西新宿

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西新宿(にししんじゅく)は、東京都新宿区内の地域名・町名。郵便番号は160-0023。当地域の人口は、17,390人(2010年8月1日現在、住民基本台帳による。新宿区調べ)。

西新宿の超高層ビル群(東北東の方角からの風景)。富士山の手前に見えるのが東京都庁舎(第一本庁舎)、中央の葉巻型のビルがモード学園コクーンタワー。

概要[編集]

西新宿の範囲は新宿駅の西口から、渋谷区中野区の区境付近までで、日本でも屈指のターミナル駅である新宿駅の西側一帯の地域である。繁華街のほか新宿新都心副都心と呼ばれる超高層ビル街がある。超高層ビル群は日本最大級のオフィス街を形成しているが、周辺には再開発されていない古くからの住宅街も存在する。

歴史[編集]

歌川広重の「名所江戸百景」の角筈熊野十二社。十二社池(現在の西新宿四丁目付近にあった池)が描かれている。

西新宿の名の由来は、新宿地区の西に位置することからであるが、この名称になったのは1970年(昭和45年)の住居表示が実施されてからで、それ以前この地の大半(西新宿一 - 六丁目)は角筈(つのはず)と呼ばれていた。これはかつての角筈村の範囲、南豊島郡淀橋町発足後は大字角筈の範囲に基づく。また青梅街道の北側(西新宿七 - 八丁目)は柏木(かしわぎ)一丁目と呼ばれていた[1]。これらの地名は、新宿区特別出張所やバス停の名称などに未だに見られる。また、新町(しんまち)・成子(なるこ)町・十二社(じゅうにそう)・辻・幡谷前・豊水・添地町・五十人町といった字(あざな)も過去にみられ、いずれも史跡やバス停などの名称、現地の通称として残っているものもある。

内藤新宿の宿場からもやや離れた当地は、江戸時代は現在の西新宿四丁目に十二社池と熊野神社の滝それに伴う茶屋のほかに屋敷なども見られたが、農村が主体であった。この地域に最初に変化をもたらしたのが1885年(明治17年)の新宿駅の開業である。1889年(明治22年)には、品川線(現:山手線)甲武鉄道(現:中央本線)のターミナル駅となり、街の発展の礎となった。この鉄路を生かして、1898年(明治31年)には長らくこの街のシンボルであった、淀橋浄水場が完成。これは東京の市中に送る水道水の施設であり、東京における近代水道発祥の地となった。

このころから地方から東京へ移住してきた人も近辺に住み始めるようになったがこれに拍車をかけたのが1923年(大正12年)の関東大震災であり、東京の市内で震災で住居を失った人たちが、広い山の手郊外に土地を求め、住宅が多く立ち並ぶようになり西新宿一帯は山の手の代表的な住宅地となった。しかしながら東口方面と異なり、西口には商業集積はなにもなく、東京地方専売局淀橋工場と浄水場が主な施設であり、これ以外には人家と学校があるに過ぎなかった。このため、今後の新宿の繁栄のために広大な面積を占める浄水場の移転が大正末期ごろから地元民によって要望され始めた。行政当局によって浄水場の移転を含む西口一帯の都市改造が具体的に検討、計画されたのは1932年(昭和7年)からであった。同年3月、東京市会に東京市第二水道拡張計画案が提出され、これにもとづき翌4月に策定された当局の財政計画は浄水場の機能を武蔵野市境に移転させ、浄水場の売却処分収入を市債の償還費にあてて都市計画東京地方委員会によって浄水場移転を前提とした街路計画を策定し、9月に都市計画決定した。浄水場跡地中央の位置には当時円形の広場は予定されていて、青梅街道や甲州街道ほか街路網をバロック的な街路計画にまとめていた。これが今日新宿副都心での最初の法定計画となったが、浄水場の移転自体が戦後になったので、完成は戦後に持ち越された。

戦後まもなく、東京の街が西へと広がるのと戦後復興の一環として、交通の要所となっていた新宿の街の利便性が注目され、当地に商業施設を集中させる、新宿副都心計画が策定された。それは、駅の至近にあった淀橋浄水場を移転させ、空いた広大な敷地に高層ビル群などを建設し、一大商業エリアにするというものであった。日本が高度経済成長のさなか、まず1965年(昭和40年)に東村山市に浄水場が移転され、1971年(昭和46年)に京王プラザホテルが建設された。この京王プラザホテルを皮切りに200m超の高層ビルが建設され街のシンボルとなった。また1960年代を境に、新宿駅周辺の私鉄系のデパート(小田急百貨店・京王百貨店)の建設、都電都電杉並線)の廃止、新宿駅西口地下広場の建設など駅周辺の再開発もこの街の歴史に触れる際に重要である。(新宿駅西口地下広場については新宿駅西口地下広場を参照)。

