ランディ・ジョンソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ランディ・ジョンソン
Randy Johnson
Big Unit 2009.jpg
ジャイアンツ時代(2009年9月25日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ウォールナットクリーク
生年月日 1963年9月10日(51歳)
身長
体重
6' 10" =約208.3 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 ドラフト2巡目
初出場 1988年9月15日
最終出場 2009年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ランドール・デイヴィッド・ジョンソンRandall David Johnson, 1963年9月10日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手アメリカ合衆国カリフォルニア州ウォールナットクリーク出身。ニックネームは「Big Unit」。

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

6歳のときに野球を始め、同時に一番好きなスポーツとなった[1]。本格的に野球をするため、8歳の時にリトルリーグ入団のオーディションを受けたが、体が大きすぎるため年齢詐称を疑われ、母親が身分証明書を見せて入団が許可された[2]

1982年のMLBドラフトアトランタ・ブレーブスから4巡目に指名を受け、契約金48,000ドルを提示されるが[3]、「今プロに行っても将来的な保証が何もない」という父の意向により[2]、契約せずに南カリフォルニア大学へ進学。大学では2年生まで野球バスケットボールをしていたが、3年生から野球に集中する[3]

モントリオール・エクスポズ[編集]

1985年のMLBドラフトモントリオール・エクスポズから2巡目に指名を受け入団。1986年はA級で119.2イニングで133奪三振の一方で94四球、1987年はAA級で140イニングで163奪三振ながら128四球を記録する。1988年は有力誌ベースボールアメリカの選ぶ期待の若手第3位に選出される[4]。AAA級で継投でのノーヒッターを達成するも、敗戦投手となる珍記録を残す(7回を無安打に抑えるが、初回に四球で出した走者に2つの盗塁を許し、次打者の内野ゴロで失点)[4]。セプテンバー・コールアップでメジャーに昇格し、9月15日ピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。9月20日シカゴ・カブス戦で11三振を奪ってメジャー初完投を記録するなど3勝0敗・防御率2.42の成績だった。1989年は開幕から先発ローテーション入りするが制球が悪く、0勝4敗・防御率6.67と低迷し[5]5月9日にマイナー降格。5月25日マーク・ラングストン、後日発表のマイク・キャンベルとの交換トレードでジーン・ハリスブライアン・ホルマンと共にシアトル・マリナーズに移籍[5]

シアトル・マリナーズ[編集]

移籍後も制球難は変わらなかったが、7勝を挙げる。1990年6月2日デトロイト・タイガース戦で球団史上初のノーヒットノーランを達成[6]するなど6月は5勝0敗・防御率2.40の好成績でピッチャー・オブ・ザ・マンスを初受賞[6]。前半戦で9勝3敗・防御率3.68を記録し[6]、登板機会はなかったがオールスターゲームにも初めて選出された。14勝11敗・防御率3.65、リーグワーストの120四球を記録。オフの日米野球でMLB選抜として来日。メジャー選抜は負け越したが、最終第8戦で先発してチャック・フィンリーとの継投でノーヒッターを達成し、意地を見せた[7]1991年は13勝10敗・防御率3.98、リーグ2位の228奪三振、リーグワーストの152四球を記録。1992年は初の開幕投手を務める。9月27日テキサス・レンジャーズ戦で18奪三振を記録し、ロン・ギドリーが持つ左投手としてのリーグ記録に並び[8]9月16日からの3試合で45奪三振は史上2位となった[8]。12勝14敗、3年連続リーグワーストの144四球だったが、241奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得した。同年ノーラン・ライアンと、当時レンジャーズ投手コーチでライアンと二人三脚でトレーニング方法を開発したトム・ハウスの2人と出会い、メンタルトレーニングの指導を受けて制球難を改善させる[9]

1993年5月16日オークランド・アスレチックス戦では8回まで無安打に抑えるも9回に安打を打たれノーヒッターを逃した[10]。19勝8敗・防御率3.24、リーグ最多となる308奪三振を記録し、トレード相手のラングストンが1987年に記録した262奪三振の球団記録を更新[11]。3年連続で100以上だった四球も99に留めた。サイ・ヤング賞の投票ではジャック・マクダウェルに次ぐ2位に入った[12]。オフに4年総額2025万ドル(5年目は600万ドルのオプション)で契約を延長[13]

