マイアミ・ドルフィンズ

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マイアミ・ドルフィンズ
1966年創設
永久欠番 121339
所属地区
  • NFL(1970-現在)
  • AFC(1970-現在)
東地区(1970-現在)
  • AFL(1966-1969)
東地区(1966-1969)
ホームタウン
  • 本拠地

マイアミ(フロリダ州)

  • スタジアム

Dolphin Stadium baseball diamond.jpg
サンライフ・スタジアム (1987-)
旧称

  • ドルフィン・スタジアム(1984-1987, 2007-2008)
  • ジョー・ロビー・スタジアム(1987-1996)
  • プロ・プレイヤー・スタジアム(1996-2005)
  • ランドシャーク・スタジアム(2009-2010)

マイアミ・オレンジボウル (1966-86)

チームデザイン
  • チームカラー

     アクアマリン
     コーラルオレンジ

  • チームロゴ

太陽[1]をバックにヘルメットをかぶったイルカ

獲得タイトル
  • リーグ・チャンピオン (2回)

19721973(スーパーボウルチャンピオン)

  • カンファレンス・チャンピオン (5回)

AFC:1971、1972、1973、1982、1984

  • 地区優勝 (13回)

AFC東地区:1971、1972、1973、1974、1979、1981、1983、1984、1985、1992、1994、2000, 2008

  • ワイルドカード (9回)

1970、1978、1982、1990、1995、1997、1998、1999, 2001

球団組織
オーナー: スティーブン・ロス
GM: ジェフ・アイルランド
ヘッドコーチ: ジョー・フィルビン(2012- )

マイアミ・ドルフィンズ (Miami Dolphins) は、フロリダ州マイアミに本拠地を置くNFLチームである。AFC東地区に所属している。スーパーボウルを2度制覇しており、1972年にはNFL史上唯一となるシーズン完全制覇を果たしている。またドルフィンズを26年指揮したヘッドコーチ、ドン・シュラの時代、チームはわずか2回しか負け越さず、彼はNFLの最多勝ヘッドコーチとなっている。フロリダ州にあるプロスポーツチームの中で最も古い歴史を持っている。

Dolphin(イルカ)にはスピード感、知性という意味を持たせている。

歴史[編集]

チームは1966年、ジョセフ・ロビーによって創設されてAFLの一員となった。1965年に愛称を公募したが19,843人による候補は1000を越えた。マリナーズ、マロウダーズ、ムスタングス、ミサイルズ、ムーンズ、シャークス、サンズなどと共に候補にあがったドルフィンズが選考の末選ばれた。最初の4シーズンはジョージ・ウィルソンヘッドコーチの下で15勝39敗2分の成績しか残すことはできなかった。しかし1970年にポール・ブラウンの教え子であり、ボルチモア・コルツ第3回スーパーボウルに出場させたドン・シュラがヘッドコーチになると好成績をあげるようになる。

1970年に10勝4敗の好成績をあげて地区優勝を果たし初のプレーオフ進出を果たした。この年はオークランド・レイダーズにプレーオフで敗れたが、QBボブ・グリーシーRBラリー・ゾンカジム・キイックWRポール・ウォーフィールドを擁したチームはこの年からAFC東地区で4年連続優勝を果たすこととなった。

1971年にはディビジョナル・プレーオフでダブルオーバータイムまでもつれNFL史上最長となった82分40秒のカンザスシティ・チーフスとの試合を制するなどして第6回スーパーボウル出場を決めたがダラス・カウボーイズに3-24で敗れた。

1972年、ドン・シュラヘッドコーチに率いられたチームはシーズンを14勝0敗で終えてプレーオフでも負けなし[2]第7回スーパーボウルワシントン・レッドスキンズを14-7で破りスーパーボウル初優勝を果たした[3]。このシーズン第5週のチャージャーズ戦でエースQBのボブ・グリーシーが負傷し、それ以降の試合を控えQBだったアール・モラルが先発した[4]。グリーシーはピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームで復帰し、スーパーボウルでも先発出場した。またノーネームディフェンスと呼ばれた[5]ラインバッカーのニック・ブオニコンティ、ディフェンシブエンドのビル・スタンフィル、ディフェンシブタックルのマニー・フェルナンデス、セイフティのディック・アンダーソンジェイク・スコットらの守備はリーグ1の成績を残した。

ドルフィンズは1シーズンのラッシング記録を作り、ゾンカとマーキュリー・モリスは2人とも1000ヤードラッシャーとなった。2人のランニングバックが1000ヤードラッシャーとなったのはNFL初の記録であった。この攻撃は後にプロフットボール殿堂入りを果たすOTのジム・ランガー、Gのラリー・リトルら強力なオフェンスラインによって支えられた。

1973年シーズンも12勝2敗でレギュラーシーズンを終え、第8回スーパーボウルではミネソタ・バイキングスを24-7で破りスーパーボウル連覇を遂げた。翌1974年も地区優勝を果たしたが、プレーオフ初戦でオークランド・レイダーズに敗れ、スーパーボウル3連覇はならなかった[6]。このシーズン終了後、ゾンカ、キイック、ウォーフィールドの3人がワールド・フットボール・リーグ(WFL)に移籍しチームを離れた。

1976年チームは6勝8敗に終わったが続く5シーズン中4シーズンに10勝以上をあげた。1977年、10勝4敗で終えたがボルチモア・コルツに地区優勝を奪われプレーオフを逃した。1978年にはワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがヒューストン・オイラーズに敗れた。

1979年、ゾンカが復帰し10勝6敗で地区優勝を果たしたがプレーオフではピッツバーグ・スティーラーズに敗れた。

1980年、ボルチモア・コルツ戦でQBボブ・グリーシーが肩を負傷、ルイジアナ州立大学出身のデビッド・ウッドリーが先発することになった。グリーシーはこの後復帰することなくシーズン終了とともに引退した。チームは8勝8敗でプレーオフを逃した。

1981年、11勝4敗1分で地区優勝を果たした。この年のQBはウッドリーとドン・ストロックが先発した。チームはプレーオフでサンディエゴ・チャージャーズと対戦、第1Qだけで相手に24点をあげられてリードを許したが38-38と追いつき延長の末38-41で敗れた[7]

ストライキでシーズンが短縮された1982年には、7勝2敗でAFC2位となり第17回スーパーボウルまで進んだがワシントン・レッドスキンズに敗れた。このシーズンのドルフィンズのディフェンスはボブ・バウムハウワービル・バーネットライル・ブラックウッドキム・ボカンバーグレン・ブラックウッドダグ・ベターズボブ・ブルジンスキーらBの頭文字の選手がそろっていたためキラーBディフェンスと呼ばれた。またこの年から1987年まで、Cドワイト・スティーブンソンらオフェンスラインが相手に許したサックは、6年連続リーグ最少であった[8]

1984年には2年目のQBダン・マリーノがNFLシーズン記録となる48本のタッチダウンパスを投げて第19回スーパーボウルまで進みサンフランシスコ・フォーティナイナーズと対戦した。マリーノ対ジョー・モンタナとして注目された試合はモンタナに軍配があがりドルフィンズはまたしても優勝を逃した。

1990年代初めには同地区のライバル、バッファロー・ビルズと激しく地区優勝を争ったがビルズが4年連続スーパーボウルに出場することとなった。

1992年は地区優勝を果たしてホームアドバンテージを持っていたが、ワイルドカードプレーオフでヒューストン・オイラーズを相手に32点差からの逆転で勝ち上がったビルズにAFCチャンピオンシップゲームで敗れてスーパーボウル出場は果たせなかった。

1994年11月27日のジェッツ戦でダン・マリーノアーロン・グレンにサックされそうになったがスパイクするフェイクを見せた後、マーク・イングラムへの逆転のTDパスを成功させた。このプレイは"The Fake Spike"として知られている( (Clock Play)。

1995年ドン・シュラがプレーオフも含めて347勝とNFLヘッドコーチ歴代最多勝利(それまでの記録はジョージ・ハラスの324勝)退任、ダラス・カウボーイズで2度のスーパーボウルを制したジミー・ジョンソンが後任となりGMを兼任した。

ジョンソンの就任2年目の1997年からチームは3年連続でワイルドカードでプレーオフ出場を果たしたがいずれも初戦で敗退した。

1999年10月の試合でマリーノが負傷し戦線を離脱[9]、シーズン終了後NFLのQB記録を数々塗り替えたマリーノが現役を引退した。彼が在籍している間チームは地区優勝5回、プレーオフには10回出場し、スーパーボウルにも1回出場を果たした。