1991年(平成3年)に東京都庁舎が新宿高層ビル群の一角に移転開庁し、ほぼ現在見られる街の姿となった。

一方で、駅から離れた地域では、依然として昔からの住居が多く、昭和時代の東京の住宅街の面影を残しているが、ビルの建設や、自治体の再開発計画なども多く、年々これらの面影も薄れてきており、商業地域としての西新宿が年を追うごとに顕在化している。

現代の西新宿丁目毎の地域状況[編集]

新宿新都心の朝の通勤風景。(西新宿二丁目・新宿三井ビル付近)
丁目 地域性
西新宿一丁目 新宿駅周辺・デパート・飲食・電化製品などの商業
西新宿二丁目 超高層ビル群・都庁高級ホテル公園
西新宿三丁目 高級ホテル・旧マンション・SOHO
西新宿四丁目 住宅地
西新宿五丁目 住宅地・商店街、新興マンション
西新宿六丁目 超高層ビル・高級ホテル・新興マンション・病院
西新宿七丁目 パブ・スナック・ファーストフード等の商業・旧マンション
西新宿八丁目 住宅地・新興マンション・再開発地域

年表[編集]

成子坂[編集]

成子坂(なるこざか)は、かつての新宿区柏木1丁目、青梅街道にある坂道であり、成子天神前からから西へ、淀橋まで下っている[2]。別名を、鳴子坂、地蔵坂ともいう[2]

坂道は、現在の住所では西新宿6丁目と西新宿8丁目の境界に位置し、地下鉄西新宿駅東京医大病院のあたりにはじまり、十二社通りとの『成子坂下』交差点を経て、神田川の流れる淀橋まで下る。淀橋のすぐ西側からは中野区中央1丁目、本町1丁目)となる。

住居表示実施前後の町名の変遷[編集]

新宿区内における
住居表示実施前後の
町名町域対照地図
実施後 実施年月日 実施前(各地名ともその一部)
西新宿一丁目 1970年4月1日 角筈一丁目、角筈二丁目、角筈三丁目
西新宿二丁目 角筈三丁目、十二社、淀橋
西新宿三丁目 角筈三丁目
西新宿四丁目 角筈三丁目、十二社、淀橋
西新宿五丁目 淀橋
西新宿六丁目 角筈三丁目、柏木一丁目、淀橋
西新宿七丁目 1971年1月1日 柏木一丁目、百人町一丁目、角筈一丁目、角筈二丁目、角筈三丁目
西新宿八丁目 柏木一丁目

主要施設[編集]

新宿西口循環(京王バス東

デパート・商店[編集]

その他[編集]

首都高速4号線 新宿出入口

地域内の町名一覧[編集]

