アレックス・ロドリゲス

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アレックス・ロドリゲス
Alex Rodriguez
ニューヨーク・ヤンキース #13
A-Rod2 adjusted.jpg
2009年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
二重国籍[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区
生年月日 1975年7月27日(37歳)
身長
体重
6' 3" =190.5 cm
225 lb =約101.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手遊撃手
プロ入り 1993年 ドラフト1巡目
初出場 1994年7月8日
年俸 $33,000,000[2](2009年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2006年

アレクサンダー・エマニュエル・アレックス・ロドリゲスAlexander Emmanuel "Alex" Rodriguez1975年7月27日 - )は、MLBニューヨーク・ヤンキースに所属するプロ野球選手三塁手遊撃手)。愛称A-Rod(エイ・ロッド)

目次

経歴 [編集]

アマチュア時代 [編集]

1975年7月27日、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれる。父親はビクター、母親はローデスで両親は靴屋を営んでいた。兄妹にジョセフとスージーがいる。4歳のときに家族はドミニカ共和国のサントドミンゴに移住。父親はそこでドミニカ共和国のマイナーリーグでキャッチャーをしており、息子のアレックスを度々試合に招いた。父親は薬局を営んだが、最終的にはフロリダのマイアミに落ち着く。アレックスが8歳のときに両親は離婚。母親が女手一つで2つの仕事を掛け持ちし、アレックスを育てた。この頃から野球をやる傍ら、メジャーリーグに興味を持ち始める。お気に入りの選手はデール・マーフィーキース・ヘルナンデス、それにカル・リプケン・ジュニアだった。自身がメジャーリーグにデビューしてからしばらく付けていた背番号3は、デール・マーフィーの背番号に因み、ポジションの遊撃手はカル・リプケン・ジュニアに因むものである。

高校時代はバスケット・ボールではレギュラー、アメリカン・フットボールではクォーターバックとして多くの大学からスカウトの目に留まり、本業の野球では100試合に出場して打率.419、本塁打17、70打点、90盗塁を記録し、1993年オール・アメリカンに選ばれるなど、卓越した運動神経を見せた[3]

マリナーズ時代 [編集]

1993年マイアミ大学への入学書へサインをしていたが、シアトル・マリナーズにドラフト1位(全米1位)指名され、契約を果たす。翌年の1994年7月8日、1900年以降のメジャーリーグの遊撃手としては史上3人目となる18歳で、メジャーリーグのキャリアをスタートさせた。

マリナーズ傘下カルガリー・キャノンズ時代のロドリゲス(1994年)

1996年に、36本塁打、123打点、21歳と史上3番目の若さで首位打者、球団記録となる打率.358、141得点、215安打、54二塁打を記録し[4]、めきめきと頭角を現していった。1997年にも打率.300、23本塁打、84打点の好成績を収め、同年6月5日のタイガース戦ではサイクル安打を達成した。

1998年には、打率3割、打点100以上に加えて、メジャー史上3人目の40本塁打40盗塁を達成(シーズン40本塁打は遊撃手として史上3人目)し、メジャー屈指の5ツールプレイヤーに成長した。トップクラスのスラッガーでありながら守備負担の大きい遊撃手を守るという、新しいスタイルを確立した。

1999年は故障のため30試合以上欠場したが、42本塁打を記録した。2000年には打率.316、41本塁打、132打点を残し、自身初となる100四球を記録した。

レンジャーズ時代 [編集]

2000年、FA権を取得。紆余曲折の末、テキサス・レンジャーズが10年総額2億5,200万ドルという空前の条件でロドリゲスを獲得する。これは当時のスポーツ界で最高の年俸でもあった。既にロドリゲスはメジャーでも屈指のプレイヤーに数えられ、かつ最高の将来性を持つ存在であったが、この超長期契約とあまりの高額ぶりは、野球界を超えて大きな話題を呼んだ(代理人は辣腕で知られるスコット・ボラス)。古巣マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドでの試合では、大ブーイングとともに札束の玩具をばらまかれるといった手荒い歓迎がしばらく続いた。