ビル・クリントン大統領が始球式を務めた1994年4月4日クリーブランド・インディアンスとの開幕戦で、8回にサンディ・アロマー・ジュニアに打たれるまでノーヒットに抑えた[14]5月15日から6月20日にかけて3連続完封を含む7連勝[14]7月7日ボストン・レッドソックス戦でラングストンの球団記録を更新する通算75勝目を挙げる[14]1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、13勝6敗・防御率3.19、リーグ最多の204奪三振・9完投・4完封を記録。サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。1995年は開幕から6連勝を記録し、オールスターゲームでは先発投手を務めた。チームはカリフォルニア・エンゼルスと同率で並び、10月2日のワンゲームプレイオフでは中3日で先発、3安打12奪三振で完投勝利を挙げて球団創設以来初の地区優勝をもたらす。18勝2敗・防御率2.48・294奪三振、歴代7位の勝率.900[15]を記録し、初の最優秀防御率、4年連続の最多奪三振を獲得。ニューヨーク・ヤンキースとのディヴィジョンシリーズでは緊急登板の影響で第3戦に先発し勝利投手。最終第5戦では同点の9回にリリーフ登板し、延長11回表に1失点するが、その裏2点を挙げて逆転サヨナラ勝利。インディアンスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に先発するが勝てず、チームは2勝4敗で敗退した。オフに自身初、球団史上初のサイ・ヤング賞を受賞。

1996年椎間板ヘルニアと背中の故障のため5勝にとどまる。1997年は復活を果たし[1]6月24日のアスレチックス戦で19奪三振を記録して自身の持つ左腕投手としてのリーグ記録を更新[16]するが敗戦投手。前半戦で12勝を挙げ、2年ぶりにオールスターゲームに選出されて先発投手を務め、2回にラリー・ウォーカーと対戦した際に頭部後方へ暴投し、その後ウォーカーはヘルメットを前後逆に被り右打席に入るというパフォーマンスを行った。8月8日シカゴ・ホワイトソックス戦でも19奪三振を記録し完封勝利。その後故障者リスト入りするが、9月27日のアスレチックス戦でリリーフ登板してベン・グリーヴから三振を奪い、通算2000奪三振を達成。同時に20勝目を挙げ、球団史上初の20勝投手となった[16]。最終的に20勝4敗・防御率2.28・291奪三振を記録し、チームは2年ぶりの地区優勝。ボルチモア・オリオールズとのディヴィジョンシリーズでは第1戦と第4戦に先発したが共に敗戦投手となり、チームは1勝3敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では勝利数・防御率・奪三振の3部門全てで上回ったロジャー・クレメンスに次ぐ2位だった[17]1998年は不調で7月までに9勝10敗・防御率4.33。7月31日フレディ・ガルシアカルロス・ギーエン、後日発表のジョン・ハラマとの交換トレードでヒューストン・アストロズに移籍。 

ヒューストン・アストロズ[編集]

移籍後は11試合に先発し、内7試合で2桁奪三振を記録するなど[18]、10勝1敗・防御率1.28・116奪三振、グレッグ・マダックスの5完封に次ぐ4完封と復調し、チームの地区優勝の原動力となる。サンディエゴ・パドレスとのディヴィジョンシリーズでは第1戦と第4戦に先発し、好投したが共に敗戦投手となり、チームは1勝3敗で敗退した。サイ・ヤング賞の投票では7位。329奪三振で自己最多を更新し、20試合で2桁奪三振を記録した。オフにフリーエージェントとなり、12月10日アリゾナ・ダイヤモンドバックスと4年5300万ドルで契約。

アリゾナ・ダイヤモンドバックス[編集]

1999年は援護に恵まれず17勝9敗と勝利数は伸びなかったが、いずれもリーグトップの防御率2.48・364奪三振・271.2イニング(自己最高)・12完投。23試合で2桁奪三振を記録し、サンディ・コーファックス1965年に記録したリーグ記録の21を更新、1973年のライアンに並ぶMLB記録となった[19]。チームは100勝を挙げて史上最速の創設2年目で地区優勝を果たす。ニューヨーク・メッツとのディヴィジョンシリーズでは第1戦に先発、9回途中まで11三振を奪ったが7失点と打ち込まれ敗戦投手。チームは1勝3敗で敗退した。オフに2度目のサイ・ヤング賞を受賞。2000年は開幕から7連勝を記録するなど前半戦で14勝2敗・防御率1.80の好成績を挙げ、オールスターゲームでは先発投手を務めた。9月10日フロリダ・マーリンズ戦でマイク・ローウェルから三振を奪い、史上12人目の3000奪三振を達成。後半戦は5勝にとどまるが、19勝7敗・防御率2.64・347奪三振で2年連続のサイ・ヤング賞を獲得した。

