間 - 18 ft (約5.5 m) 中堅 - 30.5 ft (約9.3 m) 右中間 - 12 ft (約3.7 m) 右翼 - 10.64 ft (約3.2 m) |
ポロ・グラウンズ(Polo Grounds)は、アメリカのニューヨーク州にかつてあったスタジアム。野球場としてはMLBのニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)が1883年から1957年まで、ニューヨーク・ヤンキースが1913年から1922年まで、ニューヨーク・メッツが1962年から1963年まで本拠地として使用していた。アメフトでは、NFLのニューヨーク・ジャイアンツが1925年から1955年まで、AFL(現在のNFL・AFC)のニューヨーク・ジェッツが1960年から1963年までホーム球場としていた。
目次 |
球場の歴史[編集]
1889年と1890年の2年間、「ニューヨーク・ジャイアンツ」という野球チームは二つ存在していた。プレイヤーズ・リーグのジャイアンツはブラザーフッド・パークを、ナショナル・リーグのジャイアンツはポロ・グラウンズを本拠地にしていた。しかしプレイヤーズ・リーグのジャイアンツがシーズン終了後解散に追い込まれてしまう。
ナショナル・リーグのジャイアンツは1891年シーズンからブラザーフッド・パークに移転、球場名をポロ・グラウンズに改称した。しかしこの球場は椅子が木製だったため、1911年4月14日に火事が発生し全焼してしまった。
その後、ジャイアンツは、ニューヨーク・ハイランダーズ(現ニューヨーク・ヤンキース)の本拠地球場ヒルトップ・パークを借りていたが、同年6月28日、まだ完成していないにもかかわらず、新ポロ・グラウンズに移転した。1913年にはヤンキースもポロ・グラウンズに移転した。
ポロ・グラウンズのフィールドは特殊な形状(名前の通り本来はポロ競技用)をしていて、センターまでが異様に長いが、両ポールまでは短くなっており、ポップフライでもポール際なら本塁打になることが多かった。この恩恵を受けたのがベーブ・ルースで、1920年シーズンにヤンキースに移籍すると54本塁打を放つ大活躍。ルースの人気を受けヤンキースもメジャー史上初の年間観客動員100万人を突破した。
ジャイアンツのジョン・マグロー監督はこれに腹を立て、ヤンキースに「1921年以降、ポロ・グラウンズの使用を禁じる」と通告した。これに対してヤンキースはブロンクス地区に右翼までの距離が極端に短いヤンキー・スタジアムを建設し、ルースはさらにホームランを量産した。
その後1925年にはNFLのニューヨーク・ジャイアンツがこの球場を本拠地にし、ポロ・グラウンズは野球とアメフトの兼用となった(1955年まで)。
しかし50年代に入ると野球のジャイアンツは成績、観客動員ともに落ち込み、球団幹部はニューヨークからの脱出を考えるようになる。そこにドジャースから「西海岸に一緒に移転しないか」と誘いがかかった。ドジャースは西海岸に移転する際、自分たちだけが移転したら移動が大変だと考え、もう1球団と一緒に西海岸へ移転する構想を持っていた。ジャイアンツはこの計画に乗り、サンフランシスコへの移転を決断。1957年を最後にポロ・グラウンズを去った。
1960年から、AFLのニューヨーク・タイタンズ(1963年からジェッツにチーム名変更)がここを本拠地にした(1963年まで)。
1962年には、MLBでニューヨークに新球団メッツが誕生。62年と63年はポロ・グラウンズを本拠地にし、90万人近い観客動員を記録した。
1925年に誕生した阪神甲子園球場のモデルにもなっている。
主要な出来事[編集]
野球[編集]
- 1911年6月28日、ジャイアンツ - ブレーブス戦で開場(ジャイアンツ 3 - 0 ブレーブス)。
- 1916年9月30日、ジャイアンツがブレーブスとのダブルヘッダー第2戦に 3 - 8 で敗れ、連勝が26でストップ。
- 1920年8月16日、ヤンキース - インディアンスの試合で、インディアンスのレイ・チャップマンがカール・メイズ投手から左側頭部に死球を受け、その日の夜に死亡する事故が発生した。
- 1934年7月10日、オールスターゲーム開催(ア 9 - 7 ナ)。
- 1942年7月7日、オールスターゲーム開催(ア 3 - 1 ナ)。
- 1945年8月1日、メル・オットーが通算500本塁打を達成した。
- ワールドシリーズ開催:1911年、1912年、1913年、1917年、1921年、1922年、1923年、1924年、1933年、1937年、1951年、1954年
- 1963年9月18日、メッツ - フィリーズ戦をもって野球での使用を終了(フィリーズ 5 - 1 メッツ)。
出典[編集]
- Benson, Michael. Ballparks of North America.
- Bergin, Thomas G. The Game: The Harvard-Yale Football Rivalry. Yale Press, 1984.
- Harper's Young People. "A Game of Base-Ball at the Polo Grounds, New York City, on Decoration Day — Yale vs. Princeton." , v. III (1882), p. 524.
- Lowry, Philip J. Green Cathedrals.
- Thornley, Stew. Land of the Giants: New York's Polo Grounds.
- Ziegel, Vic (text), ニューヨーク・デイリーニューズ (photos), Guglberger, Claus (ed.) Summer in the City. pp. 8,71,126,184 provide good documentation of the distance-markers on the walls
外部リンク[編集]
| 開催イベントとテナント | ||
|---|---|---|
| 前本拠地: n/a - |
サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地 1883 - 1957 |
次本拠地: シールズ・スタジアム 1958 - 1959 |
| 前本拠地: ヒルトップ・パーク 1903 - 1912 |
ニューヨーク・ヤンキースの本拠地 1913 - 1922 |
次本拠地: ヤンキー・スタジアム 1923 - 2008 |
| 前本拠地: n/a - |
ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地 1925 - 1955 |
次本拠地: ヤンキー・スタジアム 1956 - 1973 |
| 前本拠地: n/a - |
ニューヨーク・ジェッツの本拠地 1960 - 1963 |
次本拠地: シェイ・スタジアム 1964 - 1983 |
| 前本拠地: n/a - |
ニューヨーク・メッツの本拠地 1962 - 1963 |
次本拠地: シェイ・スタジアム 1964 - 2008 |
| 先代: クローク・パーク |
全アイルランドシニアフットボール選手権 決勝会場 1947 |
次代: クローク・パーク |
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