レンジャーズの3年間に残した成績は文句のつけようのないもので、2001年にリーグ1位の52本塁打、133得点、393塁打、2002年にメジャー1位の57本塁打、142打点、2003年にリーグ1位の本塁打、長打率を記録した。2003年4月には、27歳149日で史上最年少で300本塁打[5]を達成、史上2人目の最下位チームからのMVP獲得をするなど、ロドリゲス個人は活躍を見せた。しかし、チームは3年連続の地区最下位となり、その高額年俸がチーム再建の足かせとなってしまった。自身も勝てるチームへの移籍を望んでいたため、2004年2月15日にレンジャーズが1億7,900万ドルのうち6,700万ドルの年俸を負担することを条件に、ヤンキーストレードされた(交換相手はアルフォンソ・ソリアーノ二塁手など)。

ヤンキース時代 [編集]

守備に就くデレク・ジーター(左)とロドリゲス

マリナーズとレンジャーズでは遊撃手を務めていたが、ヤンキースにおいてはキャプテンであるデレク・ジーターの守備位置であったため、移籍に伴い三塁手にコンバートされた。それまでつけていた背番号3は、ヤンキースではベーブ・ルース永久欠番でつけることが許されず、変更を余儀なくされ、NFLマイアミ・ドルフィンズの往年の選手ダン・マリーノにならって13番を選択した。

ヤンキース初年となった2004年は36本塁打、106打点という一定の数字を残したが、期待されていた内容としては物足りないとされた。ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、ゴロを打って1塁へ走る際、自身をタッチアウトにしようとした投手ブロンソン・アローヨのグラブをはたき、守備妨害でアウトになった。このプレーは波紋を呼び、試合後に「子供じみたプレー」とバッシングを受けた。同シリーズは3連勝後に4連敗という最悪の形で落としている。

2005年6月、メジャーリーグ史上初めて20代で通算400本塁打を達成。最終的にシーズン48本塁打を放ち、4度目の本塁打王とともに2度目のMVPを獲得。ヤンキースでの本塁打王はレジー・ジャクソン以来25年ぶりであった。また、ヤンキース右打者のシーズン最多本塁打数ジョー・ディマジオの46本を68年ぶりに更新した。

2006年は30歳にして通算2000本安打を達成したが、シーズンでは7年ぶりに年間塁打数が300を切るなど不調で、自己ワーストとなる24失策を記録するなど攻守ともに精彩を欠いた。

2007年は、アメリカンリーグ最速記録となる開幕15試合で12本塁打(30打点)に到達。8月4日、メジャー史上最年少(32歳8日、それまでの記録はジミー・フォックスの32歳338日)、出場試合数では史上3番目の早さ(1855戦目、最速記録はマーク・マグワイアの1639戦目)でメジャー史上22人目の通算500本塁打を達成した。シーズンを通して好不調の波はあったものの、3度目の50本塁打以上、自己最高の156打点を記録し、二冠王に輝いた。2007年10月28日、ヤンキースとの残り3年の契約オプションを行使しない事を表明し、正式にフリーエージェントとなった。その後、10年総額2億7,500万ドル(約309億円)、出来高払いを含めると3億ドル(約330億円)の契約で残留した。

2008年、シーズン途中に右太ももを痛めて20試合以上欠場したが、11年連続35本塁打以上を記録。9月3日のタンパベイ・レイズ戦では、ロドリゲスがレフトポール際に放った打球にメジャーリーグ史上初めてビデオ判定が適用された(判定は本塁打)。年末には2009年に行われるWBCにはドミニカ代表として出場すると表明した。

2009年2月7日に2003年の薬物検査でステロイド剤の陽性反応を示したと報じられ[6]、2月9日にそのことを認めた[7]。その後、WBCドミニカ代表の合宿に合流したが、直後に右臀部の故障が判明。WBC出場を取りやめ、緊急手術を受けた。リハビリを経て、5月8日ボルティモア・オリオールズ戦で復帰した。その復帰戦の第1打席で初球本塁打を放ち、現地のYESネットワークの実況は「A fairy tale swing」(おとぎ話のようなスイング)と表現した。10月4日、レギュラーシーズン最終戦となる対タンパベイ・レイズ戦で6回無死1、2塁から逆転3ランを放つと、この回2度目の打席で満塁本塁打を放ち、1イニング7打点のアメリカンリーグ新記録を達成した。この日の2本塁打、7打点で30本塁打、100打点に到達し、12年連続の「30本、100打点」はメジャーリーグタイ記録で、通算13度目はメジャーリーグ新記録となった。