2001年3月24日、スプリングトレーニングでのサンフランシスコ・ジャイアンツ戦の7回に、投球が偶然飛んできたを直撃するハプニングが起きた。投球はノーカウントになったが、ショックを受けてその後打ち込まれた。この場面は全米に放送され、後日動物愛護団体から訴えられた。5月8日シンシナティ・レッズ戦で史上4人目の1試合20奪三振を達成するなど、前半戦で11勝・202奪三振を記録し、2年連続でオールスターゲームの先発投手を務めた。7月19日、前日照明の故障により3回表終了後にサスペンデッドゲームとなったパドレス戦が再開され、3回からリリーフとして登板。7イニングを1安打無失点に抑え、リリーフ投手としての新記録となる16三振を奪った。21勝6敗、共にリーグトップの防御率2.49・372奪三振を記録。23試合で2桁三振を奪い[20]、奪三振率は13.41でペドロ・マルティネスが1999年に記録したMLB記録の13.2を更新した[20]。同年チームメイトのカート・シリングが293奪三振を記録し、同一チームの2投手合計の奪三振は665で、エンゼルスのライアンとビル・シンガー1973年に記録した624を上回った[20]。シリングと2人で計43勝を挙げて2年ぶりの地区優勝に貢献。セントルイス・カーディナルスとのディヴィジョンシリーズでは第2戦に先発したが、アルバート・プーホルスに本塁打を浴びるなど8回3失点で敗戦投手。ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦で3安打11奪三振完封勝利。第5戦でも勝利投手となり、初のリーグ優勝に導いた。自身にとっても初出場となったヤンキースとのワールドシリーズでは第2戦に先発し、3安打11奪三振完封勝利。その後2試合連続でサヨナラ負けを喫するなど2勝3敗と王手をかけられるが、第6戦で勝利投手となりタイに戻す。最終第7戦ではリードを許した8回途中からリリーフとして登板し、無失点に抑える。チームは9回裏にルイス・ゴンザレスのサヨナラ安打で勝利し、史上最速の創設4年目でワールドチャンピオンとなった。3勝を挙げてシリングと共にシリーズMVPを受賞。3年連続でサイ・ヤング賞を獲得し、スポーツ・イラストレイテッド誌の2001年度スポーツマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、表紙を飾った。

2002年は開幕から6連勝。いずれもリーグトップの24勝(5敗)・防御率2.32・334奪三振・260.0イニング・8完投を記録し、ナショナルリーグでは1985年ドワイト・グッデン以来の投手三冠を達成。シリングと揃って300奪三振を記録し、計47勝を挙げて2年連続の地区優勝に大きく貢献する。カージナルスとのディヴィジョンシリーズでは第1戦に先発したが6失点と打ち込まれて敗戦投手となり、チームは3連敗で敗退した。オフに4年連続でサイ・ヤング賞を受賞。2003年は開幕直後に右膝を痛め、4月11日ミルウォーキー・ブルワーズ戦では10失点を喫するなど不調。4月21日に故障者リスト入りし、5月1日に内視鏡手術を受ける。7月下旬に復帰したが本調子とは程遠かった。9月19日のブルワーズ戦ではメジャー初本塁打を記録[21]2004年5月18日[22]のブレーブス戦で13三振を奪い、史上17人目の完全試合を達成。両リーグでのノーヒッターは史上5人目の快挙で、40歳8ヶ月での達成は1904年サイ・ヤングの37歳1ヶ月を100年ぶりに更新する史上最年長記録となった。6月29日のパドレス戦でジェフ・シリーロから三振を奪い、史上4人目の通算4000奪三振を記録。9月15日コロラド・ロッキーズ戦でビニー・カスティーヤから三振を奪って通算4137奪三振となり、スティーヴ・カールトンを抜いて単独3位に浮上し、左腕投手としては歴代1位となった。111敗を喫して地区最下位に低迷したチームの中で孤軍奮闘し、16勝14敗・防御率2.60・290奪三振を記録した。打線の援護に恵まれず勝利数は伸びなかったが制球力が向上し、投球内容は20勝を挙げた2001年や2002年よりも良かった[23]。サイ・ヤング賞の投票ではクレメンスとの一騎打ちとなったが、勝利数以外の全項目で上回ったにも関わらず2位に終わった。7月にヤンキース、エンゼルス、ボストン・レッドソックスなど数球団と移籍交渉をしたが実現せず[24]。12月にヤンキース、ロサンゼルス・ドジャースとの間でジョンソンを含めた10選手が絡む三角トレードが計画されたが、ドジャースのポール・デポデスタGMが「メリットが少ない」として締結寸前で撤退し、破談となった[24]2005年、ヤンキースはワールドチャンピオン奪回の切り札として新しいオファーを行い[25]1月11日ハビアー・バスケスブラッド・ハルシーディオナー・ナバーロプラス900万ドルの金銭との交換トレードが成立し、移籍。背番号51はバーニー・ウィリアムスが着けていたため41に決定し[26]2006年から2年3200万ドルで契約を延長した[24]

ニューヨーク・ヤンキース[編集]

2006年

移籍1年目ながら開幕投手に選ばれ、勝利投手となる。正捕手ホルヘ・ポサダとは相性が合わず、ジョン・フラハティとバッテリーを組むことが多かった。ポサダと組んだ15試合では5勝6敗防御率4.70だったのに対し、フラハティと組んだ21試合は12勝2敗防御率3.18だった[27]。激しい地区優勝争いを演じたレッドソックス戦では5勝0敗を挙げるなど[28]17勝8敗・防御率3.79、ともにリーグ2位の211奪三振、WHIP1.13を記録し、故障者が続出した先発陣の中で、唯一ローテーションを守り切った。チームはレッドソックスを振り切って地区9連覇を果たす。エンゼルスとのディヴィジョンシリーズでは第3戦で先発したが3回5失点で降板。第5戦でマイク・ムッシーナをリリーフして無失点に抑えたがチームは敗れ、2勝3敗で敗退した。

2006年は1996年に痛めた背中の故障が再発し、17勝を挙げたが防御率5.00と不本意な成績だった。チームは地区10連覇を果たし、タイガースとのディヴィジョンシリーズでは第3戦で先発したが6回途中5失点で敗戦投手となり、1勝3敗で敗退。10月に球団は手術を発表した。

ダイヤモンドバックス復帰[編集]

ダイヤモンドバックス時代のジョンソン

ファンやメディアに辟易して自らトレードを志願し[25]2007年1月9日ルイス・ビスカイーノ他3選手との交換トレードで古巣ダイヤモンドバックスに復帰した。6月5日のジャイアンツ戦で8三振を奪って通算4605奪三振となり、クレメンスを抜いて歴代単独2位に浮上。6月9日にクレメンスがヤンキースで復帰し7三振を奪ったため抜かれたが、6月10日のレッドソックス戦で9三振を奪って再び2位となった。しかし椎間板ヘルニアが再発して手術を受けることとなり、6月28日のドジャース戦を最後に戦線離脱し、4616奪三振でシーズンを終えた。2008年は開幕には間に合わなかったが、4月14日に復帰。6月3日のブルワーズ戦でクレメンスを抜いて再び歴代単独2位となった[29]。その試合から6連敗を喫するが、7月に5連勝と巻き返す。大きな故障もなくシーズンを投げ抜き、11勝10敗・防御率3.91を記録した。オフにフリーエージェントとなり、12月26日にジャイアンツと1年800万ドルで契約[30]ティム・リンスカムバリー・ジトと共にサイ・ヤング賞投手が同一チームに3人在籍することとなり、これは2002年のブレーブス(マダックス、トム・グラヴィンジョン・スモルツ)以来だった[30]

サンフランシスコ・ジャイアンツ[編集]

2009年6月4日 通算300勝達成時

6月4日ワシントン・ナショナルズ戦で6回を1失点に抑え、史上24人目の300勝を達成[31]。300勝初挑戦で到達したのは、1985年のトム・シーヴァー以来、45歳での達成はフィル・ニークロの46歳に次ぐ2番目の高齢記録となった。しかし打撃の際に左肩を痛め、故障者リスト入り。終盤に復帰したが全てリリーフでの登板だった。2010年1月5日に現役引退を表明[32]

引退後[編集]

シアトル・マリナーズの始球式で登場(2010年4月12日)