2000年1月16日ジョンソンは突如辞任を発表、彼の下で長年アシスタントコーチを務めているデイブ・ウォンステッドが後任となりチームは2000年2001年とプレーオフに出場したが、2004年チームが1勝8敗となったところで母校、ピッツバーグ大学のヘッドコーチに就任するため辞任、ジム・ベイツが指揮を執り残り7試合を3勝4敗で終えた。

2005年、チームはルイジアナ州立大学のヘッドコーチ、ニック・セイバンを新ヘッドコーチに迎えた。

2006年ジェイソン・テイラーが最優秀守備選手に選ばれた[8]

2007年シーズンはトレント・グリーンがエースQBとなったが4試合が終了したところでグリーンは故障者リスト入りしてしまった。残りの試合はクレオ・レモンジョン・ベックが先発したがその後その時点でNFLのリーディングラッシャーを走っていたRBのロニー・ブラウンも失ってしまった。このシーズンニューヨーク・ジャイアンツとのホームゲームがロンドンで行われた。これはNFLのレギュラーシーズンのゲームが北米大陸以外で行われる初の試合となった。この試合後2001年からチームに在籍したWRのクリス・チェンバースサンディエゴ・チャージャーズに放出した。12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末勝利したがこのシーズン1勝に終わり15敗した8チーム目となった。シーズン終盤、ビル・パーセルズがチームのフロント入りを果たした。第15週の12月16日のボルチモア・レイブンズ戦に延長の末22-16で勝ち連敗を16で止めた。しかしこのシーズンは1勝に終わりレギュラーシーズンに15敗した[10]8チーム目となった。(その後2008年にデトロイト・ライオンズがシーズン16連敗で記録を更新した。)

シーズン終了とともにGMのランディ・ミューラー、ヘッドコーチのキャム・キャメロンは解任された。またシーズンオフに2人のプロボウル選出選手を放出した(LBのザック・トーマスとは再契約をせず、DEのジェイソン・テイラーをワシントン・レッドスキンズのドラフト2巡目指名権とトレードした。)。新ヘッドコーチにはパーセルズがダラス・カウボーイズのヘッドコーチを務めていた時のアシスタントコーチであるトニー・スパラノが就任[11]、ドラフト全体1位でミシガン大学のOTのジェイク・ロングを獲得した。またブレット・ファーヴを獲得したニューヨーク・ジェッツのQB、チャド・ペニントンと契約を結んだ[10]

ワイルドキャットからパスを投げようとするロニー・ブラウン

2008年シーズンも開幕戦・第2週と連敗スタートであったが、第3週のニューイングランド・ペイトリオッツ戦に38-13で勝利し、ロードゲームでの連敗を11で止めたばかりか、ペイトリオッツが2006年シーズンの第15週以来続けてきたレギュラーシーズンでの連勝も21で止めた[12](なお2006年シーズンの第14週の相手はこのドルフィンズである)。この試合で導入し大成功したオフェンス・プレー「ワイルドキャット・フォーメーション」は、2008年シーズンのトレンドとなり、ドルフィンズのみならず、NFLの多くのチームが導入した。前年の1勝15敗から11勝5敗と大きく勝ち星をあげたチームは2000年以来の地区優勝を果たした。前年より10勝多く勝ち星を積み上げたチームはこれまでに1999年のインディアナポリス・コルツのみであった。プレーオフではボルチモア・レイブンズと対戦し敗れた。

2009年、スティーブ・ロスにより買収される。落札額は、11億ドル。米スポーツ界のフランチャイズ契約で最高額を記録した。シーズン早々にエースQBペニントンを怪我で失ったがQBチャド・ヘニーが先発QBとなった。シーズン終盤まで7勝6敗と大混戦のプレーオフ争いに参加したが最後の3試合に連敗してプレーオフを逃した。

2010年、ディフェンスコーディネーターにマイク・ノーランが就任した[13]。シーズンではエースQBのペニントン、2番手QBのチャド・ヘニーが故障がちで苦戦を強いられて[14]プレーオフを逃した[15]

2011年2月、ポール・ソリアイをフランチャイズ選手に指定した[16]。第4週にエースQBのヘニーがシーズン絶望となり[17]、マット・ムーアが先発QBとなった。チームは開幕から7連敗し、その後3連勝したが、4勝9敗となったところで、スパラノヘッドコーチは解任されトッド・ボウルスアシスタントヘッドコーチが暫定ヘッドコーチに就任した[18]。ボウルスが指揮を執った初戦、この年加入したレジー・ブッシュが自己ベストの203ヤードを走る活躍を見せて勝利した[19]。ボウルスヘッドコーチ就任後の3試合でチームは2勝1敗の成績をあげて[20]、6勝10敗でシーズンを終えた。シーズン終了後の1月20日、チームはグリーンベイ・パッカーズのオフェンスコーディネーターを務めていたジョー・フィルビンを新ヘッドコーチとして発表した[21]