2007年のロドリゲス
2009年のヤンキース優勝パレードの時

2010年8月4日、35歳と8日で通算600本塁打を達成。同じくヤンキースに所属していたベーブ・ルースの持つ最年少記録(36歳196日)を1歳以上も更新した。シーズンの成績は、本塁打こそ2年連続で30であったが、打点125はデトロイト・タイガースミゲール・カブレラに次ぐリーグ2位の数字であった。また、本塁打30と打点100をいずれもクリアした事で、13年連続「30本塁打・100打点」のメジャーリーグ新記録を生み出し、自身の持つ記録を14度まで伸ばした。
2011年は、怪我や不振の影響で99試合の出場に終わり、「30本塁打・100打点」の連続記録は途絶えた。

2012年は、手首を死球で骨折するも18本塁打し、2009年シーズン以来の2桁盗塁、13盗塁を記録。だが、10月13日のタイガース戦で試合中にナンパしていた事が報じられた[8]。また17日には、マイアミ・マーリンズへトレードの可能性が報じられた[9]

選手としての特徴 [編集]

2008年4月19日
ロドリゲスの打撃フォーム

内野フライのような急角度で上昇した打球が、勢いを失わずにそのままスタンドインするような弾道を描く打球を放つ[10]

打撃ではバリー・ボンズにはバットスピードでは劣るものの、生来のパワーはボンズ以上とも言われ、フィールドのあらゆるところに打球を運ぶことができる[11]

走塁ではスイングが大きく打席から飛び出すのが遅いながらも一塁到達まで4.2秒の俊足を誇り[11]、シーズン46盗塁を記録したこともある。中軸を打つ機会が多くなってからは盗塁を試みる機会が少なくなったが、成功率は高く、年齢が30代に差し掛かってもなお年間で20程度の盗塁を記録し、必要なときに効果的な走塁をみせる。相手内野手の膝を削るような激しいゲッツー崩しなども果敢に行い、ヘッドスライディングを多用する。

恵まれた大柄な体格と鋭敏な反射神経を誇り、守備範囲は広い。遊撃手としてはデレク・ジーターノマー・ガルシアパーラミゲル・テハダが華やかな動きをするのに対して、より伝統的で基本に忠実な動きをする遊撃手だと評され、打球がホームプレートから離れたその瞬間に動き出し、非常に滑らかな動きの守備をした[11]

サードの守備に就くロドリゲス

ヤンキース移籍後はデレク・ジーターが遊撃手として絶対的存在があったため三塁手に転向し、三塁線側からかなり離れて守る。ファウルフライ捕球やバント処理など、三塁手特有の細かいプレーの際にミスがまま見られ、三塁手としては未だゴールドグラブに選出されたことが無い。

レジー・ジャクソンと話すロドリゲス

特筆 [編集]

イメージを気にする? [編集]

2007年6月19日

ロドリゲスの人格的特徴として、自らのイメージに固執し過ぎる点がしばしば指摘される。

スタジアムからの野次に今にも怒りだしそうなロドリゲス
  • 2003年12月にアシュトン・カッチャーが進行役を務めるドッキリ番組『パンクト』で「優勝できないチームに所属する負け犬」と一般人から罵られるシチュエーションのいたずらを仕掛けられたが、放映承諾書のサインを拒み、収録テープも破棄させた。2007年2月には自著の絵本の販売促進活動として出演する予定だった番組の質問に対して事前に制限を加えようとしたが、局のニュース方針に反することから局側が制限の具体的内容を問い合わせたところ、ロドリゲス側は回答をせず、当日になって突然に出演キャンセルを代理人経由で申し入れた。その後よりニュース性の薄い娯楽番組2本に出演したが、そのひとつマーサ・スチュワートが司会を務めるショー番組では和やかな雰囲気で皮肉を言われるという屈辱を受けている[12]
  • 2006 ワールド・ベースボール・クラシックでは当初ドミニカ代表として参加することを表明しながら参加自体をとりやめ、その後再びアメリカ代表として参加することを大会メンバー発表直前に自身のホームページを通じて明らかにしたため、ホワイトソックス監督のオジー・ギーエンから「最初のドミニカ代表の表明は、ヒスパニックの人々の歓心を得るための偽善行為だ」と非難された(後にギーエンは謝罪した)。その年のスプリングトレーニングでは、記者とのインタビューや会話で意識して粗野な言い回しを使うなど通常とは全く別のイメージを演出し、「本来の彼はなんなのだ、彼に人格の核はあるのか」と番記者たちを唖然とさせた[13]
  • エラーや三振を量産して激しいブーイングを浴びた2006年には、一時的に調子が上向いた8月半ばに「チームに故障者が続出したためこれまで隠してきたが、実は自分も本来なら故障者リスト入りするほどの怪我を押し隠して出場し続けていたんだ。」と公表したが、翌日、具体的にどこをどう故障したのか問われると答えられず「怪我を言い訳にはしたくない」と口をつぐんだ。監督も怪我については知らなかったとコメントしたため、「ロドリゲスは精神に異常をきたしたのか」との記事まで出た。彼のイメージに拘る性癖はプレイにも影響を及ぼし、ジョー・トーリ監督はしばしば「彼は打席で自分を印象づけようとし過ぎる」と懸念を抱いていた。

