ドントレル・ウィリス

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ドントレル・ウィリス
Dontrelle Willis
ブリッジポート・ブルーフィッシュ
Dontrelle Willis 2011.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州オークランド
生年月日 1982年1月12日(32歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 MLBドラフト8巡目
初出場 2003年5月29日
最終出場 2011年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2006年

ドントレル・ウェイン・ウィリス(Dontrelle Wayne Willis, 1982年1月12日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド出身のプロ野球選手

愛称はDトレイン(D-Train)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1981年1月12日カリフォルニア州オークランドで生まれ、母子家庭で育った[1]。母は溶接工で休日はソフトボールの捕手を務め、地元球団オークランド・アスレチックスのエースヴァイダ・ブルーのファンで、ウィリスにブルーのハイキック投法を投げるように教えた[1]。そしてウィリスはブルーそっくりな投手になった[1]2000年ドラフト8巡目(全体223位)指名でシカゴ・カブスに入団した。

マーリンズ時代[編集]

2002年3月27日フロリダ・マーリンズトレードで移籍。

2003年マイナーリーグAA級カロライナで6試合に先発して4勝0敗・防御率1.49の好成績を挙げると、5月9日ジョシュ・ベケット故障者リスト入りし、AAA級を飛び越してにメジャーに昇格し、同日の対コロラド・ロッキーズ戦でにデビュー[2]。デビュー戦から3回目の登板まで1勝1敗、防御率7.07だったが、その後7月13日までの10回の登板で8連勝をマークし、防御率は1.05[2]。6月にはナリーグ新人選手としては野茂英雄(1995年6月)以来となるピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞した[2]7月12日に行われたMLBオールスターゲームにも選出され、ナリーグの投手として1985年ドワイト・グッデン以来の若さでの選出となった[2]。ウィリスの登場は、ブラッド・ペニーカール・パバーノら伸び悩んでいた他の投手にも刺激をもたらし[3]、その結果マーリンズはワールドシリーズを制覇。シーズン終了後、ウィリスは球団史上初[4]新人王を受賞した。

2004年は開幕から3試合連続で自責点0で3連勝。4月25日のブレーブス戦の初回で自責点を記録し、昨年の9月23日からの連続無自責点が27.1回で途切れた[5]。しかし、その後は低迷し、負け越した上に防御率を0.7近く悪化させるなど2年目のジンクスにはまったが、カール・パバーノに次ぐチーム2番目の勝数(10)、奪三振(139)を記録した[5]

2005年は開幕から2戦連続で完封勝利。その後は連勝を伸ばして7戦7勝を記録し、球団史上リバン・ヘルナンデスの開幕から9戦9勝に次ぐ好調なスタートを切った[6]。最終的に22勝で最多勝のタイトルを獲得し、球団史上初の20勝投手となった[7]サイ・ヤング賞投票ではクリス・カーペンターに次ぐ票を集めた[8]

2006年は、3月に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)アメリカ合衆国代表として出場し、ロジャー・クレメンスジェイク・ピービーと先発ローテーションを形成。前年の2005年に行われたWBC開催発表記者会見に出席するなど意欲的だったが、調整不足からコントロールを乱し[9]、カナダ戦、韓国戦と2試合に登板して2敗・防御率12.71[10]と散々な成績だった。その後のMLBレギュラーシーズンでも安定せず[11]、12勝12敗・防御率3.87と前年から成績を落とした。

2007年は成績がさらに悪化した。選手層が薄いマーリンズにおいてローテーション落ちこそなかったが、敗戦数・防御率・失点・自責点WHIPで自己最悪の数字を記録、特に失点・自責点はリーグワーストだった。2003年からの5年間マーリンズ在籍中に勝数(68)、奪三振(757)、先発登板数(162)を記録し、球団記録を更新した[12]

タイガース時代[編集]

シーズン終了後の12月4日に、年俸総額の削減を進めていたマーリンズは、主砲のミゲル・カブレラとともにウィリスをデトロイト・タイガースへトレードし、その後2010年まで3年総額2,900万ドルで契約を結んだ[13]

2008年は前年の不調を引きずったのか、ストライクがほとんど入らないまでに制球が悪化し、故障もあったためシーズンの大半をマイナーで過ごすなどチームの期待を大きく裏切った。

2009年は開幕から不安障害故障者リスト入りし、7先発後に同じ病気で離脱しシーズンを終えた。

タイガース退団後[編集]

2010年6月1日にトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍[14]。7月6日に放出された。7月14日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。11月6日にFAとなった。11月23日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。

2011年10月30日にFAとなった。12月15日にフィラデルフィア・フィリーズとノン・ギャランティーで単年契約を結んだ[15]

2012年、契約が確定する前日の3月15日に違約金を支払われて契約を解消された。3月20日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ。同年7月2日に現役引退を表明した[16]。10月16日に契約を解除された。

2013年1月3日に引退を撤回し、シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが、3月30日に放出された。4月5日に独立リーグ・アトランティックリーグロングアイランド・ダックスと契約。8月4日にロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとマイナー契約を結んだ。11月5日にFAとなった。

2014年1月10日にジャイアンツと再びマイナー契約を結んだ[17]。4月に解雇され、7月5日にアトランティックリーグのブリッジポート・ブルーフィッシュと契約。

プレースタイル・人物[編集]

投球時に右足を極端に高く蹴り上げ、体を大きくひねって、サイドスロー気味にリリースする独特のハイキック投法から投げる。バランス向上のため、年々右足の上げ幅を小さくしている他、カウントと打者の左右に合わせてスリークォーターからサイドスローまで腕の角度を変えることによって、打者にリリースポイントを判断させづらくしている[18]

手元で小さくスライドするツーシーム、大きなスラーブ、右打者から鋭く遠ざかるチェンジアップを主な武器とし、コントロール(ストライクを取る能力)にやや課題を残すものの、コマンド(狙ったスポットに投げる能力)に優れていた[18]。しかし2006年からは制球に苦しむようになり、2008年はストライクがほとんど入らないまでに制球が悪化し、シーズンの大半をマイナーで過ごした。

ハイキック投法から投げるので、"メキシコの怪童" フェルナンド・バレンズエラによく似ているといわれる。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2003 FLA 27 27 2 2 0 14 6 0 0 .700 668 160.2 148 13 58 0 3 142 7 1 61 59 3.30 1.28
2004 32 32 2 0 1 10 11 0 0 .476 848 197.0 210 20 61 8 8 139 2 0 99 88 4.02 1.38
2005 34 34 7 5 0 22 10 0 0 .688 960 236.1 213 11 55 3 8 170 2 1 79 69 2.63 1.13
2006 34 34 4 1 0 12 12 0 0 .500 975 223.1 234 21 83 6 19 160 6 1 106 96 3.87 1.42
2007 35 35 0 0 0 10 15 0 0 .400 942 205.1 241 29 87 4 14 146 9 1 131 118 5.17 1.60
2008 DET 8 7 0 0 0 0 2 0 0 .000 122 24.0 18 4 35 1 1 18 5 1 25 25 9.38 2.21
2009 7 7 0 0 0 1 4 0 0 .200 160 33.2 37 4 28 0 1 17 1 0 28 28 7.49 1.93
2010 9 8 0 0 0 1 2 0 0 .333 202 43.1 48 3 29 0 2 33 4 0 24 24 4.98 1.78
ARI 6 5 0 0 0 1 1 0 0 .500 114 22.1 24 3 27 0 3 14 4 2 17 17 6.85 2.28
'10計 15 13 0 0 0 2 3 0 0 .400 316 65.2 72 6 56 0 5 47 8 2 41 41 5.62 1.95
2011 CIN 13 13 0 0 0 1 6 0 0 .143 334 75.2 78 6 37 2 2 57 8 0 42 42 5.00 1.52
通算:9年 205 202 15 8 1 72 69 0 0 .511 5325 1221.2 1251 114 500 24 61 896 48 7 612 566 4.17 1.43
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

獲得タイトル・表彰[編集]

背番号[編集]

  • 35 (2003年 - 2007年、2010年)
  • 21 (2008年 - 2010年)
  • 50 (2011年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』 廣済堂出版、2008年、131項。ISBN 978-4-331-51300-2
  2. ^ a b c d Dontrelle Willis 2003 Career Highlights” (英語). 2008年5月23日閲覧。
  3. ^ 「30球団レギュラー・シーズン回顧 フロリダ・マーリンズ 監督交代と好補強が奏功して'97年以来のWカード」 『月刊メジャー・リーグ』2003年11月号、ベースボール・マガジン社、2003年、雑誌08625-11、55頁。
  4. ^ "History: MLB Awards," The Official Site of Major League Baseball. 2008年1月11日閲覧。
  5. ^ a b Dontrelle Willis 2004 Career Highlights” (英語). 2008年5月23日閲覧。
  6. ^ Dontrelle Willis 2005 Career Highlights” (英語). 2008年5月23日閲覧。
  7. ^ "Florida Marlins Pitching Leaders," Baseball-Reference.com. 2008年1月11日閲覧。
  8. ^ "Baseball Awards Voting for 2005," Baseball-Reference.com. 2008年1月11日閲覧。
  9. ^ 岡田弘太郎WBC米国代表はなぜ負けたのか」 『スポーツナビ』、2006年3月17日。2008年3月16日閲覧。
  10. ^ "Statistics," World Baseball Classic. 2008年1月11日閲覧。
  11. ^ 杉浦大介 「30チーム・レポート&全選手シーズン最終成績 フロリダ・マーリンズ/FLA 何があろうとマウンドに立つ」 『月刊スラッガー』2006年12月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-12、79頁。
  12. ^ Dontrelle Willis 2007 Career Highlights” (英語). 2008年5月23日閲覧。
  13. ^ Tigers, Willis agree to extension Southpaw sticking around through 2010 for $29 million” (英語). 2008年5月23日閲覧。
  14. ^ D-backs acquire Willis in trade with Tigers”. MLB.com Diamondbacks Press Release (2010年6月1日). 2014年1月10日閲覧。
  15. ^ Phillies sign Willis”. MLB.com Phillies Press Release (2011年12月15日). 2014年1月10日閲覧。
  16. ^ 05年最多勝左腕 ウィリスが現役引退”. スポニチ Sponichi Annex (2012年7月3日). 2012年7月4日閲覧。
  17. ^ Chris Haft (2014年1月10日). “Willis gets Minor League deal from Giants”. MLB.com. 2014年1月10日閲覧。
  18. ^ a b 現役スカウト部長による“本物”のスカウティング・レポート『月刊スラッガー』2005年8月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-8、38-41頁。

外部リンク[編集]