引退後はフォトグラファーに転身。ロックフェスティバル『オズフェスト』にてカメラマンとしてフォトグラファーピットで幾つものカメラを首にぶら下げている姿を『BURRN!』誌の写真家ジョン・ハーレルに目撃されている。2011年にはインディカー・シリーズ第3戦(ロングビーチ市街地コース)に報道カメラマンとして取材に訪れた様子が日本のスポーツ紙にも掲載された[33]。 2010年4月20日に、東京ドーム東北楽天ゴールデンイーグルス主催ゲーム(対千葉ロッテマリーンズ)が初めて行われた際、始球式を行うために来日した。

2014年5月18日、アリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地チェイス・フィールドで行われたロサンゼルス・ドジャース戦の試合前の始球式を務めた。ちょうど10年前のこの日に完全試合を達成したことを記念にしたもので、当時のユニフォームを着ての投球だった。

投球スタイル[編集]

メジャーリーグでも稀な2m8cmの長身から、最速102mph(約164km/h)のフォーシームと2種類のスライダースプリッターツーシームを投げ分ける。身長の分だけ腕も長く、しかもサイドスローに近いスリー・クォーターであることに加えて、横に変化する高速スライダーを投げるため、左打者にとっては背中越しにボールが現れる上に至近距離まで球筋が見極められず、非常に打ちづらい事で知られる。

通算投球回数2000回以上の投手が対象である、投球回数9回に対する通算の奪三振率が9.0以上の投手4人のうちの1人であり、投球回数9回に対する通算の奪三振率10.61はMLB史上1位である[34]

若い頃は制球難で与四球が多かったが徐々に克服し、奪三振(4,875)と与四球(1,497)の比率(奪三振÷与四球)は3.26である。これを歴代の奪三振上位の投手と比較すると、シリング(4.38)、マルティネス(4.15)、マダックス(3.37)らには及ばないものの、ライアン(2.04)、クレメンス(2.96)、カールトン(2.26)、シーヴァー(2.62)、ボブ・ギブソン(2.33)、ドン・ドライスデール(2.91)、コーファックス(2.93)らを上回る。ただし1992年まではこの比率は1.58であった。

マリナーズ在籍時から慈善事業に積極的に関わっており、Strikeout Homelessnessプログラムにて1勝を挙げる毎に$1,000、奪三振1つ毎に$100を寄付していた[35]

趣味[編集]

ドラムを趣味としており、自宅にドラムの練習室を作るほど。日本のTV番組で紹介された際には加藤茶とのドラムバトルを披露した。レッド・ツェッペリンのファンであり、来日の際にはブートレグCDを買い漁る。

獲得タイトル・表彰・記録[編集]

  • サイ・ヤング賞 5回:1995年, 1999年 - 2002年
  • 投手三冠 1回:2002年
  • 最多勝利 1回:2002年
  • 最優秀防御率 4回:1995年, 1999年, 2001年, 2002年
  • 最多奪三振 9回:1992年 - 1995年, 1999年 - 2002年, 2004年
  • ワールドシリーズMVP 1回:2001年
  • ベーブ・ルース賞 1回:2001年
  • ピッチャー・オブ・ザ・マンス 8回:1990年6月, 1997年6月, 1998年8月・9月, 1999年7月, 2000年4月, 2002年4月・9月
  • プレイヤー・オブ・ザ・ウィーク:10回
  • シアトル・マリナーズ球団MVP 3回:1993年, 1995年, 1997年
  • アリゾナ・ダイヤモンドバックス球団MVP 1回:2004年
  • アリゾナ・ダイヤモンドバックス年間最優秀投手 5回:1999年 - 2002年, 2004年
  • ウォーレン・スパーン賞 4回:1999年 - 2002年
  • プレイヤーズ・チョイス・アワード
    • AL Outstanding Pitcher 1回:1995年
    • NL Outstanding Pitcher 1回:2000年
  • MLB.com This Year in Baseball Awards
    • Performance of the year:2004年
  • Sports Illustrated
    • Sportsman of the year:2001年
    • All-Decade Team:2000年代左投手
  • The Sporting News
    • AL Pitchers of the Year 1回:1995年
    • AL All-Star Team 2回:1995年, 1997年(左投手)
    • NL All-Star Team 2回:2001年, 2002年(左投手)
    • All-Decade team:2000年代左投手
  • ESPN
    • All-Decade team:2000年代左投手
  • Yahoo! Sports
    • All-Decade team:2000年代左先発投手
  • Baseball Digest
    • Pitcher of the Year 1回:2002年
  • MLBオールスターゲーム選出 10回:1990年, 1993年 - 1995年, 1997年, 1999年 - 2002年, 2004年
  • 完全試合 1回:2004年5月18日
  • ノーヒッター 1回:1990年6月2日
  • 5年連続300奪三振:1998年 - 2002年

