ランディ・ジョンソン

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ランディ・ジョンソン
Randy Johnson
Big Unit 2009.jpg
ジャイアンツ時代(2009年9月25日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ウォールナットクリーク
生年月日 1963年9月10日(48歳)
身長
体重
6' 10" =約208.3cm
225 lb =約102.1kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1985年 MLBドラフト2巡目(全体36位)でモントリオール・エクスポズから指名
初出場 1988年9月15日 パイレーツ
最終出場 2009年10月4日 パドレス
経歴(括弧内は在籍年)

ランドール・デイヴィッド“ランディ”・ジョンソンRandall David "Randy" Johnson, 1963年9月10日 - )は、元プロ野球選手投手)、写真家

1990年代から2000年代のメジャーリーグを代表する左腕投手であり、ビッグユニットの異名を持つ。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入りまで

6歳のときに野球を始め、それ以来野球が一番好きなスポーツとなった[1]。本格的に野球をするため、8歳の時にリトルリーグ入団のオーディションを受けたが、体が大きすぎるため年齢詐称を疑われ、母が身分証明書を見せ入団が許可された[2]

1982年のMLBドラフトアトランタ・ブレーブスから4巡目(全体89位)で指名され、契約金48,000ドルを提示されたが[3]、父が「今、プロに行っても将来的な保証が何もない」として[2]、契約せずに南カリフォルニア大学へと進学。大学では2年生まで野球バスケットをしていたが、3年生からは野球に集中するためバスケットをやめた[3]

[編集] モントリオール・エクスポズ

1985年のMLBドラフトモントリオール・エクスポズから2巡目(全体36位)で指名され、入団。1988年にはマイナーリーグのインディーでパット・パシロとの継投でノーヒッターを達成するも、チームは敗退する珍記録を残す(7回を投げて被安打は0であったが、1回に四球で出したランナーに2つの盗塁を許し、次の打者の内野ゴロの際に失点)[4]。同年有力誌ベースボールアメリカの選ぶ期待の若手第3位に選出され[4]、マイナーリーグのシーズン終了後に当る9月15日のピッツバーグ・パイレーツ戦でメジャーデビュー。同月20日のシカゴ・カブス戦で11三振を奪ってメジャー初完封を記録し、3勝0敗、防御率2.42でシーズンを終えた。

1989年はコントロールに苦しみ、7試合に登板し(内先発6試合)勝利なしの4敗で防御率は6.67と低迷[5]。5月9日にマイナー落ちを宣告され、5月25日にジーン・ハリスブライアン・ホルマンと共にシアトル・マリナーズマーク・ラングストンマイク・キャンベルとの3対2の交換トレードで放出された[5]

[編集] シアトル・マリナーズ(1989年 - 1998年)

移籍後もコントロールに苦しみ、1990年から3年連続で100四球以上(120,152,144)を記録したものの、先発として起用され続け、1990年は14勝11敗、防御率3.65を記録した。6月2日のタイガース戦で球団史上初のノーヒットノーランを達成した[6]。6月は5勝0敗・防御率2.40の好成績でピッチャー・オブ・ザ・マンスを初受賞[6]オールスターまでに9勝3敗・防御率3.68の成績を残し[6]、登板機会はなかったがオールスターにも選出された。オフには日米野球でMLB選抜として来日した。

1991年は228奪三振(リーグ2位)と奪三振が200の大台を超え、1992年に241奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。9月27日のレンジャーズ戦では18奪三振を記録し、ロン・ギドリーの左投手としてのリーグ記録に並んだ[7]。そして、9月16日から27日にかけて3試合で45奪三振は史上2位となった[7]

1992年にノーラン・ライアンと、当時テキサス・レンジャーズ投手コーチでライアンと2人3脚でトレーニング方法を開発したトム・ハウスの2人と出会い、メンタルトレーニングの指導を受けて制球難を改善させ[8]、翌1993年に19勝8敗、防御率3.24、1987年マーク・ラングストンが記録した球団記録の262奪三振を更新するリーグ最多となる308奪三振を記録[9]、3年連続で100以上だった四球も2桁(99)にとどめた。5月16日のアスレチックス戦では8回まで無安打に抑えるも9回にヒットを打たれノーヒットノーランを逃した[10]サイ・ヤング賞の投票ではジャック・マクダウエルに次ぐ2位に終わった[11]。シーズン終了後には4年総額2025万ドル(5年目は600万ドルのオプション)の契約に合意[12]

ビル・クリントン大統領が始球式を務めた1994年4月4日のクリーブランド・インディアンズとの開幕戦で、8回にサンディー・アロマー・ジュニアに打たれるまでノーヒットノーランを続けた[13]。5月15日から6月20日にかけて3連続完封を含む7連勝[13]。7月7日には通算75勝目を挙げ、マーク・ラングストンを抜き球団新記録となった[13]ストライキにより短縮されたシーズン成績は防御率3.19、リーグ最多の204三振を奪い、サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。

1995年は18勝2敗で歴代7位の勝率.900[14]、防御率2.48、294奪三振で自身初、球団史上初のサイ・ヤング賞を受賞。チームは球団史上初めてポストシーズンへコマを進めた。

1996年椎間板ヘルニアの故障のために5勝に留まるが、1997年は復活を果たした[1]。6月24日と8月8日には1試合19奪三振を記録し、自身の持つ左腕のリーグ記録を更新した[15]。シーズン最後の登板となった9月27日のアスレチックス戦で通算2000奪三振とシーズン20勝目を挙げ、球団史上初の20勝投手となった[15]。最終的に20勝4敗、防御率2.28、291奪三振を記録したが、サイ・ヤング賞の投票では勝数、防御率、奪三振の3部門全てでジョンソンを上回る成績を残したロジャー・クレメンスに次ぐ2位に終わった[16]。  

[編集] ヒューストン・アストロズ(1998年)

1998年は不調で7月までに9勝10敗、防御率4.33だった。7月31日にマリナーズは、フレディ・ガルシアカルロス・ギーエン、後に発表されたジョン・ハラマの3名と交換でジョンソンをプレーオフを争っているヒューストン・アストロズにトレードした。シーズンの3分の1しかナショナルリーグで登板していないにもかかわらず、11回の先発で7試合で2桁の奪三振[17]、10勝1敗、防御率1.28を記録し、4完封はグレッグ・マダックスの5完封に次ぐ2位。アストロズのプレーオフ進出の原動力となった。この年のサイ・ヤング賞の得票数で7位となった。シーズン通算では329奪三振で自己最多を更新し、20試合で2桁奪三振を記録している。

[編集] アリゾナ・ダイヤモンドバックス(1999年 - 2004年)

オフシーズンに球団創設2年目のアリゾナ・ダイヤモンドバックスと4年5300万ドルの契約を結んだ。1999年シーズンを17勝9敗、防御率2.48、364奪三振で終え、2桁奪三振の試合は23でサンディー・コーファックスの21(1965年)を上回るリーグ新記録、ノーラン・ライアンに並ぶMLB記録となった[18]。チームを地区優勝に導いたが、ディビジョンシリーズでニューヨーク・メッツに敗退した。2度目のサイ・ヤング賞を受賞。

2000年7月にダイヤモンドバックスはフィラデルフィア・フィリーズから右腕のカート・シリングを獲得している。9月10日に史上12人目となる3000奪三振を達成。

2001年シーズン開幕前の3月24日、サンフランシスコ・ジャイアンツとのオープン戦の7回に、ジョンソンの投じた球が偶然飛んできたを直撃するというハプニングが起きた。投球はノーカウントになったが、ショックを受けたジョンソンはその後打ち込まれた上、この場面は全米に流され、後日動物愛護団体から訴えられるといった事件も起きた(野球のボールが鳥と衝突する事件としては、1983年に、当時ニューヨーク・ヤンキースに在籍していたデーブ・ウィンフィールドが、ウォームアップ中にボールを鳥にぶつけてしまった事件が知られている)。