しかし2007年のスプリングトレーニングの開始直後、「もう嘘をつくのはやめる」と前置きをして、かつての親友デレク・ジーターとの現在の関係や契約当時スポーツ史上最高額であった高額契約について率直な考えを表明した。2007年4月は、2発の逆転サヨナラホームランを含む14本塁打、打率3割5分5厘、34打点という爆発的なスタートを記録、シーズンを通じて好調を維持したが、またしてもプレーオフでは不調に陥り、批判を浴びた。

人の怒りを招きやすい? [編集]

コメントの内容が、まるで台本を用意しているかのように優等生的であるという批判を受けたり、人の怒りを招く場合もある。

アレックス・ロドリゲス
  • ケン・グリフィー・ジュニアが1999年オフにマリナーズを去ったとき、ロドリゲスは「これで我々は長打を打ちながら負けるというチームではなくなった。このチームは観戦していて面白くなるだろう」とコメントした。その言葉通り、翌シーズンはチームをワイルドカードプレーオフに導くが、皮肉なことにロドリゲス自身が去ったその翌シーズンの2001年にチームはさらに成績を伸ばしてMLB史上最高の勝率で(162戦116勝)地区優勝を果たした。
  • テキサス・レンジャーズと10年で2億5,200万ドルというスポーツ史上最高額契約を結んだ2000年オフの12月に、ESPNラジオのインタビューで今後誰がこの巨額契約記録を破ると思うかと聞かれ、「2億5,200万ドルは自分のように若くしてこれだけの才能があればこそのものであり、破るのは難しいだろう。デレクのような者でも無理だ。自分ほどのパワーも守備力もないからだ。彼は1億8,000万ドルだろう、いや1億5,000万ドルか」とデレク・ジーターの名に言及した。これについてその後ジーターとは電話でわだかまりを解いた。しかし翌年3月にエスクワイア誌に「ヤンキースはジーターが牽引しているわけではない。彼は2番打者という気楽な立場だ。3番や4番を打つ打者とは違う。ヤンキースと勝負するとき、バーニー・ウィリアムズポール・オニールはマークするけど、誰も「デレクに気をつけろ」とは言わない。彼は警戒されていないのさ」というコメントが掲載されると、大勢の記者がスプリング・トレーニング中のジーターのところへ押しかけた。ジーターは「今夜アレックスに話を聞く。君たちには明日答える」と即答を避け、翌日許したと記者たちに答えた。その後ロドリゲスは記者に対してジーターを過度に褒め上げ、ジーターの契約額については10年契約ではなく5年か6年のつもりで言ったのだと釈明し、本心を言っているというよりも自分のイメージ回復に努めているように見えるとの記事も書かれた。2007年のスプリングトレーニングでアレックスは、ジーターとの関係について、今でもチームメートとしては全く問題ないものの、当時ほどの仲ではないと語っている[14][15]。 
  • 2003年オフにヤンキースへ移籍した直後にESPNのインタビューで、3年前のレンジャーズへの移籍について、「事前に『アレックス、このチームは君と24人の子供たちになるだろう』と教えられていれば自分はレンジャーズには行かなかった」とコメントした。これに対して、レンジャーズの選手たちはチーム内で「The Cooler(士気を削ぐ者)」というあだ名をロドリゲスにつけ、最も親しかったマイケル・ヤングでさえ、ロドリゲスが去ったあとチームの結束力が向上したと認めるコメントをした。また、2005年のスプリングトレーニングの走塁練習では、三塁手ハンク・ブレイロックが、2004年のプレーオフでのロドリゲスの守備妨害を真似したが、これは皮肉とも考えられる。

国籍 [編集]

生まれ故郷のアメリカ合衆国と、両親の故郷ドミニカ共和国二重国籍保持者であり、英語スペイン語バイリンガルである[16]。「『俺はドミニカ人だ!』と、声を大にして言いたい」と語っており、ドミニカ人であることを誇りに思っている[1]。幼少時にドミニカ共和国のサントドミンゴに3年間滞在した経験があり、メジャーに昇格する前はドミニカ共和国のウィンターリーグにも参加していた。

ワールド・ベースボール・クラシックにはアメリカ合衆国・ドミニカ共和国の双方で出場資格があり、第1回大会にはドミニカ代表として参加すると見られていたが、一旦は「アメリカ、ドミニカのどちらの名も傷つけたくない」として出場辞退を表明。その後、紆余曲折を経て、結局アメリカ代表として出場した。生まれ育った土地であるアメリカにも強い愛着があり、アメリカの一市民であることを優先させたという[17]

しかし、第2回大会ではドミニカ共和国代表としての出場を表明。再びドミニカ代表のユニフォームを着てプレーすることを、ロドリゲス自身と家族が望んでいると語り、出場を熱望したが[18]、大会直前のドミニカ代表合宿中に右臀部を痛め、本大会でプレーする夢は叶わなかった。

その他 [編集]

薬物問題 [編集]

2009年2月7日スポーツ・イラストレーテッドは2003年の薬物検査で104人の選手が陽性反応を示し、そのうちロドリゲスはステロイド剤の一種であるテストステロンプリモボランの陽性反応を示したと報じた[6]。ステロイド剤の使用はルールブックへの記載こそ無かったものの、1991年以降医者の指示のない限りは使用を禁止することが通達されていた上、アメリカ国内での流通も法律上禁止されていた[24]。当時は匿名と罰則なしを条件に検査が実施されたため、メジャーリーグ機構はこの件について一切コメント出来ないとした[25]。ロドリゲスも当初この件についてはノーコメントを貫いていたが、2月9日にESPNが行った単独インタビューでロドリゲスはテキサス・レンジャーズ時代の2001年から2003年にかけてステロイド剤を使用していたことを認め、謝罪した。史上最高額の契約に見合う力を証明しなくてはならないという重圧を感じていたという[7](翌年の2004年にはテストの時期を事前に選手会のCOOであるマット・オルザから知らされていたとも言われている[24])。 このESPNとの単独インタビュー後はアメリカ大統領も含め、各方面から様々な意見が出た[26][27][28][29]

翌週にヤンキースのスプリングトレーニングで開かれた記者会見ではドミニカで調達した薬物をいとこに勧められて打ったと新たな告白をしたが、後に2001年から2003年の間ドミニカではプリモボランは処方箋の有無に関わらず入手不可能であったと矛盾点が報道された。またかつてトロント空港で大量薬物所持が見つかりメジャー・リーグ出入り禁止を通告された問題のトレーナーを、MVPを獲った2007年のシーズンを通してロドリゲスがアウェイのホテルに帯同していた事実をあるスカウトが明らかにした。トレーナーは薬物を投与した後その痕跡を消すことができるため選手たちからThe Cleanerと通称されており、2006年WBCではドミニカチームのコーチを務め、2009年もWBCドミニカチームに参加し、一月にはロドリゲスをコーチしている写真も明らかにされたが、この事件で今後WBCからも追放されることとなった。このトレーナーの件についてロドリゲスはノーコメントを通している。

同年4月には、新たな暴露本が発売され、高校時代から恒常的にステロイド剤やヒト成長ホルモン剤を摂取してきたという疑惑が持ち上がっている。ロドリゲス本人は、この件についてのコメントを拒否している。また、ホセ・カンセコは、マリナーズ時代のロドリゲスにステロイドについて相談され、入手先を紹介したことを明かしている[30]

2009年末には、ヒト成長ホルモン(HGH)の違法所持で逮捕されたカナダ人医師アンソニー・ガレアの治療を受けていたことが判明し、再び薬物スキャンダルの渦中に晒されることになった[31]

2013年1月には、2009年から2012年にかけてマイアミの医療機関からヒト成長ホルモンテストステロンなど様々な禁止薬物を購入していたことが暴露された。

獲得タイトル・表彰・記録 [編集]

