ブロンソン・アローヨ

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ブロンソン・アローヨ
Bronson Arroyo
シンシナティ・レッズ #61
Bronson Arroyo.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国 フロリダ州キーウェスト
生年月日 1977年2月24日(32歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6cm
195 lb =約88.5kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 MLBドラフト3巡目(全体69位)でピッツバーグ・パイレーツから指名
初出場 2000年6月12日 ブレーブス
年俸 $10,125,000(2009年)[1]
経歴(括弧内は在籍年)
足を胸の当たりまで高く上げる独特の投球フォーム

ブロンソン・アンソニー・アローヨ(Bronson Anthony Arroyo, 1977年2月24日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州キーウェスト出身の野球選手投手、右投右打。現在はMLBシンシナティ・レッズに所属している。

目次

[編集] 経歴

1977年2月24日、キューバ人の父とアメリカ人の母の間に生まれる。父が「チャールズ・ブロンソン俳優)のようなタフガイになってほしい」と願ったことから "ブロンソン" と名付けられた、という[2]。その後野球を始め、高校時代まで遊撃手や投手として活躍する。子供の頃のヒーローは同じ遊撃手のオジー・スミスだった[2]

1995年ピッツバーグ・パイレーツから投手としてドラフト3巡目(全体69位)指名を受け入団、投手専門になる。2000年6月12日のブレーブス戦でメジャーデビュー。その後、主に先発や中継ぎとして2年間で44試合に登板する。しかし3年目は9試合登板にとどまり、オフの2003年2月に球団からウェーバー公示され、ボストン・レッドソックスに移籍する。

移籍1年目の2003年インターナショナルリーグ最優秀投手に選出され[3]2004年にメジャー先発ローテーションに定着し、自身初の2桁勝利(10勝)を挙げ、レッドソックスにとって86年ぶりとなるワールドシリーズ優勝にも貢献した。さらに翌2005年には自己最高となる14勝を挙げた。2006年1月には代理人から安すぎると反対されるも3年総額1,125万ドルで契約延長した[4]。スプリングトレーニング終盤の3月20日、ウィリー・モー・ペーニャとのトレードでシンシナティ・レッズへ移籍した。

移籍1年目は、アーロン・ハラングとともにレッズ先発投手陣の柱となった。開幕から5連勝を記録し、苦手と公言している打撃では開幕から2試合連続で本塁打を放った[4]。前半戦は9勝6敗で防御率はリーグ5位の3.12を記録し、オールスターゲームに初めて選出された。元チームメイトのペドロ・マルティネスからは「彼が前半戦のサイ・ヤング賞」と評価された[4]。35先発・240.2投球回はリーグ最多、防御率3.29・WHIP1.188はチーム1位、14勝はチーム2位だった。また、オフには日米野球MLB選抜として来日した。

球団は、アローヨとの契約が2年残っていたが、2007年2月8日に2009年から2年総額2,500万ドル(3年目は球団オプション)で契約延長[5]。2007年は、22QS(チーム最多)を記録する安定感があったが、34登板中15試合で味方打線が2点以下に抑えられたため援護に恵まれず[6]、9勝15敗と負け越しに終わった。2008年は自己最多の15勝を記録したが、防御率は前年よりも悪化し、4.77。6月24日のブルージェイズ戦では先発投手としてメジャー史上6人目となる1イニング以下で自責点10以上を記録[7]

[編集] 投球スタイル

足を高く上げる独特のフォームで、時折腕の角度を変えながら投球する。88 - 90mph(約141.6 - 144.8km/h)を計時する速球とチェンジアップなどの変化球を組み合わせて[6]、打たせて取るタイプの投手。配球は巧みで、レッズのジェリー・ナーロン監督(2005年 - 2007年)は「彼のピッチングを見るのは楽しい。彼のように打者の打ち取り方を知っている投手は最近は少なくなってきたからね」[8]とアローヨの投球術を高く評価している。

[編集] 年度別投手成績








































W
H
I
P
2000 PIT 20 12 0 0 0 2 6 0 0 .250 338 71.2 88 10 36 6 4 50 3 1 61 51 6.40 1.73
2001 24 13 1 0 0 5 7 0 2 .417 390 88.1 99 12 34 6 4 39 4 1 54 50 5.09 1.51
2002 9 4 0 0 0 2 1 0 1 .667 123 27.0 30 1 15 3 0 22 0 0 14 12 4.00 1.67
2003 BOS 6 0 0 0 0 0 0 1 0 ---- 66 17.1 10 0 4 2 1 14 0 0 5 4 2.08 0.81
2004 32 29 0 0 0 10 9 0 0 .526 764 178.2 171 17 47 3 20 142 5 0 99 80 4.03 1.22
2005 35 32 0 0 0 14 10 0 0 .583 878 205.1 213 22 54 3 14 100 5 1 116 103 4.51 1.30
2006 CIN 35 35 3 1 0 14 11 0 0 .560 992 240.2 222 31 64 7 5 184 6 0 98 88 3.29 1.19
2007 34 34 1 0 0 9 15 0 0 .375 921 210.2 232 28 63 6 13 156 4 0 109 99 4.23 1.40
2008 34 34 1 0 0 15 11 0 0 .577 871 200.0 219 29 68 2 6 163 6 0 116 106 4.77 1.44
2009 33 33 3 2 1 15 13 0 0 .536 923 220.1 214 31 65 6 9 127 1 0 101 94 3.84 1.27
通算:10年 262 226 9 3 1 86 83 1 3 .509 6266 1460.0 1498 181 450 44 76 997 34 3 773 687 4.23 1.33
  • 2009年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 獲得タイトル・表彰

[編集] ミュージシャンとして

2008年1月に行われたコンサートのアローヨ

本職は一応メジャーリーガーという事になっているが、ミュージシャンとしても活躍している。2005年には、アルバム "Covering the Bases" を発表し、デビューミュージシャンランキング2位に入った[9]。また、チームメイトだったリッチ・オーリリアの夫人は歌手で、2006年6月に一緒にチャリティーコンサートなども行っている[4]

[編集] 脚注

  1. ^ "Cincinnati Reds Salaries," ESPN.com. 2009年8月1日閲覧。
  2. ^ a b 阿部寛子 「MLB TALK SHOW ブロンソン・アローヨ[レッドソックス]」 『月刊スラッガー』2005年10月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-10、67-69頁。
  3. ^ "Bronson Arroyo Awards" (英語). The Baseball Cube. 2009年8月1日 閲覧。
  4. ^ a b c d 谷口輝世子「ブロンソン・アローヨ[レッズ] ロックスター、シンシナティへ行く」『スラッガー』2006年9月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-9、42 - 44頁
  5. ^ Sheldon, Mark (2007年2月8日). "Reds, Arroyo agree on extension" (英語). MLB.com. 2009年8月1日 閲覧。
  6. ^ a b LINDY'S, Special to FOXSports.com, "Preview 2008: Cincinnati Reds," FOX Sports on MSN, March 5, 2008. 2008年3月30日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ TORONTO (AP) (2008年6月24日). "Burnett goes eight strong as Blue Jays blast Reds with 14-run effort" (英語). ESPN.com. 2009年8月1日 閲覧。
  8. ^月刊メジャー・リーグ11月号増刊 イオン日米野球2006公式プログラム』、ベースボール・マガジン社、2006年、雑誌08626-11、16-17頁。
  9. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』 廣済堂出版、2007年、343項。ISBN 978-4-331-51213-5

[編集] 外部リンク

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