2012年、チームはドラフト1巡で指名したライアン・タネヒルを開幕QBに指名した。

2013年10月、ジョナサン・マーティンが心の病となりチームを離脱した。その背景には、チームメートのリッチー・インコグニートから人種差別的中傷のボイスメールを受けるなどの嫌がらせを受けたことが明らかとなった[22]。インコグニートはNFLから無期限の出場停止処分を受けた[23]。2014年2月14日、独立した調査機関による調査報告書が公表され、マーティンだけでなくアシスタントトレーナーもパワーハラスメントを受けていたと指摘がなされた[24]

成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

AFC東地区(4地区制)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2013 NE(2c) 12 4 0 NYJ 8 8 0 MIA 8 8 0 BUF 6 10 0
2012 NE(2c) 12 4 0 MIA 7 9 0 NYJ 6 10 0 BUF 6 10 0
2011 NE(1s) 13 3 0 NYJ 8 8 0 MIA 6 10 0 BUF 6 10 0
2010 NE(1d) 14 2 0 NYJ(6c) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 4 12 0
2009 NE(3w) 10 6 0 NYJ(5c) 9 7 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0
2008 MIA(3w) 11 5 0 NE 11 5 0 NYJ 9 7 0 BUF 7 9 0
2007 NE(1s) 16 0 0 BUF 7 9 0 NYJ 4 12 0 MIA 1 15 0
2006 NE(4c) 12 4 0 NYJ(5w) 10 6 0 BUF 7 9 0 MIA 6 10 0
2005 NE(4d) 10 6 0 MIA 9 7 0 BUF 5 11 0 NYJ 4 12 0
2004 NE(2v) 14 2 0 NYJ(5d) 10 6 0 BUF 9 7 0 MIA 4 12 0
2003 NE(1v) 14 2 0 MIA 10 6 0 BUF 6 10 0 NYJ 6 10 0
2002 NYJ(4d) 9 7 0 NE 9 7 0 MIA 9 7 0 BUF 8 8 0

AFC東地区(3地区制)[編集]

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 NE(2v) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ(6w) 10 6 0 IND 6 10 0 BUF 3 13 0
2000 MIA(3d) 11 5 0 IND(6w) 10 6 0 NYJ 9 7 0 BUF 8 8 0 NE 5 11 0
1999 IND(2d) 13 3 0 BUF(5w) 11 5 0 MIA(6d) 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 8 8 0
1998 NYJ(2c) 12 4 0 MIA(4d) 10 6 0 BUF(5w) 10 6 0 NE(6w) 9 7 0 IND 3 13 0
1997 NE(3d) 10 6 0 MIA(6w) 9 7 0 NYJ 9 7 0 BUF 6 10 0 IND 3 13 0
1996 NE(2s) 11 5 0 BUF(4w) 10 6 0 IND(6w) 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 1 15 0
1995 BUF(3d) 10 6 0 IND(5c) 9 7 0 MIA(6w) 9 7 0 NE 6 10 0 NYJ 3 13 0
1994 MIA(3d) 10 6 0 NE(5w) 10 6 0 IND 8 8 0 BUF 7 9 0 NYJ 6 10 0
1993 BUF(1s) 12 4 0 MIA 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 5 11 0 IND 4 12 0
1992 MIA(2c) 11 5 0 BUF(4s) 11 5 0 IND 9 7 0 NYJ 4 12 0 NE 2 14 0
1991 BUF(1s) 13 3 0 NYJ(6w) 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 6 10 0 IND 1 15 0
1990 BUF(1s) 13 3 0 MIA(4d) 12 4 0 IND 7 9 0 NYJ 6 10 0 NE 1 15 0
1989 BUF(3d) 9 7 0 IND 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 5 11 0 NYJ 4 12 0
1988 BUF(2c) 12 4 0 IND 9 7 0 NE 9 7 0 NYJ 8 7 1 MIA 6 10 0
1987 IND(3d) 9 6 0 NE 8 7 0 MIA 8 7 0 BUF 7 8 0 NYJ 6 9 0
1986 NE(3d) 11 5 0 NYJ(4d) 10 6 0 MIA 8 8 0 BUF 4 12 0 IND 3 13 0
1985 MIA(2c) 12 4 0 NYJ(4w) 11 5 0 NE(5s) 11 5 0 IND 5 11 0 BUF 2 14 0
1984 MIA(1s) 14 2 0 NE 9 7 0 NYJ 7 9 0 IND 4 12 0 BUF 2 14 0
1983 MIA(2d) 12 4 0 NE 8 8 0 BUF 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 7 9 0
1982 MIA(2s) 7 2 0 NYJ(6c) 6 3 0 NE(7w) 5 4 0 BUF 4 5 0 BAL 0 8 1
1981 MIA(2d) 11 4 1 NYJ(4w) 10 5 1 BUF(5d) 10 6 0 BAL 2 14 0 NE 2 14 0
1980 BUF(3d) 11 5 0 NE 10 6 0 MIA 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 4 12 0
1979 MIA(3d) 10 6 0 NE 9 7 0 NYJ 8 8 0 BUF 7 9 0 BAL 5 11 0
1978 NE(2d) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ 8 8 0 BUF 5 11 0 BAL 5 11 0
1977 BAL(2d) 10 4 0 MIA 10 4 0 NE 9 5 0 BUF 3 11 0 NYJ 3 11 0
1976 BAL(2d) 11 3 0 NE(4d) 11 3 0 MIA 6 8 0 NYJ 3 11 0 BUF 2 12 0
1975 BAL(3d) 10 4 0 MIA 10 4 0 BUF 8 6 0 NYJ 3 11 0 NE 3 11 0
1974 MIA(d) 11 3 0 BUF(d) 9 5 0 NE 7 7 0 NYJ 7 7 0 BAL 2 12 0
1973 MIA(v) 12 2 0 BUF 9 5 0 NE 5 9 0 NYJ 4 10 0 BAL 4 10 0
1972 MIA(v) 14 0 0 NYJ 7 7 0 BAL 5 9 0 BUF 4 9 1 NE 3 11 0
1971 MIA(s) 10 3 1 BAL(c) 10 4 0 NE 6 8 0 NYJ 6 8 0 BUF 1 13 0
1970 BAL(v) 11 2 1 MIA(d) 10 4 0 NYJ 4 10 0 BUF 3 10 1 BOS 2 12 0

AFL東地区[編集]

地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
1969 NY(d) 10 4 0 HOU(d) 6 6 2 BOS 4 10 0 BUF 4 10 0 MIA 3 10 1
1968 NY(V) 11 3 0 HOU 7 7 0 MIA 5 8 1 BOS 4 10 0 BUF 1 12 1
1967 HOU(a) 9 4 1 NY 8 5 1 BUF 4 10 0 MIA 4 10 0 BOS 3 10 1
1966 BUF(a) 9 4 1 BOS 8 4 2 NY 6 6 2 HOU 3 11 0 MIA 3 11 0

プレイオフ[編集]

Note: 勝 = 勝, 敗 = 敗, 分 = 引分

シーズン 最終順位 プレーオフ
1970 10 4 0 AFC東地区2位 ディビジョナル・プレーオフ敗北 14-21 オークランド・レイダーズ
1971 10 3 1 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 27-24 カンザスシティ・チーフス
AFCチャンピオンシップゲーム勝利 21-0 ボルチモア・コルツ
第6回スーパーボウル敗北 3-24 ダラス・カウボーイズ
1972 14 0 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 20-14 クリーブランド・ブラウンズ
AFCチャンピオンシップゲーム勝利 21-17 ピッツバーグ・スティーラーズ
第7回スーパーボウル優勝 14-7 ワシントン・レッドスキンズ
(パーフェクト・シーズンを達成)
1973 12 2 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 34-16 シンシナティ・ベンガルズ
AFCチャンピオンシップゲーム勝利 27-10 オークランド・レイダーズ
第8回スーパーボウル優勝 24-17 ミネソタ・バイキングス
1974 11 3 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗北 24-26 オークランド・レイダーズ
1978 11 5 0 AFC東地区2位 ワイルドカード・プレーオフ敗北 9-17 ヒューストン・オイラーズ
1979 10 6 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗北 14-34 ピッツバーグ・スティーラーズ
1981 11 4 1 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗北 38-41 サンディエゴ・チャージャーズ
1982 7 2 0 AFC2位 ワイルドカード・プレーオフ勝利 28-13 ニューイングランド・ペイトリオッツ
ディビジョナル・プレーオフ勝利 34-13 サンディエゴ・チャージャーズ
AFCチャンピオンシップゲーム勝利 14-0 ニューヨーク・ジェッツ
第17回スーパーボウル敗北 17-27 ワシントン・レッドスキンズ
1983 12 4 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ敗北 20-27 シアトル・シーホークス
1984 14 2 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 31-10 シアトル・シーホークス
AFCチャンピオンシップゲーム勝利 45-28 ピッツバーグ・スティーラーズ
第19回スーパーボウル敗北 16-38 サンフランシスコ49ers
1985 12 4 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 24-21 クリーブランド・ブラウンズ
AFCチャンピンシップゲーム敗北 14-31 ニューイングランド・ペイトリオッツ
1990 12 4 0 AFC東地区2位 ワイルドカード・プレーオフ勝利 17-16 カンザスシティ・チーフス
ディビジョナル・プレーオフ敗北 34-44 バッファロー・ビルズ
1992 11 5 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 31-0 サンディエゴ・チャージャーズ
AFCチャンピンシップゲーム敗北 10-29 バッファロー・ビルズ
1994 10 6 0 AFC東地区優勝 ディビジョナル・プレーオフ勝利 27-17 カンザスシティ・チーフス
ディビジョナル・プレーオフ敗北 21-22 サンディエゴ・チャージャーズ
1995 9 7 0 AFC東地区3位 ワイルドカード・プレーオフ敗北 22-37 バッファロー・ビルズ
1997 9 7 0 AFC東地区2位 ワイルドカード・プレーオフ敗北 3-17 ニューイングランド・ペイトリオッツ
1998 10 6 0 AFC東地区2位 ワイルドカード・プレーオフ勝利 24-17 バッファロー・ビルズ
ディビジョナル・プレーオフ敗北 3-38 デンバー・ブロンコス
1999 9 7 0 AFC東地区3位 ワイルドカード・プレーオフ勝利 20-17 シアトル・シーホークス
ディビジョナル・プレーオフ敗北 7-62 ジャクソンビル・ジャガーズ
2000 11 5 0 AFC東地区優勝 ワイルドカード・プレーオフ勝利 23-17 インディアナポリス・コルツ
ディビジョナル・プレーオフ敗北 0-27 オークランド・レイダーズ
2001 11 5 0 AFC東地区2位 ワイルドカード・プレーオフ敗北 3-20 ボルチモア・レイブンズ
2008 11 5 0 AFC東地区優勝 ワイルドカード・プレーオフ敗北 9-27 ボルチモア・レイブンズ

殿堂入り選手等[編集]

注)ドン・シュラの番号 347 は彼のコーチとしてのNFL勝利数である。(ドルフィンズでは 276 勝)

永久欠番[編集]

  • 12 ボブ・グリーシー
  • 13 ダン・マリーノ
  • 39 ラリー・ゾンカ

歴代ヘッドコーチ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ フロリダ州の愛称にちなんだ
  2. ^ 最終ゲームで達成された2つの偉大な記録”. NFL JAPAN (2010年12月16日). 2010年12月19日閲覧。
  3. ^ 2007年シーズン16勝0敗の成績を残したニューイングランド・ペイトリオッツが史上2度目となるシーズン完全制覇を目指したがニューヨーク・ジャイアンツスーパーボウルで敗れ再現はならなかった。
  4. ^ シュラ、モラルは、1969年にもエースQB不在のボルチモア・コルツをスーパーボウルに導いている。
  5. ^ オフェンス選手に比べてスーパースターがいなかったため
  6. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “Dolphins Vs. Raiders (Sea Of Hands)”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。
  7. ^ リーグ史上に残るオーバータイム名勝負トップ5”. NFL JAPAN (2011年7月19日). 2011年8月2日閲覧。
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関連項目[編集]

ドルフィンズのチアリーダー
  • マッド・ボウル - 1983年1月23日のAFCチャンピオンシップゲーム、マイアミ・オレンジボウルで行われたニューヨーク・ジェッツとの試合。試合開始前に大雨が降りぬかるんだフィールドでドルフィンズがジェッツを破ったが、試合終了後にジェッツはドルフィンズのヘッドコーチ、ドン・シュラがジェッツのパワーランをドルフィンズのキラーBディフェンスで封じるため意図的に雨が降ったのにフィールドにカバーをしなかったのではないかと抗議した。

外部リンク[編集]