メジャーリーグ記録 [編集]

  • 遊撃手の年間得点数 141:1996年
  • 遊撃手の年間長打数 91:1996年
  • 遊撃手の年間長打率 .631:1996年
  • 遊撃手の年間塁打数 393:2001年
  • 遊撃手の年間本塁打数 57:2002年
  • 4月の月間本塁打数(タイ記録) 14:2007年
  • 年間12本塁打到達試合数(タイ記録) 15:2007年
  • 年間13及び14本塁打到達試合数 18:2007年
  • ニューヨーク州出身選手の本塁打数 553:1994年 - 2008年
  • 最年少通算400本塁打 29歳316日
  • 最年少通算500本塁打 32歳8日
  • 最年少通算600本塁打 35歳8日
  • 三塁手の年間本塁打数 52※:2007年
  • 年間50本塁打選手の盗塁数(タイ記録) 24:2007年

※年間54本塁打のうち2本はDH出場。

アメリカンリーグ記録 [編集]

  • 右打者の連続2年間の本塁打数 109:2001年 - 2002年
  • 年間10本塁打到達試合数 14:2007年

ニューヨーク・ヤンキース記録 [編集]

  • 右打者の年間本塁打数 54:2007年
  • 右打者のホーム試合年間本塁打数 26:2005年、 2007年

年度別打撃成績 [編集]

















































O
P
S
1994 SEA 17 59 54 4 11 0 0 0 11 2 3 0 1 1 3 0 0 20 0 .204 .241 .204 .445
1995 48 149 142 15 33 6 2 5 58 19 4 2 1 0 6 0 0 42 0 .232 .264 .408 .672
1996 146 677 601 141 215 54 1 36 379 123 15 4 6 7 59 1 4 104 15 .358 .414 .631 1.045
1997 141 638 587 100 176 40 3 23 291 84 29 6 4 1 41 1 5 99 14 .300 .350 .496 .846
1998 161 748 686 123 213 35 5 42 384 124 46 13 3 4 45 0 10 121 12 .310 .360 .560 .920
1999 129 572 502 110 143 25 0 42 294 111 21 7 1 8 56 2 5 109 12 .285 .387 .586 .943
2000 148 672 554 134 175 34 2 41 336 132 15 4 0 11 100 5 7 121 10 .316 .420 .606 1.026
2001 TEX 162 732 632 133 201 34 1 52 393 135 18 3 0 9 75 6 16 131 17 .318 .399 .622 1.021
2002 162 725 624 125 187 27 2 57 389 142 9 4 0 4 87 12 10 122 14 .300 .392 .623 1.015
2003 161 715 607 124 181 30 6 47 364 118 17 3 0 6 87 10 15 126 16 .298 .396 .600 .996
2004 NYY 155 698 601 112 172 24 2 36 308 106 28 4 0 7 80 6 10 131 18 .286 .395 .512 .887
2005 162 715 605 124 194 29 1 48 369 130 21 6 0 3 91 8 16 139 8 .321 .421 .610 1.031
2006 154 674 572 113 166 26 1 35 299 121 15 4 0 4 90 8 8 139 22 .290 .392 .523 .915
2007 158 708 583 143 183 31 0 54 376 156 24 4 0 9 95 11 21 120 15 .314 .422 .645 1.067
2008 138 594 510 104 154 33 0 35 292 103 18 3 0 5 65 9 14 117 16 .302 .392 .573 .965
2009 124 535 444 78 127 17 1 30 236 100 14 2 0 3 80 7 8 97 13 .286 .402 .532 .933
2010 137 595 522 74 141 29 2 30 264 125 4 3 0 11 59 1 3 98 7 .270 .341 .506 .847
2011 99 428 373 67 103 21 0 16 172 62 4 1 0 3 47 1 5 80 13 .276 .362 .461 .823
2012 122 529 463 74 126 17 1 18 199 57 13 1 0 5 51 3 10 116 13 .272 .353 .430 .783
通算:19年 2524 11163 9662 1898 2901 517 30 647 5414 1950 318 74 16 101 1217 91 167 2032 235 .300 .384 .560 .945
  • 2012年度シーズン終了時点
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注 [編集]

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  1. ^ a b A-Rod: 'I want to say it out loud: I am Dominican' ESPN(英語)(2005/07/14)
  2. ^ http://sportsline.com/mlb/salaries/top50
  3. ^ Alex Rodriguez Biography | A Rod Bio, Life and Memorabilia
  4. ^ http://www.baseball-reference.com/teams/SEA/leaders_bat.shtml
  5. ^ http://champions.finito-web.com/MLB/Player/QRST/A_Rodriguez.html
  6. ^ a b Sources tell SI Alex Rodriguez tested positive for steroids in 2003”. Sports Illustrated. 2009年2月10日閲覧。
  7. ^ a b A-Rod admits, regrets use of PEDs”. ESPN.com. 2009年2月10日閲覧。
  8. ^ “Aロッド試合中にナンパしていた バット不調も女性観客から電話番号”. ZAKZAK. (2012年10月18日). http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20121018/bbl1210180725000-n1.htm 2012年10月22日閲覧。 
  9. ^ “Aロッド、マーリンズへトレード報道”. サンケイスポーツ. (2012年10月19日). http://www.sanspo.com/baseball/news/20121019/mlb12101905030002-n1.html 2012年10月22日閲覧。 
  10. ^ スペシャル対談 イチロー×アレックス・ロドリゲス
  11. ^ a b c スカウティング・レポート『月刊スラッガー』2004年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、12-15頁。
  12. ^ http://www.newsday.com/sports/baseball/yankees/ny-spbest075083904feb07,0,6474362.column?coll=ny-yankees-print
  13. ^ http://sports.espn.go.com/espn/eticket/story?page=arod
  14. ^ http://www.nytimes.com/2007/02/20/sports/baseball/20yanks.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=all
  15. ^ http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20070219&content_id=1807513&vkey=spt2007news&fext=.jsp&c_id=nyy&partnered=rss_nyy
  16. ^ YouTube - Alex Rodriguez en Dominicana
  17. ^ Papi: A-Rod wants to play for D.R. MLB.com(英語)(2008/12/05)
  18. ^ A-Rod commits to Dominican team MLB.com(英語)(2008/12/06)
  19. ^ http://community.seattletimes.nwsource.com/archive/?date=19960222&slug=2315371
  20. ^ http://mlb.mlb.com/NASApp/mlb/news/article.jsp?ymd=20050908&content_id=1202299&vkey=news_nyy&fext=.jsp&c_id=nyy
  21. ^ イチローがヤンキースに移籍したときは「日本でも大ニュースだろ」と興奮気味に記者会見のテレビ中継に見入り「もちろん一緒にプレーできるのはうれしい」と話した。しかし、イチロー移籍のわずか二日後にフェリックス・ヘルナンデスから受けた死球の影響で骨折。戦線離脱となってしまった
  22. ^ http://web.archive.org/web/20040407023136/number.goo.ne.jp/from_number/574/special_features/spe2/index.html
  23. ^ http://www.amazon.co.jp/Ichiros-Art-Playing-Baseball-All-Star/dp/0312358318/ref=sr_1_18/250-5379772-7454644?ie=UTF8&s=english-books&qid=1176873332&sr=1-18
  24. ^ a b Facing Up to Some Truth Is a Start for Rodriguez”. New York TImes. 2009年2月10日閲覧。
  25. ^ MLB Statement regarding Sports Illustrated News Story”. MLB.com. 2009年2月10日閲覧。
  26. ^ President Obama tags out A-Rod”. New York Daily News. 2009年2月9日閲覧。
  27. ^ In a steroid age, history may be kinder to A-Rod than you think”. Sports Illustrated. 2009年2月11日閲覧。
  28. ^ A-Rod admission”. Businessworld. 2009年2月10日閲覧。
  29. ^ For First Time, A-Rod Got It Right”. Fox Sports. 2009年2月9日閲覧。
  30. ^ Canseco’s Ex Admits Attraction to A-Rod: “I Have a Thing for Five Tools Guys”
  31. ^ Christian Red, Nathaniel Vinton and Michael O'Keeffe In New York and Mark Feinsand In Tampa,[http://www.nydailynews.com/sports/baseball/yankees/2010/03/08/2010-03-08_tiger_woods_tainted_doctor_tony_galea_says_he_treated_yankees_star_alex_rodrigue.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+nydnrss%2Fhome+%28Home%29 Anthony Galea says he treated Alex Rodriguez as New York Yankees eager to talk to star slugger ],New York Daily News(英語),2010/03/11閲覧

外部リンク [編集]