5月8日のシンシナティ・レッズ戦で、MLB史上4人目となる1試合(9回)20奪三振を達成したのを含め、MLBタイ記録となる23試合で2桁奪三振を記録した[19]。自己最高となる21勝、リーグ1位の防御率2.49、372奪三振を記録し、奪三振率はペドロ・マルティネスが1999年に記録した13.2を上回る13.41で、MLB記録を樹立した[19]。またシリングの293奪三振と併せて同一チームの2投手合計の奪三振は665で、カリフォルニア・エンゼルスのノーラン・ライアンとビル・シンガー1973年に記録した624を上回るMLB記録となった[19]

シリングと2人合わせて43勝を挙げて2年ぶりの地区優勝に貢献し、プレーオフでも好投してリーグ優勝に導き、球団史上初、自身にとっても初となるワールドシリーズに出場。シリーズではニューヨーク・ヤンキースを4勝3敗で下し、創設4年目のチームに優勝をもたらした。ワールドシリーズMVPはジョンソン、シリングの二人が受賞し、スポーツ・イラストレイテッド誌の2001年を代表するスポーツ選手に選ばれ、表紙を飾っている。

2002年は24勝、防御率2.32、334奪三振でナショナルリーグでは1985年ドワイト・グッデン以来となる投手3冠を達成。シリングと二人揃って300奪三振を達成し、合計47勝を挙げて2年連続の地区優勝に大きく貢献するも、ディビジョンシリーズでセントルイス・カージナルスに敗退した。2003年は再び故障に苦しみ、先発機会も大幅に限られた。9月19日ミルウォーキー・ブルワーズ戦でMLB初本塁打を記録した[20]

40歳を迎えた2004年に復活し、この年は3つの記録を作ることとなる。5月18日アトランタ・ブレーブス戦で13個の三振を奪い、MLB史上17人目となる完全試合を達成している。6月29日サンディエゴ・パドレス戦でジェフ・シリーロから三振を奪い、史上4人目となる通算4000奪三振を記録した。9月14日にはスティーブ・カールトンの4136奪三振を更新して通算奪三振数で単独3位となり、左腕投手としては歴代1位となった。111敗を喫して地区最下位に低迷したチームの中で孤軍奮闘し、16勝14敗、防御率2.60、290奪三振を記録した。打線の援護に恵まれず勝ち星は伸びなかったが制球力が向上し、投球内容は20勝を挙げた2001年や2002年よりも良かった[21]。サイ・ヤング賞の投票ではロジャー・クレメンスとの一騎打ちとなったが、勝ち星以外の全ての項目で上回ったにも関わらず2位となり、受賞を逃している。

7月にヤンキースエンゼルスレッドソックスなど数球団と移籍交渉をしたが、実現せずに終わった[22]。シーズン終了後の12月にヤンキース、ロサンゼルス・ドジャース、ダイヤモンドバックスの間でジョンソンを含めた10選手が絡む三角トレードが計画されたが、締結寸前でドジャースのポール・デポデスタGMが、メリットが少ないとして撤退し、トレードは解消された[22]

[編集] ニューヨーク・ヤンキース(2005年 - 2006年)

2006年

2005年1月、ヤンキースはワールドチャンピオン奪回の切り札として新しいオファーをダイヤモンドバックスに出し[23]、ジョンソンは、ハビアー・バスケスブラッド・ハルシーディオナー・ナバーロの3選手に加え900万ドルの金銭とトレードされた。背番号51はバーニー・ウィリアムスが付けていたため、41番を付けてプレーすることになった[24]。ヤンキースはジョンソンと2006年から2年間3200万ドルで契約を延長した[22]