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1988 MON 4 4 1 0 1 3 0 0 -- 1.000 109 26.0 23 3 7 0 0 25 3 0 8 7 2.42 1.15
1989 7 6 0 0 0 0 4 0 -- .000 143 29.2 29 2 26 1 0 26 2 2 25 22 6.67 1.85
SEA 22 22 2 0 0 7 9 0 -- .438 572 131.0 118 11 70 1 3 104 5 5 75 64 4.40 1.44
'89計 29 28 2 0 0 7 13 0 -- .350 715 160.2 147 13 96 2 3 130 7 7 100 86 4.82 1.51
1990 33 33 5 2 0 14 11 0 -- .560 944 219.2 174 26 120 2 5 194 4 2 103 89 3.65 1.34
1991 33 33 2 1 0 13 10 0 -- .565 889 201.1 151 15 152 0 12 228 12 2 96 89 3.98 1.50
1992 31 31 6 2 0 12 14 0 -- .462 922 210.1 154 13 144 1 18 241 13 1 104 88 3.77 1.42
1993 35 34 10 3 0 19 8 1 -- .704 1043 255.1 185 22 99 1 16 308 8 2 97 92 3.24 1.11
1994 23 23 9 4 0 13 6 0 -- .684 694 172.0 132 14 72 2 6 204 5 0 65 61 3.19 1.19
1995 30 30 6 3 1 18 2 0 -- .900 866 214.1 159 12 65 1 6 294 5 2 65 59 2.48 1.05
1996 14 8 0 0 0 5 0 1 -- 1.000 256 61.1 48 8 25 0 2 85 3 1 27 25 3.67 1.19
1997 30 29 5 2 1 20 4 0 -- .833 850 213.0 147 20 77 2 10 291 4 0 60 54 2.28 1.05
1998 23 23 6 2 1 9 10 0 -- .474 685 160.0 146 19 60 0 11 213 7 2 90 77 4.33 1.29
HOU 11 11 4 4 1 10 1 0 -- .909 329 84.1 57 4 26 1 3 116 0 0 12 12 1.28 0.98
'98計 34 34 10 6 2 19 11 0 -- .633 1014 244.1 203 23 86 1 14 329 7 2 102 89 3.28 1.18
1999 ARI 35 35 12 2 3 17 9 0 0 .654 1079 271.2 207 30 70 3 9 364 4 2 86 75 2.48 1.02
2000 35 35 8 3 4 19 7 0 0 .731 1001 248.2 202 23 76 1 6 347 5 2 89 73 2.64 1.12
2001 35 34 3 2 1 21 6 0 0 .778 994 249.2 181 19 71 2 18 372 8 1 74 69 2.49 1.01
2002 35 35 8 4 0 24 5 0 0 .828 1035 260.0 197 26 71 1 13 334 3 2 78 67 2.32 1.03
2003 18 18 1 1 0 6 8 0 0 .429 489 114.0 125 16 27 3 8 125 1 1 61 54 4.26 1.33
2004 35 35 4 2 3 16 14 0 0 .533 964 245.2 177 18 44 1 10 290 3 1 88 71 2.60 0.90
2005 NYY 34 34 4 0 2 17 8 0 0 .680 920 225.2 207 32 47 2 12 211 3 1 102 95 3.79 1.13
2006 33 33 2 0 1 17 11 0 0 .607 860 205.0 194 28 60 1 10 172 3 2 125 114 5.00 1.24
2007 ARI 10 10 0 0 0 4 3 0 0 .571 233 56.2 52 7 13 3 4 72 1 0 26 24 3.81 1.15
2008 30 30 2 0 0 11 10 0 0 .524 778 184.0 184 24 44 6 6 173 2 1 92 80 3.91 1.24
2009 SF 22 17 0 0 0 8 6 0 0 .571 412 96.0 97 19 31 2 2 86 5 1 55 52 4.88 1.33
通算:22年 618 603 100 37 19 303 166 2 0 .646 17067 4135.1 3346 411 1497 37 190 4875 109 33 1703 1513 3.29 1.17
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注[編集]

