フランク・キレン
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1870年11月30日 |
| 没年月日 | 1939年12月3日(満69歳没) |
| 身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 200 lb =約90.7 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| 初出場 | 1891年8月27日 |
| 最終出場 | 1900年6月27日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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フランク・キレン(Frank Bissell Killen 、1870年11月30日 - 1931年12月3日)は、主に1890年代に活躍したアメリカの野球選手(投手、左投げ左打ち)。ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ。ニックネームは"Lefty"(レフティ)。19世紀末にメジャーリーグのピッツバーグ・パイレーツで2度の最多勝利投手となった。
目次 |
来歴・人物 [編集]
1891年、シーズン途中からアメリカン・アソシエーションに加わったミルウォーキー・ブルワーズで11試合に登板、7勝4敗の成績を残す。同年リーグが解散したのに伴いワシントン・セネタースの主力投手となり、60試合で29勝26敗の成績を上げた。
1893年にワシントンとピッツバーグの間のトレードでパイレーツに移籍したキレンは、同年投手本塁間の距離が60フィート6インチとなるルール改訂があったものの、36勝14敗の好成績をあげ、ナショナルリーグの最多勝利投手となる。1895年に防御率5点台など調子を一時崩したが、1896年にふたたび30勝を達成、この年2度目の最多勝利投手となった。
しかし2年後の1898年シーズン途中にピッツバーグから放出されたあとは、ボストンやシカゴなどの球団を渡り歩き、1900年のシーズンを最後にメジャーから退いた。1939年にピッツバーグにて死去。
通算成績 [編集]
投手成績 [編集]
※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
| 登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 321 | 300 | 2511.1 | 164 | 13 | 131 | 0 | 725 | 2730 | 55 | 822 | 27 | 64 | 1054 | 3.78 |
獲得タイトル・記録 [編集]
- ナショナルリーグ最多勝利:2回(1893,1896年)
打撃成績 [編集]
- 通算:335試合、998打数241安打、本塁打11、打点127、打率.241
出典・外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference