ジム・マコーミック
ジム・マコーミック
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| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | グラスゴー |
| 生年月日 | 1856年11月3日 |
| 没年月日 | 1918年3月10日(満61歳没) |
| 身長 体重 |
5' 10.5" =約179.1 cm 215 lb =約97.5 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| 初出場 | 1878年5月20日 |
| 最終出場 | 1887年10月7日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ジェイムズ(ジム)・マコーミック(James(Jim) McCormick, 1856年11月3日 - 1918年3月10日)は、1870年代から1880年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。ポジションは投手。スコットランド・グラスゴー生まれ。右投げ右打ち。ナショナルリーグ初期に最多勝を2度獲得、通算265勝を挙げた。
目次 |
[編集] 略歴
1878年、21歳でインディアナポリスからナショナルリーグにデビューした。1年目に5勝8敗ながら1.69の防御率を残す。同年チームが解散した後、1879年からはクリーブランド・ブルースに所属、22歳ながら監督を兼任する。同年20勝40敗と成績は伸びなかったが、1880年には74試合に登板して45勝20敗の成績を残し、リーグの最多勝利投手となる。2年後の1882年にも68試合で36勝を挙げて、自身2度目の最多勝利投手となる。また翌1883年には、リーグ最高の防御率1.84の成績も挙げた。
マコーミックは1884年途中までクリーブランドに居たが、シーズン途中でユニオン・アソシエーションのシンシナティ・アウトロー・レッズに移籍する。移籍後のマコーミックは21勝3敗、防御率も1.54と好成績を残したが、当時殆どの試合に投げていたマコーミックを失ったクリーブランドの方は、以後連敗を重ね、同年チーム解散に追い込まれてしまった。
ユニオン・アソシエーション解散後はプロビデンスを経て、キャップ・アンソンが率いていたシカゴ・ホワイトストッキングス(現シカゴ・カブス)に2年間所属した。マコーミックはアンソンやキング・ケリーらとかなり親しかったそうで、自身もシカゴ在籍の2年間は計51勝15敗と活躍し、両年のシカゴのリーグ制覇にも貢献した。
1887年、マコーミックは30歳で野球選手を引退し、1918年にニュージャージー州で死去した。
[編集] 通算成績
[編集] 投手成績
※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
| 登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 492 | 485 | 4275.2 | 265 | 33 | 214 | 1 | 1704 | 4092 | 83 | 749 | 12* | 157 | 1155 | 2.43 | 1.13 |
[編集] 獲得タイトル・記録
[編集] 打撃成績
- 通算成績:534試合、2082打数246安打、本塁打4、打点178*、打率.236
- ※1884年の打点は不明
[編集] 監督としての戦績
| 年 度 |
球 団 |
リ | グ |
試 合 |
勝 利 |
敗 戦 |
勝 率 |
順 位 |
備 考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1879 | C L B |
NL | 82 | 27 | 55 | .329 | 7位 | 選手兼任 |
| 1880 | 85 | 47 | 37 | .560 | 3位 | 〃 | ||
| 1882 | 4 | 0 | 4 | .000 | 9位 | ~5月5日 | ||
| 通算実績 | 171 | 74 | 96 | .435 | ||||
[編集] 出典・外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs