チャールズ・ブロンソン

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Charles Bronson
チャールズ・ブロンソン
チャールズ・ブロンソン
晩年のブロンソン
カンヌ映画祭会場で
本名 Charles Dennis Buchinsky
別名義 Charles Buchinski
生年月日 1921年11月3日
没年月日 2003年8月30日(満81歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 ペンシルベニア州
国籍 アメリカ合衆国
職業 俳優
ジャンル 映画、テレビドラマ
配偶者 ハリエット・テンドラー
(1949年 - 1967年)
ジル・アイアランド
(1968年 - 1990年)
キム・ウィークス
(1998年 - 2003年)
主な作品
荒野の七人』The Magnificent Seven
大脱走』The Great Escape
ウエスタン』C'era una volta il West
狼よさらば』Death Wish
レッド・サン』Soliel Rouge

チャールズ・ブロンソンCharles Bronson, 1921年11月3日 - 2003年8月30日)は、アメリカ俳優

プロフィール[編集]

生い立ち[編集]

ブロンソンはチャールズ・デニス・ブチンスキーCharles Dennis Buchinsky)として、1921年11月3日に、ペンシルベニア州エーレンフェルドでリトアニア移民家庭に15人兄弟の5男として生まれた[1][2][3]。ブロンソンの母語はリトアニア語であった[1]。彼はポーランド・リトアニア共和国内に定住したテュルク系のリプカ・タタール人の血筋を引き[4][5][6][7]、その容貌のためアジア系またはメキシコ系やメスティーソのように思われた。そのため、ブロンソンは後にメキシコ人やインディアン混血役をしばしば演じていた。

炭坑夫の父はブロンソンが10歳の時に死去し、ブロンソンは兄たちと共に炭坑に入り[1]石炭を1トン掘るごとに1ドルを得た。伝えられるところによれば、家庭は大変貧しかったため、学校へは妹の服を借りて通ったという[8]

エリック・プレストンによって書かれた伝記『Charles Bronson: From West To Best』では、アメリカの第二次世界大戦への参戦(1941年12月)後に徴兵されアメリカ陸軍航空隊に入ったとされるが、公式の記録では、1943年に陸軍航空隊を志願し、ボーイングB-29の射撃手として東京大空襲にも参加したとされる。

俳優デビュー[編集]

第二次世界大戦終了後の1946年に軍を除隊。美術学校に入学する。ここで舞台の裏方となり、エキストラも経験し芝居に目覚めていく。1948年に友人と共にニューヨークに行き、本格的に演技を学ぶ。生活は苦しく、レンガ職人やウェイターをしながら舞台に端役として出演するようになる。その後、カリフォルニア州ロサンゼルス近郊のパサディナ・プレイハウスで本格的に演技を勉強する。

1951年『The People Against O'Hara』で映画デビュー。当時は本名「Buchinsky」を名乗っていたが、その後「Buchinski」に改名。さらに冷戦を受けてハリウッドに「赤狩り旋風」が巻き起こったことから、当時共産主義圏であった東欧風の響きを持つ名前を避けて、映画『太鼓の響き』からチャールズ・ブロンソンを名乗るようになった。

スター[編集]

1958年の『機関銃(マシンガン)ケリー』で主役に抜擢された。さらに『荒野の七人』(1960年)や、 『大脱走』(1963年)、『レッド・サン』(1971年)などのヒット作に出演し、共に男臭い風貌と巧みな演技が人気を呼んで俳優としての地位を確立。その後の『さらば友よ』や『雨の訪問者』への出演で押しも押されもせぬ国際映画スターの仲間入りを果たした。

その後も独特の個性と演技力を活かして、アクション作品を中心に数多くの作品で主役や脇役を演じ活躍し高い評価を得た他、日本をはじめとする世界各国で複数のテレビCMにも出演し、高い人気を得た。

プライベート[編集]

私生活では、1949年女優ハリエット・テンドラーと結婚したが、1967年に離婚。翌1968年ジル・アイアランドと再婚[9]して多数の作品で共演。1990年にジルが乳癌で亡くなりブロンソンも俳優業からの引退を宣言したが、後に復帰し、以降はテレビドラマを中心に活動した。1998年Family of Copsシリーズで共演したキム・ウィークスと再婚。