移籍1年目の2005年、正捕手ホルヘ・ポサダと相性が合わず、ジョン・フラハティとバッテリーを組むことが多かった。ポサダが捕手のときは5勝6敗だったのに対し、フラハティのときは12勝2敗だった[25]。17勝8敗、防御率3.79、リーグ2位の211奪三振の成績でシーズンを終えた。宿敵ボストン・レッドソックス戦では5勝0敗[26]だった。

フラハティはレッドソックスへ移籍。2006年、1996年に患った背中の同じ箇所を痛め、17勝を挙げるものの、防御率5.00と不本意な成績であった。10月にヤンキースはジョンソンの手術を発表。2007年は春季キャンプの参加こそ遅れ、年齢によるものから保証はできないものの、おそらくシーズン自体には影響はないとしている[27]

[編集] ダイヤモンドバックス復帰(2007年 - 2008年)

ダイヤモンドバックス時代のジョンソン

ファンやメディアに辟易し、自らトレードを志願[23]セットアッパールイス・ビスカイーノ、マイナーリーガーのロス・オーレンドフスティーブン・ジャクソンアルベルト・ゴンザレスとの交換トレードで、古巣のアリゾナ・ダイヤモンドバックスに復帰した。

6月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では8三振を奪い、通算4605奪三振となってロジャー・クレメンスを抜いて史上単独2位(1位はノーラン・ライアンの5714奪三振)となった。しかし、6月9日にはクレメンスがヤンキースに復帰し、7三振を奪って通算4611奪三振となったため一時3位となった。6月10日にはジョンソンがレッドソックス戦で9三振を奪い、4614として再び2位となった。椎間板ヘルニアが再発したためジョンソンは手術を受けることになり、6月28日のドジャース戦を最後に戦線を離脱した。クレメンスが4672奪三振、ジョンソンが4616奪三振でシーズンを終えた。

2008年シーズンは4月15日のジャイアンツ戦に復帰登板。その後は大きな故障もなくシーズンを投げ抜き、11勝を挙げた。6月3日のブルワーズ戦でクレメンスの4672奪三振を抜き単独2位に[28]。45歳となって迎えたシーズン本拠地最終戦の対ロッキーズ戦では被安打2、失点1(自責点0)で完投。

[編集] サンフランシスコ・ジャイアンツ(2009年)

2008年オフにFAとなり、12月26日、サンフランシスコ・ジャイアンツと1年800万ドルで契約[29]。なお、ジャイアンツにはティム・リンスカムバリー・ジトという2人のサイ・ヤング賞投手が既に在籍しており、同じく同賞受賞歴のあるジョンソンの加入により、2002年のアトランタ・ブレーブスグレッグ・マダックストム・グラビンジョン・スモルツ)以来の同一チームに3人のサイ・ヤング賞投手が同時に在籍することになった[29]

6月4日

2009年6月4日 通算300勝達成時

ワシントン・ナショナルズ戦を6回1失点に抑え、MLB史上24人目、歴代22位タイとなる300勝を達成した[30]。300勝初挑戦で到達したのは、1985年のトム・シーバー以来。45歳での300勝達成は、1985年に46歳で達成したフィル・ニークロに次ぐ2番目の高齢記録となった。

2010年1月5日、現役引退を表明[31]

シアトル・マリナーズの始球式で登場(2010年4月12日)

[編集] 写真家(2010年〜)

引退後、フォトグラファーに転身。ロックフェスティバル『オズフェスト』にてカメラマンとしてフォトグラファーピットで幾つものカメラを首にぶら下げている姿を『BURRN!』誌の写真家ジョン・ハーレルに目撃されている。2011年にはインディカー・シリーズ第3戦(ロングビーチ市街地コース)に報道カメラマンとして取材に訪れた様子が日本のスポーツ紙にも掲載された[32]

[編集] 投球スタイル

メジャーリーグでも稀な2m8cmの長身から、最速102mph(約164km/h)のストレートフォーシーム)と2種類のスライダースプリッターツーシームを投げ分ける。身長がある分だけ腕も長く、しかもサイドスローに近いスリー・クォーターであることに加えて、横に変化する高速スライダーを投げるため、左打者にとっては背中越しにボールが現れる上に至近距離まで球筋が見きわめられず、非常に打ちづらい事で知られる。

若い頃は与四球が多く、荒れ球であったが徐々に克服し、奪三振 (4,875) と与四球 (1,497) の比率(奪三振÷与四球)は3.26である。これを歴代の奪三振上位の投手と比較すると、カート・シリング (4.38) 、ペドロ・マルティネス (4.15) 、グレッグ・マダックス (3.37) らには及ばないものの、ノーラン・ライアン (2.04) 、クレメンス (2.96) 、スティーブ・カールトン (2.25) 、トム・シーバー (2.62) 、ボブ・ギブソン (2.33) 、ドン・ドライスデール (2.91) 、サンディー・コーファックス (2.93) らを上回る。ただし、1992年まではこの比率は1.58であった。※現役選手については2009年終了時点での成績。

慈善事業にシアトル・マリナーズ在籍時から積極的に関わっており、Strikeout Homelessnessプログラムにて1勝を挙げる毎に$1,000、奪三振1つ毎に$100を寄付していた[33]

[編集] 獲得タイトル・記録

[編集] タイトル

[編集] アワード

[編集] 記録

  • 年度1位項目
    • 最高勝率 4回:1995年、1997年、2000年、2002年
    • 最高奪三振率 9回:1992 - 1995年、1997年、1999 - 2002年
    • 最多完投試合 4回:1994年、1999 - 2000年、2002年
    • 最多完封試合 2回:1994年、2000年
    • 最多先発登板 3回:1999 - 2000年、2004年
    • 最多投球回 2回:1999年、2002年
    • 最小WHIP 3回:1995年、2001年、2004年
    • 最小被安打率 6回:1992 - 1993年、1995年、1997年、2001年、2004年

など

  • その他記録
    • シーズン20勝 3回:1997年、2001年 - 2002年
    • シーズン300奪三振 6回:1993年、1998年 - 2002年
    • シーズン奪三振率10 14回:1991年 - 2002年、2004年、2007年

