バート・ブライレブン

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バート・ブライレブン
Bert Blyleven
Bert Blyleven.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オランダの旗 オランダ
ユトレヒト州ゼイスト
生年月日 1951年4月6日(63歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
207 lb =約93.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1969年 ドラフト3巡目
初出場 1970年6月5日
最終出場 1992年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 2011年
得票率 79.69%
選出方法 BBWAA選出

リック・アルバート“バート”ブライレブン(Rik Aalbert "Bert" Blyleven, 1951年4月6日 - )は、1970年代から1990年代初めにかけて活躍したオランダユトレヒト州出身の元メジャーリーグベースボール選手(投手)。姓はブライルベンブレイレブンと表記されることもある。絶妙なカーブの使い手として知られ、「カーブボールの芸術家」とも言われた。

人物・来歴[編集]

オランダで生まれ、移住したカリフォルニア州南部で育つ。ロサンゼルス・ドジャースのファンで、サンディー・コーファックスの投げる試合をよく観戦していた。

1969年ドラフト会議ミネソタ・ツインズから指名され、入団。一年足らずのマイナーキャリアを経て、1970年6月2日にメジャーに昇格し、6月5日に初登板。この年10勝をあげてチームの地区優勝に貢献し、スポーティング・ニュース社の選ぶア・リーグ最優秀新人投手に選出された。翌年以後も16勝、17勝、20勝、17勝、15勝と活躍。この頃が成績的には絶頂期だが、当時はファンやマスコミとの関係もいまひとつで、決して恵まれた時期ではなかったという。

1976年6月1日テキサス・レンジャーズに移籍。この年はツインズ時代とあわせて13勝。1977年9月22日カリフォルニア・エンゼルス戦ではノーヒッターを達成し、14勝をあげた。シーズン終盤に鼠径部損傷の故障を発症すると、その年の12月8日に、史上初の四球団が絡むトレード[1]ピッツバーグ・パイレーツに移籍。1978年には14勝をあげ、1979年には12勝をあげて、チームのワールドシリーズ制覇に貢献。しかしチームに不安を持ち、1980年途中に移籍を希望し、かなわなければ引退すると発言した。

その年12月9日クリーブランド・インディアンスに移籍。50日間に及ぶストライキでシーズンが短縮された1981年にも11勝をあげるが、1982年は肘の故障で4試合の登板に終わる。1983年もその影響で苦しいシーズンを送るが、1984年には19勝7敗と、自己2番目に多い勝ち星を記録。1985年シーズン途中に、古巣ツインズに9シーズンぶりに復帰すると、今度は大きな声援に迎えられた。その年は両球団合計で17勝(16敗)をあげ、奪三振206はリーグ1位であった。1982年に誕生したツインズの本拠地メトロドームは打者に有利な球場で、球速の衰えたブライルベンには厳しく、1986年8月1日には、当時メジャー史上10人目[2]通算3,000奪三振を達成し、シーズンでも17勝14敗を挙げたものの、50本のホームランを喫した。1987年には15勝12敗の活躍でチームを地区優勝、リーグ優勝に導き、自身2度目のワールドシリーズに出場。第2戦では勝利投手となる。第5戦ではカージナルスが、シリーズでは1907年以来となる5盗塁を許し、ブライルベンは敗戦投手となるが、2勝3敗と追い込まれたチームは本拠地での第6戦、第7戦に連勝して、「Home Sweet Dome」でのワールドチャンピオンを決めた。

1988年は被本塁打こそ21だが、防御率5.43と乱調で、10勝17敗に終わり、この年限りでカリフォルニア・エンゼルスに移籍。初年度の1989年には17勝5敗、防御率2.73と活躍し、カムバック賞を受賞するが、1990年は8勝7敗。回旋筋を痛めた1991年は1シーズン登板がなく、1992年に復帰するが8勝12敗に終わる。あと13勝に迫った通算300勝に意欲を持ち、42歳で1993年のスプリング・トレーニング[3]で古巣ツインズのトライアウトを受けるが契約には至らず、現役引退を発表した。引退後はツインズ専属のコメンテーター(解説者)を務めている。2009年には、WBC オランダ代表の投手コーチを務めた。

通算287勝250敗、防御率3.31、奪三振3,701と、アメリカ野球殿堂入りに相応しいと言える成績を残し、1998年に殿堂入りのための全米記者協会による選考投票を受ける資格(得票率が75%を超えると殿堂入りとなる)を得たが、なかなか殿堂入りを果たせなかった。特に通算奪三振は歴代5位で、3,000奪三振は2010年終了時点で15人しか達成者がおらず、ブライルベン以外に野球殿堂入りの資格を得た選手は全て殿堂入りを果たしていた。2010年の記者投票の得票率は74.2%で、わずかな差で殿堂入りを逃した。しかしながら2011年の記者投票で79.7%の得票率を得て、14年目にしてようやく殿堂入りを果たした[4]1月27日、ツインズはブライルベンの殿堂入りと功績を讃え、在籍中に着けていた背番号「28」を永久欠番にすると発表した。

パイレーツ時代、ボブ・ホーナー(当時ブレーブス、のちヤクルト)にメジャー初本塁打を打たれた。また、ジェイ・ベルには、メジャー初打席で、初球を本塁打された。ダグアウトでの悪戯で知られ、時折チームメイトのスパイクの紐に火をつける「Hot-foot」といういたずらを行っていた。これによって、「Flying Dutchman(飛ぶオランダ人20世紀初頭の名遊撃手ホーナス・ワグナーのニックネーム)」ならぬ「Frying Dutchman(揚げるオランダ人)」というあだ名をつけられた。

受賞歴・記録[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1970 MIN 27 25 5 1 0 10 9 0 -- .526 675 164.0 143 17 47 6 2 135 2 3 66 58 3.18 1.16
1971 38 38 17 5 3 16 15 0 -- .516 1126 278.1 267 21 59 1 5 224 5 1 95 87 2.81 1.17
1972 39 38 11 3 0 17 17 0 -- .500 1158 287.1 247 22 69 7 10 228 7 1 93 87 2.73 1.10
1973 40 40 25 9 2 20 17 0 -- .541 1321 325.0 296 16 67 4 9 258 7 2 109 91 2.52 1.12
1974 37 37 19 3 2 17 17 0 -- .500 1149 281.0 244 14 77 3 9 249 3 0 99 83 2.66 1.14
1975 35 35 20 3 1 15 10 0 -- .600 1104 275.2 219 24 84 2 4 233 7 0 104 92 3.00 1.10
1976 12 12 4 0 0 4 5 0 -- .444 406 95.1 101 3 35 5 4 75 0 2 39 33 3.12 1.43
TEX 24 24 14 6 1 9 11 0 -- .450 819 202.1 182 11 46 1 8 144 7 0 67 62 2.76 1.13
'76計 36 36 18 6 1 13 16 0 -- .448 1225 297.2 283 14 81 6 12 219 7 2 106 95 2.87 1.22
1977 30 30 15 5 0 14 12 0 -- .538 935 234.2 181 20 69 1 7 182 8 0 81 71 2.72 1.07
1978 PIT 34 34 11 4 1 14 10 0 -- .583 1011 243.2 217 17 66 5 6 182 6 2 94 82 3.03 1.16
1979 37 37 4 0 0 12 5 0 -- .706 1018 237.1 238 21 92 8 6 172 9 0 102 95 3.60 1.39
1980 34 32 5 2 1 8 13 0 -- .381 907 216.2 219 20 59 5 0 168 2 1 102 92 3.82 1.28
1981 CLE 20 20 9 1 2 11 7 0 -- .611 644 159.1 145 9 40 1 5 107 3 1 52 51 2.88 1.16
1982 4 4 0 0 0 2 2 0 -- .500 89 20.1 16 2 11 0 0 19 0 0 14 11 4.87 1.33
1983 24 24 5 0 0 7 10 0 -- .412 660 156.1 160 8 44 4 10 123 5 1 74 68 3.91 1.30
1984 33 32 12 4 0 19 7 0 -- .731 1004 245.0 204 19 74 4 6 170 6 0 86 78 2.87 1.13
1985 23 23 15 4 2 9 11 0 -- .450 743 179.2 163 14 49 1 7 129 1 1 76 65 3.26 1.18
MIN 14 14 9 1 1 8 5 0 -- .615 460 114.0 101 9 26 0 2 77 3 0 45 38 3.00 1.11
'85計 37 37 24 5 3 17 16 0 -- .515 1203 293.2 264 23 75 1 9 206 4 1 121 103 3.16 1.15
1986 36 36 16 3 4 17 14 0 -- .548 1126 271.2 262 50 58 4 10 215 4 0 134 121 4.01 1.18
1987 37 37 8 1 0 15 12 0 -- .556 1122 267.0 249 46 101 4 9 196 13 0 132 119 4.01 1.31
1988 33 33 7 0 0 10 17 0 -- .370 895 207.1 240 21 51 1 16 145 5 3 128 125 5.43 1.40
1989 CAL 33 33 8 5 1 17 5 0 -- .773 973 241.0 225 14 44 2 8 131 2 0 76 73 2.73 1.12
1990 23 23 2 0 0 8 7 0 -- .533 578 134.0 163 15 25 0 7 69 6 0 85 78 5.24 1.40
1992 25 24 1 0 0 8 12 0 -- .400 568 133.0 150 17 29 2 5 70 3 1 76 70 4.74 1.35
通算:22年 692 685 242 60 21 287 250 0 -- .534 20491 4970.0 4632 430 1322 71 155 3701 114 19 2029 1830 3.31 1.20
  • 各年度の太字はリーグ最高


脚注[編集]

  1. ^ 日本のプロ野球では三球団以上が絡むトレードは禁止されている。
  2. ^ 2011年シーズン終了時点での達成者は16人。
  3. ^ 日本のプロ野球でいう春季キャンプ。
  4. ^ ブライルベン氏とアロマー氏が米国野球殿堂入り

外部リンク[編集]