西新宿一丁目
新宿駅西口付近一帯が西新宿一丁目になる。新宿の繁華街の一角を担う場所で、この界隈は、昼夜問わず、人波が絶えない。新宿駅の西口の出口のほか、私鉄系のデパートである小田急百貨店京王百貨店の各本店、地名が由来になっているヨドバシカメラ本店の他に、ビックカメラソフマップヤマダ電機新宿西口館など大型家電販売店がある。これら販売店の規模は、都内でも秋葉原に次ぐ大きさである。他にも、各企業の本社ビルなどがあり、国内でも有数の商業機能集積地となっている。終戦直後からの新宿西口商店街もある。最寄り駅は新宿駅
西新宿二丁目
新宿新都心の高層ビルの一群があるところが、西新宿二丁目。1965年まで淀橋浄水場があった。都庁はじめ、超高層ビルや新宿中央公園がある。最寄り駅は新宿駅大江戸線都庁前駅。
西新宿三丁目
高層ビル群の南側に位置し甲州街道山手通り水道道路に挟まれた区域が西新宿三丁目。オフィスビルが主体であるが、マンションなどもごく少数点在する。新宿パークタワーワシントンホテル東京オペラシティ新国立劇場渋谷区)などがある。再開発の計画がある。詳細は西新宿三丁目西地区再開発を参照。首都高速新宿線の出入り口。最寄り駅は大江戸線・都庁前駅、京王線・初台駅。
西新宿四丁目
十二社通りより西側で、中野区と渋谷区の境までの区域。方南通り、山手通り、水道道路、十二社通りに囲まれた一帯。方南通りを境に南側は西新宿四丁目になり、西新宿五丁目は北側の地域。高層ビル群の西側にあたる。高層ビルはなく、昔から住宅、アパートが多くなる。かつて、ここの地には、十二社池という滝も伴った大きな池があり、江戸時代には観光名所となっていた。その池は、昭和の高層ビル群建設とともに消滅し、現在は、当地に池があったことを想像することはむずかしい。池の名残は、急な坂道とバス停の名に残る。最寄り駅は大江戸線・西新宿五丁目駅。
西新宿五丁目
十二社通り、方南通り、山手通り、神田川、青梅街道に囲まれた地域。方南通りを境に北側は西新宿五丁目になり、西新宿四丁目は南側の地域。西新宿四丁目同様、昔からの住宅が多く「けやき橋商店会」がある。神田川が地域東端を流れており、中野区と当地域の境となっている。再開発の計画がある。最寄り駅は大江戸線・西新宿五丁目駅。
西新宿六丁目
高層ビル群の北側、高層ビル群と青梅街道の間の区域。新宿警察署東京医科大学病院ヒルトンホテルなどがある。1990年代までは住宅地と高層ビルが混在していたが、組合施行の再開発で新宿アイタウン新宿アイランドタワー西新宿三井ビルディング新宿オークシティセントラルパークタワー・ラ・トゥール新宿などの超高層ビルが次々と建設され、十二社通り沿いにもいくつかの高層マンションができた。結果、西新宿二丁目の浄水場跡エリアに準じるほどの超高層ビルが立ち並ぶエリアと変わった。2010年(平成22年)には高層マンションなどを除き一軒家中心の住宅地域はわずかになった(木造2階建ては、新宿セントラルパークシティの西側に残るだけだが、ここも組合施行再開発の予定があり、空家が多い)。最寄り駅は丸ノ内線・西新宿駅、大江戸線・都庁前駅。
新宿アイランドにあるロバート・インディアナ作『LOVE』のモニュメントは有名な待ち合わせスポットとなっている。
西新宿七丁目
新宿駅から北側に伸びるJR中央線の土手と青梅街道、税務署通りに挟まれた区域。旧マンションや中級ホテル・スモールオフィス、パブ・スナックなどが混在。中古レコード店やライブハウスなどがあることでも有名。近年は、大手予備校もこの付近に多くなった。また小滝橋通り沿いは、新宿屈指のラーメン激戦区でもあった。青梅街道沿いに常円寺があり、西新宿では唯一の霊園がある。2008年(平成20年)頃に税務署通りが道路拡張により容積率が高まったことで通り沿いにはセントラルレジデンス新宿シティタワーを始め多くの分譲マンションが建設された。また2009年に青梅街道沿いに住友不動産西新宿ビルが竣工し、七丁目初の高層ビルとなった。最寄り駅は新宿駅、大久保駅、丸ノ内線・西新宿駅、大江戸線・新宿西口駅。
西新宿八丁目
青梅街道と税務署通りに挟まれた西側区域。1990年代までは青梅街道沿いを除き昔からの住宅街であり多くの一軒家が立ち並んでいた。2000年代に入ると税務署通りの拡張工事および再開発が進んだ。特に八丁目中央部にある成子天神社の西側では、組合施行による大規模な再開発が行われ、40階建て・高さ190メートルの住友不動産新宿グランドタワーをメイン棟とし、ホール棟・2階建て店舗棟・地権者用居住棟が2011年に竣工した。八丁目東側にはまだ木造2階建て一軒家・アパートの住宅地があり、地域全体ではオフィスビルやマンション等に更新されつつある。東端に新宿区立西新宿中学校がある。同校は西新宿一丁目から八丁目、北新宿一丁目・二丁目に住まう生徒が通う西新宿地域唯一の公立中学校である。成子天神社の境内に2つの大型マンションを造る計画が着手されたが、地元民の間では反対が多い。最寄り駅は丸ノ内線・西新宿駅。

西新宿にある超高層ビルの一覧[編集]

ビルの様子は、下のギャラリーを参照。

※階数や高さについては、基準の違いにより他の情報と差が出る場合があることに注意。

現在、西新宿三丁目では、高さ338mの超高層オフィス1棟と245mの超高層マンション2棟、190mの高層ビル1棟が計画されている。 ※詳細は西新宿三丁目西地区再開発を参照。

ギャラリー[編集]

高層ビル群の遠景・全体[編集]

各高層ビルの写真[編集]

1970年代に建設された超高層ビル[編集]

1980年代に建設された超高層ビル[編集]

1990年代に建設された超高層ビル[編集]

2000年代に建設された超高層ビル[編集]

2010年代に建設された超高層ビル[編集]

その他[編集]

西新宿出身の有名人[編集]

西新宿を舞台とした作品[編集]

関連項目[編集]

交通

その他

脚注[編集]

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  1. ^ 柏木の2 - 5丁目については北新宿の地理・歴史を参照。
  2. ^ a b 「成子坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行

外部リンク[編集]