死去[編集]

後年、アルツハイマー病を発症。病との闘いの末、2003年8月30日肺炎で死去。81歳没。なお、死後の2004年に公開された『キル・ビル2』のエンドクレジットにはブロンソンを尊敬するクエンティン・タランティーノ監督により「R.I.P. Charles Bronson(チャールズ・ブロンソン。安らかに眠ってください)」との言葉が挿入されている。

日本でのブロンソン[編集]

マンダム[編集]

日本では、1970年に男性用化粧品メーカー「丹頂」の化粧品「マンダム」のテレビCM(大林宣彦演出)に出演し、一世を風靡した。撮影費は2000万円、ブロンソンへのギャラは3万ドル(約1000万円)[10]であった。彼の起用を提案したのは、キャンペーンを担当した電通西谷尚雄で、西谷はかねてから『大脱走』や『さらば友よ』などで個性的な脇役として存在感を示していたブロンソンに着目していた[10]。化粧品のCMといえば二枚目の男優が出演して中性的な清潔感を打ち出すものが多かった中で、野性的な風貌のブロンソンを起用し、男臭さを前面に押し出すのは逆転の発想であった[11]。キャンペーンにあたったスタッフは当初周囲から猛批判を受けたという[12]

撮影は、アリゾナ州の砂丘とユタ州モニュメント・バレー、ならびに、ハリウッドのスタジオで行われた。ブロンソンは、「私の初主演映画だ」といい出演を快諾。泥水をかぶる場面も「これがアリゾナの水さ」と嘯いたという[要出典]。CM中、ブロンソンは、モニュメント・バレー周辺の荒野を馬(白馬)に騎乗して駆け、カウボーイハットで河川の水を汲み頭から浴びる。そして顎を撫でながら一言「う~ん、マンダム」。このセリフは日本中で大流行し、化粧品に縁のない幼い子供まで真似をするほどであった。当時ヒットしたCMソングは「男の世界」(歌 : ジェリー・ウォレス)。マンダムの商品知名度は発売直後に98%に達した[12]

丹頂は、1933年に整髪料「丹頂チック」を発売した男性用化粧品業界の老舗・大手であったが、1960年代にはライオン資生堂の攻勢を受け、経営は危機に瀕していた。しかし「マンダム」の爆発的ヒットによって年商は2年で倍増し、危機を脱した[11]。1971年に、丹頂は社名を「マンダム」に変更している。また、このCMは海外映画スターのCM起用の先駆けともなった。ブロンソンは、1980年まで「マンダム」シリーズのCMに出演した。

なお、マンダム社は彼の葬儀の際に献花をしている。

ブロンソンズ[編集]

映画界、マスコミ界に隠れたファンが存在する。1994年にはブロンソンの持つ男気に憧れた漫画家みうらじゅん俳優田口トモロヲがユニット「ブロンソンズ」を結成、雑誌「STUDIO VOICE」で「ブロンソンに聞け」という連載を持ち、その後、連載をまとめた『ブロンソンならこう言うね~マニア・カルト一生相談~』を上梓した。

その他[編集]

その強烈な存在感から、多くの漫画家の作品にも登場している。 手塚治虫の『ブラック・ジャック』などでもそのパロディキャラクターが登場し、『サザエさん』のように本人そのものが漫画ネタとなったエピソードもある。

浜岡賢次の『浦安鉄筋家族』では本人のそっくりさんが登場人物として描かれており、『荒野の七人』出演時のジュリアーノ・ジェンマやジェームズ・コバーンのそっくりさんと共に何度も登場している。

アニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ』は西部劇へのオマージュ作品で、劇中に『荒野の七人』出演時のユル・ブリンナー等と共にブロンソンも登場するが、声の配役で『荒野の七人』テレビ放送当時に日本語吹き替えを行った小林修や大塚らがあらためて起用された。

メジャーリーグの投手であるブロンソン・アローヨも、ファンだった父親が彼のようなタフガイになってほしいとの願いで命名している。

また『北斗の拳』の原作者である武論尊の名は彼に由来している。

親日派[編集]

ブロンソン自身は、第二次世界大戦中は陸軍航空隊に所属していたため、B-29爆撃機の機銃手として東京大空襲に参加した過去を持っているが、CM撮影に参加した折は、大スターらしからぬ非常に人間的で温かい気配りを行い、日本のスタッフを感激させたほどである。また、晩年も日本のテレビ番組が取材に来た際も、日本のファンを気遣い、自身の病身をさらすことでイメージを損なうとしてあえて取材を断るほどであった。

主な出演作[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
1952 赤い空
Red Skies of Montana
クレジットなし
1953 雨に濡れた欲情
Miss Sadie Thompson
エドワーズ
肉の蝋人形
House of Wax
イゴール
1954 土曜日正午に襲え
Crime Wave
ベン・ヘイスティングス
勇者の汚名
Riding Shotgun
ピント
アパッチ
Apache
ホンドー
ベラクルス
Vera Cruz
ピッツバーグ
1955 真昼の脱獄
Big House, U.S.A.
ベニー・ケリー
攻撃目標零
Target Zero
ヴィンス
去り行く男
Jubal
レブ
1957 赤い矢
Run of the Arrow
ブルー・バッファロー
1958 決闘!ブーツヒル
Showdown at Boot Hill
ルーク・ウェルシュ
機関銃ケリー
Machine-Gun Kelly
ジョージ・R・ケリー(マシンガン・ケリー)
1958-1960 カメラマン・コバック
Man with a Camera
マイク・コバック テレビシリーズ
1959 戦雲
Never So Few
ジョン・ダンフォース
1960 荒野の七人
The Magnificent Seven
オライリー
1961 空飛ぶ戦闘艦
Master of the World
ジョン・ストロック
独立騎兵隊
A Thunder of Drums
ハナ
宇宙船X-15号
X-15
リー・ブランドン
1962 恋のKOパンチ
Kid Galahad
ルー
1963 大脱走
The Great Escape
ダニー(トンネル・キング)
テキサスの四人
4 for Texas
マットソン
1964 マードックの拳銃
Guns of Diablo
リンク・マードック
1965 いそしぎ
The Sandpiper
コス・エリクソン
バルジ大作戦
Battle of the Bulge
ウォレンスキー少佐
1966 雨のニューオリンズ
This Property Is Condemned
J. J.
1967 特攻大作戦
The Dirty Dozen
ジョセフ・T・ウラディスロー
1968 サン・セバスチャンの攻防
La bataille de San Sebastian
Teclo
戦うパンチョ・ビラ
Villa Rides
ロドルフォ
さらば友よ
Adieu l'ami
フランツ
ウエスタン
C'era una volta il West
ハモニカ
1970 おませなツインキー
Twinky
スコット
雨の訪問者
Rider On the Rain
ハリー・ドブス
狼の挽歌
Città violenta
ジェフ
夜の訪問者
De la part des copains
ジョー・マーティン
1971 扉の影に誰かいる
Quelqu'un derrière la porte
記憶喪失の男
レッド・サン
Soleil rouge
リンク・スチュワート
1972 バラキ
The Valachi Papers
ジョー・バラキ
メカニック
The Mechanic
アーサー・ビショップ
チャトズ・ランド
Chato's Land
チャト
1974 シンジケート
The Stone Killer
ルー
さらばバルデス
Valdez, il mezzosangue
バルデス
マジェステック
Mr. Majestyk
ヴィンス・マジェスティック
狼よさらば
Death Wish
ポール・カージー
1975 ブレイクアウト
Breakout
ニック・コルトン
ストリートファイター
Hard Times
チェイニー
軍用列車
Breakheart Pass
ディーキン
1976 セントアイブス
St. Ives
レイモンド・セントアイブス
正午から3時まで
From Noon till Three
グラハム
特攻サンダーボルト作戦
Raid on Entebbe
ダン・ショムロン テレビ映画
1977 ホワイトバッファロー
The White Buffalo
ワイルド・ビル・ヒコック
テレフォン
Telefon
グリゴリ・ボルゾフ少佐
1978 チャールズ・ブロンソン/愛と銃弾
Love and Bullets'
チャーリー テレビタイトル『殺人のはらわた』
1979 太陽のエトランゼ
Caboblanco
ギフォード DVDタイトル『灼熱のカボ・ブランコ/狼たちの野望』
1980 ボーダーライン
Borderline
ジェブ・メイナード テレビタイトル『マッドギャリソン』
1981 デスハント
Death Hunt
アルバート・ジョンソン
1982 ロサンゼルス
Death Wish II
ポール・カージー
1983 殺人鬼
10 To Midnight
レオ テレビタイトル『真夜中の野獣刑事』
1984 地獄で眠れ
The Evil That Men Do
ホランド/バート・スミス
1985 スーパー・マグナム
Death Wish 3
ポール・カージー
1986 必殺マグナム
Murphy's Law
ジャック・マーフィー
アクト・オブ・ベンジェンス
Act of Vengeance
ジョセフ(ジョック) テレビ映画
トップレディを殺せ
Assassination
ジェイ
1987 バトルガンM‐16
Death Wish 4: The Crackdown
ポール・カージー
1988 メッセンジャー・オブ・デス
Messenger of Death
ギャレット・スミス
1989 禁じ手
Kinjite: Forbidden Subjects
クロウ
1991 インディアン・ランナー
The Indian Runner
ロバーツ氏
1992 シー・ウルフ
The Sea Wolf
ウルフ・ラーセン テレビ映画
1993 サイコパス/9本指の死体
Donato and Daughter
マイク・ドナート テレビ映画
1994 狼よさらば 地獄のリベンジャー
Death Wish V: The Face of Death
ポール・カージー 別題:『DEATH WISH/キング・オブ・リベンジ』
1995 ラスト コップ 血塗られた狼
Family of Cops
ポール・フェイン テレビ映画
1997 COP コップ
Breach of Faith: A Family of Cops II
ポール・フェイン テレビ映画
1999 キング・オブ・コップ
Family of Cops III: Under Suspicion
ポール・フェイン テレビ映画

関連項目[編集]

参照[編集]

  1. ^ a b Michael, Pitts (1999). Charles Bronson. McFarland. p. 1. ISBN 0-7864-0601-1. 
  2. ^ Charles Bronson Quick facts”. BiggestStars.com. 2012年9月19日閲覧。
  3. ^ Aaker, Everet (2006). Encyclopedia of early television crime fighters: all regular cast members in American crime and mystery series, 1948-1959. McFarland. p. 80. ISBN 0-7864-2476-1. 
  4. ^ “Charles Bronson, Actor”. http://www.obituariestoday.com/Obituaries/ObitShow.cfm?Obituary_ID=30541 2009年4月25日閲覧。 
  5. ^ “Hollywood star Bronson dies”. BBC News. (2003年9月1日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/3153769.stm 2009年4月25日閲覧。 
  6. ^ “Action film star Charles Bronson dead at 81”. USA Today. (2003年8月31日). http://www.usatoday.com/life/movies/news/2003-08-31-bronson-dies_x.htm 2009年4月25日閲覧。 
  7. ^ “US movie legend Bronson is dead”. The Scotsman (Edinburgh). (2003年9月1日). http://news.scotsman.com/entertainment/US-movie-legend-Bronson-is.2457999.jp 2009年4月21日閲覧。 
  8. ^ Biography for Charles Bronson”. Imdb. 2012年9月19日閲覧。
  9. ^ Charles Bronson Documentary, Biography Channel.
  10. ^ a b 朝日新聞be編集グループ編『サザエさんをさがして』(朝日新聞出版、2005年)、p.72
  11. ^ a b 朝日新聞be編集グループ編『サザエさんをさがして』(朝日新聞出版、2005年)、pp.70-72
  12. ^ a b 朝日新聞be編集グループ編『サザエさんをさがして』(朝日新聞出版、2005年)、p.70

外部リンク[編集]