  1. ^ a b 鉄矢多美子 「豪腕復活インタビュー ランディー・ジョンソン [マリナーズ]」『月刊メジャー・リーグ』 1997年9月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-9、3 - 8頁。
  2. ^ a b アキ猪瀬 「300勝――絶滅種の金字塔ランディ・ジョンソン [ジャイアンツ]」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2009』、ベースボールマガジン社、2009年、雑誌 20448-11/25、71頁。
  3. ^ a b Stone, Larry (1999). Randy Johnson, Arizona Heat!. United States: Sports Publishing L.L.C. pp. p. 15.. ISBN 9781582610429. http://books.google.co.jp/books?id=AWhhedsJQF0C&pg=PA15&dq#v=onepage&q=&f=false. 
  4. ^ a b Randy Johnson 1988 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  5. ^ a b Randy Johnson 1989 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  6. ^ a b c Randy Johnson 1990 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  7. ^ ベースボールマガジン2012年11月号74ページ
  8. ^ a b Randy Johnson 1992 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  9. ^ 上田龍 (2009年6月5日). “ランディ・ジョンソン、300勝への軌跡 左腕史上6人目の偉業達成”. スポーツナビ. 2009年6月6日閲覧。
  10. ^ May 16, 1993 Seattle Mariners at Oakland Athletics Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
  11. ^ Seattle Mariners Pitching Leaders - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
  12. ^ Baseball Awards Voting for 1993 - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
  13. ^ Chass, Murray (1993年12月10日). “Yankees' Newfound Thrift Costs Them Randy Johnson” (英語). The New York Times. 2010年1月10日閲覧。
  14. ^ a b c Randy Johnson 1994 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  15. ^ Single-Season Leaders & Records for Won-Loss % - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
  16. ^ a b Randy Johnson 1996 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  17. ^ Baseball Awards Voting for 1997 - Baseball-Reference.com 2008年1月11日閲覧.
  18. ^ Randy Johnson 1998 Pitching Gamelogs -Baseball-Reference PI 2008年1月11日閲覧.
  19. ^ Randy Johnson 1999 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  20. ^ a b c Randy Johnson 2001 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  21. ^ Randy Johnson 2003 Batting Gamelogs - Baseball-Reference PI 2008年1月11日閲覧.
  22. ^ 奇しくも10年前の1994年の同じ日に、NPBで槙原寛己巨人)が完全試合を達成している。
  23. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』 廣済堂出版、2005年、38頁。ISBN 978-4-331-51093-3
  24. ^ a b c 「ランディ・ジョンソン[ヤンキース]/“41歳の若者”が挑む大舞台」『月刊メジャー・リーグ』2005年3月号、ベースボール・マガジン社、2003年、雑誌コード08625-3、8-9項。
  25. ^ a b 三尾圭「リベンジ! 新天地で燃える男たち」『スラッガー』2007年5月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-8、34 - 35頁
  26. ^ Feinsand, Mark (2005年1月11日). “Johnson to wear No. 41 with Yanks” (英語). MLB.com. 2010年3月4日閲覧。
  27. ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』 廣済堂出版、2006年、25頁。ISBN 978-4-331-51146-6
  28. ^ Randy Johnson 2005 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference PI 2008年1月11日
  29. ^ Gilbert, Steve (2008年6月3日). “Big Unit second all-time in strikeouts” (英語). MLB.com. 2009年7月19日閲覧。
  30. ^ a b Haft, Chris (2008年12月26日). “Giants sign Big Unit to one-year deal Future Hall of Famer and local product five wins from 300” (英語). MLB.com. 2008年12月27日閲覧。
  31. ^ Haft, Chris (2009年6月4日). “Big Unit gets 300th win on first try” (英語). MLB.com. 2009年6月5日閲覧。
  32. ^ “ランディ・ジョンソン投手、引退を表明”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年1月6日). http://www.yomiuri.co.jp/sports/mlb/news/20100106-OYT1T00244.htm 2010年1月6日閲覧。 
  33. ^ 東京中日スポーツ・2011年4月22日付 19面
  34. ^ MLB>Stats>All-Time Totals>Pitching>9_K
  35. ^ Randy Johnson Biography” (英語). 2008年5月10日閲覧。

外部リンク[編集]