など

[編集] その他

[編集] 年度別投手成績





















































W
H
I
P
1988 MON 4 4 1 0 1 3 0 0 -- 1.000 109 26.0 23 3 7 0 0 25 3 0 8 7 2.42 1.15
1989 7 6 0 0 0 0 4 0 -- .000 143 29.2 29 2 26 1 0 26 2 2 25 22 6.67 1.85
SEA 22 22 2 0 0 7 9 0 -- .438 572 131.0 118 11 70 1 3 104 5 5 75 64 4.40 1.44
'89計 29 28 2 0 0 7 13 0 -- .350 715 160.2 147 13 96 2 3 130 7 7 100 86 4.82 1.51
1990 33 33 5 2 0 14 11 0 -- .560 944 219.2 174 26 120 2 5 194 4 2 103 89 3.65 1.34
1991 33 33 2 1 0 13 10 0 -- .565 889 201.1 151 15 152 0 12 228 12 2 96 89 3.98 1.50
1992 31 31 6 2 0 12 14 0 -- .462 922 210.1 154 13 144 1 18 241 13 1 104 88 3.77 1.42
1993 35 34 10 3 0 19 8 1 -- .704 1043 255.1 185 22 99 1 16 308 8 2 97 92 3.24 1.11
1994 23 23 9 4 0 13 6 0 -- .684 694 172.0 132 14 72 2 6 204 5 0 65 61 3.19 1.19
1995 30 30 6 3 1 18 2 0 -- .900 866 214.1 159 12 65 1 6 294 5 2 65 59 2.48 1.05
1996 14 8 0 0 0 5 0 1 -- 1.000 256 61.1 48 8 25 0 2 85 3 1 27 25 3.67 1.19
1997 30 29 5 2 1 20 4 0 -- .833 850 213.0 147 20 77 2 10 291 4 0 60 54 2.28 1.05
1998 23 23 6 2 1 9 10 0 -- .474 685 160.0 146 19 60 0 11 213 7 2 90 77 4.33 1.29
HOU 11 11 4 4 1 10 1 0 -- .909 329 84.1 57 4 26 1 3 116 0 0 12 12 1.28 0.98
'98計 34 34 10 6 2 19 11 0 -- .633 1014 244.1 203 23 86 1 14 329 7 2 102 89 3.28 1.18
1999 ARI 35 35 12 2 3 17 9 0 0 .654 1079 271.2 207 30 70 3 9 364 4 2 86 75 2.48 1.02
2000 35 35 8 3 4 19 7 0 0 .731 1001 248.2 202 23 76 1 6 347 5 2 89 73 2.64 1.12
2001 35 34 3 2 1 21 6 0 0 .778 994 249.2 181 19 71 2 18 372 8 1 74 69 2.49 1.01
2002 35 35 8 4 0 24 5 0 0 .828 1035 260.0 197 26 71 1 13 334 3 2 78 67 2.32 1.03
2003 18 18 1 1 0 6 8 0 0 .429 489 114.0 125 16 27 3 8 125 1 1 61 54 4.26 1.33
2004 35 35 4 2 3 16 14 0 0 .533 964 245.2 177 18 44 1 10 290 3 1 88 71 2.60 0.90
2005 NYY 34 34 4 0 2 17 8 0 0 .680 920 225.2 207 32 47 2 12 211 3 1 102 95 3.79 1.13
2006 33 33 2 0 1 17 11 0 0 .607 860 205.0 194 28 60 1 10 172 3 2 125 114 5.00 1.24
2007 ARI 10 10 0 0 0 4 3 0 0 .571 233 56.2 52 7 13 3 4 72 1 0 26 24 3.81 1.15
2008 30 30 2 0 0 11 10 0 0 .524 778 184.0 184 24 44 6 6 173 2 1 92 80 3.91 1.24
2009 SF 22 17 0 0 0 8 6 0 0 .571 412 96.0 97 19 31 2 2 86 5 1 55 52 4.88 1.33
通算:22年 618 603 100 37 19 303 166 2 0 .646 17067 4135.1 3346 411 1497 37 190 4875 109 33 1703 1513 3.29 1.17
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 趣味

ドラムを趣味としており、自宅にドラムの練習室を作るほど。 日本のTV番組で紹介された際には加藤茶とのドラムバトルを披露した。 レッド・ツェッペリンのファンであり、来日の際にはブートレグCDを買いあさる。

[編集] 脚注

  1. ^ a b 鉄矢多美子 「豪腕復活インタビュー ランディー・ジョンソン [マリナーズ]」『月刊メジャー・リーグ』 1997年9月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-9、3 - 8頁。
  2. ^ a b アキ猪瀬 「300勝――絶滅種の金字塔ランディ・ジョンソン [ジャイアンツ]」『メジャー・リーグ記録集計号 ザ・スタッツブック 2009』、ベースボールマガジン社、2009年、雑誌 20448-11/25、71頁。
  3. ^ a b Stone, Larry  (1999). Randy Johnson, Arizona Heat!. United States: Sports Publishing L.L.C, p. 15.. ISBN 9781582610429. 
  4. ^ a b Randy Johnson 1988 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  5. ^ a b Randy Johnson 1989 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  6. ^ a b c Randy Johnson 1990 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  7. ^ a b Randy Johnson 1992 Career Highlights” (英語). 2008年5月10日閲覧。
  8. ^ 上田龍 (2009年6月5日). “ランディ・ジョンソン、300勝への軌跡 左腕史上6人目の偉業達成”. スポーツナビ. 2009年6月6日閲覧。
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[編集] 外部リンク

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