スコット・ボラス

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スコット・ボラス

スコット・ボラス(Scott Boras、1952年11月2日- )はアメリカメジャーリーグを中心に手がけるスポーツ・エージェントカリフォルニア州サクラメント出身。多くの高額契約を締結してきた事で知られる。

経歴[編集]

ボラスはシカゴ・カブス、およびセントルイス・カージナルス傘下のマイナーリーグチームで主に二塁手三塁手としてプレーしていた経験がある。1976年にはフロリダ・ステートリーグのオールスターにも選ばれたが、結局メジャーリーグには昇格できず(AA以下)、4年の現役生活の後、膝の悪化を理由に引退(3度に渡って手術を受けている)。マイナー通算成績は371試合出場、打率.288、5本塁打、79打点。パシフィック大学の法律学部にカブスの援助で進学し、医学訴訟を専攻。工業薬理学の博士号も取得。その後医療過誤に特化したシカゴの法律事務所に務め、かつての同僚がメジャーリーグに昇格する際に代理人を依頼してきた事を契機にスポーツ・エージェントとしてのキャリアをスタートさせる。最初の巨額契約となったのは元同僚のビル・コーディルが1985年にトロント・ブルージェイズと結んだ750万ドルの5年契約だった[1](コーディルはその後3年で肩部関節炎のために31歳の若さで引退)。

現在[編集]

ボラスはスコット・ボラス・コーポレーションを運営しており、元メジャーリーガーを雇い、アジアラテンアメリカへスカウトとして派遣している。彼のオフィスは3階建てで、10のサテライト・ラジオ受信機、32のテレビ受信機、43の机、50のコンピューターと70の薄型テレビが置かれており、キッチン、洗濯室、ジム、シャワー、5つのテレビラウンジと15フィートの人工の滝と火口が口を開け、バーベキューもできる。フロリダのネープルスにも別室を2つのスイートルームをレンタルしている。従業員数は大体45人で、職種は会計弁護士から選手のケアを行う個人トレーナー、スポーツ心理学者(この分野での権威、ハービー・ドーフマン)まで幅広い。ボラスはとにかく情報を重視しており、各選手毎にデータをまとめたファイルを作っている。中でもアレックス・ロドリゲスの移籍の話が出た際には80ページに渡る資料をまとめあげた(特にこの資料はあのMLB史上に残る巨額契約を支えた歴史的価値があるものとして野球殿堂に寄贈されている)。またシーズン中は30分に一度はクライアントの成績をオンタイムで受け取っており[2]、従業員の中には毎日スポーツの試合を全て観てその結果をボラスに伝えるだけの役割のものまでいる[3]

クライアントには多くの有名メジャーリーガーがおり、アレックス・ロドリゲスノマー・ガルシアパーラグレッグ・マダックスらが含まれる。契約代行に際してボラスは締結した年俸の5%の手数料を取っている[4]。高額な請求を出す事で既に有名となっているボラスは自身の名前が選手のマーケティングで表面上に出るのを避けるために別会社、インパクト・マーケティングを設立している。 松坂大輔のエージェント業務を手がけるため、そして今後の日本からメジャーへ渡る選手からの依頼を請ける為に東京にも事務所を構えて活動している。

2009年4月9日に交通事故で亡くなったロサンゼルス・エンゼルスニック・エイデンハートの代理人でもあり、記者会見では大粒の涙を流した。

2人の息子も野球選手であり、長男シェーンが2008年のドラフトでカージナルスから35巡目で指名された(入団せず南カリフォルニア大学に進学)。また、次男トレントも2011年のドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから30巡目で指名された。

ドラフトでのエピソード[編集]

最初に手がけた依頼人の内の一人、1983年のドラフト1位指名のティム・ベルチャーは、ボラスのアドバイスに従い、ミネソタ・ツインズが出した前年1位指名のショーン・ダンストンと同額の10万ドルを1965年リック・マンデーからあまり額が上がっていないことを理由に拒否。15万ドルのボーナス契約を要求した。この事がきっかけとなり1990年代以降ドラフトで数百万ドルのボーナス契約を要求する事が慣例となった。

1996年6月のドラフトではマット・ホワイト、トラビス・リーアトランタオリンピックのスター選手)、ジョン・パターソンボビー・シーエイの一巡目指名4選手が実はフリーエージェントの権利を取れるという規則上の抜け穴を見つけ出し、ホワイト(後マイナーリーグで引退)はタンパベイ・デビルレイズと新人選手としては史上最高額となる1020万ドル、シーエイ(4シーズンに渡ってリリーバーを務めた後、デトロイト・タイガースに移籍)は同じくデビルレイズと300万ドルの契約を結んだ[5]

1997年にはニューヨーク・メッツが1巡目(全体6位)指名予定だったリック・アンキールを代理人がボラスであった事から見送っている(アンキールはその後2巡目(全体72位)でセントルイス・カージナルスに指名された)。

もう一人のクライアント、J.D.ドリューは当初指名を予定していたチームと契約できず、ボラスは次の候補としてフィラデルフィア・フィリーズに目をつけた。ボラスはチームに対して1,100万ドルの要求をしたがこれは結局蹴られ(フィリーズの提案は300万ドル)、ドリューは独立リーグで1年間のプレーを余儀なくされた。次のシーズン、ボラスは独立リーグでの経験からドリューがフリーエージェントであると主張したが認められず、ドラフトにてセントルイス・カージナルスと800万ドルの契約を結んでいる。

2004年にはドリューの弟、スティーブン・ドルージェレッド・ウィーバーがクライアントとなったが、ドラフトでの契約でもめて2005年へ持ち越しになる寸前まで締結できなかったため、この年はプロとしてのキャリアをスタートできなかった。

ドラフトではないものの、2006年ポスティングシステムによる松坂大輔ボストン・レッドソックスへの入団交渉においても、同チームオーナーであるヘンリーの自家用機で交渉が行われていたが、交渉期限10分前になってもチーム側提示額とボラス側の要求額には開きがあり(6年5500万ドルを要求していた)交渉期限3分前で松坂自身から「金額よりも入団が先」とボラスにストップをかけギリギリで交渉成立となった。

周囲からの批判[編集]

ボラスはよくクライアントが望む以上の額の契約を結ぶという事でチームの出費高騰を懸念するファンの間で非難を呼んでいる。特にシアトルのファンの間では金でアレックス・ロドリゲスをテキサスへ持ち去った男として評判が悪い。また高額契約のみに執着しているため、勝てるチーム・家族のそばに住むといった金額に表れない要素はおろそかにされる事が多い。ニューヨーク・デイリーのコラムニスト、ビル・マッデンはボラス批判の急先鋒で、デビルレイズで2003年には145試合に出ていたトラビス・リーが2004年には高額提示をして移籍したヤンキースで試合にすら出られない状態になっていると指摘する。[6]

また、依頼人であったマット・ハリントンのように、契約金120万ドルを拒否してより好条件での契約提示を待って独立リーグでプレーさせているうちに価値が暴落し、契約金ゼロでマイナー契約するに至った例も存在する。

巨額契約[編集]

これらボラスの手がけた巨額契約のいくつかは繰り返す怪我のために選手がまともに働けず、チームの足かせとなっているものもある。

主なクライアント[編集]

MLB現役選手[編集]

海外選手[編集]

引退選手[編集]

脚注[編集]

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外部リンク[編集]